雑煮の表現

 正月に実家に帰ったので、久々に雑煮を食べたよ。さて、実家は関西圏、おかんは関西人(ほぼ大阪人)、しかし実家の雑煮は関西風ではない。すまし汁に鶏肉の関東風である。これは、料理(をはじめとする家事の作法)というものが女系に引き継がれてくることが多かったということの表れの一つと判断できる。うちの実家の雑煮が関西風ではなく関東風なのは、母方の祖母が新潟の出によるものと考えられる。人のうちで雑煮をいただくという経験もしたことがないので、ラフは関西風の味噌の雑煮というものをこれまで口にしたことがない関西人なのである(一度食べてみたい)。

実家のお雑煮は隣の地域となぜ違う?ダシ、餅の形、具材…違いがわかる日本全国お雑煮文化論 (1/2)

さて、上記記事の序段(イントロ)にある「1年に数日しか食べない料理にもかかわらず、地域ごとの違いが色濃く残っているお雑煮」っていう表現がラフには激しく引っかかった。自分としては「1年に数日しか食べない料理ゆえに、地域ごとの違いが色濃く残っているお雑煮」の間違いじゃないの?って思ったからである(実際記事中でもそういう風に言っているようにラフは読んだのだが)。「地域ごとの違いが色濃く残っている」のは「1年に数日しか食べない」からでは?と。日常的に食べるものであれば、変化も早いだろうと思われるのだから。この論の展開はなんだ?筆者はなぜ「かかわらず」という語を選択したのか?

つまりこのイントロを書いた人は、「1年に数日しか食べない料理」というのは「雑煮」を形容する語として使っているだけで、続く「地域ごとの違いが色濃く残っている」というもう一つの雑煮の特徴とは関係がないのである。単に、雑煮を形容するための2つの独立した言い回しでしかないのである。だったら「かかわらず」という語は不適切で、「であり、また」というように並列に結ぶ方が適切ではないのか?

正月早々、たかが雑煮紹介の記事の些細な言い回しに突っかかるのは無粋だと言われればそうなのかもしれないが……。

仕事帰りに初詣によってこようと思ったのに、すっかり忘れていた。

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