LA LA LAND

アカデミー賞が発表されましたね。「ラ・ラ・ランド」が監督賞に主演女優賞。作品賞は「ムーンライト」だけれども、手違いで最初は「ラ・ラ・ランド」と発表されてしまったらしいね。

というわけで、「ラ・ラ・ランド」見てきました。往年の名作へのオマージュがそこかしこに溢れた映画ファンにはたまらない作品。大枠はミュージカル「パリのアメリカ人」「シェルブールの雨傘」を足して2で割った感じ。ミュージカル作品として期待するならば前半だけかな。確かにオープニングからこの映像はとびっきりワクワクするよ。後半はお互い夢はつかんだけれどもそれぞれの道を進み始めちゃったんだよねってほろ苦い恋の思い出に落ち着く。悪くはないけれども、期待したほどではなかったかなってのが正直な感想。

両親のこと

いまだ何事もなく(いや、何事もなくと言うとちょっと嘘)とりあえず両親は元気にしているけれども、いつ何が起こるかはわからない。両親ともに遺言はしたためたということは聞いているが、公証役場の職員があまりにも傲慢と言う理由で正式な手続きを踏んだものではなく、法的効力はない。一応概略だけは聞いているけれども、詳細は不明。

父は献体の手続きを取ったらしい。死後に医大の解剖に使ってくださいってやつね。献体って都道府県ごとの手続きで、実家のある県では献体希望が多すぎて積極的には募集していないらしい。へぇ、献体希望って結構多いんだと妙に感心してみた。

さて、とりあえず両親ともに元気にしているが、いつどちらかが亡くなるかはわからない。そのとき残された親の面倒は誰がみるのか?そろそろ考えておく必要もあるのかもね。

そこは笑うところか?

SNSで性的にはまったく興味がない若い子(20代半ば)とメッセージのやり取りをしているのだが、やたらと「笑」を入れてくるのだ。え?そこ笑うところか?笑いすぎじゃないか?微笑みのつもりでいちいち「笑」なのか?異文化の人間とコミュニケーションをしているようで不思議な感じ。なんかどこかで話が通じていないのではなかろうかといぶかしく思うこともあり。その延長で「この子は頭悪い?」とか思ってしまう自分の歳取りようにも驚くが。

はじめてのプレミアムフライデーとはいうものの

今月からプレミアムフライデーと言う掛け声倒れ感満載の月末金曜日の早上がり促進キャンペーンみたいなのが始まったわけだけれども、本気で取り組むところや人なんてあるのか?働きすぎの緩和、消費活動の活発化とかゴタクを並べてもそれほど効果はないんじゃない?そもそも期待されている効果に対する因果関係が思い付きの薄っぺらいものにしかみえない。ただ少なくともこういう提案はしましたよと言うアリバイ作りなんだろう。景気が悪いのは、提案を受け入れない国民にも責任があるとでも言いたいのだろうかねぇ。

というわけで、プレミアムではないいつもどおりの定時上がりの金曜日なわけだけれども、今日からS吹奏楽団の合宿なんだよ。金曜日の夜から開始なのである。

どうなのかな

今日はRくんと、新宿で飲み。ちょい飲みセットが全然ちょいじゃない店発見。安く上がる。そのあとバーに出かけて1時ころまで。Rくんとの関係は何なんだろうかと迷っている。付き合っているのかと言えば、まだ付き合っているわけではない感じもするし。お互いにまだそういう部分は本音で話すのは難しい。将来のこととか考えてしまうわけで。

政治家の議論って

国会中継とか委員会中継とかあるいはその書き起こしとか見てみても、政治家の議論ってなんて不毛なんだろうって思うことが多い。それぞれの立場というものを守るためっていうのはあるとは思うのだが、あまりにも建設的でない議論であきれる。議論をあえてかみ合わせないようにしている、言葉の言い換えで同じことを執拗に繰り返す答弁、挙句の果てには単なる揚げ足取り合戦とか。政治家の質ってそんなもんなのかと思ってしまうよ。

要するに実際に国を動かしているのは政治家ではなく、個々の政治家の意図をそれぞれに汲んで動いている官僚や役人なんだろうね。政治家というのは単なる「議論をしました」という既成事実を作るため、あるいは「国や国民を代表する(と思われる)者」が必要な時に表に出てくるだけの存在なのかも。とか政治に疎いラフにさえ思わせてしまうようじゃダメなんじゃない?

こんな有様で、将来、首相や政治家になりたいなんて子が最近はいるのかな?

進化論

遺伝子組み換えに反対する人の中には、「遺伝子組み換え」というものが何かよくわからないから恐れていることもあるんじゃなかろうか。ダーウィンの「種の起源」は品種改良、交配から説き起こしているんだけれども、そもそもがこれこそが原始的ではあるものの人工的な遺伝子操作なんだけどね。

あと、進化で誤解されているのは、サルはいくら時間がたとうともヒトには進化しないってこと。サルの先の何かに進化することはあっても、すでに種分岐しているんだから現生人類にはなりえないよね。

よく見かける進化を表現したと思われる代表的な図だけれども、これは進化というものを実は適切に表現したものではなく、古生物学者の故グールドは誤解を招くこの種の図を使うことをことに強く反対していた。もっともらしく流布しているが誤解の元凶、あろうことか自分の著書の表紙に使われかけたこともあるとか。

間違った図ということでは、このヘッケルの図も相当に怪しいらしい。

生物の資料集の発生の項には必ず載っている図で「個体発生は系統進化を繰り返す」っていうやつね。個体の発生過程は、魚類>両生類>爬虫類>鳥類>哺乳類と進化してきた過程をたどるってやつね。でもこれはヘッケルがその仮説に当てはまる事例のみを都合よく選別してまとめただけのものと。

音楽の楽しみ

四分音符と言う言葉を知らなくても楽譜上に四分音符が書かれていればそれがどういう役目を果たしているのか、どういう演奏を指示しているのかさえ知っていれば演奏には大きな問題にならない。楽譜上の決まりってそういうことだよね?楽語ももちろんそこに含むものとして。そこは基本として、じゃぁ楽譜に書かれていないことをどう読み取るかっていうのは解釈の問題だよね。文章で言うところの行間を読む力ってやつ。こうなってくるとその曲が作られた時代性や作曲者の個性や認識を知らないとならない。音楽の本質的な楽しみっていうのはそういうものを読み取ったうえで、だから自分はこう表現するってところにあるとラフは思っているのだ。そういう表現の手札をいろいろ準備して演奏に備えるってのが練習ってもんじゃないのかな。

ちなみに僕は練習って嫌いだけれどもね。

僕はやっぱり英語ができない

街で出会った見ず知らずの英語ネイティブな人に道案内を求められ、図を見ながら伝えようと懸命になるんだけれども、文法とかいざとなったらぜんぜん思い出せないし、主語って何?動詞は何?とか焦っちゃって結局なんとか知っている単語を並べてみるだけの体たらく。もちろん伝わらなくて、sorryと言うだけ。

と、そんな夢を見た。夢でよかったと言えばそうかもしれないけれども、非常に切実な状況でもあるってことだよな。夢で見るくらい自分に必要でありながら準備をしていないスキルが英会話なんだなと痛感。普段から使わないって言うのはこういうことになるんだなぁと思うことしきり。おそらく英語のコミュニケーション能力としては中学生レベルくらいなのかも。