物理的に帰れない

 仕事も順調にこなして定時でサクサクと帰ろう。エレベータホールに出る扉を開くために読み取り機にカードをかざすものの、一向に扉が開いてくれない。なぜだとしばし狼狽したものの、そりゃそうだ、「社員証」をかざさなきゃならないところを、一生懸命「定期券」かざしていたんだから。

「お様」?

以下は、地下鉄の扉に貼られていたイベント宣伝ステッカーの一部

「お様」?「お客様」か「お子様」かどちらともとれる。が、「子供~」という文言が前後にないのでおそらくは「お客様」だと推測はしてみる。しかし、このイベントは「ファミリーイベント」を名乗っているので「お子様」だという可能性も排除できない。実際はわからないわけだ。こういう失敗をしてしまい公になってしまった主催者は「あちゃー」だろうなぁ。

後悔先に立たず、後の祭り

そろそろ大手の受験産業会社による情報処理試験の解答例が出揃ってきたので、後悔することが分かっていながらちらちらと眺めてみる。やっぱり午後IIがきついなぁ。なんといっても「リバースブルートフォース攻撃」を知らなかったって時点で致命的なことになってる。「ブルートフォース攻撃」は知っているけれども「リバース」ってなんだ?って必死で考えたけれども試験時間中には分からなかった。後で調べてみて、なんだそんなことだったのかと分かったもののアフターフェスティバル(It’s too late!!)。そのことで落としてしまった知っていればなんともない記述問題が少なくとも2問。それ以外にまったく歯が立たなかった問題もあるからおそらくダメだな。

そもそもこの試験、国家資格に昇格してからというもの、自分が受かった後の意義がかなり薄まってしまっており、来年また挑戦するかはちょっと考えよう。でも、ここまで勉強したのになぁという気持ちはある。

誤字脱字の多いネット文化を憂う

「ネット文化」が浸透して、目にする文章に誤字脱字が多いことにうんざりするようになってきた。さすがに誤変換はあまり見なくなったが、「てにをは」の間違いや抜けは目に付く。とりわけ大手マスコミ関係の情報源だと「それはまずくないか?」と思う。その間違いを正して読むことは前後から推測できるにしても、そういう文章に頻繁にさらされるということは「そういう文章(の間違い)でも許される」という雰囲気を醸成してしまう可能性を危惧するのだ。「完璧な文章、間違いのない文章」とまでは言わないまでも(書くことを生業にしている人はこれを目指すべきだとは思う)、「出来うる限り間違いは減らす方がよい」がせめてもの、少なくとも表にさらす文章の原則であって欲しいと思う。(最後の方でかなりくどい言い回しをあえて使っている点に、自戒の意もこめてます)

試験

朝から毎年恒例の試験。なかなか受からなくて、今年で3回目。午前I,午前II,午後Iと快調に進めていけたのに、最後の午後IIで終わった。何を聞かれているのか、何を答えればいいのかさっぱりわからない問題に、手も足も出ない。今年も撃沈か。

帰りに期日前投票をしてきて、酒をあおって寝る。

不安

朝から不安なまま。近年まれにみる不安さ加減。抗不安薬で対処しているけれどもいろいろ。明日の試験もあるけれども、仕事でゴタゴタともめていることも関係している。むしろ後者。頭使う気が失せているよ。

「甘さ」を知覚する仕組み

ヒトは甘いものを欲する。またアリは甘いものにたかる。だからといって、アリと人間の「甘い」という味覚(あるいは別種の知覚かもしれない)が同じものであるというわけではない。ラフはおそらく分子構造の識別に関して(物理的な話)は近いものがあるだろうが、それを認識する知覚の仕組み(神経学的仕組み)は別であろうと考えている。なぜなら神経系が形態学的にも発生学的にも進化学的にもまったく違うのであるから。ヒトが甘いと感じているものと同じ仕組みでアリが「甘さ」を知覚しているわけではないと言うこと。つまり、アリもなんらかのポジティブな認識(いや、アリが認識なるものを持っているかどうかも分からないが)となるような仕組みは備えているとは思うが、ヒトが「甘さ」を知覚し欲する仕組みとアリのそれとは違うであろう。(ちなみにアリのそれとハチのそれはほぼ同じだと考えられる)

この違いを押さえておくことは重要だと思うのだが、どうだろう?(児童文学なんかでの擬人化に反対しているわけではないよ)

キレる

普段、穏やかをモットーに生きているつもりではあるんだけれども、いかんなぁ、今日は仕事中にキレた。はっきり言ってどうでもいいことなんだけれども、納得ができなくて、いや向こうだってこっちを納得させようという説明をきちんとする気はなかったみたいだし。まぁいいんだけれどもさ。仕事で切れるとやっぱり後味が悪い。落ち着かない。声が震える。自分が我慢すればよかったのか?

白髪

トイレで鏡を見たら、前髪に白いほこりがゴソっとついていた。取ろうと思って手を伸ばしたら白髪だった。気付かないうちにどんどん歳はとるもんだね。

泥臭い

「泥臭い」と言ったら、「洗練されていない(unsophisticated)」、「野暮ったい」、とかネガティブな様子が浮かぶのだ。でも「泥臭い世界」「泥臭い営業」という表現を見かけた。文脈から推測するにこれはポジティブな様子。つまり「(洗練はされていないけれども)地道にこつこつ取り組まなければならない」という雰囲気。(悪く言えば)「力技な」という感じをポジティブにとらえているとでも言おうか。