読了:ヴァロワ朝 フランス王朝史2 (講談社現代新書) [ 佐藤 賢一 ]

カペー朝に続くヴァロワ朝の歴代フランス王の紹介。カペー朝からヴァロワ朝への移行はどういうものだったのかという前書きがおもしろい。カペー朝は父親から息子へと直系男子でつながっていった王朝。その最後に男系が途切れてしまい傍系のヴァロワ伯シャルルが継いだものがヴァロワ朝。だからそんなに突飛な王朝ではない。むしろわざわざ王朝名を改める必要があったのかさえ疑問。傍系が王位を継ぐという出来事は実はヴァロワ朝の途中で2回起こっている。ところがこれはヴァロワ朝交代とはみなされていない。なぜか?ヴァロワ朝第三代王シャルル五世が王位継承について明文化したためであろう。

ヴァロワ朝は、この王位継承に関してイギリスともめたことから始まる。イギリス王エドワード三世は、カペー朝の女系を挟んだ直系の孫であることから、フランス王位を主張したのだ。ここに英仏百年戦争が始まる。百年戦争の末期にはジャンヌ・ダルクの登場、そしてルネサンスの時代へ。同時期の大航海時代に現在のカナダへ進出、宗教改革が起こると新教徒とのユグノー戦争と主要な出来事がてんこ盛りの王朝。カペー朝では有力な豪族の一つであったフランス王が、フランス王国の王たる地位を確固たるものにしていく時代なのだ。

歴代の王の紹介が駆け足で進むため、歴史ドラマを追うよりかは、こういう出来事がありましたという感じ。ところどころ地図は挿入してくれるのだけれども、いかんせん少ないので、フランスに疎い自分には大量のフランスの地名を押さえるのに苦労。人名も相当大変。

十五世紀の末にはシャルル八世が子なくして隠れ、王位はオルレアン公ルイのものとなった。オルレアン公家の祖はシャルル五世の第二王子で、シャルル六世の弟のルイである。シャルル八世からすれば、三代前に本家から分かれた分家の当主が、オルレアン公ルイなのである。

前書きの一節だけれども、シャルルとルイだらけで、一読しただけでは誰が誰か抑えきれない。さて、実際にここに登場している人物は何人でしょう。

母のルイーズ・ドゥ・サヴォワにはアングーレーム伯領、アンジュー公領、メーヌ伯領、ボーフォール伯領を、姉のマルグリットにはベリー公領の年貢収入を、その夫で義兄のアランソン公シャルルにはアルマニャック伯の旧領とノルマンディ州総督職を、叔父のルネ・ドゥ・サヴォワにはプロヴァンス・セネシャル職を贈り、まずは肉親に手厚く報いた。次が即位前から仕えた側近たちの番で、ポワシィ卿アルトゥス・ドゥ・グーフィエを宮内大侍従に、その弟のボニヴェ卿ギョーム・ドゥ・グーフィエを提督に、ラ・パリス卿ジャック・ドゥ・シャバンヌを元帥に、ロートレック副伯オデ・ドゥ・フォワを同じく元帥とギュイエンヌ州における国王総代に、ブリオン卿フィリップ・ドゥ・シャボをボルドー市長兼守備隊長に、それぞれ抜擢してみせた。

それぞれの領地と役職と個人名を押さえるのは自分には無理。というかここで重要なのは個々の名ではない。これだけの関係者が一度に重用されたという点さえ理解すれば十分かと。

ヴァロワ朝のあとは、傍系の傍系であるブルボン伯が継ぐブルボン朝へと。絶対王政を極め、フランス大革命まで続く王朝。

歴史小説家で直木賞作家でもある著者の作品であるが、誤字、脱字が目立つ。ちゃんとチェックされなかったのだろうか?「汚名挽回」をプロがものした文章では初めて見たよ。直してあげなよ。

ヴァロワ朝 フランス王朝史2 (講談社現代新書) [ 佐藤 賢一 ]

こちらの記事もぜひ!!