西洋歴史小説の第一人者が西世界・東世界・イスラム世界による覇権志向で読み解く。アレクサンドロスから冷戦の終結まで、約2500年の歴史ストーリーを描き出す!
「学校では教えてくれない~」シリーズの1冊。高校で習う世界史はあまりにも範囲が広すぎて覚えることばかり多くて結局よくわからなかったという人が対象。高校世界史をとりあえず履修したという前提がないと、たくさん出てくる出来事名が何なのかわからないと思う。丸腰や世界史入門だと思って手を付けてもまったくついていけないだろう。かといって、世界史を自分なりに整理して学習したものにとってはあまりにも物足りない(結局はかなり圧縮した世界史ダイジェスト。これで物足りない人はマクニールの「世界史」に挑戦してみると面白いと思う)。まとめに著者自身が書いているように、あくまでこれは著者の世界史観に基づいたまとめ方なので、これが決定的な世界史の理解・整理方法ではない。著者にとっての世界史とは「歴史の中に自らをどう位置づけるか」というとらえ方をしているので、現在からみたらあの出来事は結果的にこういうことだったという解釈の累積、つまりは現代における価値観(現代を生きる著者の解釈)で判断した結果論の羅列に感じてしまった。「学校では教えてくれない」というのも、実はこういう裏話もあるよ的なものではなく、学校ではこういう歴史の整理の仕方までは教えてくれなかったでしょ?ってところか。
世界史の定義から説き起こすのだが、著者のとらえ方は世界史はワールド・ヒストリーである前にユニヴァーサル・ヒストリー(普遍史)であるとする。そして著者にとってユニヴァーサルを構成するものは、
・世界征服の意思
・それを治める帝国
・それを支える一神教
とのこと。世界を征服する、世界を統一する、一元的に支配することこそがユニヴァーサル・ヒストリーが目指しているものだ。
世界征服の意思を最初に示したのがアレクサンドロス大王、そして世界帝国というものを創出したのが古代ローマ、そしてローマ帝国が末期に国教化した一神教であるキリスト教、ここにユニバーサルを構成するものがそろった。そしてローマ帝国は東西分裂し、すぐ後に発生して急拡大したイスラム教世界の登場。これらが東世界史、西世界史、イスラム世界史という三ユニヴァーサル・ヒストリーを構成しており、3つのヒストリーの総体が世界史ワールド・ヒストリーだとする。この3つのヒストリーがローカル・ユニヴァースからグローバル・ユニバースに展開していく様子を歴史の年表に従って現代まで追っていく(出来事・事件名の羅列が多くその個々の中身には深く触れない。個々の知識はあるものとして、この著作ではあくまで世界史の概略をとらえることが目的のため)。
中国史が入っていないのは、中国は最初から広大な土地と人民を持つ恵まれた国であり、また周辺国を朝貢によって従わせはしたけれども自らが物理的に征服しようとする意志はそれほど強くなかった、そして一神教という支えはなく、著者にとってのユニヴァーサルではないためだ。中国が世界史に巻き込まれるのは、清朝末期になってからだ。
著者のユニヴァーサル世界史観に合わせるためか、歴史の出来事の解釈が牽強付会に思えてしまうところがあり気になる。巷に流布する世界大戦の説明には「何者かの意図で無理に図式化したものにすぎないのでしょう。」という記述が見られるが、「お前もな」と突っ込まずにはいられなかった。
この著作は、若者を対象にしているためか文体が語り口調で、親しみやすくはあるけれども、歴史を扱っている割には文章に厳密さがない(ひょっとしたら口述筆記をまとめたものなのではないのかとさえ思われる)。例えば「一三九四年に生まれたポルトガル王ジョアン一世の三番目の王子、いわゆる「エンリケ航海王子」ですね。」(<本当にこういう文体なのだ)という記述がある。さて、この文から判断して、1394年に生まれたのは、ジョアン一世なのか、エンリケ航海王子なのか。大航海時代の話題だから、考えてみればまぁ後者だろうという当然の予想はつくけれども、できるだけ誤解されることのないような初見で読んでも戸惑わずに理解できる記述をして欲しいと思うところが何カ所かある。特殊な効果を狙っているならともかく、でもこれは文学ではなく歴史を扱った啓蒙書なのだろうから、こういう書き方はふさわしくないとラフは考える。(著者自身は自分は歴史学者ではなく作家であるから歴史を扱うのは荷が勝ちすぎると言っているが)
■ 学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤 賢一]
■ 学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤賢一]【電子書籍】
参考文献(もう一歩先を望む方向け)
■ 世界史(上)(中公文庫)[ウィリアム・H.マクニール/増田義郎]
■ 世界史(下)(中公文庫)[ウィリアム・H.マクニール/増田義郎]