読了:人間使い捨て国家(角川新書)[明石 順平]

働き方改革が叫ばれる一方で、今なお多くの労働者が低賃金、長時間労働を強いられ、命が危険にさらされている。ブラック企業被害対策弁護団の事務局長を務める著者が、低賃金、長時間労働の原因である法律とその運用の欠陥を、様々なデータや裁判例とともに明らかにする衝撃の書。

第1章 悲惨な現状ー世界はこんなに働いていない
第2章 穴だらけの法律
第3章 固定残業代ーただ、名前を変えているだけのインチキ
第4章 コンビニー現代の小作農
第5章 外国人労働者ー現代の奴隷労働
第6章 公務員ー公営ブラック企業
第7章 自民党と財界
第8章 脱・人間使い捨て国家

日本の労働環境は企業による労働者の使い捨て状態であり、政府も有効な対策をとっていないと著者は主張する。個別問題点を議論し(第1章~第6章)、その原因と考えられる自民党と財界の歴史的関係を叙述し(第7章)、そして著者の対策案を提示する(第8章)。現場の実例、データや裁判例など具体的な話が多く、提言もその意図がはっきりしていてわかりやすい。

人間使い捨て国家(角川新書)[明石 順平]
人間使い捨て国家[明石 順平]【電子書籍】

読了:お前たちの中に鬼がいる[梅原 涼]【電子書籍】

Amazon電子書店「Kindleストア」の人気作を、大幅に改稿した増補完全版。付録として、短篇『1993年(平成5年)』も収録。(あらすじ)高校教師、須永彰は薄暗い地下室で目覚めた。記憶も曖昧で何もわからない。そこで彼は、奇妙なメッセージを見つける。『お前たちの中に鬼がいる……』。地下には、他に五つの部屋があり、中には、鎖で繋がれた五人の女性がいた。誰もこの状況を説明できない。が、みな何かを隠しているようで、誰一人信用できない。さらにここでは、常識では考えられない不可解な現象が次々と起こる。須永はこの空間からの脱出を決意する。ただ気がかりがあった。自分たちの中の誰かが『鬼』なのではないか…。

ゲームを思わせる特異な世界観と推理小説を組み合わせた展開はなかなかおもしろい。先の展開が気になるためぐいぐい読ませるのはエンターテイメントとしては上出来。ただし、小説としての完成度はかなり雑。設定が結構穴だらけ。「え?そこそういう展開なのに何の説明もなし?どういうこと?奇妙じゃない?あ、そうか、あえて書かないことでひっかかりを残しておいて後半で伏線回収するパターンなんだな」とか思っていたら、結局そのままで、著者に描写力がなかっただけとか超脱力。しかもわざわざこれだけの人物を描き分けて登場させたのに、最終的にはあまり大切に扱われずさくっと消えて行ったり。一番気になるのは、この異世界の正体(成り立ち)は最後まで一切触れられない。著者にとっては単なるシチュエーションの提供であって、誰がどういう意図でその世界を作ったのかはどうでもいいみたい(これがこの作品の浅さの理由と思える)。またおよそ10年ごとに3つのグループがこの異世界の試練に巻き込まれているのだけれども、なぜおよそ10年ごとなのか、なぜそのメンバーなのかについても説明は一切なし。後半に頻出する話の設定を満たすためとしか思えない場当たり的な小ネタイベントによる展開も蛇足っぽくて気になる。最後はいい話風にまとめてあるけれども、読者が一番知りたいだろう疑問に対しては何の説明もなく終わってしまう。

ついでに、書き下ろしの短編では、10年ごとの最初のグループの末期が描かれていて本編の一部解題としての役割を果たしている。死体1体の説明と本編の主人公のお母さんが混じっていたことが目玉か。でも、だからといってお母さんが含まれた理由と、本編で主人公が含まれた理由の関連付けはなされない。また短編の主人公はこの世界がプログラミング的なものでできていることの推測はするのだが、やっぱりその正体は明かされないまま(著者にはシチュエーションさえ提供できればそれ以上は本当にどうでもいいみたい)。

あと、自分の理解力が足りないのか、あれ?計算が合わなくない?と思ったこと。それぞれのグループは6人からなるんだけれども、5人がカギのかかる部屋に閉じ込められるからカギの本数は5本なのね。で、その世界から脱出するのには一人1本ずつカギを使っていくのだよ(使うとカギは消滅する)。だから本編では当然ながら一人帰還できない。ところが、短編では一人が異世界で殺される(当然帰還しない)ので脱出者とカギの本数はちょうど足りることになるはずなんだけれども、なぜかしれっと一人死んでんだからカギが1本余ってあたりまえみたいな展開になっている。なぜ?の嵐。

誤植どころか、あきらかな発言主の表記間違いとかもあって(だってその人その場にいないじゃん……)、突っ込みどころも満載の勢いだけ素人小説だった。

お前たちの中に鬼がいる[梅原 涼]【電子書籍】

読了:ギリシア人の物語2 民主政の成熟と崩壊[塩野 七生]

黄金時代を迎えたアテネ。しかし、その崩壊の足音を手繰りよせたのは民主政に巣くうポピュリズムだったー民主政の光と影を描く、待望の第二巻。

第1巻では全ギリシアが連携してペルシア戦役を乗り越えたところまでが描かれた。今巻では、前半に指導者ペリクレスによるアテネの民主政の頂点を、そして後半ではアテネを中心とするデロス同盟とスパルタを中心とするペロポネソス同盟との間に発生した四半世紀以上にわたるペロポネソス戦争が描かれる。

後半のペロポネソス戦争がおもしろい。アテネもスパルタもお互いに正面衝突する気は全くなかったのに、それぞれの同盟加盟都市国家の争いから盟主が引っ張り出されてしまう。だらだらと続く戦役はギリシアのほぼすべての都市国家を巻き込み、舞台もシチリア島や、エーゲ海東部にまで広がり、また指導者も入れ替わってゆき、アテネもスパルタもこれまで自国を特徴づけてきた路線を外れていく。最終的にアテネはデロス同盟の崩壊とともに無残に凋落する。

次巻では、スパルタも疲弊してしまい、ギリシアに再び本格的な触手を伸ばし始めるペルシア、そしてマケドニア王国の寵児アレクサンダーの登場が描かれるようだ。

ギリシア人の物語2 民主政の成熟と崩壊[塩野 七生]
ギリシア人の物語II 民主政の成熟と崩壊(ギリシア人の物語)[塩野七生]【電子書籍】

読了:奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語[三崎 律日]

これは良書か、悪書か。時代の流れで変わる、価値観の正解。ロマン、希望、洗脳、欺瞞、愛憎、殺戮ー1冊の書物をめぐる人間ドラマの数々!

取り上げられているのは、いわゆる奇書というよりかは、著者も述べているように、その当時一世を風靡した(現代から見たら)トンデモ本や偽書・ねつ造論文の類。ある程度本に興味を持っている人にとっては、目新しい話題は少ないかも。

wikipediaの「偽書」の項

YouTubeやニコ動に掲載したコンテンツを書籍にまとめたものだけに、本や歴史好きの人を対象としたものというよりも、雑学系ゴシップ的読み物という印象。超やさしいwikipediaって感じ?内容的な奥深さはないが、想定読者をはっきりと定めて著者自身がそこは割り切っているようだ。ただし、かなり調査をしたことは垣間見られ、また誤解がないような言葉の選び方や注釈のつけ方などとても考えられている。浅いからと言って手を抜かない著者の真摯な態度は好感が持てる。各エピソードのまとめで、オチをつけてきれいに着地させたものが多いのも気持ちいい。また畠山モグ氏のイラストがとてもいい味を出している。

奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語[三崎 律日]
奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語[三崎 律日]【電子書籍】

読了:資格試験「通勤電車」勉強法[浜野秀雄]【電子書籍】

行政書士や社労士などの資格試験は、司法試験などの超難関資格と異なり、コツコツ勉強すれば合格できるレベルです。にもかかわらず、実際には合格率は数%。その大きな理由は、勉強を継続できる人が少ないからです。
合格者に聞くと、その多くが通勤時間を有効に活用しています。特に通勤電車内は、勉強を邪魔する誘惑もないため集中して勉強でき、無理なく続けられます。毎日1時間の通勤時間を学習に当てれば、大半の資格は1年間での合格が実現できます。
本書では、「通勤電車勉強用のノート作り」「駅間をストップウォッチ代わりにする」など、自身も通勤電車内で勉強して行政書士試験に合格した著者が、電車内でできる勉強法を紹介します。

忙しい社会人は、家で腰を据えて勉強するつもりでいてもすぐ挫折してしまうが、通勤電車での集中学習は継続しやすい。通勤電車でできる勉強方法は?という著者の実体験に基づいた提案書。宅地建物取引士、行政書士、社会保険労務士なんかはこれで十分合格できますよと。

いわゆる資格試験勉強ハウツーもの。ラフはこの手の本が嫌いではない。だってさ、「あ、自分でもできるかも」とかポジティブな気分になるじゃん。内容は薄く平易でサクサク読める(風呂に入りながら読み切れた)。それで「がんばってみようかな」とか思わせたのだから、この本はラフにとってはプラスだったかも。ただし実際にできるかどうか、やるかどうかは別問題だけどさ(<だからダメなんじゃん)。

資格試験「通勤電車」勉強法[浜野秀雄]【電子書籍】

読了:穴の町[ショーン・プレスコット/北田 絵里子]

『ニューサウスウェールズ中西部の消えゆく町々』という本を執筆中の「ぼく」。取材のためにとある町を訪れ、スーパーマーケットで商品陳列係をしながら住人に話を聞いていく。寂れたバーで淡々と働くウェイトレスや乗客のいない循環バスの運転手、誰も聴かないコミュニティラジオで送り主不明の音楽テープを流し続けるDJらと交流するうち、いつの間にか「ぼく」は町の閉塞感になじみ、本の執筆をやめようとしていた。そんなある日、突如として地面に大穴が空き、町は文字通り消滅し始める…カフカ、カルヴィーノ、安部公房の系譜を継ぐ、滑稽で不気味な黙示録。

 描かれている出来事や人物はどことなく現実から浮いている。でも描写はやたら具体的でマクドナルドとかサブウェイとか郊外型のチェーン店なんかも登場しているし、町を通る幹線道路は先には都市へ続いているだろうし、通過する車も多い。つまり現実から完全に隔離された町ではない。この不思議な感覚が魅力的な小説。

 オーストラリア、ニューサウスウェールズ中西部のある町にやってきた僕。「消えゆく町」に関する本を書いているので、この町の調査をしてみるが、その町がいつできて、どう発展してきたのかという過去の歴史がまったく不明で図書館にも資料はなく、また町の人も過去のことは知らないというか興味さえない。町の人は今を生きているだけで、その町には今という現状だけが流れているのだ。町で仲良くなった女の子とつるんでいるうちに、いつしか僕も日常に埋没していき、本を書き続ける気力を喪失し始める。ところがある日を境に町の地面に唐突に謎の穴があき始める。この不思議な現象に町の人たちは最初こそ騒ぎ出すが、すぐさまその現実を受け入れ、そういうものだとして生活を続ける。消滅し始める町を女の子と抜け出し、なんらかの希望をもって都市へ移り住んだ僕は、都市もまた町と変わらない満たされないものだったことに気付く。

 自分は何なのか、なんのために存在しているのかということを求めたいと思う根源的な人の性は感じているんだけれども、そのためにどうしたらいいのかわからない、とにかくなんとかしたいと思って行動もしてみた、でもどうにもならないかもしれない、だからといって差し迫った問題があるわけでもないが、どことなく落ち着かない……。自分を知りたいという思いを、町の存在意義を調べるという行動で表現している。「滑稽で不気味な黙示録」かというと、そうでもない気がするなぁ。読後感はもっと軽くて乾いた感じで、隔靴掻痒の感とでもいうか。

この町には何も特別なところがないということを。町の外のだれかの注意を引くほどのことは起こったためしがない。

消えた町々でぼくが探していたものは、記憶にとどめられている歴史だった。

 町に歴史がない、特別なところがない、ひいては自分自身も特別ではないということを突き付けられる。

彼らは消えた町の人々と同じ症状に苦しんでいるように思える。自分は何者なのかというその考えは過去に属するもので、本で読むか、歌や映画の中でまれに要約されているのを見つけるしかない。

 「彼ら」とは都市に住む人たち。過去にこそ自分の出自があると思うのだが、オーストラリアというのは、蓄積された過去(歴史)というものが豊かでない。

ホステルの談話室で冗談を言い合っているビーチサンダルをはいた英国人は、まぎれもなく英国人で、そんな難問とは無縁だ。彼らには揃っている──一連の史実と、立証できる真の全盛期が。

 結局、町で満たされなかった思いは都市でも満たされなかったのだ。オーストラリア人である限りこの心もとなさからは逃れられないのだ。じゃぁ、オーストラリアを脱すれば思いは満たされるのかというと、おそらくそれもまたノーであろう。

穴の町[ショーン・プレスコット/北田 絵里子]
穴の町[ショーン プレスコット]【電子書籍】

僕はやっぱり英語ができない – 今日は来てくれてありがとう!!

 ここを読んでいる人はご存じの通り、ラフは英語のリスニングがからっきしダメなのである。TOEIC(L&R)を年中行事のように受けているが、リスニングの約45分の間、何をおっしゃっているのかさっぱりわからないまま苦痛に耐え忍んでいる。

 では、ラフがTOEICのリスニング問題でどんな感じになっているのかを説明しよう。例として Part4(話者一人のアナウンス系問題)の場合。

– Welcome to ウニョウニョ.
– It is wonderful to see so many of you here ウニョウニョ~ バックシーン.
(ん?「今日はこんなにたくさんのみんなが来てくれてうれしいです!!」。え?なんかのコンサートかライブ?バックシーンってなんだ?楽屋backstageのことか?)
– インフルエンサー ウニョウニョ~ウニョウニョ~.
(インフルエンサーってSNSとかで影響力を持つ人たちだよなぁ、コアなファンのことか?)
– (以下すべてウニョウニョ)

 冒頭わずか3文にして、ラフの脳内はコンサート会場でファンを前にして呼びかけているアーティストという情景が展開している(そもそもTOEICで出てくるシーンとしてふさわしいか?)。当然ながら、その情景に合わせて聞き取ろうとしているので、残り最後まで何を言っているのかまったくわからず。

 このアナウンスが実は何を言っていたのかというと、「バックシーン」と聞こえたのは「viccine(ワクチン)」で、「インフルエンサー」と聞こえたのは当然のことながら「influenza(インフルエンザ)」なのである。どこかの保健施設にインフルエンザのワクチン接種にやってきた人たちに対して、予防は大切だから今日は多くの人が接種に来てくれたことはとても歓迎すべきことだという導入だったのである。(以下、受診にあたっての注意事項などがアナウンスされているのだが、そんなところはきれいさっぱり聞き取れていない)