読了:三体[劉 慈欣/大森 望]

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体“科学フロンティア”への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?本書に始まる“三体”三部作は、本国版が合計2100万部、英訳版が100万部以上の売上を記録。翻訳書として、またアジア圏の作品として初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた、現代中国最大のヒット作。

今巷で話題の中国発SF大作。中国のSFかぁ、どことなく前時代的な硬派のSFなんだろうなぁという先入観を持って読みはじめたのだが、全然違っていてすこぶる現代的なエンターテイメント性にあふれたジェットコースター小説で、やたらめったら面白かった。なるほどヒットするのもうなずける。

※ネタバレしないようにという配慮はしないので、以下を読む方はお気を付けください。

物理学の世界に「三体問題(three-body problem)」というものがある。1つあるいは2つの物体の関係は運動方程式で明らかにすることができるが(ニュートンによる)、3つの物体の運動を数学的に解くことはできない。もし太陽が3つある星に文明があればどうなるか(3つの太陽の動きは計算ではわからない)というのが著者の発想のスタート地点だったそうだ。

三体問題(さんたいもんだい)とは – コトバンク

前半は主人公の一人葉文潔の半生や、著名な理論物理学者の相次ぐ自殺や、正体不明の団体や集団、もう一人の主人公汪森にふりかかった不思議な現象(「ゴースト・カウントダウン」のくだりは「リング」っぽくてむしろオカルトだ)、謎のVRゲーム「三体」の世界観などが描かれる。後半では、これらが何なのか、どう関係しているのかが明らかになってくる。簡単に言うとこの作品は異星人地球侵略型のSFなんだけれども、作中では最後まで地球人は異星人とは直接対峙していない。それどころかこの宇宙からの侵略者が地球にやってくるのは、なんと450年後なのだ(本作は三部作の第1部)。光速は有限で宇宙は広いんだけれども、なんだこのリアル設定は。

技術跳躍が生じる可能性が最も高い分野は以下のとおり。
(一)物理学:【略】
(二)生物学:【略】
(三)コンピュータ科学:【略】
(四)地球外知的生命体の探査(SETI):

これらの科学知見がコアになったSF作品であるが、物理学と地球外知的生命体探索はもちろん重要。生物学に関しては環境生態学に関する話題が出てくる(今のところ遺伝子とか生殖とかは表立って出てきていない)。コンピュータ科学に関してはVRゲーム「三体」の中の一シーン(秦の始皇帝)や、三体人(異星人)の科学技術描写でAIが出てくる。とにかく科学のテクニカルタームがわんさか出てくるけれども、知っていれば「なるほどね」とニヤっとできるが、知らなくてもまぁ問題なく読み進められるだろう(知っていなければ筋が追えないということはない)。主人公の一人葉文潔を天体物理学の基礎科学(理論)研究者とし、もう一人の主人公汪森をナノテク素材の応用科学研究者としているところがおもしろい。

エンターテイメントとしては一級だが、作品としては穴が目立つ。捨てキャラ(ほぼ一度限りの登場で物語の本質に影響を与えるほどの役目は担っていない人物)の扱いが笑っちゃうほど適当。なぜか退場後に死までの後日譚まで丁寧に述べられる人物がいる一方で、大事そうに登場したのにその後一切放ったらかしの人物(汪森の家族とか)がいたりする(だったら汪森は独身でも良くね?)。著名な物理学者の相次ぐ自殺の原因も、「え?そんなことで命を絶ったの?科学者だったらむしろそのことを追求しようとしないか?」となぜの嵐。またラスト近くに出てくる三体人が、どうしようもなく地球人似の発想と感情(見た目ではなく)に支配されているのも変。三体人がなぜ地球人とほぼ同じ道徳的価値観を持つのか(科学技術では三体人の方がはるかに進んでいるが)説得力ある説明が欲しい。というか、回収した三体人からのメッセージの存在整合性は物語的に破綻していないか?(ラフにはどういうことなのかよくわからなかった)

ん~~、結局はケチをつけているみたいな書き方になってしまったなぁ。いや娯楽小説としては抜群におもしろいよ。著者の発想のすごさに舌を巻く。ぜひ読んでみて。

三体[劉 慈欣/大森 望]
三体[劉 慈欣]【電子書籍】

原語(もちろん中国語)でチャレンジしてみたいという方はこちらをどうぞ。三部作すべて刊行済み。

近現代の中国を舞台にした作品には頻繁に登場するものの、ラフにとっては今一つ正体がわかっていない出来事が「文化大革命」だなぁ。だから見るたびに、どう位置付けて評価するものなのか悩む。
wikipediaの「文化大革命」の項
「ラストエンペラー」の最後にも出てきたよね。個人的に深く印象に残っているのは「レッド・ヴァイオリン」の上海のシーン。
wikipediaの「Category:文化大革命を題材とした作品」の項

読了:『罪と罰』を読まない(文春文庫)[岸本 佐知子/三浦 しをん]

ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだことのない4人が試みた、前代未聞の「読まずに読む」読書会!前半では小説の断片から内容をあれこれ推理し、後半は感想と推しキャラを語り合う。ラスコ(-リニコフ)、スベ(スヴィドリガイロフ)、カテリーナ…溢れるドスト愛。「読む」愉しさが詰まった一冊。解説マンガ・矢部太郎。

 Classic : A book which people praise and don’t read.
 「古典とは、人々が賞賛するが、読みはしない本のことだ」(マーク・トウェイン)

 というわけで、ドストエフスキーの「罪と罰」。もちろん世界的に有名な文学作品で、あらすじは何となく知っているけれども、実は読んだことがないんだよねという作家4人の座談会。

 前半は、自分たちが知っている知識を総動員して、ちゃんと読んだことがないけれども「罪と罰」はこんな話なのではないかとあれこれ推測する。後半は「罪と罰」を実際に読んでから後日再度集まって、感想や意見を交わす。「罪と罰」未読の読者のために、前半と後半の間に「罪と罰」の登場人物紹介(ロシア人の名前覚えられない……)とあらすじが載っているので安心。

 ラフもまだ「罪と罰」は読んだことがない。主人公の青年が老婆を殺害する話だということは知っているが、それ以外には何も知らないということでは、座談会メンバーとほぼ同じ状態。

 知らない話を自由奔放に想像することっておもしろいんだけれども、前半で最初に与えられる情報は、最初の1ページと最後の1ページを英語版から日本語にメンバーの一人岸本氏が訳したもの。当然ドストエフスキーはロシア語で書いているのだが、ロシア語専門家はいないので、英語翻訳を生業としている岸本氏が英語版から訳出。しかし原作を知らないでごく一部を訳すので正しく意図が伝えられているかは不明。この状態で長い長い中間部を自由気ままに想像する(とはいえ彼らは作家なので作品とするならこうだろうという意見はある)。おそらく、この本「罪と罰を読まない」の面白さはこの前半にあるんだと思うんだけれども、ラフには今一つだった。座談会を進めるにあたり、あまりにも突拍子のないことにならないようにだろうが、「罪と罰」の一部分(1ページ程度)をモデレータ(進行役:この人は読破しているそうだ)がところどころ朗読して情報を小出しにし、途中では登場人物紹介が配られたり、本物の「罪と罰」に寄せることが正解みたいな推理ものになってしまっている。「だったら最初から素直に読めばいいじゃん」と思ってしまった。

 でもまぁ、後半の「読んでみたら、私たちが想像したよりずっと面白かった」という結論が生きるのは、この前半があるからなんだよね。

三浦 小説として変ですよね。でも、そこがやっぱり面白い。そして、恐れていたほど重厚ではなかった。
浩美 うん、意外にね。
三浦 エンタメでしたね。
篤弘 これから読みたいと思っている、とりわけ若い人たちにお薦めしますか?
三浦 私はお薦めしますね。わりとぐんぐん読めて、登場人物もみんな変で面白いよ、って。

 立ちはだかる長編古典文芸大作だけに、興味はあっても手を出せずにいたんだけれども、だったら読んでみようかなという気にはなった。座談会でも指摘されているように「罪と罰」の問題は「長いだけ」のようだし。

『罪と罰』を読まない(文春文庫)[岸本 佐知子/三浦 しをん]
『罪と罰』を読まない[岸本佐知子/三浦しをん/吉田篤弘]【電子書籍】

読了:ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)[三井誠]

子どものころから科学が好きだった著者は、新聞社の科学記者として科学を伝える仕事をしてきた。そして二〇一五年、科学の新たな地平を切り開いてきたアメリカで、特派員として心躍る科学取材を始めた。米航空宇宙局(NASA)の宇宙開発など、科学技術の最先端に触れることはできたものの、そこで実感したのは、意外なほどに広がる「科学への不信」だった。「人は科学的に考えることがもともと苦手なのではないか」-。全米各地に取材に出かけ、人々の声に耳を傾けていくと、地球温暖化への根強い疑問や信仰に基づく進化論への反発の声があちこちで聞かれた。その背景に何があるのか。先進各国に共通する「科学と社会を巡る不協和音」という課題を描く。

トランプ大統領の誕生によって生まれた「もう一つの事実(alternative facts)」という意味不明な言い回しにより、事実や科学的見解が退けられることが顕著になったアメリカ。本作品で中心的に取り上げている話題は2つ。地球温暖化問題と創造論。科学的とはいい難い発想について、かつては「正しい知識がないから、科学的に振る舞えない」といった考え方が主流だったが、現在はそればかりとは限らないとされる。知識の有無に関係なくむしろ所属する(共感する)集団の考え方を受け入れやすいのだ。ヒトは直感的にわかりやすい経験に基づくものの見方に馴染むが、常に合理的な考え方をする(受け入れる)わけではないということなのだ。各種調査報告や、創造論を信じる人々や科学が衰退することに危機感を抱く人々へのインタビューを交えてアメリカの現状を描く。

「創造論を信じるのは個人の自由だが、学校の理科教育は科学を教えるのが目的だ。(略)理科の授業で創造論を教えるべきではない。」

創造論を信じる人たちは別に狂信者というわけではなく、ごくごく普通な感じの人たちだということがわかる。またトランプ大統領を支持する人たちも、熱狂的支持者というわけではなく、それぞれの生活基盤の状況から支持した普通の人たちだということがわかる。無知蒙昧な民でもないし、狂信的熱狂者というわけでもないのだ。これが伝わってくるインタビューにこそこの本の価値があるのかも。

科学に対して現在のアメリカの市井の人が何を考えどう対処しているのかという状況を知る入門用としては分かりやすいが、とはいえ、特に新しい話が出てくるわけではないし浅い。ジャーナリストとして各方面でインタビューを真摯に行っている点は素晴らしいと思うけれども、新書というわかりやすさと量の制限からか一言コメント並みの紹介しかできていないのは残念。

ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)[三井誠]
ルポ 人は科学が苦手〜アメリカ「科学不信」の現場から〜(ルポ 人は科学が苦手~アメリカ「科学不信」の現場から~)[三井誠]【電子書籍】

読了:ブルボン朝 フランス王朝史3(講談社現代新書)[佐藤 賢一]

3つの王朝中、最も華やかな時代を描く。長い宗教戦争の時代を克服し、ヨーロッパ最強国、そしてヨーロッパ最高の文明国となったブルボン朝フランス王国。個性豊かな王たちー稀代の策士にして稀代の艶福家、王朝の創設者アンリ4世。「正義王」ルイ13世、「踊る太陽王」ルイ14世。「最愛王」ルイ15世。革命により断頭台の露と消えたルイ16世。マントノン夫人、ポンパドール夫人など宮廷を華やかに彩った寵姫たちと、リシュリュー、マザラン、フーケ、コルベールなど政治を司った宰相、大臣たち。そしてヴェルサイユ宮を造ったル・ノートルを始めとする芸術家。さらには、大革命とナポレオンの時代を経て復活したルイ18世、シャルル10世の復古王政から、オルレアン家による7月王政とその終焉まで。「ブルボンの血」による王権の始まりから終わりまで、すべてを描ききった超力作。

カペー朝、ヴァロワ朝と続いてきたカペーの一族の物語も、佳境のブルボン朝に。これまでの感想文は以下。

読了:カペー朝ーフランス王朝史1 (講談社現代新書) [ 佐藤 賢一 ]

読了:ヴァロワ朝 フランス王朝史2 (講談社現代新書) [ 佐藤 賢一 ]

時代も近代に入ってきて肖像画や宮殿など今に残る資料が多くなってきて具体的にイメージしやすい。そりゃブルボン朝が一番面白いのは当然だよ。さてユグノー戦争とヴァロワの直系が途絶えるところが前作の最後だったわけだけれども、今度は同時期をブルボンの視点から再度描き直すところから始まる。あいかわらずフランス王家の人物名は、ルイ、アンリ、シャルルだらけ。

ナバラ王アンリはフランス王アンリに手紙の返事を書いた。

ここで「フランス王アンリ」がヴァロワ朝の最後の王アンリ三世。「ナバラ王アンリ」が後に即位するブルボン朝最初のフランス王アンリ四世。
とりわけブルボン朝はルイてんこ盛り(別名ルイ王朝)。即位すればルイX世と呼ばれるけれども、即位前はみんな王太子ルイ。

その一六四三年五月十四日は、王太子ルイが「フランス王にしてナバラ王」に即位した日でもある。フランス王としてはルイ十四世、ナバラ王としては「ルイス三世」を称したが、(以下略)

国際的関係は突出した強国が出現しないように各国が牽制しあう時代。フランスはヴェルサイユを中心とした文化大国へと変わっていく。ポンパドゥール夫人が登場した時には「待ってました!」と思ったよ。

たとえ王政の否定に通じるものであっても、それが優れた文化として光を放つなら、フランス王家は受け入れなければならなかった。

やがて大革命がはじまり、ルイ16世は断頭台に送られ、フランス王家は国を追われる。ナポレオンの失脚後に王政復古でルイ16世の弟二人が、ルイ18世、シャルル10世と即位し、その後傍系のルイ・フィリップが即位したもののこれらは短命に終わる。フランスが王国になることはその後二度となかった。(ちなみに現スペイン王家はブルボン朝の傍系)

今回もミス発見。1753年を1653年と100年間違っちゃっている箇所がある。仮にも歴史を扱っているんだから、世に出る前にちゃんとチェックされなかったのだろうか?

ブルボン朝 フランス王朝史3(講談社現代新書)[佐藤 賢一]
ブルボン朝 フランス王朝史3(フランス王朝史)[佐藤賢一]【電子書籍】

読了:6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む(ハーパーBOOKS 111)[ジャン=ポール・ディディエローラン/夏目 大]

パリ郊外の断裁工場で働くギレンは、大好きな本を“死”へと追いやる毎日にジレンマを抱えていた。生き延びたページを持ち帰っては翌朝の通勤電車で朗読して“往生”させるのが日課。心の拠り所は飼っている金魚だ。そんなある朝、ギレンはいつもの電車で、持ち主不明の日記を拾う。その日から彼の憂鬱な日々は少しずつ変わり始めー人生の悲哀と葛藤、希望を描いた、フランス発ベストセラー。

 本の裁断工場で働く主人公のギレンは本が大好きなおとなし目のまじめ青年(30代)。職場で裁断機(大量の本を裁断してパルプの原料となる液状にまでする機械)内に残った本の断片ページを拾っては、翌朝の通勤電車でそのページを朗読する(そして同乗する客はそれを楽しみにしている)という、現実に遭遇したらかなり変な人物とシチュエーションがしれっと描かれる。うわ、シュールなコメディはめちゃフランスものだよ(たとえば映画「アメリ」なんかを想像してもらえるとわかりやすいかと)。

 その青年をとりまく人々が描かれる前半。年配の元同僚は、事故で裁断機に両足を切断されてしまったが、その足を含む再生紙(事故のあった日に出た原料)から刷られた本(すべて同じタイトルの園芸本)を集めている。また朝の通勤電車で朗読するギレンに声をかけ、老人ホームでも同じような朗読会を依頼する老婦人。老人ホームの朗読会で私もやってみたいと言い出したかつて小学校教師だった堅物女性が読み始めたものが濃厚官能小説だったから慌てるギレンと色めき立つ老人たち。

 後半では、ある日ギレンはUSBメモリーを拾う。中にはある女性が書いたと思われる日記が70ファイル近く入っていた。それを読むと、どうやら彼女は大型ショッピングモールのトイレ掃除に従事しているらしい。ギレンは独特の個性が光る彼女にひかれていき……。

6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む(ハーパーBOOKS 111)[ジャン=ポール・ディディエローラン/夏目 大]
6時27分発の電車に乗って、僕は本を読む(ハーパーコリンズ・フィクション)[ジャン=ポール・ディディエローラン]【電子書籍】

読了:夢の本(河出文庫)[ホルヘ・ルイス・ボルヘス/堀内 研二]

神の訪れ、王の夢、魂と夢と現実、死の宣告…。『ギルガメシュ叙事詩』『聖書』『千夜一夜物語』『紅楼夢』から、ニーチェ、カフカなど、無限、鏡、虎、迷宮といったモチーフも楽しい113篇の夢のアンソロジー。

ボルヘスはいくつかアンソロジーも編んでいるんだけれども、そのうちの一つ。「夢」(寝ているときに見る方)にまつわるエピソードが取り上げられているのだけれども、ボルヘスの思想を色濃く反映した幻想的なセレクションが特色(編者がどういう意図をもってそれらを選んだかというものが垣間見れてこそアンソロジーを編む意味がある)。見た夢、夢の解釈、夢を使ったトリック、そもそも夢とは何かといった古今東西の様々な「夢」の話(まさに夢幻の世界)。ボルヘス自身の著述も何篇か登場するのだが、これがまた秀逸。

夢の本(河出文庫)[ホルヘ・ルイス・ボルヘス/堀内 研二]
夢の本(夢の本)[ホルヘ・ルイス・ボルヘス]【電子書籍】

wikipediaの「ホルヘ・ルイス・ボルヘス」の項

稀によく見る

あるIT技術者がブログに「稀によく見る」と書いていた。「まれなのかよくなのかどっちだよ」と思うかもしれないが、これは意図されて書かれている。この著者は「稀によく見る」という一見矛盾をはらんだ表現をわざわざ選択していることがわかるからだ。言いたいことはこうだ。

「(まぁしょっちゅうあっては困るから、見かけるにしても)稀に(見かける程度のことであって欲しいのに、なぜか)よく見る(。まったく困ったもんだ)」

おそらくIT技術者ならだいたいの人がこうとらえるはずだ(最後の「困ったもんだ」まで含むところがポイント)。業界的には共感を呼ぶ「わかりみMAX」(<今どきの言葉を使ってみた)表現。

読了:ウンベルト・エーコの世界文明講義[ウンベルト・エーコ/和田 忠彦]

知の巨人が読み解く文明の謎。カラー図版130点以上!!!現代人は古代・中世・近代より進歩しているのか。見えないもの、聖なるもの、美と醜、絶対と相対、パラドックス、嘘、秘密、陰謀論…。ベストセラー『薔薇の名前』の著者最後の贈り物。

 小説「薔薇の名前」の作者ウンベルト・エーコが、10数年にわたって行った講演録。邦題は「世界文明」と題しているが、基本的にはいわゆる西洋の話題(2例ほど東洋の話も出てくるが、そのうちの一つは谷崎潤一郎)。

目次(扱っているテーマ)は次の通り

  • 巨人の肩に乗って
  • 美しさ
  • 醜さ
  • 絶対と相対
  • 炎は美しい
  • 見えないもの
  • パラドックスとアフォリズム
  • 間違いを言うこと、嘘をつくこと、偽造すること
  • 芸術における不完全のかたちについて
  • 秘密についてのいくらかの啓示
  • 陰謀
  • 聖なるものの表象

 小説家であると同時に記号論学者でもあるので、抽象的なテーマでもそこに具体的な事例を結び付けて、豊富な例とともに紹介してくれる。テーマは美学芸術文学哲学の歴史を踏まえたものだが、講義中に出てくる例は映画やエンターテイメント小説にまでおよび、飽きることがない。話に関連する絵画や彫刻の写真がふんだんに盛り込まれ(実際の講義ではスライドで映し出されたのだろうか?)、言葉だけではわかりにくい説明も可視化されて非常に興味深い。

 こういう知的で丁寧な論の運びに触れることができるととても安心する。

ウンベルト・エーコの世界文明講義[ウンベルト・エーコ/和田 忠彦]
ウンベルト・エーコの世界文明講義(ウンベルト・エーコの世界文明講義)[ウンベルト・エーコ/和田忠彦]【電子書籍】

参考
wikipediaの「薔薇の名前」の項

判断しかねない

今日はウェブ上で、あるライターが次のように書いているのを見た。

「A社の経営戦略がセーフなのかアウトなのかは私には判断しかねない。」

この文末を読んで「ん?どういうことだ?文意を取り損ねたか?」と感じなかった?文意からは「判断しかねる」(「判断できない」の意)と表記すべきところだと思うのだ。でも「判断しかねない」と書いてあるから「判断してしまう」という意味だよな、だとするとこれでは意味が不明になってしまう。著者はライターを名乗っていらっしゃるのでおそらくこういう初歩の間違いをなされることはないと信じたい、たまたま間違えただけと。メディアに載せる際に誰かチェックしてあげなかったのかなぁ。

「しかねる」の意味や使い方 Weblio辞書

読了:学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤 賢一]

西洋歴史小説の第一人者が西世界・東世界・イスラム世界による覇権志向で読み解く。アレクサンドロスから冷戦の終結まで、約2500年の歴史ストーリーを描き出す!

 「学校では教えてくれない~」シリーズの1冊。高校で習う世界史はあまりにも範囲が広すぎて覚えることばかり多くて結局よくわからなかったという人が対象。高校世界史をとりあえず履修したという前提がないと、たくさん出てくる出来事名が何なのかわからないと思う。丸腰や世界史入門だと思って手を付けてもまったくついていけないだろう。かといって、世界史を自分なりに整理して学習したものにとってはあまりにも物足りない(結局はかなり圧縮した世界史ダイジェスト。これで物足りない人はマクニールの「世界史」に挑戦してみると面白いと思う)。まとめに著者自身が書いているように、あくまでこれは著者の世界史観に基づいたまとめ方なので、これが決定的な世界史の理解・整理方法ではない。著者にとっての世界史とは「歴史の中に自らをどう位置づけるか」というとらえ方をしているので、現在からみたらあの出来事は結果的にこういうことだったという解釈の累積、つまりは現代における価値観(現代を生きる著者の解釈)で判断した結果論の羅列に感じてしまった。「学校では教えてくれない」というのも、実はこういう裏話もあるよ的なものではなく、学校ではこういう歴史の整理の仕方までは教えてくれなかったでしょ?ってところか。

 世界史の定義から説き起こすのだが、著者のとらえ方は世界史はワールド・ヒストリーである前にユニヴァーサル・ヒストリー(普遍史)であるとする。そして著者にとってユニヴァーサルを構成するものは、
・世界征服の意思
・それを治める帝国
・それを支える一神教
とのこと。世界を征服する、世界を統一する、一元的に支配することこそがユニヴァーサル・ヒストリーが目指しているものだ。

 世界征服の意思を最初に示したのがアレクサンドロス大王、そして世界帝国というものを創出したのが古代ローマ、そしてローマ帝国が末期に国教化した一神教であるキリスト教、ここにユニバーサルを構成するものがそろった。そしてローマ帝国は東西分裂し、すぐ後に発生して急拡大したイスラム教世界の登場。これらが東世界史、西世界史、イスラム世界史という三ユニヴァーサル・ヒストリーを構成しており、3つのヒストリーの総体が世界史ワールド・ヒストリーだとする。この3つのヒストリーがローカル・ユニヴァースからグローバル・ユニバースに展開していく様子を歴史の年表に従って現代まで追っていく(出来事・事件名の羅列が多くその個々の中身には深く触れない。個々の知識はあるものとして、この著作ではあくまで世界史の概略をとらえることが目的のため)。

 中国史が入っていないのは、中国は最初から広大な土地と人民を持つ恵まれた国であり、また周辺国を朝貢によって従わせはしたけれども自らが物理的に征服しようとする意志はそれほど強くなかった、そして一神教という支えはなく、著者にとってのユニヴァーサルではないためだ。中国が世界史に巻き込まれるのは、清朝末期になってからだ。

 著者のユニヴァーサル世界史観に合わせるためか、歴史の出来事の解釈が牽強付会に思えてしまうところがあり気になる。巷に流布する世界大戦の説明には「何者かの意図で無理に図式化したものにすぎないのでしょう。」という記述が見られるが、「お前もな」と突っ込まずにはいられなかった。

 この著作は、若者を対象にしているためか文体が語り口調で、親しみやすくはあるけれども、歴史を扱っている割には文章に厳密さがない(ひょっとしたら口述筆記をまとめたものなのではないのかとさえ思われる)。例えば「一三九四年に生まれたポルトガル王ジョアン一世の三番目の王子、いわゆる「エンリケ航海王子」ですね。」(<本当にこういう文体なのだ)という記述がある。さて、この文から判断して、1394年に生まれたのは、ジョアン一世なのか、エンリケ航海王子なのか。大航海時代の話題だから、考えてみればまぁ後者だろうという当然の予想はつくけれども、できるだけ誤解されることのないような初見で読んでも戸惑わずに理解できる記述をして欲しいと思うところが何カ所かある。特殊な効果を狙っているならともかく、でもこれは文学ではなく歴史を扱った啓蒙書なのだろうから、こういう書き方はふさわしくないとラフは考える。(著者自身は自分は歴史学者ではなく作家であるから歴史を扱うのは荷が勝ちすぎると言っているが)

学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤 賢一]
学校では教えてくれない世界史の授業[佐藤賢一]【電子書籍】

参考文献(もう一歩先を望む方向け)
世界史(上)(中公文庫)[ウィリアム・H.マクニール/増田義郎]
世界史(下)(中公文庫)[ウィリアム・H.マクニール/増田義郎]