読了:THEデブ脳[工藤孝文]

THEデブ脳

THEデブ脳

  • 作者:工藤孝文
  • 出版社:エイ出版社
  • 発売日: 2019年09月

第1章 痩せられない原因は脳にあった!デブ脳/第2章 食事内容で培ったデブ脳を治す(脂っこいものをよく食べる/濃い味を好む ほか)/第3章 食べ方で培ったデブ脳を治す(間食が多い/嫌なことがあるとヤケ食いしてしまう ほか)/第4章 生活習慣で培ったデブ脳を治す(運動しない/年をとって代謝が落ちた ほか)

ふふふ、もともと運動しないのに加えて在宅勤務の影響もあって、食っちゃ寝生活で、人生で今最重量のラフですよ。

痩せられない原因を脳の仕組みから解説しながらステップアップ方式でダイエットを試みる本。「痩せられないのは、意志が弱いから」を真っ向否定し、きつい食事制限や運動は要求されない。まずはこれをやってみよう、しばらく続けて効果があれば次のステップへ、効果がなければこういうことも試してみて、という感じで進んでいく。ちなみにやってみようと提案されるのは「1日1杯、出汁を飲む」と「朝食にバナナヨーグルトを食べる」とか。内容が薄く身近で具体的な内容なのでサクサク読める。まさに「これならできそう」と読者に思わせる著者の狙い通りか。

脳内ホルモンの具体名とか機能の話とか出てくるけれども、別にそれほど大事じゃなくて知らなくてもわからなくてもまったく問題なし。大事なのは提案されたちょっとした行動を実際にやってみようということで、それの根拠として脳科学からアプローチしてますよというだけなので(だから文献とかも一切示されない)。

THEデブ脳[工藤孝文]
THE デブ脳(エイムックシリーズ)[工藤孝文]【電子書籍】

読了:21 Lessons[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

21 Lessons

21 Lessons

  • 作者:ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之
  • 出版社:河出書房新社
  • 発売日: 2019年11月20日頃

『サピエンス全史』で人類の「過去」を、『ホモ・デウス』で人類の「未来」を描き、世界中の読者に衝撃をあたえたユヴァル・ノア・ハラリ。本書『21 Lessons』では、ついに人類の「現在」に焦点をあてるー。テクノロジーや政治をめぐる難題から、この世界における真実、そして人生の意味まで、われわれが直面している21の重要テーマを取り上げ、正解の見えない今の時代に、どのように思考し行動すべきかを問う。いまや全世界からその発言が注目されている、新たなる知の巨人は、ひとりのサピエンスとして何を考え、何を訴えるのか。すべての現代人必読の21章。

1 テクノロジー面の難題/・幻滅ー先送りにされた「歴史の終わり」/・雇用ーあなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない/・自由ービッグデータがあなたを見守っている/・平等ーデータを制する者が未来を制する/2 政治面の難題/・コミュニティー人間には身体がある/・文明ー世界にはたった一つの文明しかない/・宗教ー今や神は国家に仕える/・移民ー文化にも良し悪しがあるかもしれない/3 絶望と希望/・テローパニックを起こすな/・戦争ー人間の愚かさをけっして過小評価してはならない/・謙虚さーあなたは世界の中心ではない/・神ー神の名をみだりに唱えてはならない/・世俗主義ー自らの陰の面を認めよ/4 真実/・無知ーあなたは自分で思っているほど多くを知らない/・正義ー私たちの正義感は時代後れかもしれない/・ポスト・トゥルースーいつまでも消えないフェイクニュースもある/・SFー未来は映画で目にするものとは違う/5 レジリエンス/・教育ー変化だけが唯一不変/・意味ー人生は物語ではない/・瞑想ーひたすら観察せよ

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」に続く3作目は、現在の世界に焦点を当てて人類というものを考える。ユヴァル・ノア・ハラリは基本的には歴史哲学者であって生物学者ではないってところは常に押さえておかなければならない点。

「サピエンス全史」の中心テーマは、今日の人類の成功は、実体のない概念(会社とか経済とか政府とか)を共有する能力によって成しえたということで、そこに至った歴史を進化生物学的視点を交えながら語ることであった。(読後感想は以下)

読了:サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]

2作目の「ホモ・デウス」では、人類にとってのこれまでの大問題であった「飢饉」「疫病」「戦争」は対処出来うる問題となった21世紀において、今後人類ホモ・サピエンスは何を追求してどういう方向に進んでいくのか?ということを考察する。生命工学(脳科学と進化生物学)と情報工学という2本の柱、あるいはその融合(AI)がけん引していき、「ホモ・デウス」という新たな存在(もはや生命の定義にはあてはまらない電脳空間上の信号)になるのかもしれない。でもそれでいいの?と問いかけてきた。(読後感想は以下)

読了:ホモ・デウス 上・下[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

さて、今作は前2作よりずっとわかりやすい。なぜなら今私たちが生きている「現在」の問題を扱っているからだ。21の側面から現在の世界を眺めるというよりかは、「現在のホモ・サピエンス」を中心においてその周りを21の切り口から順に問題点を解き明かしていく感じ。1つのテーマは次のテーマへとつながっていき、ぐるっと回って元に戻ってきたところで、これまで語られることなかった著者がこの考えに至った方法論的なものにまで言及する。

人類の成功を支えてきたものは実態のない概念を共有する能力ではあるが、この実体のない概念を指して著者は「物語」という言葉を与えている。「経済」や「政府」、「宗教」だけでなく「資本主義」や「自由主義」でさえ創造の産物であり「物語」なのである。そして現在の世界の問題はこの「物語」から脱することができないことから引き起こされている。著者自身がユダヤ人であるが、ユダヤ教の「物語」に対しても容赦がない。なぜ「物語」が問題になるのか?どこが問題なのか?「物語」を脱する意味はどこにあるのか?そこを具体的な例を提示して解説していくのでわかりやすい。サピエンスがもっとも苦手なのは苦痛であり、サピエンスはそれを避ける・そこから逃れるために「物語」を必要としてきたのだ。しかしそれは本質的な解決になっていない。また「物語」=「世界観」を共有していない者同士はうまくいかない。実際の問題は単純ではないのでジレンマに陥るのは当然で、「物語」に逃げずに考えなければならない。そのためにもサピエンスは「物語」から離脱し自身の身体が何を感じているのかを判断の根拠にすることが重要なのだそうだ(ちょっと読みが浅くてすまん)。

「世俗主義」と「意味」の章がとりわけ面白かった。ラフ的には超マイルドなリチャード・ドーキンス(「利己的な遺伝子」を提唱した進化生物学者で過激な反宗教主張で有名)かと思ったよ。

wikipediaの「リチャード・ドーキンス」の項

ほとんどのSF映画が本当に語っているのは、とても古い物語で、それは物質に対する心の勝利だ。

あなたは、女性が恋人にダイヤモンドの指輪を持ってくるように頼むのはなぜだと思っているだろうか? その恋人は、いったんそれほど大きな金銭的犠牲を払ったら、それが価値ある目的のためだったと自分に確信させざるをえないからだ。

最近、ファシズムの正確な意味について、かなりの混乱が生じている。人は、気にくわない相手ならほとんど誰でも「ファシスト」呼ばわりする。

国家崇拝はきわめて魅力的で、それは、多くの難しいジレンマを単純化してくれるからだけではなく、人々に、自分はこの世で最も重要で最も美しいもの、すなわち祖国に所属していると考えさせるからでもある。

人は、どこかに永遠の本質があり、それを見つけてそれとつながれさえすれば、完全に満足できると信じている。この永遠の本質は、神と呼ばれることもあれば、国家と呼ばれることもあり、魂、正真正銘の自己、真の愛と呼ばれることもある。そして、人はそれに執着すればするほど、失望し、惨めになる。それを見つけられないからだ。

21 Lessons[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

映画鑑賞「テネット」~物理用語をかなり都合よく濫用したクリストファー・ノーラン監督の印象系実験映画

久々に映画館でも行ってみるかと選んだのが今話題の「テネット」。アメリカでの反応はいまいちだったらしいが、日本では大ヒット。その難解さが癖になるとかで、「分からないけれども面白かった」という謎の感想にあふれた作品(自分のもとにはそんな感想ばっかり届いていた)。じゃ、観てやろうじゃないの。

映画『TENET テネット』オフィシャルサイト|大ヒット上映中

で、観てきました。2時間半くらいある長めの映画だったんだけれども、ラフ的感想を述べるなら「物理用語をかなり都合よく濫用したクリストファー・ノーラン監督の印象系実験映画」。ストーリーはすごく場当たり的で展開に必然性はほとんどなし、ただひたすら生ぬるい緊張感が延々と(緩急というものが一切ない)、そして頭と腹をガンガン殴りつけるような乱暴な音響効果が2時間半続く。時間遡行ものなので多少は仕掛けがあるものの、印象的なシーンがあとで実はあのシーンだったんだというのは何カ所かあるんだけれども、普通そういう伏線回収というのは回収することによって今までの疑問が解けるとかどんでん返しが起こったりするからおもしろいのに、この作品は単に実はあのシーンはこのシーンを別の視点から見たものだったんですよというだけ。

扱われているSF的要素は「時間の矢」(時間は過去から未来に一方向にしか向かわない)いわゆる「エントロピー増大の法則」(時間の矢が一方向にしか進まないのは、開放系ではエントロピーは増大するから)なんだけれども、じゃ「時間の矢」を逆向きに進めることができればどうなるか?という発想。もちろんSFなのでこの発想自体は悪くない。ただ個々の物体がそれぞれに時間の矢の向きを変えて同じ世界に存在しうるのかとか、時間の矢が逆転しているからエネルギーも逆転して炎は凍るとかいう設定もあったりするんだけれども(ある1場面でだけ説明的に使われているが、じゃ他のエネルギーは逆転しないのか?っていう疑問はあるし、その場面でしか使われない使い捨て理屈扱い)とか理論的にはつまみ食いなので穴だらけ。そもそも「エントロピー増大の法則」の重要な前提条件は「開放系において」ってところなんだけれどもなぁ。SFというのは、それがもとにした理論から「じゃこういう場合はどうなる?」とか仮定を使って想像して話を膨らますのは常套手段ではあるけれども、それでもそれを読者なり観客なりを納得させるだけの説得力を持って表現しないとならないわけで、そこがSF作家の力量ってやつでしょ。それがこの作品にはこれっぽっちも見られないのだ。まったくもって監督・脚本が都合よく使える理論を部分的につまみ食いしているだけ。

時間の挟みうち作戦が何回か出てくるんだけれども、通常世界から反転世界の物体を見ると、その物体のみがフィルムの逆回転の如く動いているわけ。横転する車とかが、事故を起こした状態から普通に走っている状態に戻っていくように見えたり。そこはまぁいいよ。そういうことにしておくよ。今度は、登場人物が反転世界に行くと、自分自身は通常の動きをしているのだけれども、周りの世界全部がフィルム逆回し世界なのよ。とりわけラストシーンの荒野でのドンパチは、敵地に乗り込む集団が反転世界で攻撃をかけていくから、攻め込む集団の周りの戦地で起こる出来事がすべて逆回し世界になっていて、これはどうみても「コメディ」の手法。その滑稽さを大真面目にやられるから、おかしくてしょうがない。なんでみんな笑わないの?(ちなみに前半に出てくる床を這う人物の逆回しは「エクソシスト」だ)

ストーリーがあまり明確にない作品なので、最初から、敵も味方もミッションの正体も、そして黒幕もよくわからないまま進む(しかも登場人物は言及はするもののあまりそのことを本気では気にしていないようなのだ)のだが、最後に取ってつけたような黒幕種明かしが、ターミネーターのバリエーションだった時には「なんじゃそりゃ!!」と突っ込んだよ。

難解なのではなく、あまりにも物理用語を適当に使った説得力のない中途半端な雰囲気だけSF映画だから、「時間の矢」「エントロピー増大の法則」をよく知らない人は煙に巻かれているだけじゃないの?

レポート ・ エントロピー増大の法則 -エントロピーの話し(1)-
wikipediaの「エントロピー」の項



追記(2020-10-23)

現実はこうだけれども、こういう考え方をしてみたらおもしろい視点が生まれるんじゃないか?っていうのはフィクション(中でもSF)では重要な要素の一つだと思います。ただ作り手によるその着眼点がきちんと整理されて作品の世界観がきちんと構築されていて欲しいのです。

テネットの最大の失敗は、時間軸の反転によりエネルギーも反転するため、炎で凍死しかけるって中間あたりに出てくるワンシーンをものすごく印象深く作ってしまった点だと思うのです。このシーンが理屈の解説付きで丁寧に描かれているんだけれども、この設定ってこの場限りの使い捨てで(伏線でもなんでもない)、それ以外の時間軸反転世界では一切無視されてしまうのですよ。ラフ的にはラストのドンパチシーンで、この設定活かしたらものすごくおもしろいのにって思うわけですよ(炎と銃撃の嵐だし)。要するに「テネット」は着眼点は面白いけれども、作品として成立させるにはストーリーがきちんと練られていないため、深みはなく行き当たりばったりという感想をラフは持ったということを開陳した次第。そして、そういう点を踏まえてラフは「テネット」を「実験映画」と呼んだわけです。

そしてまた1つ秋の年中行事がやってきたのだが、「はい消えた……」

本日は、秋の年中行事、情報処理技術者試験でございますよ。今年はコロナ禍で、春の情報処理試験が実施されなかったため、春の試験区分が秋に回ってきた次第。で、秋に実施する予定だった試験区分は、1か月ほど遅らせて11月ごろに実施するかもしれませんとアナウンスがあったけれども、結局会場の手配とかいろいろあって秋の試験区分は実施されないことが先ごろ確定。半年に1度実施されている基本情報技術者とセキュリティマネージャの試験はついに今年は春も秋も実施されずなんて事態になっているし。今年の情報処理技術者試験はもうぐちゃぐちゃになっておりますよ。今度の春の試験もどの試験区分が実施されるのかわからない状態になってます。自分が受けようとしている試験区分がいつ試験実施になるかがわからないという状況なので受験と試験勉強の計画(割と年間スケジュールで検討していく)もどうしようか困惑する事態が続いております。

で、昨年ようやく情報処理安全確保支援士に受かって、今年は秋のシステムアーキテクトを受ける予定だったんだけれども、春の試験が秋に回ってきたので、急遽春のみ実施だったデータベーススペシャリストを受けることに(システムアーキテクトは次回に)。実は春の試験というのは毎年4月の第3日曜日なのですが、ここ数年はずっとS吹奏楽団の定期演奏会が同じ日に重なっていて春の試験を受けていなかったのですよ。本当は機会があればデータベーススペシャリストは受けたいと思っていた試験区分だったので、これはチャンスだと思ったのですよ。データベーススペシャリストの試験範囲は割と実務でもやってきた分野なので、情報処理安全確保支援士よりかは自分にとってはずっとずっと敷居が低い。目指せ一発合格!!

過去問も5年分片付けて、とりあえずまったく想像もつかない問題は少ない、強いて言うなら試験時間内に全問解くのはきついなぁというくらいのところまでは準備したんだけれども……。本日受験したら、午後試験が過去問での手ごたえと比べたらびっくりするくらいできなかったのだ。問題の日本語が頭に入ってこなくて、手が付けられなかったのだ。解答欄をろくに埋めることすらできなかった。(実はデータベーススペシャリスト試験はちょっと他の試験とは変わっていて解答欄がすべてうまるとは限らないという場合がある。つまり何も書かないのが正解ということがありうる試験なのだ。でもそれは根拠があって書かないという意思表示でなければならない。)う~ん、例年より難しくなっているのか?それとも自分が選んだ問題がむつかしい問題だったのか?(午後試験は、午後Iが3問中から2問選択して90分試験、午後IIが2問中から1問選択して120分試験)

もうね、試験が終わった瞬間俺は真っ白な灰になっていたよ。あまりのもの出来てなさ加減に意気消沈。「はい消えた……」

「あぁ、僕はこのまま死んでしまうのかもしれないなぁ……」

今朝は寒くて目が覚めた。寝るときは若干暑かったので、薄着寝具だったんだけれども、明け方恐ろしく寒くて「あぁ、僕はこのまま死んでしまうのかもしれないなぁ……」と半分寝ぼけた頭の中で思いながら、それでも起きずに寒くて凍えて寝ていた(それでも寝ていられるラフ)。いや、もうこの季節の年中行事だよね。イベントの年中行事はあまりしないけれども、こういう季節のお約束は忘れずに毎年律義にこなしている俺ってば、やっぱり四季の国の人なんだなぁと思ったり思わなかったり。朝起きたら死んでなくてよかった。

本日の晩御飯はカルボナーラです

うん、忙しくて落ち着いて更新する余裕がない10月なのです。生存報告として、本日の晩御飯を載せておきます。電子レンジで作ったカルボナーラ。結構簡単。

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