読了:6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む(ハーパーBOOKS 111)[ジャン=ポール・ディディエローラン/夏目 大]

パリ郊外の断裁工場で働くギレンは、大好きな本を“死”へと追いやる毎日にジレンマを抱えていた。生き延びたページを持ち帰っては翌朝の通勤電車で朗読して“往生”させるのが日課。心の拠り所は飼っている金魚だ。そんなある朝、ギレンはいつもの電車で、持ち主不明の日記を拾う。その日から彼の憂鬱な日々は少しずつ変わり始めー人生の悲哀と葛藤、希望を描いた、フランス発ベストセラー。

 本の裁断工場で働く主人公のギレンは本が大好きなおとなし目のまじめ青年(30代)。職場で裁断機(大量の本を裁断してパルプの原料となる液状にまでする機械)内に残った本の断片ページを拾っては、翌朝の通勤電車でそのページを朗読する(そして同乗する客はそれを楽しみにしている)という、現実に遭遇したらかなり変な人物とシチュエーションがしれっと描かれる。うわ、シュールなコメディはめちゃフランスものだよ(たとえば映画「アメリ」なんかを想像してもらえるとわかりやすいかと)。

 その青年をとりまく人々が描かれる前半。年配の元同僚は、事故で裁断機に両足を切断されてしまったが、その足を含む再生紙(事故のあった日に出た原料)から刷られた本(すべて同じタイトルの園芸本)を集めている。また朝の通勤電車で朗読するギレンに声をかけ、老人ホームでも同じような朗読会を依頼する老婦人。老人ホームの朗読会で私もやってみたいと言い出したかつて小学校教師だった堅物女性が読み始めたものが濃厚官能小説だったから慌てるギレンと色めき立つ老人たち。

 後半では、ある日ギレンはUSBメモリーを拾う。中にはある女性が書いたと思われる日記が70ファイル近く入っていた。それを読むと、どうやら彼女は大型ショッピングモールのトイレ掃除に従事しているらしい。ギレンは独特の個性が光る彼女にひかれていき……。

6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む(ハーパーBOOKS 111)[ジャン=ポール・ディディエローラン/夏目 大]
6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む(ハーパーコリンズ・フィクション)[ジャン=ポール・ディディエローラン]【電子書籍】

読了:夢の本(河出文庫)[ホルヘ・ルイス・ボルヘス/堀内 研二]

神の訪れ、王の夢、魂と夢と現実、死の宣告…。『ギルガメシュ叙事詩』『聖書』『千夜一夜物語』『紅楼夢』から、ニーチェ、カフカなど、無限、鏡、虎、迷宮といったモチーフも楽しい113篇の夢のアンソロジー。

ボルヘスはいくつかアンソロジーも編んでいるんだけれども、そのうちの一つ。「夢」(寝ているときに見る方)にまつわるエピソードが取り上げられているのだけれども、ボルヘスの思想を色濃く反映した幻想的なセレクションが特色(編者がどういう意図をもってそれらを選んだかというものが垣間見れてこそアンソロジーを編む意味がある)。見た夢、夢の解釈、夢を使ったトリック、そもそも夢とは何かといった古今東西の様々な「夢」の話(まさに夢幻の世界)。ボルヘス自身の著述も何篇か登場するのだが、これがまた秀逸。

夢の本(河出文庫)[ホルヘ・ルイス・ボルヘス/堀内 研二]
夢の本(夢の本)[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]【電子書籍】

wikipediaの「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の項

稀によく見る

あるIT技術者がブログに「稀によく見る」と書いていた。「まれなのかよくなのかどっちだよ」と思うかもしれないが、これは意図されて書かれている。この著者は「稀によく見る」という一見矛盾をはらんだ表現をわざわざ選択していることがわかるからだ。言いたいことはこうだ。

「(まぁしょっちゅうあっては困るから、見かけるにしても)稀に(見かける程度のことであって欲しいのに、なぜか)よく見る(。まったく困ったもんだ)」

おそらくIT技術者ならだいたいの人がこうとらえるはずだ(最後の「困ったもんだ」まで含むところがポイント)。業界的には共感を呼ぶ「わかりみMAX」(<今どきの言葉を使ってみた)表現。

読了:ウンベルト・エーコの世界文明講義[ウンベルト・エーコ/和田 忠彦]

知の巨人が読み解く文明の謎。カラー図版130点以上!!!現代人は古代・中世・近代より進歩しているのか。見えないもの、聖なるもの、美と醜、絶対と相対、パラドックス、嘘、秘密、陰謀論…。ベストセラー『薔薇の名前』の著者最後の贈り物。

 小説「薔薇の名前」の作者ウンベルト・エーコが、10数年にわたって行った講演録。邦題は「世界文明」と題しているが、基本的にはいわゆる西洋の話題(2例ほど東洋の話も出てくるが、そのうちの一つは谷崎潤一郎)。

目次(扱っているテーマ)は次の通り

  • 巨人の肩に乗って
  • 美しさ
  • 醜さ
  • 絶対と相対
  • 炎は美しい
  • 見えないもの
  • パラドックスとアフォリズム
  • 間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること
  • 芸術における不完全のかたちについて
  • 秘密についてのいくらかの啓示
  • 陰謀
  • 聖なるものの表象

 小説家であると同時に記号論学者でもあるので、抽象的なテーマでもそこに具体的な事例を結び付けて、豊富な例とともに紹介してくれる。テーマは美学芸術文学哲学の歴史を踏まえたものだが、講義中に出てくる例は映画やエンターテイメント小説にまでおよび、飽きることがない。話に関連する絵画や彫刻の写真がふんだんに盛り込まれ(実際の講義ではスライドで映し出されたのだろうか?)、言葉だけではわかりにくい説明も可視化されて非常に興味深い。

 こういう知的で丁寧な論の運びに触れることができるととても安心する。

ウンベルト・エーコの世界文明講義[ウンベルト・エーコ/和田 忠彦]
ウンベルト・エーコの世界文明講義(ウンベルト・エーコの世界文明講義)[ウンベルト・エーコ/和田忠彦]【電子書籍】

参考
wikipediaの「薔薇の名前」の項

判断しかねない

今日はウェブ上で、あるライターが次のように書いているのを見た。

「A社の経営戦略がセーフなのかアウトなのかは私には判断しかねない。」

この文末を読んで「ん?どういうことだ?文意を取り損ねたか?」と感じなかった?文意からは「判断しかねる」(「判断できない」の意)と表記すべきところだと思うのだ。でも「判断しかねない」と書いてあるから「判断してしまう」という意味だよな、だとするとこれでは意味が不明になってしまう。著者はライターを名乗っていらっしゃるのでおそらくこういう初歩の間違いをなされることはないと信じたい、たまたま間違えただけと。メディアに載せる際に誰かチェックしてあげなかったのかなぁ。

「しかねる」の意味や使い方 Weblio辞書

読了:学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤 賢一]

西洋歴史小説の第一人者が西世界・東世界・イスラム世界による覇権志向で読み解く。アレクサンドロスから冷戦の終結まで、約2500年の歴史ストーリーを描き出す!

 「学校では教えてくれない~」シリーズの1冊。高校で習う世界史はあまりにも範囲が広すぎて覚えることばかり多くて結局よくわからなかったという人が対象。高校世界史をとりあえず履修したという前提がないと、たくさん出てくる出来事名が何なのかわからないと思う。丸腰や世界史入門だと思って手を付けてもまったくついていけないだろう。かといって、世界史を自分なりに整理して学習したものにとってはあまりにも物足りない(結局はかなり圧縮した世界史ダイジェスト。これで物足りない人はマクニールの「世界史」に挑戦してみると面白いと思う)。まとめに著者自身が書いているように、あくまでこれは著者の世界史観に基づいたまとめ方なので、これが決定的な世界史の理解・整理方法ではない。著者にとっての世界史とは「歴史の中に自らをどう位置づけるか」というとらえ方をしているので、現在からみたらあの出来事は結果的にこういうことだったという解釈の累積、つまりは現代における価値観(現代を生きる著者の解釈)で判断した結果論の羅列に感じてしまった。「学校では教えてくれない」というのも、実はこういう裏話もあるよ的なものではなく、学校ではこういう歴史の整理の仕方までは教えてくれなかったでしょ?ってところか。

 世界史の定義から説き起こすのだが、著者のとらえ方は世界史はワールド・ヒストリーである前にユニヴァーサル・ヒストリー(普遍史)であるとする。そして著者にとってユニヴァーサルを構成するものは、
・世界征服の意思
・それを治める帝国
・それを支える一神教
とのこと。世界を征服する、世界を統一する、一元的に支配することこそがユニヴァーサル・ヒストリーが目指しているものだ。

 世界征服の意思を最初に示したのがアレクサンドロス大王、そして世界帝国というものを創出したのが古代ローマ、そしてローマ帝国が末期に国教化した一神教であるキリスト教、ここにユニバーサルを構成するものがそろった。そしてローマ帝国は東西分裂し、すぐ後に発生して急拡大したイスラム教世界の登場。これらが東世界史、西世界史、イスラム世界史という三ユニヴァーサル・ヒストリーを構成しており、3つのヒストリーの総体が世界史ワールド・ヒストリーだとする。この3つのヒストリーがローカル・ユニヴァースからグローバル・ユニバースに展開していく様子を歴史の年表に従って現代まで追っていく(出来事・事件名の羅列が多くその個々の中身には深く触れない。個々の知識はあるものとして、この著作ではあくまで世界史の概略をとらえることが目的のため)。

 中国史が入っていないのは、中国は最初から広大な土地と人民を持つ恵まれた国であり、また周辺国を朝貢によって従わせはしたけれども自らが物理的に征服しようとする意志はそれほど強くなかった、そして一神教という支えはなく、著者にとってのユニヴァーサルではないためだ。中国が世界史に巻き込まれるのは、清朝末期になってからだ。

 著者のユニヴァーサル世界史観に合わせるためか、歴史の出来事の解釈が牽強付会に思えてしまうところがあり気になる。巷に流布する世界大戦の説明には「何者かの意図で無理に図式化したものにすぎないのでしょう。」という記述が見られるが、「お前もな」と突っ込まずにはいられなかった。

 この著作は、若者を対象にしているためか文体が語り口調で、親しみやすくはあるけれども、歴史を扱っている割には文章に厳密さがない(ひょっとしたら口述筆記をまとめたものなのではないのかとさえ思われる)。例えば「一三九四年に生まれたポルトガル王ジョアン一世の三番目の王子、いわゆる「エンリケ航海王子」ですね。」(<本当にこういう文体なのだ)という記述がある。さて、この文から判断して、1394年に生まれたのは、ジョアン一世なのか、エンリケ航海王子なのか。大航海時代の話題だから、考えてみればまぁ後者だろうという当然の予想はつくけれども、できるだけ誤解されることのないような初見で読んでも戸惑わずに理解できる記述をして欲しいと思うところが何カ所かある。特殊な効果を狙っているならともかく、でもこれは文学ではなく歴史を扱った啓蒙書なのだろうから、こういう書き方はふさわしくないとラフは考える。(著者自身は自分は歴史学者ではなく作家であるから歴史を扱うのは荷が勝ちすぎると言っているが)

学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤 賢一]
学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤賢一]【電子書籍】

参考文献(もう一歩先を望む方向け)
世界史(上)(中公文庫)[ウィリアム・H.マクニール/増田義郎]
世界史(下)(中公文庫)[ウィリアム・H.マクニール/増田義郎]

読了:愛なき世界(単行本)[三浦しをん]

恋のライバルは草でした(マジ)。洋食屋の見習い・藤丸陽太は、植物学研究者をめざす本村紗英に恋をした。しかし本村は、三度の飯よりシロイヌナズナ(葉っぱ)の研究が好き。見た目が殺し屋のような教授、イモに惚れ込む老教授、サボテンを巨大化させる後輩男子など、愛おしい変わり者たちに支えられ、地道な研究に情熱を燃やす日々…人生のすべてを植物に捧げる本村に、藤丸は恋の光合成を起こせるのか!?道端の草も人間も、必死に生きている。世界の隅っこが輝きだす傑作長篇。

 タイトルは殺伐としているけれども、内容は優しい愛情にあふれた作品。東京大学大学院理学系研究科生物科学専攻植物学関係の研究室の人々と、そこにふとしたきっかけで出入りするようになった、本郷通りの赤門前あたりをちょっと入ったところの洋食屋で働く青年との交流が描かれる。ま、もっとも主人公は藤丸青年というより、彼が好きになった博士課程大学院生の本村さん。彼女の研究生活を軸にしておよそ1年の出来事が描かれる。

 植物の研究って何してるの?という方は読んでみると面白いかも。本村さんは、アラビドプシス(シロイヌナズナ)を材料として、植物の葉が一定の大きさに制御されている仕組みを研究している。葉の大きさを制御している特定の遺伝子を4つ壊せば(<ちょっと科学的には不正確な表現だけれども)、制御が効かなくなって野生株よりも大きな葉が生じるのではないか?という仮定で研究を進めている。この4重変異株を作るのに彼女は苦労している。

wikipediaの「シロイヌナズナ」の項

 おそらく、科学や基礎研究になじみがない人にとっては、それの何が楽しいの?何の役に立つの?ってところなんだろうけれども、なぜそうなっているのかを知りたいという知的探求心(それはもう渇望と呼んでもよい)が基礎研究に携わる人の原動力なのだということが、読んでもらえばわかってもらえるかと。自然科学系の大学院生・研究者がどんな生活をしているのかを垣間見ることもできるので、そういう点でもおもしろいかと。

 登場人物がみな一風変わった変人の類なんだけれども、この小説ではとてもマイルドで優しい描かれ方をしている。基本的にみんないい人なのだ。実際の研究者はクセの強いもっと筋金入りの変人が多いと思う。概して植物を扱う研究者はのんびりとしたところはあるけれども、それでももっととんがった部分もあったよというのが、かつて生物学研究者の端くれとして研究室に所属していた自分の感想。まぁ新聞小説だからこのくらい優しい話でいいんだろうけど。

愛なき世界(単行本)[三浦しをん]
愛なき世界(愛なき世界)[三浦しをん]【電子書籍】

日帰り京滋の旅

 実家の両親ともに入院中(同じ病院に)。見舞いがてらに日帰りで京都大津の旅。東京と横浜を合わせて「京浜」とか、京都と大阪を合わせて「京阪」とかいうように、京都と滋賀を合わせて「京滋(けいじ)」といういい方があるのだ。

wikipediaの「京滋」の項

 新幹線で京都駅に。いやはやこの外国人観光客の多さはすごいなぁ。とりあえず、午前中は京都で一番好きな場所「京都府立植物園」に向かう。京都駅から市営地下鉄で北山駅まで向かう。北山駅出口が植物園の北山門(実は裏門)に直結している。

京都府立植物園 Kyoto Botanical Gardens/京都府ホームページ

 園内に入ると、セミの声。あぁ、そうだ子供のころから夏休みの音って言えばこの音だったよと懐かしく思い出した(東日本とはセミの生態系が異なる)。

 それにしても、午前中だというのに、京都の夏は風が吹かずじりじりとひたすら暑い。

京都府立植物園温室
京都府立植物園温室

 食虫植物展、朝顔展、鴨川の帰化植物展と堪能。帰化植物展は写真パネル展示だったんだけれども、職員と思しき年配の女性が京都弁で解説していてはんなり。

 それから大津へ移動。昼ご飯は、ちゃんぽん亭総本家のちゃんぽん。この近江ちゃんぽんというものは、いわゆる長崎ちゃんぽんとは別物。魚介だしのあっさりやさしい中華麺とでもいいましょうか。

ちゃんぽん亭総本家
ちゃんぽん亭総本家

 自分がまだ実家にいたころ(かれこれ四半世紀前)は大津にはまだ店舗展開していなかったので知らなかったんだけれども、最近Rとテレビ番組を見て知った次第。

ちゃんぽん亭総本家 | 創業昭和三十八年の近江ちゃんぽん専門店

 それから両親が入院している病院へ見舞いに。病院は実家のすぐ近所なので、実家まで郵便物を取りに帰ったり、両親のための買い出しをしたり、それから母からの説教を聞き流したり。それにしても、自分が実家を出たときに比べると両親ともどもすっかり年老いたなぁ、なんかもうそうとうに老人になってしまったんだなって思わずにはいられなかった。

読了:小さな習慣[スティーヴン・ガイズ/田口 未和]

小さな習慣とは、毎日これだけはやると決めて必ず実行する、本当にちょっとしたポジティブな行動。この方法を使えば、すべてのことは、習慣化し、目標を達成でき、夢を叶え、人生を変えることができる。何しろ「小さ過ぎて失敗しようがない」のですから。

 新しく習慣を身に着けるにはどうすればいいのか、脳の仕組み(癖)を踏まえた、また著者の体験に基づいたハウツー本。以下に著者の主張をまとめる。

 これまでの本を見ると、ある行動を習慣化するにはどうすればいいのかは、モチベーションが保てるかという話に帰着することが多いのだが、人間の脳の癖を考慮すると報酬なしでモチベーションを保つというのは実は難しい。モチベーションよりも意志の力による方がよい。ただし、最初のハードルが高いと毎日意志の力に頼るというのも続かない。「1日30分は運動をする」というのは、運動をする機会のない人にとってはあまりにも高すぎるハードルだ。というわけで、実行するのに苦労をしない程度まで小さくした習慣から始めよう。どのくらい小さいかというと、「1日1回腕立て伏せをする」くらい。習慣にするにはばかばかしいと思えるくらい小さいほうが良い。こんな程度なら、どんなに疲れていたとしても1分もかからないからすぐできる、やらないほうがどうかしてるというハードルの低さにしておく。これでも無理なら、「ヨガマットを引く」「うつぶせになる」くらいにまで下げてもいいそうだ。要は、できない、しない理由にならないくらい小さくしておく。一度始めたら、ひょっとしたらもっとやりたくなって10回腕立て伏せをするかもしれない。それならそれでOK。また一日1回でも腕立て伏せができれば、その日の目標はクリアしたという肯定感が生まれる。これが続けば、脳はそのうちこの習慣に対する抵抗がなくなり、気づいた時にはきっと習慣化しているだろう。

 著者はほかに「1日50words以上の文章を書く」「1日2ページ以上本を読む」とかを習慣化させたそうだ(あくまでも最低ラインで実際にはこれ以上の行動をしていることの方が多いそうだ)。なるほど、やることを小さく具体的にすることで、意志の力を引き出しやすくするのだね。実践方法、注意点なども載っていて、目標を立てるものの何度も挫折している自分には参考になるところ多し。試してみようかな。

小さな習慣[スティーヴン・ガイズ/田口 未和]
小さな習慣[スティーヴン・ガイズ]【電子書籍】