知の欺瞞

音楽において「テンポを倍に」と「音価を倍に」はまったく逆の方向性である。前者が早くなるほうの倍、後者は遅くなるほうの倍。数学的な計算でとりあえずは算出できる数値の話だ。

では「いつもの倍早起きする」というのはどういうこと(この表現はある歌で実際に使われている)?午前6時に起きる人が午前3時に起きる?違うよね。ここでは数学的な意味合いでの「倍」ではないよね。

「加速度的に増加する」、「負の加速度」だってありますよ。
「AとBは比例する」、「比例定数が負」の場合だってありますよ。
「AとBは反比例する」、単に負の相関関係だけだってことはないですか?

「この問題をどう解けばいいか」を「この方程式をいかにして解くか」との言い換え、本当に必要?「方程式」は解かないといけないものなの?方程式であること、そのことにこそ意味がある場合もあるよ。

あいまいな雰囲気だけで使用された数学用語を用いることで、文をいかにも学術的に装飾する傾向って言うのは確かにある。そういう表現を見るたびに、なんとなく言いたいことはわかるけれども「洗練されていないなぁ、陳腐だなぁ」と自分には思える。自分の好きな塩野七生氏もしばしば「問題」=「方程式」を使うんだよね。「あれ?「問題」じゃダメなの?」とか思ってしまう。

こんな話をしているとソーカル事件のことを思い起こすなぁ。

wikipediaの「ソーカル事件」の項

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