生存報告会 ~ 白菜と人参のなんちゃって中華丼
読了:僕が死んだあの森[ピエール・ルメートル/橘 明美]
自分を慕ってくれていた隣家の6歳の男の子を、感情の爆発から意図せず殺害してしまった12歳のアントワーヌ。思わず死体を森の中に隠してしまったが、家に帰ると腕時計をなくしていることに気付く。男の子の行方不明事件として村は大騒ぎになる。自白していっそ楽になったほうがいいのか、それともこのまま隠ぺいしたままでいいのか、苦しむアントワーヌ。そこに村を記録的な大嵐が襲う。
村を覆う不景気観、村の狭くて濃密な人間関係、そして大嵐がアントワーヌの境遇をさもありなんと思わせる。子供殺しという現実、自身と子どもなりにも考えた世間体のはざまで葛藤するアントワーヌの追い詰められた感を絶妙に描く作者の力量はすばらしい。この子供時代の出来事が全体の半分を占める。アントワーヌの一人称語りなので、事件がどのように起こったのか、死体をどこにどう隠したのかもすべてわかっており、またアントワーヌはそれを一生隠し通そうと強い意志をもって行動しているわけでもない。今後少年の死体は見つかることがあるのだろうか?アントワーヌの殺人は明るみに出るのか?というだけだ。
さて、12年後、医学生となったアントワーヌは忌まわしい思い出のある村を避けて恋人とともに海外へ出発しようとしていたが、帰省した折に殺害した男の子の家とは反対側の隣家の幼馴染(別の男と婚約済み)とチョメチョメしてしまい、その娘が妊娠してしまう。その両親から責任を取るようにアントワーヌは脅される。一方かつて男の子の死体を隠した森が開発され、男の子の白骨死体が発見され、犯人につながる生体試料が見つかるものの、犯罪者データベースには該当者なしで殺害犯はわからずじまい。自身のDNAを提供しなければならなくなる事態を避けるために、彼は恋人と別れ、妊娠させてしまった幼馴染と結婚することを選ぶ。さらに数年後、彼は村の医者となっていた。結局村から逃れることはできなかったのだ……。
あの森で犯した殺人は遂に明るみに出ることはなかったが、そのことで振り回された僕の人生、あの森で死んだのは「僕」だったのかもしれない。でもこの話にはちゃんと救いが用意されているのだ。確かにあの森の事件で「僕」の人生は狂わされたかもしれない。でも村で「僕」はささやかながらも新しい人生を見つけている。そして最後に明かされるのは、あの殺人は決して自分一人が抱えていたわけではなかったのだ。そうか腕時計はそこにあったのか。
犯罪文学というより人間ドラマとしてよくできていて抜群におもしろかった。
生存報告会 ~ ベーコンとネギの和風パスタ
生存報告会 ~ キャベツとベーコンのパスタ
生存報告会 ~ 鶏肉とブロッコリーのトマトソース
生存報告会 ~ ブロッコリーのペペロンチーノ
生存報告会 ~ ベーコンと菜の花とブナシメジのパスタ
読了:1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 現代編[デイヴィッド・S・キダー/ノア・D・オッペンハイム]
「1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365」シリーズ第3弾は「現代編」。第1弾と第2弾「人物編」の感想は以下に。
これまでの2巻が歴史的雑学側面が強かったので、今回は現代史版か?と思うとちょっと自分の思っている現代史ではなかった。20世紀以降のテーマを扱っているんだけれども、同時代性というものが強くなってくると、もはや現代習俗・文化各論集、もっと言うならゴシップだなって感じ(もっともそれらがやがて淘汰され歴史になっていくんだろうけれども)。曜日ごとのテーマは、月曜日が「人物」、火曜日が「文学」、水曜日が「音楽」、木曜日が「映画」、金曜日が「社会」、土曜日が「スポーツ」、日曜日が「大衆文化」。扱われている内容は前2作以上に圧倒的にアメリカ関係が多い。火曜日「文学」、金曜日「社会」、日曜日「大衆文化」がおもしろかった。ラフはスポーツには疎いので土曜日はしんどかった。アメリカ人にとっては知っていて当たり前な有名アスリート(主にアメフト、アイスホッケー、バスケットボール選手)もほとんど知らなくて「誰やねん」。最後は「J.K.ローリング」(「ハリー・ポッター」シリーズの作者)で閉められていたけれども、途中「マーサ・スチュワート」(カリスマビジネス主婦)が出てきたときには、アメリカではこの人についても教養なんだ……と思ったり思わなかったり。
■ 1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 現代編[デイヴィッド・S・キダー/ノア・D・オッペンハイム]
■ 1日1ページ、読むだけで身につく世界の教養365 現代編(教養365)[デイヴィッド・S・キダー/ノア・D・オッペンハイム/小林朋則]【電子書籍】