計量カップを求める

 晩御飯も食べた後で、やった!!週末だ!と浮かれ気分。でも、なぜか勢い余って台所の掃除を始めてしまう。やるときはやるというわけで、水回りやコンロ近くを重曹とクエン酸できれいさっぱり掃除。ついでにキッチン用品も漬けおき洗い。気に入って使っていた貝印の計量カップも。底にスポンジが届きにくくて洗いにくい部分があって、そこを(底だけに)なんとかしようと思っていたのだ。そろそろいいかなと思って、取り出して水ですすぎ、ハンドル部分(グリップ)を持って振って水を切ろうとしたら、ハンドルを残して、カップ本体部分が吹っ飛んでいった。いや分解式のアタッチメントとかでは全然ないよ。グリップと接続していたプラスチック部分があっさり割れたのだ(手に残った感覚からすると外れたくらいの感じだったが)。しばし茫然。え、そんな風に壊れることあるの?刃物ではないけれども一応貝印だよ。気に入っていたのに。想定外の壊れ方(そこが壊れることあるの?)で急逝なされたので、Amazonでのカスタマー評価(同商品のカスタマー評価の投稿数が多かったため)をのぞいてみたら、自分と同じ壊れ方をしたという評価がちらほらと見受けられた。

Amazon.co.jp : 貝印 Cookfile 見やすい計量カップ 600ml DH-2343 : ホーム&キッチン

 この商品そのものはもう販売していなくて、今は新しいモデルが出ています。ちなみに、新モデルに関してはカスタマー評価が見当たらなかったので(なのでこの問題が改善されたのかどうかはラフには不明)、とりあえず楽天市場の新モデルへのリンクを以下に示しておきます。

【楽天市場】貝印 貝印 見やすい 計量カップ 600ml Kai House Select DH7325 | 価格比較 – 商品価格ナビ

 じゃぁ、この貝印の新モデルを買ったのかというと、買わなかった。買ったのはこっち。ちょっと高かったけれども(貝印さんのほぼ倍のお値段)、評価は高いみたいだし。

 ちなみに、上記商品リンクは楽天市場における最安値の店舗へのものではなく、この商品に対するレビュー数が一番多かったものへのリンクなので、購入を検討される方はご留意ください。

宅配便の受け取りとともに未来がうちの玄関にやってきた

 今日、宅配便の受け取りをしたんだけれども、配送会社が佐川急便さんだったんですね。受け取りの時にいそいそと印鑑持って玄関を開けたら、なんと配達のお兄さんが電子パッド(スマートフォン?)をこちらに示して、ここにサインしてくださいと。指でなぞると文字が書ける電子パッドで、そこに名前を書きましたよ。えぇ!!時代はこんなに進化しているんだ!!おもしろい!!いずれは迎えるだろうと考えていた未来が、今まさにうちの玄関に来ていたのだ。世の中のIT事情は知らぬ間にかくも日常に及んでいたんだなぁと、IT業界の片隅で仕事をしているはずのラフが驚いてしまったよ。

【佐川急便】宅配便業界初!スマートフォン…|ニュースリリース|佐川急便株式会社<SGホールディングスグループ>

 でもね、その一方で思ったこともあるのだ。印鑑であれば、ポンと1回押すだけ、時間もそうはかからない。それに対して、今回の電子パッドは特定の筆記具は要求されなかったし、指さえあればいいんだけれども(指でなくてもいいのかな?)、サインをするって行為が結構面倒くさいし、時間を取られる。しかも今日は初めてそういう対応を迫られたから、ドギマギしながら慣れない手つきでヨタヨタとヨレヨレの下手文字サインをしてしまった。

佐川急便のタッチパネルに指でサインは書きづらい~! – ミントグリーンの風に吹かれて
電子サイン – あなたはどう思う? – とくっち.com
ハッシュタグ #電子サイン

 日本の印鑑文化がIT社会推進の妨げになっているとかいう議論もあるけれども、宅配便の受け取りの時なんか、印鑑結構便利だよ。特にインクが染みこんでいるタイプの押すだけ印鑑、宅配便の受け取り時、超楽だよ。電子パッドに指サインだったら、シヤチハタ押印のほうがずっと楽じゃない?

トップページ|シヤチハタ
wikipediaの「シヤチハタ」の項

 もういっそのこと電子パッドに指をあてて指紋を電子的に記録するというのでサイン代わりにするってのどう?これなら楽だし時間的にも早くすまない?まぁ生体データを収集されることに抵抗のある人もいるかもしれないけれどもさ。

ちょっと残業したばっかりに

ちょっと残業があって、えい!!っと片付けて帰ろうとしたら、ちょうど先ごろ人身事故があったとかで地下鉄が止まっていた。帰るのが一気に面倒くさくなって、晩のS吹奏楽団の練習もさくっと欠席にした。

三井住友銀行アプリの振替機能ユーザインタフェースに不満

自分のメインバンクは「三井住友銀行」である。口座を開いた頃はまだ「さくら銀行」だったので、今使っているキャッシュカードも「さくら銀行」のもの。さて、時代はもっぱらスマホでネットバンキングですよね。ちなみにWEBのインターネットバンキングは「SMBCダイレクト」、スマホは「三井住友銀行アプリ」という名前らしい。

さて、三井住友銀行アプリ、ちょっと操作感に不満があるのだ。それは「振替」機能。え?振り込みは使うことあるけれども、振替って何?って人のほうが多いのかな。同じ銀行にある自分名義の複数の口座間の資金移動に使う機能ね。自分が使っているスマホ(iPhoneSE)の画面が小さめだから仕方がないのかもしれないんだけれども、UI(ユーザインタフェース)が微妙に使いづらいのだ。

振替で操作する手順の画面は基本的に2つ。まず最初の画面でどの口座からどの口座に資金を移動するのかを指定するんだけれども、この操作自体は出し入れの順番に口座をタップするだけなので問題はなし。ただ次の画面に行くために「振替金額入力画面へ」のボタンが、画面をスクロールして下に行かないと出てこないのだ。このボタンまでの間は何も表示されない真っ白の領域なんだよ。UIの設計において、できるだけスクロールせずに操作できるようにするって基本ではないのかい?

次の画面は移動する金額を指定する画面。この画面では、金額を入力するために入力欄をタップすると、スマホの画面の下側から数字を入力するテンキーボードがうにょって出てくるんだけれども、これが金額入力欄にかぶってしまって自分が入力している金額が見えないのだ。一応テンキーボードの「完了」ボタンを押すとキーボードが隠れて入力した数字が見えて確認できるんだけれども、入力しているところが見られないというのはなんとも心もとないというか不安なもんだよ。お金のことだけになおさらね。1万円と指定するつもりが100万円とか入力していたらどうしようとか(ないだろうけど)。ま、金額を入力し終えたあとに「振替内容確認」へのボタンもキーボードで隠れているから、結局はキーボードを閉じざるを得ないので、その時に金額の確認は絶対できるんだけれどもね。

ちなみにWEB版のSMBCダイレクトの振替画面は、口座の指定と金額の入力、そして振替実行ボタンはスクロールなしの1画面で済む。広めの画面のPC版でしか使ったことがないのでUIに不満は持ったことは今のところない(スマホのWEBで見た場合はどうなのだろうか?)。

まとめておこう。スマホの三井住友銀行アプリの振替機能のUIに関して不満があるのは次の2点だ。

  • 資金移動口座を指定した後の次の画面へのボタンが画面をスクロールしないと出てこない。
  • 移動金額を入力するとき、キーボードで金額入力欄が隠れてしまっている。

実際にどんな感じなのかスクリーンショットも貼っておこうとしたんだけれども、そうするとすこぶるクレーマーっぽくなったので止めました。このことに不満を持っている人はいないのかなぁとネットを軽く検索してみたんだけれども、めぼしい記事は出てこなかった。ラフが画面の小さめのスマホを今でも使っているからなのと、そもそも振替機能を使う人が少ないから、あまり表立って問題になっていないのかな。

ブログでは無意味ですが、とりあえずtwitterへのハッシュタグ付けときます。三井住友銀行の関係者様、ちょっと改善を検討してもらえると助かります。機能的にはなんとか使えていて単にUIの使い勝手だけの問題なので喫緊ではないんですけれども。よしなに取り計らっていただければ幸いでございます。

#三井住友銀行アプリ #使いづらい

the summer solstice

 今日は夏至。北半球では一年で一番太陽が高いところを通る日(昼が長くなる)。昼間が長いと性欲が強くなるという説があり、夏至の日は北半球で人間の性欲が一番強くなる日になるのか。そうすると十月十日たった3月あたりの誕生日の人が多くなるはずなのだけれども、寡聞にして存じません。まぁ俗説でしょうね。

出産数(出生数)が多い月と少ない月は何月か・月別の出生率

 さて夏だ。「夏は来(き)ぬ」というよく知られた唱歌がある(といっても若い人たちは知らないかも)。歌の冒頭に「卯の花」とあるように卯月(陰暦の四月、現在の五月ころ)の歌だが、陰暦だと四月五月六月が夏なので、陰暦四月に「夏が来たよ!」ってよろこびを歌っている。夏至だと夏の盛りだから、今日この歌を取り上げるのはちょっと遅いか。

wikipediaの「夏は来ぬ」の項

 「夏が来たよ!」っていう歌なんだけれども、歌詞が(文語調)なので最後の「ぬ」を否定の意味にとってしまい「夏が来ない」と勘違いしてしまう人もいるだろう。上記wikipediaでも解説されているように、「来(き)ぬ」の部分を品詞分解(高校古典でやったよね)すると、カ行変格活用動詞「来(く)」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」の終止形なので現代語だと意味が「来た」なのだ。

 ちなみにプラスアルファとして押さえておくならば、カ行変格活用動詞は「来(く)」の一語のみ(現代口語だと「来る」)。「来(く)」が連用形になっているのは、続く助動詞「ぬ」が連用形接続助動詞であるからで、また「夏は」の「は」は終止形を取る係助詞なので、最後の助動詞「ぬ」は終止形である。

 「来ぬ」を「来ない」という意味だと勘違いしてしまった人は、否定の助動詞「ず」の連体形の「ぬ」だと思ったからだろう。完了の助動詞「ぬ」の終止形と打消の助動詞「ず」の連体形はどちらも「ぬ」だがこの識別は試験(大学入試を含む)の定番。

 じゃ発展としてここからは試験には出ない古語作文。まず間違えてしまった人向けに打消の助動詞「ず」を使った「夏」が来るか来ないか問題は文語ではどうなるか。否定の助動詞「ず」は未然形接続助動詞なのでカ行変格活用動詞「来」の読みは「こ」になる。否定の助動詞「ず」が「ぬ」になるのは連体形なので、これで終わるならば係り結びの法則で連体形終止をとる係助詞があるはず。連体形終止をとる係助詞は強調の「ぞ」「なむ」に、疑問・反語の「や」「か」。

「夏来(こ)ぬ」((まさに)夏が来ない!)
「夏なむ来(こ)ぬ」((まさに)夏が来ない!)
「夏来(こ)ぬ」(夏は来ないのか?(いや来る))
「夏来(こ)ぬ」(夏は来ないのか?(いや来る))
(疑問なのか反語なのかは前後の文脈による)

であろうか。

 ちなみに、元に戻って完了の助動詞「ぬ」を係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」と使うなら助動詞「ぬ」の連体形は「ぬる」。

「夏来(き)ぬる」((まさに)夏が来た!)
「夏なむ来(き)ぬる」((まさに)夏が来た!)
「夏来(き)ぬる」(夏は来ただろうか?(いや来ていない))
「夏来(き)ぬる」(夏は来ただろうか?(いや来ていない))
(疑問なのか反語なのかは前後の文脈による)

 もっともそういう風に文法で決まっているからこういう解釈や意味だとするのは現代人のための手立てであって、本来的には「夏は来ぬ」で昔の人は文法なんて関係なく十分に意味が取れていたのだ。そういういろんな言い回しを系統だててまとめてみた後付けの体系が文法。

 参考までに強調の係助詞「こそ」を使う場合は已然形で結ぶので、完了の「ぬ」、打消の「ず」は次のようになる。

「夏こそ来(き)ぬれ」((まさに)夏が来た!)
「夏こそ来(こ)ね」((まさに)夏が来ない!)

本文中で「古文」「古典」「文語」、「現代文」「口語」という言葉を結構適当に使っているので、気が向いたら後で整理しよう。また文語作文の正確性は未検証。


「夏は来ぬ」をネットで機械英訳させてみた。

Google 翻訳

Summer will not come

「来ないよ」って未来の否定になっている。

Weblio 翻訳

I do not come in the summer

主語が自分になってる。「私は夏には来ない(行かない)」って感じか。

文脈なしの文語調日本語なので正確に訳せるとは思わないけれども、どちらにせよAI的にはやっぱり「来(こ)ぬ」と読んで、意味は「来(こ)ない」なんだなぁ。

「夏が来た」にして英訳させると

  • Summer came.
  • The summer is in.
  • Summer has come.

このあたり。唱歌のタイトルとしての「夏は来ぬ」だと3番目あたりがいいかな。

フォント大き目

最近スマホのTwitterアプリの文字が小さくて読みづらいなぁと思っていたんだけれども、アプリの設定でフォントサイズを大きくしてみた。スクロールせずに一画面に入る情報量は減ったけれども、ずっと快適に読めるようになったのだ(ひょっとしてこれは老眼とかいうやつか?)。ほんのちょっとした変更だったんだけれども、すっかりライフをハックした気になって調子づいている。

降り早まる

 今朝の通勤時に電車を降り早まってしまった。なんかボーっとしていて、職場の最寄り駅の1駅手前で思わず降りてしまったのだ。ホームに降りてしまってから「おや?」とか思う始末。そもそも、この駅と目的の駅とでは車両のドアが開くのは反対なのになぜ気が付かなかったのだろう。俺ってばうっかりさん。

明け方にベッドの上でぼくは凍死したくないと思いたかった

 6月になったことだし、睡眠時の掛布団を夏用の薄いものに変えたんだけれども、いかんせん最近ちょっと肌寒い日々。明け方あまりにも寒くてこのまま凍死するんじゃないかと思いながら、でも更なる上掛けか布団は天袋にあるから出すのは面倒くさいなぁとそのまま強引に寝続ける。いや、凍死するんじゃないかと命の危機を覚えて、しかも何をすべきかわかっているのであれば、行動しろよ。ラフは、あぁこのまま死んでいくのかなぁと思ったら、死にゆくのにまかせてしまうタイプかもしれない。「死んじゃう」なんていうと、また彼氏に怒られるけど。

夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった[谷川俊太郎]

会社が斡旋している生命保険における同性パートナーの扱い

 ラフの職場では明確な同性パートナーに関する定め(あるいは提言や今後の方針とかも含めて)はない。とはいえ流行りの○○ハラの防止に関してはCSRを明確に宣言している。

 さて、会社が斡旋している生命保険がある。今年から、その案内に同性パートナーに関する事項が追記されていた。保険に本人に加えて配偶者も加入ができるんだけれども、この配偶者には「生計を一に」していれば同性パートナーが認められるとのこと。さらに保険金の受取人にも同性のパートナーを指定することもできる。もちろん別途関係を証明する書類が必要となるようだが(何の書類を指しているのだろう?)。

 時代は変わっていくね。うちは割とホワイト企業だよ(制度的にはね)。

平成生まれというだけで若いと思ってしまう昭和世代幻想

 演奏会後の打ち上げにおいて、さる団員が別の団員に「え?平成生まれなの?若~い!!」なんて言葉を発していたんだけれども、ちょっと待って!!平成だって30年はあったんだから、元年生まれだとしたらもう30なわけで小学生くらいの子供がいる人もたくさんいるんだよ。平成っていうだけで若いなんて思うのは幻想だよ、それこそ昭和の発想だよ、とつっこんでおいた。(とはいえS吹奏楽団のメンバーが概して高年齢に偏っているという事実はあるのだが)

 一時期若い世代がアプリのプロフィールにH〇組とか(〇には数字が入る。概して一桁。平成何年生まれとかいうことらしい)いう表現を使っているのをよく見かけたけれども、そのうち気が付けば「R〇組」とかいう世代が出てくるんだろうね。いや、そのころにはもっと違う表現が生まれているのかな。そういえば、平成18年に「今年はとうとう平成生まれがゲイシーンにデビューする」っていう震撼表現もあったなぁ。