いろいろと出会い系を活用するこの頃ではあるのだが、はっきり言っておこう。
既婚者に見えるのか?
近頃若い子(20代)と何人か会ったのだけれども、ほぼ「既婚者ですか?子供とかいそうですね」って言われた。そりゃ俺は「短髪」「ひげ」「がっちり」というアイコンは持っていないけれども、一応セミオープンリーなゲイなので、結婚なんてしたことないし、しようと思ったこともないし、両親にもカミングアウト済みなんだよ。
冷蔵庫の余り物でちゃちゃっとできますレシピ
といううたい文句のレシピが多いのだが、みんなのところの冷蔵庫には本当にそんなものがあまりものとして残っているのか?というものが材料に入っていたりする。何それ?うちはこういうものが余り物なんですよ自慢なのか?肉が余るか?野菜が余るか?うちの冷蔵庫なんて調味料とビールしか入ってないぞ!!
あと前の晩の残りカレーがあれば系レシピ。いや、残らないから。食べきるから。
この手の余り物、残り物活かし系レシピは信用ならない。
組合員
自分がゲイであることを婉曲に表現する(ノンケには伝わらないようにする?)言葉として「組合員」というものがある。自分はこの表現がなんだか気持ち悪くて使えない。だって組み合った覚えないもん。何か共通の枠にはめられてるなんて思いたくないし、カテゴライズされるっていうのかなぁ。意味は分かるけれども、自分ではあえて使わない表現の一つ。
コクゾウムシ
久々に玄米を炊こうと思って米びつを開けたらコクゾウムシがわいていた。
書くということに対するインターフェース
ブログを書くということに対するエネルギーが保てない。まぁいいやって放置してしまうのだなぁ。どうやってモチベーションを維持すればいい?
入力フォーム(インターフェース)がそもそも美しくないのも原因だと思っているんだけれども(利用させてもらっているのにすみません)。例えば親しい人に(手書きの)手紙を書くとき、お気に入りの便せん使わない?お気に入りの筆記具を使わない?デジタルなブログでは結果として各種テンプレートで最終出力はある程度自分のお気に入りの形にすることはできるよ。でもさぁ、入力するインターフェース(今現に入力している画面)が書いてみようという気を強く喚起するものであって欲しいと自分は思うんだよね。
シン・ゴジラ
やたらと評判のいいシン・ゴジラ見てきた。単なる怪獣映画ではなかったよ。これは東日本大震災を踏まえた危機管理映画だね。でもって、復興への希望は人間への信頼と可能性によるものだというメッセージと受け止めた。失笑するシーンも多かったが、現在の邦画の表現に対する一種の挑戦ともとらえられるわけで、その分見る価値は大いにありかと。エヴァンゲリオン的な効果が結構活きていたよ。
音楽は聞きません
楽器やってると、音楽好きだと思われるようで、「どんな音楽を聴いてますか?」とよく聞かれる。自分はあまり聞きません。無音(生活音のみ)のことが多いです。音楽は人生を豊かにしてくれるものではありますが、生きるのに必須のものではありません。そのくらいの割り切りがないと音楽なんて真剣に向き合ってやってられないというのが自分の考えなんだけれども。
中村紘子訃報
ピアニストの中村紘子氏の訃報。ピアニストとして日本人でも世界に通用するんだってことを示したパイオニアですよね。これは彼女の一番の功績だと思うんです。
S吹奏楽団リハ
リハ=リハーサル=練習です。別にゲネプロとかいうわけではないです。
本日もまだ初見大会。久々にテナー記号。しかもヘ音記号と入り乱れていて、今どっちの記号!!!と見失うことしばしば。ヘ音記号でも問題ない音域なのになんでわざわざテナー記号使ってるんだ?