
生存報告会 〜 ツナ缶と納豆のパルミジャーノパスタ

紙の本は、電子書籍に駆逐されてしまうのか?書物の歴史が直面している大きな転機について、博覧強記の老練愛書家が縦横無尽に語り合う。
本は死なない/耐久メディアほどはかないものはない/鶏が道を横切らなくなるのには一世紀かかった/ワーテルローの戦いの参戦者全員の名前を列挙すること/落選者たちの復活戦/今日出版される本はいずれもポスト・インキュナビュラである/是が非でも私たちのもとに届くことを望んだ書物たち/過去についての我々の知識は、馬鹿や間抜けや敵が書いたものに由来している/何によっても止められない自己顕示/珍説愚説礼讃/インターネット、あるいは「記憶抹殺刑」の不可能性/炎による検閲/我々が読まなかったすべての本/祭壇上のミサ典書、「地獄」にかくまわれた非公開本/死んだあと蔵書をどうするか
ヨーロッパを代表する二人の知の巨匠(ともに故人)による「紙の本」をテーマとした座談会。本というものに関して次々と二人の知識が開陳される。その博覧強記ぶりがすごい。知の巨匠であっても自分の本棚に入れてある本というのはすべて読んでいるわけではなく、読まなければいけないものでもなく、「読んでもいいかな」という本の集合でいいという話題には救われる。
阿呆というのは、間違えるだけでは飽き足らないんですね。間違った考えを強く声高に肯定し、主張し、みんなに聞いてもらいたがります。阿呆な連中の騒々しさといったら驚くほどです。「今では確かな筋からの情報により次のようなことがわかっています……」と言ったあとに続くのは、とんでもないデタラメなんです。
「珍説愚説礼賛」より
地球人の大半は、書店や図書館とは縁のない生活をしています。そういう人々にとっては、書物は無意味な代物です。
「祭壇上のミサ典書、「地獄」にかくまわれた非公開本」より
■ もうすぐ絶滅するという紙の書物について[ウンベルト・エーコ/ジャン・クロード・カリエール]
■ もうすぐ絶滅するという紙の書物について[ウンベルト・エーコ/ジャン=クロード・カリエール/工藤妙子]【電子書籍】
ハンガリーの病院で左手の移植手術を受けたアサト。だが麻酔から覚めると、見知らぬ他人の手が移植されていた。
上のあらすじは公式のものみたいだけれども、ちょっと違う。ハンガリーの病院に勤める日本人医療技師のアサトは、腫瘍により左手の切断手術を受ける。左手を失ってからそれが誤診だとわかり、慰謝料はもらったものの医療技師から望まぬ医療事務へと担当が変わる。激しい幻肢痛に苛まれるアサトではあるが、左手を失って6年の後、白人の左手を自身の左手として移植手術を受けることとなる。しかし思い通りに動かない他人の左手にまた翻弄される。
メインの話はこうなのだが、ここにウクライナ人の奥さんの話と、ハンガリー、ウクライナ、ロシアの国際情勢をからめて話が進む。一度は失ったものの移植された他人の左手によってアサトが経験する物語と、祖国と戦争にまつわる喪失と受容の物語がリンクする。失うということはどういうことか、その苦しみと受容について、記憶の混乱や立場の違いや思惑の交叉を通して語られる。
唯一無二の主人公、再び。…と思いきや、まさかの事件が勃発!?我が道を突き進む成瀬あかりは、今日も今日とて知らぬ間に、多くの人に影響を与えていた。「ゼゼカラ」ファンの小学生、成瀬の受験を見守る父、近所のクレーマー(をやめたい)主婦、観光大使になるべくして生まれた女子大生…個性豊かな面々が新たな成瀬あかり史に名を刻む。そんな中、幼馴染の島崎が故郷に帰ると、成瀬が書置きを残して失踪しており…!?
ときめきっ子タイム/成瀬慶彦の憂鬱/やめたいクレーマー/コンビーフはうまい/探さないでください
前作2024年本屋大賞受賞作「成瀬は天下を取りにいく」の感想はこちら。
前作は成瀬が中学生~高校生の頃の話、今作はそれに続く高校生~大学生の話。成瀬は中心人物ではあるけれども、各短編の主人公は別にいて、それぞれの主人公が成瀬によってどう振り回されて影響を受けて成長していくかの物語。成瀬は一貫して頭はいいのだけれどもエキセントリック。そうはいっても、今作では変人成瀬にも思うところはあって、それなりに心動かされているという描写がちらほら見受けられる。お気楽に読める痛快青春コミカル小説。今作もローカルネタが熱すぎる。「膳所から世界へ」