読了:父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。[ヤニス・バルファキス/関 美和]

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。

  • 作者:ヤニス・バルファキス/関 美和
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日: 2019年03月08日頃

元財務大臣の父がホンネで語り尽くす!シンプルで、心に響く言葉で本質をつき、世界中で大絶賛されている、究極の経済×文明論!

プロローグ 経済学の解説書とは正反対の経済の本/第1章 なぜ、こんなに「格差」があるのか?-答えは1万年以上前にさかのぼる/第2章 市場社会の誕生ーいくらで売れるか、それがすべて/第3章 「利益」と「借金」のウエディングマーチーすべての富が借金から生まれる世界/第4章 「金融」の黒魔術ーこうしてお金は生まれては消える/第5章 世にも奇妙な「労働力」と「マネー」の世界ー悪魔が潜むふたつの市場/第6章 恐るべき「機械」の呪いー自動化するほど苦しくなる矛盾/第7章 誰にも管理されない「新しいお金」-収容所のタバコとビットコインのファンタジー/第8章 人は地球の「ウイルス」か?-宿主を破壊する市場のシステム/エピローグ 進む方向を見つける「思考実験」

邦題は修飾の多い表現になっているが、英語タイトルは「Talking to My Daughter About the Economy: or, How Capitalism Works–and How It Fails (English Edition)

著者ヤニス・バルファキスは、ギリシャが経済危機の最中の2015年に財務大臣に就任し、EU当局からの財政緊縮策に「ノー」を示し、大幅な債務帳消しを求めた人。「なぜ経済的格差が存在するのか」という娘からの問いに応えるように語る、経済の歴史と現状の問題点、そして私たちが考えていかなければならないこと。愛するティーンの娘に対する語りなので、とても平易だが、経済の話から派生した人生訓まであり。具体的で身近な題材を使った例え話もわかりやすい。経済に疎いラフにはこういう本はとても助かり、内容も刺激的で一気に読み切った。

この世の中には有り余るほどおカネを持った人がいる一方で、何も持たない人がいるのはなぜだろう?

経済の誕生と市場の仕組みの成り立ちを追っていきながら、人類がどのような経済的問題に直面しどのように対処してきたかが述べられる。そして経済は人の思惑でどう転ぶかわからないものであり、これまでに確立されてきたどの経済理論も不完全であるという。経済学は決して科学ではない。自身も経済学者でありながら、経済学者を評してこのように言う。

経済学者が数学を使うから科学者だと言い張るのは、星占い師がコンピュータや複雑な表を使うから天文学者と同じくらい科学的だと言うのと変わらない。

民主主義と市場経済の関係は決して相性がいいものではなく、うまくいかない部分も結構多いことを述べ、チャーチルのジョークを踏まえて民主主義について次のように述べる。

民主主義はとんでもなくまずい統治形態だ。欠陥だらけで間違いやすく非効率で腐敗しやすい。だが、他のどの形態よりもましなのだ。

民主主義は不完全で腐敗しやすいが、それでも、人類全体が愚かなウイルスのように行動しないための、ただひとつの方策であることには変わりない。

人生訓関係では、次のような記述あり。

欲望を満足させることと、本物の幸せはどこが違うのだろう?

自分の望みを一度に全部は叶えてくれない世界と衝突することで人格ができ、自分の中で葛藤を重ねることで「あれが欲しい。でもあれを欲しがるのは正しいことなのか?」と考える力が生まれる。われわれは制約を嫌うけれど、制約は自分の動機を自問させてくれ、それによって我々を解放してくれる。

君には、いまの怒りをそのまま持ち続けてほしい。でも賢く、戦略的に怒り続けてほしい。そして、機が熟したらそのときに、必要な行動をとってほしい。この世界を本当に公正で理にかなった、あるべき姿にするために

父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。[ヤニス・バルファキス/関 美和]
父が娘に語る 美しく、深く、壮大で、とんでもなくわかりやすい経済の話。[ヤニス・バルファキス]【電子書籍】

朝起きたら昼だった

昨晩は寝落ちしたらしい。朝起きたら昼だったんだけれども(それは朝起きたとは言わない)、室内の電気がつけっぱなしだった。机の上に、謎の食べかけ雑炊と飲みかけの発泡酒缶。謎の雑炊は、ごはんが入っているから雑炊と判断したんだけれども、具がよくわからない。固形物らしきものは見当たらない。とりあえず温めて一口食べてみたところ、なんだか生臭いイカの燻製のような香りが口に広がる。何だこりゃ?しかも結構塩辛い。俺はこれを昨晩食っていたのか?全く覚えがないのだが。エイリアンアブダクションか。

wikipediaの「Alien abduction」の項

生存報告会

たまごがたくさんあるので、片付けメニュー。オムライスなぞを作ってみた。ドレスドとかタンポポとかいうシャレたものではなく、単純に薄焼きタマゴ(破れてるけど)の昭和的懐かしオムライス。

オムライス
オムライス

あなたの知らない世界

日本のクラシック音楽界隈では、「チャイコン」といえば、
チャイコフスキー国際コンクール
チャイコフスキー作曲のピアノ協奏曲(コンチェルト)
チャイコフスキー作曲のヴァイオリン協奏曲(コンチェルト)
と主要なものでこの3つの可能性があり、前後の文脈から今どの「チャイコン」の話をしているのかを読み取らなければならない。当然、「チャイコン」という略語は日本でしか通用しない。
wikipediaの「チャイコフスキー国際コンクール」の項
wikipediaの「ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)」の項
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (チャイコフスキー)」の項

メンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲は「メンコン」と略す<まぢか!!
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)」の項

ドヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲なんて「ドボコン」だぞ。
wikipediaの「チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)」の項

ブラームス作曲のヴァイオリン協奏曲に至っては「ブラコン」だ。
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)」の項

チャイコフスキー作曲交響曲第5番は「チャイ5(読みは「チャイゴ」)」、ショスタコーヴィッチ作曲交響曲第5番は「ショスタ5(ゴ)」と通称される場合がある。もちろん日本でしか通じない。言うまでもないが「チャイファイブ」「ショスタファイブ」と言い換えても世界には通じないぞ(フィンガーとかジャクソンみたいだなぁ)。あ、第5番だから序数じゃなきゃダメだね。「チャイフィフス」に「ショスタフィフス」。もはや日本でも通じないぞ。
wikipediaの「交響曲第5番 (チャイコフスキー)」の項
wikipediaの「交響曲第5番 (ショスタコーヴィチ)」の項

チャイコフスキーはその界隈では「チャイコ」と略されるが、一部熱狂的な日本人ファンは「おチャイコ様」と呼びならわしたりする(もちろん「おカイコ様」にあやかっている)。もはやビョーキである。「そんなに好きやったら(チャイコフスキーと)結婚せぇ」と突っ込むのが関西でのお約束です(知らんけど)。
wikipediaの「カイコ」の項

「そんなバカな、どうせネタだろ?」と思われる方もいるかもしれませんが、クラシック音楽に片足突っ込んでいる日本人の多くは本当にこういう言葉を使ってコミュニケーションをとっているのだ!!!

クラシック音楽の曲名の俗称、略称
(ブリテン作曲の「青少年のための管弦楽入門」の略称がひどい……)

「逃げ恥」後遺症!?略称タイトルに各局が四苦八苦 – 梅ちゃんねる – 芸能コラム : 日刊スポーツ

ショパン作品冒頭の1発

ショパンのピアノ曲を4つ並べてみる。どれも有名曲だけれども、今回は敢えて冒頭の低音オクターブだけを楽しんでみよう(超イントロクイズ風に)。(作品番号順に並べました)

■バラード第1番Op.23

■ソナタ第2番第1楽章Op.35

■舟歌Op.60

■幻想即興曲Op.66

読了:読破できない難解な本がわかる本[富増 章成]

読破できない難解な本がわかる本

読破できない難解な本がわかる本

  • 作者:富増 章成
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日: 2019年03月29日頃

答えは全部、「古典」に書いてある。この本が、世界を変えた。教養としての名著60冊を徹底解説。

第1章 古代・叡智編 古代からの叡智を知ることができる本/第2章 思考・理性編 考えに考えて人生を変える本/第3章 人生・苦悩編 悩める人生について考えることができる本/第4章 政治・社会編 現代の政治思想とその起源がわかる本/第5章 経済・生活編 仕事と生き方がよくわかる本/第6章 心理・言語編 人の「心」と「言葉」について考えてみる本/第7章 思想・現代編 現代社会を別の角度から考えてみる本/第8章 日本・自己編 日本の思想をふりかえって自分を知る本

そういえば、阿刀田高は「実存主義」について知りたい時は、サルトルの『実存主義とは何か』が入門書としてわかりやすいと勧めているが、それでも評して曰く

“人間においては実存が本質に先立つ”と、これがサルトルの考えであり、実存主義の原点である。本質は、定義と言い換えてもよいだろう。
とはいえ、これだけではやっぱりわからない。わかるほうがおかしい。
(中略)
人間はまっ白い紙のようなものであり、そこになにを書くかは人間みずからが決定していくことであり、それゆえに自由であり、それを自覚することがなにより大切である、と、サルトルは主張しているのである。
 旧約聖書を知っていますか(新潮文庫 あー7-19)[阿刀田 高]

(中略)の後が、端的な要約(結論?)。その本に何が書かれているのかは、とりあえずこういうところを押さえておきたいのだ。こういう感じで、古今東西の様々なムツカシイ本を簡単に紹介してくれるのが本書『読破できない難解な本がわかる本』だ(ちなみに本書で取り上げられているサルトルの本は『存在と時間』だった)。

基本的には哲学・宗教・心理学・政治・経済の理論本が対象なので、いわゆる挫折系文学本の類は出てきません(『カラマーゾフの兄弟』とか『失われた時を求めて』とかね)。タイトルと著者名だけは知っているけれども何が書いてあるのかはあまりよくわかっていない本が続々と登場する。本の難易度、書かれた背景、内容の要約、この書から「人生で役に立つこと」コラム、そして著した人のプロフィールという順で、難解な1冊を数ページのダイジェストにして紹介していくのだ。まぁ無茶な企画だこと。でもこういったムツカシイ本を読むことは一生ないであろうラフにはありがたい企画でもある。

哲学関係の本では「自由」という言葉一つとっても、みんなそれぞれに自分の概念を定義していくので、単純比較ができない。この人はこういう定義で使う、あの人はああいう定義で使うっていう感じで、「自由」という言葉だけでは同じ土俵で議論を進めることができないのだ。同じ「イルカ」でも、水生哺乳類の「イルカ」と「なごり雪」の「イルカ」くらい違うんじゃないかってくらいに、人によって全然違うものを「自由」と定義している。もうほんと、ラフ、困っちゃう。

一人の著者が、複数のムツカシイ本を超圧縮ダイジェストで紹介しているのだから、どれも毒気を抜かれた扁平な紹介になってしまうのは仕方ない。でも、どれも古今東西の七面倒くさいことを考えている奴らの本なんだから、おそらく原書はどれも強烈な個性が異彩を放つ一癖ある文体に違いないとは想像できる。気になったものは読んでみるしかないのか(と、思わせる時点でこの著者の術中にはまったわけだな)。

「人生で役に立つこと」コラムは蛇足かも。読んでもいない本のダイジェストを紹介されたうえで、あなたの人生もこう考えたらいいんじゃない?と提案されても困る。その本の中身をどう生かすかは実際に読んでみた人がそれぞれに考えればいいし、それこそが読書の楽しみではないかと思ったり思わなかったり(自分では読まない宣言をしているくせに大口をたたく)。

そうか、「パラダイム転換(シフト)」って言葉はトーマス・クーン『科学革命の構造』で使われたのか。
wikipediaの「科学革命の構造」の項

『アンチ・オイディプス』は難易度★5だって?紹介の冒頭が「なにが書いてあるのかまったくわからない本。」だって。気になって夜も眠れない。
wikipediaの「アンチ・オイディプス」の項

キルケゴールの『死に至る病』が「絶望」を指しているというのは知っていたけれども、人間は「絶望」すると「死ぬ」、だから「絶望」せずに生きていくには?って本だと勝手に思っていた。あっさり否定された。「死に至る病」といいながら「死んでない」とは……

「絶望」とは死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態のことです。肉体の死をも超えた苦悩が「絶望」です。
 つまり、生きながら死んでいるようなゾンビ状態のことを「死に至る病」と呼んでいるのです。
(中略)
結論としては、やっぱり人間は絶望する方がよいということです。というのは、人間は動物以上であり、自己意識をもつからこそ絶望しうるわけです。意識が増す(自己をみつめる)ことでいろんな挫折を感じ、「このままではいけない!」という焦燥感が強まってくるものです。
(中略)
絶望を人生の成長として捉えることが大切なのです。

wikipediaの「死に至る病」の項

『21世紀の資本』のトマ・ピケティってラフとほぼ同年代。この書は一世を風靡したけれども、もう古典と呼べるほどの地位を確立しているのか。
wikipediaの「21世紀の資本」の項

読破できない難解な本がわかる本[富増 章成]
読破できない難解な本がわかる本[富増章成]【電子書籍】

Speed of light

光速計測の歴史はとてもおもしろいんだけれども、まずはなによりも「光には速度がある(に違いない)」ってことを想定していなければ光速を計測しようなんて思わないわけじゃん?日常生活のレベルにおいて、電灯をつけたら(昔なら炎か?)パッとその場と周囲が一瞬で明るくなるわけじゃない。「光あれ」っていったら、世界はもうその時点で明るいんだよ。それなのに「光に速度がある」と仮定したってことが「どうかしちゃってる」レベルですごいんじゃないかと思ったり思わなったり。

wikipediaの「光速」の項
wikipediaの「Speed of light」の項

read between lines

学会やセミナーの質疑応答で、英語圏の発表者は第一声に「Good question!」と反応することがある。「いいところに気が付いたね」というのは表面的な意味で、その実は「あ、やっぱり気付いちゃいました?痛いところを突かれたなぁ、ハハハ」なのである(あまりにも頻出する表現だったため、学生たちの間でささやかれていた説)。

PCよりもスマホが主流の今日ではあまり行うこともなくなりましたが、かつてはPCへソフトウェアをインストールために、インストーラというものがあったのですよ。そして作業完了の最後の画面にはたいてい「Congratulations」と表示された。これに対して「『おめでとう』じゃないだろう。『ありがとうございます』と言えよ」と突っ込んでいる人がいた。日本人的には「この度はインストールいただきまことにありがとうございました」なんだろうけれども、英語圏の人々の感覚は「やったね、これで使えるよ(だって使いたいからインストールしたんでしょ?)」なのだ。知らんけど。

今年の恵方と方角にちなんだ分子生物学実験手法名

節分ですよ。えぇ、かつてこっそりと関西人やっていたもんですから、節分と言えば恵方巻でしたよ。学校から帰って来るじゃないですか、そうすると台所のテーブルの上におやつとして恵方巻が置いてある。それが節分だったのですよ。

wikipediaの「恵方巻」の項

さて、今年の恵方は、ほぼ南南東だとか。南南東は英語では「South-southeast」で「SSE」と略すらしい(英会話サークルみたいってそれは「ESS」か)。

話は変わって、分子生物学の実験手法の一つにサザン法(サザンブロッティングあるいはサザンハイブリダイゼーション)というのがあるのですよ。サンプルの中に特定の塩基配列を持つDNAが存在するかどうかを検出する手法。一般的には生物の全DNA(ゲノム)あるいは特定のDNAを酵素で処理し、電気泳動した後、それをメンブレン(膜)に転写する(ブロット)。そのメンブレンに対して、ラベリングした検出したい塩基配列のDNA(実際には相補的な配列)をプローブとして特異的に結合させて(ハイブリダイズ)、メンブレン上のどこにプローブが結合したかを調べる。Edwin Southern さん(まだ存命のはず)によって開発された方法なので 「サザン法」と名付けられてます。

サザン法は、DNAをDNAプローブで検出する方法。同じ原理で、DNAの代わりにmRNAを電気泳動で流したものをメンブレンに転写し、DNAプローブで検出する方法(RNAをDNAプローブで検出する方法)には「ノーザン法」と名付けられたとさ(「サザン法」にちなんだシャレ)。さらに、サンプルに含まれるタンパク質を検出する方法として、タンパク質を電気泳動した後にメンブレンに転写し、特定の抗体(抗体もタンパク質なのでタンパク質同士の結合)で検出する方法には「ウェスタン法」と名が付いております。

じゃ、これの応用。ある特定のDNA配列に結合するタンパク質を検出する方法があります(DNAに結合するということは主にDNAの転写調節タンパク質である可能性が高い)。サンプルのタンパク質を電気泳動した後にメンブレンに転写し、DNAプローブで検出する。この方法はDNAとタンパク質の結合なので「サウスウェスタン法」と名付けられておりますよ。

wikipediaの「サザンブロッティング」の項(DNAをDNAで検出)
wikipediaの「ノーザンブロッティング」の項(RNAをDNAで検出)
wikipediaの「ウェスタンブロッティング」の項(タンパク質をタンパク質で検出)
wikipediaの「サウスウェスタン法」の項(タンパク質をDNAで検出)

サザンやウェスタンは学生実習でも行うくらい基本の実験手法なんだけれども、RNAを扱うのは難しいというか超面倒なので(RNA分解酵素はそこら中にあるため油断するとすぐ分解されてサンプルがおじゃんになる)、個人的にノーザンは難易度が高くて嫌い。でも学位論文発表や学会発表なんかでは「で、ノーザンはやったの?」としばしばつっこまれることがあるので油断ならない。

ついでに、生物学の用語にはこういうシャレでつけられた名前ってほかにもある。例えば、64コドンのうち終止コドンは3つあるんだけれども、それぞれにオーカー、アンバー、オパールとキラキラネームが付いている。最初にアンバーが名付けられたのだが、そのいきさつはこうだ。ある仮説を検証するための超面倒くさい実験を考えた人たちがいるんだけれども、彼らは自分たちがその面倒くさい実験をやりたくないもんだから、とある大学院生に「もし実験がうまくいったら得られた変異体に君の名前にちなんだ名前を付けてあげよう」と丸め込んで実験させたのだ。幸いなことに実験はうまくいって仮説は検証された。その大学院生の名前はBernsteinといった(英語だとAmber(琥珀)の意)ので、その変異体には「Forever Amber」と名が付けられた。のちにその変異体の変異の原因は、ある終止コドンが原因とわかった。そういうわけでその終止コドンには「amber」と名が付いた次第。で、残り2つの終止コドンにもだったらということでキラキラネームが付きましたとさ。

wikipediaの「終止コドン」の項
「源流を遡る」 第1回 – コーヒーブレイク | 東洋紡バイオテクサポート事業部

アウストラロピテクスの有名な化石標本「ルーシー」は、調査作業中にかかっていた曲がビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」だったからとか。

wikipediaの「ルーシー (アウストラロピテクス)」の項