おちおち仕事もしてられない

S吹奏楽団、平日に加えて週末のリハが入ってきて現在週2回の練習モード。トロンボーンカルテットを3rd, 4thの二本だけで演奏し(1st, 2ndがお休みだったので)みんなに伴奏してもらうという微妙な練習や、見逃してもらえることを期待していたハイCの出てくるフレーズで捕まって、実はユーフォがオクターブ下で吹いていることになんだか無性に腹が立ったり(単なる八つ当たり)。ま、週末の練習は長いのでいろいろ集中してやっていると練習後の疲れがどっと出てくるよ。

ライブラリアンのIさんは出席率が結構高いのだけれども、前回の練習のときにはなんだかすごく久しぶりに会った気がしたので、「なんだかお久しぶりですね」って話したら「たった2回練習休んだだけなんだよ。いつもいると思われているとこういう時損するみたいで、おちおち仕事もしてられないわ。」

和声法についての素人考えだけれども

和声法って、規則が規則を生んでがんじがらめになっているたいそう面倒くさい和音の並べたかのお約束事をまとめたもの。やってはいけないこと、いわゆる禁則がやたらと多いんだよね。まぁ、音楽の歴史の積み重ねの中で生み出されてきた経験則をまとめたものととらえることもできるよね。いわゆるベストプラクティス集。

でもさぁ、そんな規則を逐一覚えて、当たり障りのないものを作るよりも、学問上として見立てた知識にこだわらず、本来は自分の培ってきたセンスに頼るべきであって(和声法的におかしいものは学問ではなく自身の経験で知っているものであるのが理想)、自分が表現したいものが表現できるならば禁則なんて破っていいんじゃないかなぁ。ドビュッシーはそれをやったからあの独特な世界が生まれたわけだしね。

絶対音感って?

世間的に一般人が「絶対音感」って言葉を使うときに以下の2つのどちらの意味で使われているのか判定しなければならない。
・音程のある楽器で鳴っている楽音が何の音か分かる(聞き取り聴音ができる)
・自然の音にさえ何の楽音かがわかる
そもそも、音楽やっている人は「絶対音感」という言葉を使うことはマレな気がする。とりあえず自分は前者は何とかなるが、後者の意味では川のせせらぎとか、茶碗が割れる音とかを楽譜に書き出すことはできないなぁ。それを模した表現としては書いてみることはできるけれどもさ。だいたい、すべての自然現象も含めたあらゆる音が体系としての一つでしかない西洋音楽の音程にすべて還元されるのってきわめて狭い音楽観しか有していないようで不自然っていう気がするんだけれども、どうかな?

「絶対音感」のあるプロのバイオリン奏者がいました。所属していたオケのピッチがA=440Hzだったんだけれども、ある時別のオケに移籍してそしたらそこのピッチはA=440Hzじゃなかったと。それが気持ち悪くて楽器を弾くことができなくなり音楽をあきらめざるをえなくなった。なんて話を過去にどこかで読んだことがあるんだけれども、これって多分に今でいうところの都市伝説だよなぁ。

ヒトの歌声っていうのは、実は一音に聞こえるものだとしても、同時にいろんなピッチの音が鳴っているそうだ。それなのに、ヒトの脳はその中から特定の音程のみを取り出して認識しているらしい。その仕組みはまだ不明だそうだが、興味深い現象ではある。脳の働きって面白いよなって思う。

時間が一方方向にしか進まないのは

時間が一方向にしか進まない(時間の矢は過去から現在、未来にしか進まない)のは、熱力学の第二法則「閉鎖系においてエントロピーは常に増大する」からだという認識をしている。けれども、じゃこの場合の「閉鎖系」って何?「エントロピー」って何?「増大」がなんで時間の未来方向なのか?と考えると途端にわからなくなる。

キーワードとなる「エントロピー」とは、簡単に言うと「でたらめさ加減の指標」なんてことをまことしやかに習ったはずなのだが、ラフは基本的にちゃんと勉強をしなかった人なので当然のごとく腑に落ちていなくて、それがいったいなんであるか、「でたらめさ加減」ってどう定量化するのさとかもう分からないことだらけだ。さらに似た言葉に「エンタルピー」なんてものもあったな。この2つの違いさえ習った当初でもまともに分かっていなかったのだ。だいたいこの二つの語の響きが似ている上に、同じ教科で、割と近しい時期に習ったことで分からなさ加減MAXだよ。「エンタルピー」ってなんらかのエネルギーのことだったような……(遠い目)

閑話休題(<この言葉も誤解されやすい言葉だが「それた話から本題に戻すと」という意味で使う。「ここから余談が始まりますよ」ではない)。アインシュタインの相対性理論で「3次元空間」に「時間軸」が加わり「時空」と言う概念が生まれたわけだよね。時間は一様ではないと。

人間の知覚として空間は正負両方面を認識できるように進化した。だから立体と言うものが認識できるんだもんね。これは生命として生きていくうえで必要だから、つまり、えさを捕らえるだったり、敵から逃げるだったりというのに必要であるから。つまり生存に有利だから発達したと。でも、時間軸に関しては、生きていくうえでエントロピー増大の方向だけを認識しておけば大丈夫だったということなのかな。過去は決定したものとして、直近の未来は推測として。もしも時間のゆがみの認識が生存に関わるものであれば、おそらくは時間と言うものをもっと柔軟にかつ具体的に知覚できるものとして生命は進化したのかもしれない。

シャープ系をさぼったつけ

S吹奏楽団の定期演奏会があと1か月ちょいでやってくる。「スイートメモリーズ」と「ロリの歌」は最初からやばいと思って割とまじめにやってきたんだけれども、ここにきてホントにやばいのは「キャラバンの到着」だという現実に直面。FisとかGisとかついついシャープ系の練習をさぼっていたので、とにかく音が思ったように当たらないのだ。こう吹きたいという意思はあるのだが、それ以前に音が当たらないのでどうにもこうにも吹けないのだ。やばい、まじやばい。どうしよう。

アウェイの練習part3

今日もアンサンブルの練習でアウェイ。12人中7人の出席では曲として不明な個所が結構出てくるんだけれども、なんとか通るようになっている点は救いかも。個人的には曲の理解が進んで演奏しやすくなったかな。大きくA-B-C-B-A形式だということさえわかってしまえばつかみどころのない曲ではない。あと独特のベルトーンもどきさえしっかり認識していけばテンポもなんとかとれる。この曲を難しくしているのは実は付点のリズム(付点8分+16分、場合によっては付点4分+8分も)がルーズになってしまうととたんに拍が不明になる点だね。

「姑息」の意味

昔の日記にも書いたんだけれども「姑息」という言葉の意味。「場当たり的」「一時しのぎ」というのが本来の意味なんだけれども、結構な割合で「卑怯な」と言う意味で使われている。辞書を引いても「姑息」に「卑怯な」という類の意味はない。当然「姑息な手段」といえば「一時しのぎの手段」という意味なんだけれども、「卑怯な手段」「ずるい手段」という風に解釈しないと意味が通らない文章をしばしば見かける。物書きを生業としている人のものでもまれに見かける。ちなみにネットで検索をかけたらこの話題は山のように出てくるね。言葉は生き物(使われるうちに変化するの意)だから、おそらくそのうち「姑息」に「卑怯」という意味が認められるんだろうなとは思うが。「情けは人のためならず」みたいに。

ぱっつんぱっつん

社内報に必要で顔写真を撮ってもらったんだけれども、なんというか「あぁ肥えたなぁ」と顔の膨らみ加減にびっくり。針でつついたら風船みたいに割れるんじゃないかと思った。

ちょっとまじめにダイエットしたほうがいいかも。せめて階段1階分で息切れしない程度にはね。

実はとってもものぐさで整理整頓が苦手なラフ。製造現場で監督業をして働いていた亡き祖父に、部屋の散らかりようをよく怒られたものだ。作業場所の整理整頓ができていないと事故を招くとね。

さて、自分の今の部屋に机が2つあるんだけれども、1つはPCなんかも置いて、そこでご飯食べたりもしているメインの机。もう一つは以前メインの机だったもの。こっちは作業用机として使おうと思っていて捨てずにいるんだけれども、いつのまにかワラワラと物置になっている。何か作業をする場所が必要となるたびに、その机を片づけるのが面倒くさくなり、結局作業をしないってことになることが頻繁にある。どうしてもやらなければならない作業はメインの机の空いた隙間でちまちまとやるんだけれども、効率が悪いったらありゃしないよ。楽譜の製本ができないよぉ。

故人の言いつけにいまさらながら納得。