関西人?

先日観てた海外動画(英語)で、会話の文末に付け足しで言う「maybe」の日本語字幕が「知らんけど」やった。

読了:善と悪の経済学[トーマス・セドラチェク/村井章子]

善と悪の経済学

善と悪の経済学

  • 作者:トーマス・セドラチェク/村井章子
  • 出版社:東洋経済新報社
  • 発売日: 2015年05月29日頃

人類の幸福を示せるか?欧州騒然!チェコのベストセラー、ついに日本上陸。歴史、哲学、心理学、古代の神話。知の境界を越える5000年の旅。経済学の進むべき道はここにある。

経済学の物語ー詩から学問へ/第1部 古代から近代へ(ギルガメシュ叙事詩/旧約聖書/古代ギリシャ/キリスト教/デカルトと機械論 ほか)/第2部 無礼な思想(強欲の必要性ー欲望の歴史/進歩、ニューアダム、安息日の経済学/善悪軸と経済学のバイブル/市場の見えざる手とホモ・エコノミクスの歴史/アニマルスピリットの歴史 ほか)

近代経済学の祖とされるアダム・スミスによる「見えざる手」を核として、現在の主流派経済学は数学を振り回し倫理という面が抜け落ちているのではないかと問いかける。アダム・スミスの「見えざる手」は、個々の投資家の利己的な投資や財産形成戦略が結果として社会全体の利益となり経済成長を実現するとされている。しかしアダム・スミスは本当にそういう「見えざる手」について言及したのか?どうも誤解されているらしい。そもそもがアダム・スミスは倫理哲学者であり、利己的論には与していないのだ。

本書で述べられる「善悪」は主に利己的なふるまいに関することが多い。第1部は縦軸としての近代経済学が立ち上がる前の歴史的な側面から経済と「善悪」の関係をたどる。第2部では、横軸として個々の論点で現在の経済学から倫理面が抜け落ちた問題点に言及する。デカルト以降経済学は数式で記述されるようになり、「すべての条件が同じであれば」という現実にはあり得ない前提条件(時に結論自体がそこに含まれている)を濫用し、個々特定のモデルをトートロジーで語る学問に陥っている(要するに「何も言っていない」と同じ)。

善と悪の経済学[トーマス・セドラチェク/村井章子]
善と悪の経済学[トーマス・セドラチェク]【電子書籍】