読了:古代ローマ人の24時間(河出文庫)[アルベルト・アンジェラ/関口英子]

さあ、2000年前のローマ帝国の首都に住んでみよう。タイムスリップさながら、臨場感たっぷりに再現された古代ローマの驚きの“1日”を体験できる一冊。食事、服装、住宅、買い物、学校…公共浴場、闘技場、夜の饗宴など、庶民の暮らしを鮮やかに再現したベストセラー、待望の文庫化。

西暦115年のある一日(夜明けから深夜まで)に、世界の首都と呼ばれたローマ(人口100万人を超えている巨大都市)の街中を散策しながら当時の人々の生活を観察するスタイルで描かれている風俗書。西暦115年というのは、五賢帝の二人目トライアヌス帝によるダキア併合(西暦109年)によりローマ帝国が最大版図となった直後で、ローマ帝国が最も繁栄した時期の一つ。市井の人々の暮らしぶりが目に浮かび、すこぶるおもしろい。

ローマ市民の生活は酒池肉林におぼれた怠惰な饗宴の日々というイメージがあるそうなのだが、ほとんどは後世になってキリスト教の思想により否定的に広められたもの。有名な「パンとサーカス」も市民の堕落を表現したものではなく、福祉政策の一環を評した言葉である。

ローマ人は主だった仕事は午前中にすませ、午後は余暇というのが基本スタイル。よって、夜明けから午前中は主に仕事や商売、子どもたちにとっては学校などの様子が描かれる。午後は、ローマ浴場やコロッセウムでの見世物(午前中からコロッセウムでは見世物ははじまっているのだが、猛獣との戦い、犯罪人の公開処刑などから始まり、人気の剣闘士試合は午後からとなる)。そして夜は上流階級では饗宴。

当時のローマの雰囲気をわかりやすく理解するために、現代だとどういう感じかというのが記述されるのだが、東南アジアに例えられることが多い。以下のような感じ。

東南アジアのラオス、東南アジアの市場で僧侶の行列が通り過ぎるのを見ているようだ。

現代でもインドや東南アジアの諸国に行くと、路上で代筆屋をする人は数多く、このような光景がそのまま見られることがある。

現代の価値観から、当時の生活習慣や思想を断じてしまっている箇所がしばしば見られ、そのたびに興醒め。コロッセウムの猛獣に対する現代的動物愛護観が述べられている次の記述はかなり違和感を感じる。

ヒョウの生まれつきの攻撃性が調教師によって大きく歪められ、見世物のために利用される。まさに「殺戮機械」に改造されてしまった動物なのだ。

それなのに、別の個所では次のような表現をいけしゃあしゃあと述べてしまう厚顔無恥さ。

彼らの生活様式を正当化するのではなく、理解することが肝要なのだ。

だったら当時のローマ人を理解するためのもっと寄り添った記述をしようよと突っ込まずにはいられない。

イタリア人(著者)や西欧人にとってローマの歴史はある程度常識とされている部分はあるだろう。ただ一般的な日本人にとっては、ヴェルギリウスやオヴィディウス、タキトゥスにキケロやセネカ、コンスタンティヌス帝といった人物名、あるいはポエニ戦役などの歴史的イベントが出てきても、何をした誰なのか、何なのか、そして西暦115年と同時代なのか、それとも前の時代なのか後の時代なのか、説明なしではわからないだろう(まったく知らない人がこの本を手に取るとも思えないが)。

例えば、以下コロッセウムに関する説明箇所。

コロッセウムができてからはまだ三五年しか経っていない。たとえばカエサルはコロッセウムを見たことがなかったし、アウグストゥス帝の時代にも、ティベリウス帝の時代にも、クラウディウス帝の時代にも、ネロ帝の時代にも、コロッセウムはなかった。この壮大な建造物を作らせたのはウェスパシアヌス帝である。

多くの日本人にとっては「ウェスパシアヌス帝って誰だよ」だろう。ローマが共和制から帝政に移行するのはだいたい西暦が紀元後に変わるころだと思っておけば遠くない。最初に帝国へのグランドデザインを描いたのがローマが生んだ天才ユリウス・カエサル。そしてその養子であるアウグストゥスが初代皇帝。(上記引用部分はアウグストゥス帝からネロ帝までのユリウス・クラウディウス朝の皇帝名がただ一人を除いて順番に並んでいるんだけれども、第3代皇帝カリギュラが抜けているのはなぜだろうか?若くして失脚した暴君だったから?)ネロの自殺後に1年間に3人の皇帝(ガルバ、オトー、ヴィテリウス)が次々変わるという危機があったのちに帝位についたのがウェスパシアヌス帝。コロッセウムを作らせたのはこのウェスパシアヌス。そして長男ティトゥスが次に帝位を継ぎ、コロッセウムが実際に完成したのは彼の時代(ちなみに本書に何度も出てくるポンペイの町がヴェスヴィオ火山の噴火で灰に埋まったのもティトゥス帝の時)。そのあと弟のドミティアヌスの治世があったのちに登場するのが五賢帝最初の皇帝ネルヴァ(この人は老齢で実際に帝位についていたのは1年とちょっと)。そしてその次がトライアヌス帝。こういう時代的関係がおぼろげながらでも頭に入っていないと何でわざわざこういうことを述べているのか理解しづらい記述が結構ある。ま、知らなければ読み飛ばせばいいんだし、そのことでこの本の面白さがまったくなくなってしまうわけではないんでいいんだけれどもね。

コロッセウムと並ぶ娯楽施設がローマ浴場であろう。おそらく一番よく知られているローマ浴場といえば「カラカラ浴場」だろうが、カラカラ帝の登場は時代的にはもっと後。当時最大の浴場はトライアヌス浴場。

勃起したペニスはローマ人にとって幸運のシンボルなのだ。(略)いくつもの青銅製のファルス(引用者注:男根)を細い鎖で束にしてつなぎ、揺れて鈴のような音が鳴るように家や商店の入口に吊るしたものまである。ローマ人は、これをティンティンナーブラ(「鈴」、「ベル」の意)と呼んでいた。下を通るたびに触れたり、鳴らしたりすると縁起が良いとされていた。

たんたん狸の~♪を思わず口ずさんでしまったラフ。「ティンティンナーブラ」ですか。

著者がイタリア人だなぁと思った箇所をいくつか紹介。

ダンテの『神曲』に描かれている地獄の環だろう。

満員のコロッセウム(収容人数およそ5万人)の様子を描写するのに「神曲」を出してくるところ。

つまり、ローマ人的な考え方からすれば、たとえばクリントン元大統領と愛人のルインスキーのスキャンダルは、とくに騒ぐ必要もないということになる。二人はたんにウェヌスの贈り物に身を委ねただけなのだ(権力者の側にある男性が、自分よりも目下の、ましてや女性と関係を持ったにすぎないのだから、社会的なルールにも準じている)。もし世論の批判を浴びるとしたら、ビル・クリントンではなく、能動的な役割を担ったモニカ・ルインスキーのほうなのだ。

ローマ人の性関係を、現代の事例になぞらえた部分だが、若干アメリカ人に対する悪意を感じる(この程度はラテンの民には問題になるほうが不思議みたいな)。

(フランス料理は、パスタやリゾットなどの料理が存在せず、調理にほとんどバターばかり使用するため、多様性という面でも、胃にもたれないという意味からも、イタリア料理には太刀打ちできない)。

イタリア料理がローマ時代のやりかたを踏襲していることに対する誇りを感じるが、フランス料理をこうこき下ろしてしまうところがステキ。

すこぶる面白かったのだが、惜しむらくは、当時のローマ市街の地図が載っていないこと。ローマの街を一日かけてあちこち散策しているのだが、登場する主要建物の位置関係とか、どの通りを抜けていったのかとか、文章だけでは伝えきれていない。地図があるだけで都市の規模感の理解が全然違うんだけれどもなぁ(当時の地図を再現する情報が分かってないということはないのだから)。

古代ローマ人の24時間(河出文庫)[アルベルト・アンジェラ/関口英子]
古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活(古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活)[アルベルト・アンジェラ]【電子書籍】

読了:三体[劉 慈欣/大森 望]

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体“科学フロンティア”への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?本書に始まる“三体”三部作は、本国版が合計2100万部、英訳版が100万部以上の売上を記録。翻訳書として、またアジア圏の作品として初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた、現代中国最大のヒット作。

今巷で話題の中国発SF大作。中国のSFかぁ、どことなく前時代的な硬派のSFなんだろうなぁという先入観を持って読みはじめたのだが、全然違っていてすこぶる現代的なエンターテイメント性にあふれたジェットコースター小説で、やたらめったら面白かった。なるほどヒットするのもうなずける。

※ネタバレしないようにという配慮はしないので、以下を読む方はお気を付けください。

物理学の世界に「三体問題(three-body problem)」というものがある。1つあるいは2つの物体の関係は運動方程式で明らかにすることができるが(ニュートンによる)、3つの物体の運動を数学的に解くことはできない。もし太陽が3つある星に文明があればどうなるか(3つの太陽の動きは計算ではわからない)というのが著者の発想のスタート地点だったそうだ。

三体問題(さんたいもんだい)とは – コトバンク

前半は主人公の一人葉文潔の半生や、著名な理論物理学者の相次ぐ自殺や、正体不明の団体や集団、もう一人の主人公汪森にふりかかった不思議な現象(「ゴースト・カウントダウン」のくだりは「リング」っぽくてむしろオカルトだ)、謎のVRゲーム「三体」の世界観などが描かれる。後半では、これらが何なのか、どう関係しているのかが明らかになってくる。簡単に言うとこの作品は異星人地球侵略型のSFなんだけれども、作中では最後まで地球人は異星人とは直接対峙していない。それどころかこの宇宙からの侵略者が地球にやってくるのは、なんと450年後なのだ(本作は三部作の第1部)。光速は有限で宇宙は広いんだけれども、なんだこのリアル設定は。

技術跳躍が生じる可能性が最も高い分野は以下のとおり。
(一)物理学:【略】
(二)生物学:【略】
(三)コンピュータ科学:【略】
(四)地球外知的生命体の探査(SETI):

これらの科学知見がコアになったSF作品であるが、物理学と地球外知的生命体探索はもちろん重要。生物学に関しては環境生態学に関する話題が出てくる(今のところ遺伝子とか生殖とかは表立って出てきていない)。コンピュータ科学に関してはVRゲーム「三体」の中の一シーン(秦の始皇帝)や、三体人(異星人)の科学技術描写でAIが出てくる。とにかく科学のテクニカルタームがわんさか出てくるけれども、知っていれば「なるほどね」とニヤっとできるが、知らなくてもまぁ問題なく読み進められるだろう(知っていなければ筋が追えないということはない)。主人公の一人葉文潔を天体物理学の基礎科学(理論)研究者とし、もう一人の主人公汪森をナノテク素材の応用科学研究者としているところがおもしろい。

エンターテイメントとしては一級だが、作品としては穴が目立つ。捨てキャラ(ほぼ一度限りの登場で物語の本質に影響を与えるほどの役目は担っていない人物)の扱いが笑っちゃうほど適当。なぜか退場後に死までの後日譚まで丁寧に述べられる人物がいる一方で、大事そうに登場したのにその後一切放ったらかしの人物(汪森の家族とか)がいたりする(だったら汪森は独身でも良くね?)。著名な物理学者の相次ぐ自殺の原因も、「え?そんなことで命を絶ったの?科学者だったらむしろそのことを追求しようとしないか?」となぜの嵐。またラスト近くに出てくる三体人が、どうしようもなく地球人似の発想と感情(見た目ではなく)に支配されているのも変。三体人がなぜ地球人とほぼ同じ道徳的価値観を持つのか(科学技術では三体人の方がはるかに進んでいるが)説得力ある説明が欲しい。というか、回収した三体人からのメッセージの存在整合性は物語的に破綻していないか?(ラフにはどういうことなのかよくわからなかった)

ん~~、結局はケチをつけているみたいな書き方になってしまったなぁ。いや娯楽小説としては抜群におもしろいよ。著者の発想のすごさに舌を巻く。ぜひ読んでみて。

三体[劉 慈欣/大森 望]
三体[劉 慈欣]【電子書籍】

原語(もちろん中国語)でチャレンジしてみたいという方はこちらをどうぞ。三部作すべて刊行済み。

近現代の中国を舞台にした作品には頻繁に登場するものの、ラフにとっては今一つ正体がわかっていない出来事が「文化大革命」だなぁ。だから見るたびに、どう位置付けて評価するものなのか悩む。
wikipediaの「文化大革命」の項
「ラストエンペラー」の最後にも出てきたよね。個人的に深く印象に残っているのは「レッド・ヴァイオリン」の上海のシーン。
wikipediaの「Category:文化大革命を題材とした作品」の項

読了:『罪と罰』を読まない(文春文庫)[岸本 佐知子/三浦 しをん]

ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことのない4人が試みた、前代未聞の「読まずに読む」読書会!前半では小説の断片から内容をあれこれ推理し、後半は感想と推しキャラを語り合う。ラスコ(-リニコフ)、スベ(スヴィドリガイロフ)、カテリーナ…溢れるドスト愛。「読む」愉しさが詰まった一冊。解説マンガ・矢部太郎。

 Classic : A book which people praise and don’t read.
 「古典とは、人々が賞賛するが、読みはしない本のことだ」(マーク・トウェイン)

 というわけで、ドストエフスキーの「罪と罰」。もちろん世界的に有名な文学作品で、あらすじは何となく知っているけれども、実は読んだことがないんだよねという作家4人の座談会。

 前半は、自分たちが知っている知識を総動員して、ちゃんと読んだことがないけれども「罪と罰」はこんな話なのではないかとあれこれ推測する。後半は「罪と罰」を実際に読んでから後日再度集まって、感想や意見を交わす。「罪と罰」未読の読者のために、前半と後半の間に「罪と罰」の登場人物紹介(ロシア人の名前覚えられない……)とあらすじが載っているので安心。

 ラフもまだ「罪と罰」は読んだことがない。主人公の青年が老婆を殺害する話だということは知っているが、それ以外には何も知らないということでは、座談会メンバーとほぼ同じ状態。

 知らない話を自由奔放に想像することっておもしろいんだけれども、前半で最初に与えられる情報は、最初の1ページと最後の1ページを英語版から日本語にメンバーの一人岸本氏が訳したもの。当然ドストエフスキーはロシア語で書いているのだが、ロシア語専門家はいないので、英語翻訳を生業としている岸本氏が英語版から訳出。しかし原作を知らないでごく一部を訳すので正しく意図が伝えられているかは不明。この状態で長い長い中間部を自由気ままに想像する(とはいえ彼らは作家なので作品とするならこうだろうという意見はある)。おそらく、この本「罪と罰を読まない」の面白さはこの前半にあるんだと思うんだけれども、ラフには今一つだった。座談会を進めるにあたり、あまりにも突拍子のないことにならないようにだろうが、「罪と罰」の一部分(1ページ程度)をモデレータ(進行役:この人は読破しているそうだ)がところどころ朗読して情報を小出しにし、途中では登場人物紹介が配られたり、本物の「罪と罰」に寄せることが正解みたいな推理ものになってしまっている。「だったら最初から素直に読めばいいじゃん」と思ってしまった。

 でもまぁ、後半の「読んでみたら、私たちが想像したよりずっと面白かった」という結論が生きるのは、この前半があるからなんだよね。

三浦 小説として変ですよね。でも、そこがやっぱり面白い。そして、恐れていたほど重厚ではなかった。
浩美 うん、意外にね。
三浦 エンタメでしたね。
篤弘 これから読みたいと思っている、とりわけ若い人たちにお薦めしますか?
三浦 私はお薦めしますね。わりとぐんぐん読めて、登場人物もみんな変で面白いよ、って。

 立ちはだかる長編古典文芸大作だけに、興味はあっても手を出せずにいたんだけれども、だったら読んでみようかなという気にはなった。座談会でも指摘されているように「罪と罰」の問題は「長いだけ」のようだし。

『罪と罰』を読まない(文春文庫)[岸本 佐知子/三浦 しをん]
『罪と罰』を読まない[岸本佐知子/三浦しをん/吉田篤弘]【電子書籍】

読了:ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)[三井誠]

子どものころから科学が好きだった著者は、新聞社の科学記者として科学を伝える仕事をしてきた。そして二〇一五年、科学の新たな地平を切り開いてきたアメリカで、特派員として心躍る科学取材を始めた。米航空宇宙局(NASA)の宇宙開発など、科学技術の最先端に触れることはできたものの、そこで実感したのは、意外なほどに広がる「科学への不信」だった。「人は科学的に考えることがもともと苦手なのではないか」-。全米各地に取材に出かけ、人々の声に耳を傾けていくと、地球温暖化への根強い疑問や信仰に基づく進化論への反発の声があちこちで聞かれた。その背景に何があるのか。先進各国に共通する「科学と社会を巡る不協和音」という課題を描く。

トランプ大統領の誕生によって生まれた「もう一つの事実(alternative facts)」という意味不明な言い回しにより、事実や科学的見解が退けられることが顕著になったアメリカ。本作品で中心的に取り上げている話題は2つ。地球温暖化問題と創造論。科学的とはいい難い発想について、かつては「正しい知識がないから、科学的に振る舞えない」といった考え方が主流だったが、現在はそればかりとは限らないとされる。知識の有無に関係なくむしろ所属する(共感する)集団の考え方を受け入れやすいのだ。ヒトは直感的にわかりやすい経験に基づくものの見方に馴染むが、常に合理的な考え方をする(受け入れる)わけではないということなのだ。各種調査報告や、創造論を信じる人々や科学が衰退することに危機感を抱く人々へのインタビューを交えてアメリカの現状を描く。

「創造論を信じるのは個人の自由だが、学校の理科教育は科学を教えるのが目的だ。(略)理科の授業で創造論を教えるべきではない。」

創造論を信じる人たちは別に狂信者というわけではなく、ごくごく普通な感じの人たちだということがわかる。またトランプ大統領を支持する人たちも、熱狂的支持者というわけではなく、それぞれの生活基盤の状況から支持した普通の人たちだということがわかる。無知蒙昧な民でもないし、狂信的熱狂者というわけでもないのだ。これが伝わってくるインタビューにこそこの本の価値があるのかも。

科学に対して現在のアメリカの市井の人が何を考えどう対処しているのかという状況を知る入門用としては分かりやすいが、とはいえ、特に新しい話が出てくるわけではないし浅い。ジャーナリストとして各方面でインタビューを真摯に行っている点は素晴らしいと思うけれども、新書というわかりやすさと量の制限からか一言コメント並みの紹介しかできていないのは残念。

ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)[三井誠]
ルポ 人は科学が苦手〜アメリカ「科学不信」の現場から〜(ルポ 人は科学が苦手~アメリカ「科学不信」の現場から~)[三井誠]【電子書籍】

読了:ブルボン朝 フランス王朝史3(講談社現代新書)[佐藤 賢一]

3つの王朝中、最も華やかな時代を描く。長い宗教戦争の時代を克服し、ヨーロッパ最強国、そしてヨーロッパ最高の文明国となったブルボン朝フランス王国。個性豊かな王たちー稀代の策士にして稀代の艶福家、王朝の創設者アンリ4世。「正義王」ルイ13世、「踊る太陽王」ルイ14世。「最愛王」ルイ15世。革命により断頭台の露と消えたルイ16世。マントノン夫人、ポンパドール夫人など宮廷を華やかに彩った寵姫たちと、リシュリュー、マザラン、フーケ、コルベールなど政治を司った宰相、大臣たち。そしてヴェルサイユ宮を造ったル・ノートルを始めとする芸術家。さらには、大革命とナポレオンの時代を経て復活したルイ18世、シャルル10世の復古王政から、オルレアン家による7月王政とその終焉まで。「ブルボンの血」による王権の始まりから終わりまで、すべてを描ききった超力作。

カペー朝、ヴァロワ朝と続いてきたカペーの一族の物語も、佳境のブルボン朝に。これまでの感想文は以下。

読了:カペー朝ーフランス王朝史1 (講談社現代新書) [ 佐藤 賢一 ]

読了:ヴァロワ朝 フランス王朝史2 (講談社現代新書) [ 佐藤 賢一 ]

時代も近代に入ってきて肖像画や宮殿など今に残る資料が多くなってきて具体的にイメージしやすい。そりゃブルボン朝が一番面白いのは当然だよ。さてユグノー戦争とヴァロワの直系が途絶えるところが前作の最後だったわけだけれども、今度は同時期をブルボンの視点から再度描き直すところから始まる。あいかわらずフランス王家の人物名は、ルイ、アンリ、シャルルだらけ。

ナバラ王アンリはフランス王アンリに手紙の返事を書いた。

ここで「フランス王アンリ」がヴァロワ朝の最後の王アンリ三世。「ナバラ王アンリ」が後に即位するブルボン朝最初のフランス王アンリ四世。
とりわけブルボン朝はルイてんこ盛り(別名ルイ王朝)。即位すればルイX世と呼ばれるけれども、即位前はみんな王太子ルイ。

その一六四三年五月十四日は、王太子ルイが「フランス王にしてナバラ王」に即位した日でもある。フランス王としてはルイ十四世、ナバラ王としては「ルイス三世」を称したが、(以下略)

国際的関係は突出した強国が出現しないように各国が牽制しあう時代。フランスはヴェルサイユを中心とした文化大国へと変わっていく。ポンパドゥール夫人が登場した時には「待ってました!」と思ったよ。

たとえ王政の否定に通じるものであっても、それが優れた文化として光を放つなら、フランス王家は受け入れなければならなかった。

やがて大革命がはじまり、ルイ16世は断頭台に送られ、フランス王家は国を追われる。ナポレオンの失脚後に王政復古でルイ16世の弟二人が、ルイ18世、シャルル10世と即位し、その後傍系のルイ・フィリップが即位したもののこれらは短命に終わる。フランスが王国になることはその後二度となかった。(ちなみに現スペイン王家はブルボン朝の傍系)

今回もミス発見。1753年を1653年と100年間違っちゃっている箇所がある。仮にも歴史を扱っているんだから、世に出る前にちゃんとチェックされなかったのだろうか?

ブルボン朝 フランス王朝史3(講談社現代新書)[佐藤 賢一]
ブルボン朝 フランス王朝史3(フランス王朝史)[佐藤賢一]【電子書籍】