読了:だめだし日本語論[橋本 治/橋爪 大三郎]

だめだし日本語論

だめだし日本語論

  • 作者:橋本 治/橋爪 大三郎
  • 出版社:太田出版
  • 発売日: 2017年06月08日頃

日本語は、そもそも文字を持たなかった日本人が、いい加減に漢字を使うところから始まったー成り行き任せ、混沌だらけの日本語の謎に挑みながら、日本人の本質にまで迫る。あっけに取られるほど手ごわくて、面白い日本語論。

日本語のできあがり方ー鎌倉時代まで(文字を持たなかった日本人/日本語のDNA螺旋構造/外国に説明できない日本史/学問に向かない日本語/日本語は「意味の言葉」ではない ほか)/日本語の壊し方ー室町以後(幽霊が主役の能/江戸の印刷文化/武士が歴史をつくらなかったから天皇制につながった/漢字とナショナリズム)

多くの古典を独自の現代語に訳してきた経験を持つ作家の橋本治と、社会学者の橋爪大三郎による「日本語の歴史」を題材にした座談会(この二人は大学の同級生)。日本語の専門家(研究者)でない二人がそれぞれに日本語とはどんなものかを文学史とからめて話していくので雑談的要素も多く楽しく読める。写本の写真も多く掲載されていて、文だけでなく目で見てもその歴史を追うことができる。ひらがなカタカナについての言及はもちろん、多くの古典文学作品だけではなく、大衆芸能にまで幅広く話題が及ぶ。いやぁ読みやすいうえに刺激的で面白かった。後半に述べられる室町時代にいったん崩壊した日本語が江戸時代に再構築されていく下りもなかなか。

正しく美しい日本語の正解なんてものはなくて、現在の日本語だって決して完成されたものではない、日本語の歴史だって決して1本道だったわけでもないという前提で話は進められていくのだが、最後に二人の意見はちょっと分かれる。あいまいでいい加減な日本語をそのまま受容してそれでいいんだよと言いたい橋本治と、「したり顔でいい加減な日本語を使う輩」をなんとかしたいために日本語をある程度体系立てた方がよいと考える橋爪大三郎。個人的には橋本治に賛同。

【バーゲン本】だめだし日本語論(atプラス叢書)[橋本 治 他]
だめだし日本語論[橋本 治/橋爪 大三郎]
だめだし日本語論[橋本治/橋爪大三郎]【電子書籍】

かつての中学英語教科書「New Horizon」にあったアヴァンギャルドな単語

Rと話をしていて「盲腸」(今は「虫垂炎」というのが普通?)の話になったんだけれども、「そういえば盲腸って appendicitis だっけね」とか言ったら、「なんでそんな難しい単語知ってるの?」と驚かれた(Rはめっちゃ英語が得意)。「え?中学の時に習ったよ。「New Horizon」(英語の教科書)に載ってたよ。確か登場人物が盲腸で入院して友達がお見舞いに行くの」と続けたら、「中学生が入院するなら骨折でいいじゃん、なんでわざわざ appendicitis なの?それなんか違う教科書「Neo Horizon」とかじゃないの?」とか言われた。いや、普通の公立中学校の普通の英語の教科書に出てきたんだよ。

なので、中学英語の appendicitis の思い出をキーワードにネットを探ってみたら、いくつか出てきたよ。

●NEW HORIZONで中学英語を習ったゲイ●(#229参照)
タバコケース | せんせいのブログ
【人生初】入院しました。 | KAWANAMI NAMIWO OFFICIAL

ほら、やっぱりあったじゃん。ホントに載っていたんだよ。そうか、入院していたのはバーバラさんだったのか。そこまでは覚えていなかったな。ちなみにその単元で学習すべきフレーズは「Thank you for coming.(お見舞いありがとう)」だった。

読了:デッドエンドの思い出(文春文庫)[よしもと ばなな]

デッドエンドの思い出

デッドエンドの思い出

  • 作者:よしもと ばなな
  • 出版社:文藝春秋
  • 発売日: 2006年07月07日頃

つらくて、どれほど切なくても、幸せはふいに訪れる。かけがえのない祝福の瞬間を鮮やかに描き、心の中の宝物を蘇らせてくれる珠玉の短篇集。

幽霊の家/「おかあさーん!」/あったかくなんかない/ともちゃんの幸せ/デッドエンドの思い出

久々によしもとばななを手に取ってみた。あぁそうだった、この人は、なんとなくさみしいとか、なんとなくもやもやするとか、なんか心に引っかかるんだよってものを、きっちり書き込むことができる人だった。だからこそそのもやもやを抱えた読者は誰もが「そうそう!!」と共感をよぶんだよね。よしもとばななの見事さはその心の不安定さを言語化できるところなのだと思う。今回の短編集はどれもドラマティックな出来事は起こらないんだけれども、それを日常のとらえどころのない気持ちと絡めてさらっとまとめる。うそ、本当はとんでもないことも起こっているんだけれども、それをさも日常の一場面として(主に回想が多いけど)取り込んでしまうのだ。生きていく上での ambiguity な心持ちをそれでもいいんだよと肯定的に受け止めてくれる、そんなやさしさにあふれた短編集。

それでは、何カ所か特に鼻についた「ばなな臭」をお楽しみください。

これはもう、セックスしてもいいの? いいよ、というやりとりと何も違わないことを、私たちはわかっていたと思う。ちょっとした悲しみの中で。
(「幽霊の家」より)

秋の空は透明な色をしていて、景色と溶け合うところまですうっと澄んでいて、どこまでもあいまいで、はっきりした感じが何もなくて、宙ぶらりんな私を優しくなぐさめた。
(「デッドエンドの思い出」より)

きゅうと追い詰められたような気持ちは抜けていなかった。それでも「今しかない、今から目をそらしたら悲しくなってしまうから」とせっぱつまっているこの日々は、どうしてだか、まさにそれゆえに奇妙に幸せだった。
(「デッドエンドの思い出」より)

デッドエンドの思い出(文春文庫)[よしもと ばなな]
デッドエンドの思い出[よしもとばなな]【電子書籍】

「円周率はおよそ3」

ゆとり世代に対して「円周率は3って習ったんでしょ?」といって揶揄することがまま聞かれたが、実際のところゆとり教育時代の教科書には「円周率はおよそ3」と記述してあったはず。まぁ中学生以降は数学においてはこの無理数はわざわざ計算する必要はなく π のままで放っておいていいわけですが。実際にどのくらいの値になるかって時に、まぁ3倍よりちょっと大きいくらい程度でよいかと。

ところで「円周率って何(=どういう意味を持つ値)?」って聞かれたら、ゆとりをバカにしている人でも(むしろそういう人に限って?)ちゃんと答えられる人って少ないんじゃない?

円周率の定義は「円の直径に対する円周の長さの比率」。つまり直径(diamiter)を円周率(π)という定数倍すると円周の長さが求められる。この関係は古代から知られていてこの倍率のことを円周率と呼んでいたわけです。大事なことは、その値がいくつなのかということよりも(いやそれはそれで魅力ある値なんだけれども)、その値の意味を知っているか?ということなんですよ。

面接官「円周率の定義を説明してください」……できる?

いわゆる比例の式というのは
y = kx (k は比例定数)
という関係式なのだけれども、y が円周の長さ、x が直径とすると、k の比例定数が π で置き換えられて
l(円周長:length) = πd(直径:diamiter)
もちろん、直径(diameter)は半径(radius)の2倍なので、d=2r です。そこで上記式を r を使って書き替えると。
l(円周長) = 2πr(半径:radius)
これが円周長を求める公式。

以下は余禄:
この円周長の公式を r で積分すると円の面積の公式。
S(面積:surface area, sum…) = πr2
小中学生は微分積分という道具は習っていないので、円を扇形の断片に切り分けてそれらを長方形に近くなるように互い違いに並び変えて面積に近い値を長方形の面積として求める方法で説明されることが多いかな。この扇形の中心角をどんどん小さくして細い扇形にして数を増やしていけばいくほど並び替えた図形はより長方形に近くなっていき、長方形の面積の公式
S = (縦の長さ: r ) x (横の長さ πr )
になる(言うまでもなくこれは証明ではなくあくまでも説明であり、これを実際に計算でできるのが積分)。

当然、この円の面積の公式を r で微分すれば円周長の公式に戻ります。

ちなみに球の表面積は円の面積の4倍(説明は後掲の動画を参照ください)。
S = 4πr2
これを積分すると球の体積の公式になります。
V(体積:Volume) = 4/3πr3

まぁ、微分とは何か?積分とは何か?それと長さ、面積、体積の関係がなぜ微分積分で求められるのかという議論を今回はすっ飛ばしてますが。

料理面倒くさい人間が「簡単」を謳うレシピを見ての所感

「少ない材料でパパっとできる」を謳ったレシピの第1工程が「大根は皮をむき、千切りにする」だった。料理面倒くさい人間にとっては、この時点で「パパっ」ではない。最初から挫折する。第2工程は「塩をまぶして塩もみし、5分ほどおいたら水切りをする」。実際に手を動かすことは少ないかもしれないが、ラフ的にはやはり「パパっ」ではない。

レシピ検索をする際に、結構な頻度でキーワードに「簡単」を入れているが、検索結果に出てくるレシピが本当に簡単だと思えたものは少ない。レシピで謳われる「簡単」とは、料理するのを面倒だとは思わない人基準なのではなかろうか。ラフはものぐさ人間なのである。食事はおいしいものを食べたいとは思うが、おいしく食べられるならそっちがいいという程度で、おいしくするための手間がやはり面倒くさいのである。あぁ心の貧しい生活……。

葦は「悪し」に通じるので「ヨシ」と言い換える

パスカルによる「人間は考える葦である」は有名なフレーズだけれども、ところで葦って知ってる?イネ科の植物で淡水の水辺なんかに群生している。英語だとreed。木管楽器のリードはこれ。厳密には実際のものは葦そのものとは違うけれども、木管リード楽器(シングルリードのクラリネットやサックス、ダブルリードのオーボエやファゴット)において息を入れて振動させる部分のことがリード。

wikipediaの「ブレーズ・パスカル」の項「考える葦」

音楽で有名なのはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の「葦笛の踊り」かな。ところが主要な主題を吹いているのはリード楽器ではない木管楽器のフルート3本。

「葦」の読み方は「アシ」なんだけれども、「アシ」は「悪し」(読みは「あし」)につながるということで「ヨシ」(もちろん「良し」)と言い換えられた言葉の方が一般的か。

wikipediaの「ヨシ」の項
ヨシとは? – 公益財団法人淡海環境保全財団

こういう言い換えは、そういえばイタリアの地名にもあったなぁ。「ベネヴェント」を共和制ローマがこの都市を勝ち取った際に、もともとの地名「マルヴェント」は「悪い風」という意味なので「ベネヴェント」(良い風)に変更したとか。

wikipediaの「ベネヴェント」の項

参考:受験古文では良い悪いの程度は必ず覚える。良いほうから並べると、「よし」>「よろし」>「わろし」>「あし」

アレコレつまみぐい国語-古文単語を覚えよう④- | 大学受験予備校apsアカデミー
評価語の研究―「あし」の衰退を中心に―大学院国語科(ちょっと難しいけれどもおもしろい)

神楽坂のコーヒースタンド巡り

 天気のいい日曜日。午後は散歩がてら神楽坂方面へ出かける。そういえば赤城神社裏のMOJOコーヒーがいつのまにか閉店していることに最近気付いて残念に思っていたんだけれども、じゃ新しいところに行ってみようかと、ちょっと気になっていたコーヒースタンドを2軒はしごしてきた。2軒ともちょっと裏道に入ったところにある小さい店舗。

 まず、1軒目は地蔵坂の途中にある「WHY NOT Specialty coffee &」。

WHY NOT Specialty coffee &(ワイノット) (牛込神楽坂/コーヒー専門店) – Retty

小ぎれいなシェアオフィスビルの1階にある、レジカウンターのみのコーヒー店。基本テイクアウトだけれども、休日は中庭のテーブルも使っていいということでビルの谷間でのんびりしてきた。小さい店なのにキャッシュレス決済対応が嬉しい。

WHY NOT Specialty coffee &
WHY NOT Specialty coffee & のコーヒーをビルの中庭で

 2軒目は、奥神楽坂の「Swing by coffee」。

Swing by coffee(スイング バイ コーヒー) (神楽坂/コーヒー専門店) – Retty

この店の場所は知っていないと気付かないぞ。住宅街にある引き戸の小さなコーヒー店。基本テイクアウト。下記の写真のとおり表に小さなベンチはある。

Swing by coffee
Swing by coffee

 神楽坂をじっくり裏道まで散策してみたんだけれども、前から気になってチェックしていたのに、いつの間にか閉店していた店がちらほら見受けられた(MOJOコーヒーしかり)。「行きたいな」と思ったときに行っておかないと。

読了:オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家(光文社古典新訳文庫)[エミール・ゾラ/国分俊宏]

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家

  • 作者:エミール・ゾラ/国分俊宏
  • 出版社:光文社
  • 発売日: 2015年06月11日頃

完全に意識はあるが肉体が動かず、周囲に死んだと思われた男の視点から綴られる「オリヴィエ・ベカイユの死」。新進気鋭の画家とその不器量な妻との奇妙な共犯関係を描いた「スルディス夫人」など、稀代のストーリーテラーとしてのゾラの才能が凝縮された5篇を収録。

オリヴィエ・ベカイユの死/ナンタス/呪われた家ーアンジュリーヌ/シャーブル氏の貝/スルディス夫人

 19世紀後半のフランス自然主義文学の代表作家であるゾラの短編集。ゾラの名前は知っているものの(世界史で「ドレフュス事件」においてドレフュスを擁護したためにイギリスへ亡命した作家として)、1つも作品を読んだことがなかった。フランス自然主義の長編作品はしんどいイメージがあるので(スタンダールの「赤と黒」の影響か?)、短編集なら読めそうだと手に取った次第。

wikipediaの「エミール・ゾラ」の項
wikipediaの「ドレフュス事件」の項

 ゾラは出版社に勤めていたからか批評の仕事も多く、また「食べるために書かなければならない」という若いころの境遇から、自然主義作家に向かったのは当然ともいえる。とりわけ庶民の描き方のリアリティに鬼気迫るものがある。自伝的要素も絡めて描かれた猥雑でありながらも生き生きとした庶民の欲望と生活臭が伝わってくる5作品。どの作品もちゃらちゃらしたハッピーエンドでも陰惨なバッドエンドでもないけれども、確かに人間が生きるってことはこういうことだよと痛感させられるものばかり(あり得ない設定はあっても、さもありなんと思わせる)。

 一番面白かった作品は、エロティックでコミカルな内容でありながら文学作品としての品位を落とさない表現にあふれた「シャーブル氏の貝」。よくある下ネタ笑い話が題材で、オチまでわかっているのに、これをこんな小洒落た作品にまとめあげてしまう力量に感嘆。

 でも本書でラフ的に一番面白かったのは訳者による「解説」だった。ゴメン。

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家(光文社古典新訳文庫)[エミール・ゾラ/国分俊宏]
オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家~ゾラ傑作短篇集~(オリヴィエ・ベカイユの死~呪われた家~ゾラ傑作短篇集~)[ゾラ]【電子書籍】