読了:日本人の英語(続)(岩波新書)[マーク・ピーターセン]

アメリカ人は日本人をthe Japaneseというのに、自分たちをthe Americansといわず、Americansというのはなぜだろう。「読めるけれど書けない」とよく言われる日本人の英語だが、どこまで的確に読み取っているのだろう。楽しい文例と徹底比較を通じて英語の新しい世界を広げてくれる、ベストセラー『日本人の英語』の待望の続編。

1 小指に結んだ赤い糸/2 ここはカンザスじゃないみたいよ/3 花椿と赤いねこ車/4 ぼつぼつ寝ませんか/5 心の揺れから生まれる言葉/6 ことばの情景

前作では日本人の書く英語論文を添削する英語ネイティブの経験から感じたことの小論が中心だった。

読了:日本人の英語 (岩波新書) [ マーク・ピーターセン ]

今作は、書く方は前作で述べたから、じゃ今回は読む方。日本人がネイティブの使う英語のニュアンスをどこまでくみ取れているかということを取り上げていく軽めのエッセイ集(なので前作よりはるかに親しみやすく読みやすい)。いわゆる英文法の教科書には書いていないところまで踏み込んだ、冠詞の使い方に始まり、ゲルマン系の短い動詞と前置詞や副詞を組み合わせた多様な表現の使い分けなど、事細かに英語ネイティブの感覚を説明していく。大切なのは文脈でどういう使い分けがされるのかという点なのだ。日本人がさっと読み流してしまう英文であっても、英語ネイティブはそこでどういった印象を受け取っているのかなどおもしろい。日本人の英語理解だけでなく、反対に英語ネイティブが日本語に対してどう感じているのかなども、英語から日本語、また日本語から英語への、映画の字幕訳や文学作品の訳の違いなどから例を挙げて具体的に説明が供される。言語にはそれぞれのネイティブの文化が根差していることがわかる。

川端康成の「山の音」の作品で限られた範囲に登場する各登場人物がそれぞれに使う複数ある「やさしい」という言葉(日本語ネイティブなら同じ単語だけれどもシチュエーションによって意味しているニュアンスがちょっとずつ違うことは感じ取れるし、場合によっては同じ言葉だけれども意味をあえてずらして解釈しておかしみを出す効果などもある)を、ある著名な英語訳ではどのように訳し分けているのか。一方で日本語では「分からないわ」と「知らないわ」では受ける印象が違うが、英語ではどちらも「I don’t know.」が普通だ(そうはいっても文脈からその違いは英語ネイティブだってちゃんと捉えている)。

日本語と同じように冠詞のないスラブ系ネイティブの英語初心者は冠詞を抜かして「I read book yesterday.」とか言いがちだそうだが、それだと英語ネイティブにとっては「どの本だよ」と突っ込むわけだし、一方で冠詞のルールが厳密なフランス語ネイティブだと「I play the tennis.」とか言いがちなんだって。それはもうそれぞれの言語(ひいては文化)の違いがあるのだから、そういうことが起こるのは仕方のないことで初学者のうちは間違えて当然なもんだと。でも、どの言語であれその言語を学ぶのであれば、きちんと意図を感じとって伝えることのできるようにしたいものだ。というわけで結論は前作と同じで、自然な英語に習熟するためには興味のある分野でいいから徹底して多くの実例にあたって学んでいくしかないよと。

それにしても、この著者の日本語の能力はすごい。自身の日本語の能力を謙遜してはいるのだが、一般生活者としての日本人でさえそんな細かい違いまできちんと認識していないぞ(場合によっては日本人なのに日本語に不自由だったりする人だっているぞ)というようなことまで、誤解のないように丁寧でしっかりとした日本語を駆使して日本人相手に日本語の文章で説明するのだから舌を巻く。

日本人の英語(続)(岩波新書)[マーク・ピーターセン]
続 日本人の英語(日本人の英語)[マーク・ピーターセン]【電子書籍】

やっぱり僕は英語ができない

僕は英語ができないシリーズだ。

もう恥ずかしくなるくらいほんのちょっとずつだけれども通勤電車の中では英語の勉強をしているのですよ。主にヒアリングを。つくづく思い知るのは、やっぱり人というものは、よく聞き取れなかったフレーズは自分が知っているものに脳内で強引に結び付けてしまうものなのだということ。

今日は題材は、空港のカウンターで乗る予定の便の確認をしたら機材トラブルでその便がキャンセルになっていてどうのこうのっていう話だった。


  1. 「11ぴきのねこ」
  2. 「due to mechanical problems」の「due to」が「じゅういち」に聞こえて「え?11?『じゅういち』って日本語じゃん……」。そして、11ということで、ラフの頭の中にはもはや空港ではなく、1機の飛行機とその機体を見上げる「11ぴきのねこ」(馬場のぼる)の絵が浮かんでいるのだ。

    11ぴきのねこ|絵本ナビ : 馬場 のぼる みんなの声・通販

  3. 「オフィーリア」
  4. さらに話は進み、今日は他の便もすでに満席なので、明日の早朝の便とおわびの宿泊施設を手配してくれるんだけれども、

    「we can offer you a place to stay」

    の「offer you a」の部分が「オフィーリア」に聞こえてしまい、「can オフィーリア?オフィーリアなんて動詞知らないぞ?オフィーリアできる?なんじゃそりゃ?ラフの知っている一番有名なオフィーリアといえばこれだよ」

    オフィーリア
    John Everett Millais / Public domain

話の内容を自分事としてとらえると分かりやすいよというアドバイスがあるけれども、ラフの頭の中はこんなものが頭に浮かんでいるので、まず状況の理解がすんなりといかないのである。

僕はやっぱり英語ができない – 今日は来てくれてありがとう!!

 ここを読んでいる人はご存じの通り、ラフは英語のリスニングがからっきしダメなのである。TOEIC(L&R)を年中行事のように受けているが、リスニングの約45分の間、何をおっしゃっているのかさっぱりわからないまま苦痛に耐え忍んでいる。

 では、ラフがTOEICのリスニング問題でどんな感じになっているのかを説明しよう。例として Part4(話者一人のアナウンス系問題)の場合。

– Welcome to ウニョウニョ.
– It is wonderful to see so many of you here ウニョウニョ~ バックシーン.
(ん?「今日はこんなにたくさんのみんなが来てくれてうれしいです!!」。え?なんかのコンサートかライブ?バックシーンってなんだ?楽屋backstageのことか?)
– インフルエンサー ウニョウニョ~ウニョウニョ~.
(インフルエンサーってSNSとかで影響力を持つ人たちだよなぁ、コアなファンのことか?)
– (以下すべてウニョウニョ)

 冒頭わずか3文にして、ラフの脳内はコンサート会場でファンを前にして呼びかけているアーティストという情景が展開している(そもそもTOEICで出てくるシーンとしてふさわしいか?)。当然ながら、その情景に合わせて聞き取ろうとしているので、残り最後まで何を言っているのかまったくわからず。

 このアナウンスが実は何を言っていたのかというと、「バックシーン」と聞こえたのは「viccine(ワクチン)」で、「インフルエンサー」と聞こえたのは当然のことながら「influenza(インフルエンザ)」なのである。どこかの保健施設にインフルエンザのワクチン接種にやってきた人たちに対して、予防は大切だから今日は多くの人が接種に来てくれたことはとても歓迎すべきことだという導入だったのである。(以下、受診にあたっての注意事項などがアナウンスされているのだが、そんなところはきれいさっぱり聞き取れていない)

僕はやっぱり英語ができない – 「リコピン」とはトマトなどに含まれる赤い色素である

人間の脳はうまく聞き取れなかった表現があると、自身の知っている語彙や言い回しで補おうとする傾向があることは多くの人が経験しているのではなかろうか。これは日本語だけでなく不慣れな言語に対しても起こりうるわけで。ラフの場合は英語のリスニングがまったくできない。

さて、ミュージカル「オペラ座の怪人」の主要曲に「Think of me」というナンバーがある。この歌い出しがしばらく前まで「リコピ~ン」と聞こえて仕方がなかったのである。まぁ聞いてみてくれたまえ。

いや、もちろん曲のタイトルにもなっている「Think of me」と言っているわけであるが(歌い出しの言葉をそのままタイトルにする例は多いからね)、つい先ごろまでラフには「リコピ~ン」だったのである。最近ようやく「チンコーミー」くらいには聞こえるようになった。

wikipediaの「リコペン」の項

lycopeneを含む例文として心惹かれたもの

To provide an effective method for utilizing tomato juice produced as a byproduct in obtaining lycopene from the tomato. – 特許庁

the summer solstice

 今日は夏至。北半球では一年で一番太陽が高いところを通る日(昼が長くなる)。昼間が長いと性欲が強くなるという説があり、夏至の日は北半球で人間の性欲が一番強くなる日になるのか。そうすると十月十日たった3月あたりの誕生日の人が多くなるはずなのだけれども、寡聞にして存じません。まぁ俗説でしょうね。

出産数(出生数)が多い月と少ない月は何月か・月別の出生率

 さて夏だ。「夏は来(き)ぬ」というよく知られた唱歌がある(といっても若い人たちは知らないかも)。歌の冒頭に「卯の花」とあるように卯月(陰暦の四月、現在の五月ころ)の歌だが、陰暦だと四月五月六月が夏なので、陰暦四月に「夏が来たよ!」ってよろこびを歌っている。夏至だと夏の盛りだから、今日この歌を取り上げるのはちょっと遅いか。

wikipediaの「夏は来ぬ」の項

 「夏が来たよ!」っていう歌なんだけれども、歌詞が(文語調)なので最後の「ぬ」を否定の意味にとってしまい「夏が来ない」と勘違いしてしまう人もいるだろう。上記wikipediaでも解説されているように、「来(き)ぬ」の部分を品詞分解(高校古典でやったよね)すると、カ行変格活用動詞「来(く)」の連用形に、完了の助動詞「ぬ」の終止形なので現代語だと意味が「来た」なのだ。

 ちなみにプラスアルファとして押さえておくならば、カ行変格活用動詞は「来(く)」の一語のみ(現代口語だと「来る」)。「来(く)」が連用形になっているのは、続く助動詞「ぬ」が連用形接続助動詞であるからで、また「夏は」の「は」は終止形を取る係助詞なので、最後の助動詞「ぬ」は終止形である。

 「来ぬ」を「来ない」という意味だと勘違いしてしまった人は、否定の助動詞「ず」の連体形の「ぬ」だと思ったからだろう。完了の助動詞「ぬ」の終止形と打消の助動詞「ず」の連体形はどちらも「ぬ」だがこの識別は試験(大学入試を含む)の定番。

 じゃ発展としてここからは試験には出ない古語作文。まず間違えてしまった人向けに打消の助動詞「ず」を使った「夏」が来るか来ないか問題は文語ではどうなるか。否定の助動詞「ず」は未然形接続助動詞なのでカ行変格活用動詞「来」の読みは「こ」になる。否定の助動詞「ず」が「ぬ」になるのは連体形なので、これで終わるならば係り結びの法則で連体形終止をとる係助詞があるはず。連体形終止をとる係助詞は強調の「ぞ」「なむ」に、疑問・反語の「や」「か」。

「夏来(こ)ぬ」((まさに)夏が来ない!)
「夏なむ来(こ)ぬ」((まさに)夏が来ない!)
「夏来(こ)ぬ」(夏は来ないのか?(いや来る))
「夏来(こ)ぬ」(夏は来ないのか?(いや来る))
(疑問なのか反語なのかは前後の文脈による)

であろうか。

 ちなみに、元に戻って完了の助動詞「ぬ」を係助詞「ぞ」「なむ」「や」「か」と使うなら助動詞「ぬ」の連体形は「ぬる」。

「夏来(き)ぬる」((まさに)夏が来た!)
「夏なむ来(き)ぬる」((まさに)夏が来た!)
「夏来(き)ぬる」(夏は来ただろうか?(いや来ていない))
「夏来(き)ぬる」(夏は来ただろうか?(いや来ていない))
(疑問なのか反語なのかは前後の文脈による)

 もっともそういう風に文法で決まっているからこういう解釈や意味だとするのは現代人のための手立てであって、本来的には「夏は来ぬ」で昔の人は文法なんて関係なく十分に意味が取れていたのだ。そういういろんな言い回しを系統だててまとめてみた後付けの体系が文法。

 参考までに強調の係助詞「こそ」を使う場合は已然形で結ぶので、完了の「ぬ」、打消の「ず」は次のようになる。

「夏こそ来(き)ぬれ」((まさに)夏が来た!)
「夏こそ来(こ)ね」((まさに)夏が来ない!)

本文中で「古文」「古典」「文語」、「現代文」「口語」という言葉を結構適当に使っているので、気が向いたら後で整理しよう。また文語作文の正確性は未検証。


「夏は来ぬ」をネットで機械英訳させてみた。

Google 翻訳

Summer will not come

「来ないよ」って未来の否定になっている。

Weblio 翻訳

I do not come in the summer

主語が自分になってる。「私は夏には来ない(行かない)」って感じか。

文脈なしの文語調日本語なので正確に訳せるとは思わないけれども、どちらにせよAI的にはやっぱり「来(こ)ぬ」と読んで、意味は「来(こ)ない」なんだなぁ。

「夏が来た」にして英訳させると

  • Summer came.
  • The summer is in.
  • Summer has come.

このあたり。唱歌のタイトルとしての「夏は来ぬ」だと3番目あたりがいいかな。

読了:日本人の英語 (岩波新書) [ マーク・ピーターセン ]



 東京に戻ってくる新幹線の中で読んだ一冊。前から読みたいと思っていたんだけれども、確かに面白かった。もともとは理系向けの専門雑誌に掲載されていた記事。日本人の書く英語論文の添削をしてきた著者の経験から、日本人の奇妙な英語がなぜ生まれるのか、ネイティブはどういう発想をしているのかについて具体的な例文(これがまたもとの掲載が掲載だけに論文系の堅い例文)をあげながら解説される。主に冠詞や前置詞、副詞などの細かい語のレベルの話が本書の大半を占めているが、語の選択を誤ると論の展開もおかしくなる点は納得。でもまぁ、新書なので、これを読んだから自然な英文が書けるようになる指南書とかは期待できない。こういうことがあるよ、こういうところに気を付けるといいんだよというエッセイ程度で読むのが吉か。著者も言うように、自然な英語に習熟するには「読んで、読んで、読んで」「書いて、書いて、書いて」いくしかないのだ。今年はちゃんと英語勉強しようかな(抱負として宣言できないところが弱い)。

日本人の英語 (岩波新書) [ マーク・ピーターセン ]

僕はやっぱり英語ができない – 化学植物

 chemical plant? what? 「化学植物」ってなんだとか思ったりしてしまうくらい英語が苦手なわたくし(ラフは生物学専攻でした)。訳語「化学工場」を見て、あぁそういえば、plantって工場だったなと思い出す。しかししばらくしてから同じ文章を再度読み返すと、やっぱり、chemical plant? what? 「化学植物」ってなんだとかまたしても思ったりしてしまう。学習能力がないなぁ。

(冠詞はどうしたとか、chemical plantsならともかくという突っ込みは却下。冠詞だとか複数形だとかそこまで思い至るほどまだ英語に慣れていないのだよ。文脈無視だけれども tropical plants と同じカテゴリーの語と思っても仕方ないでしょ。え?自分だけ?)

食べてヨーロッパ

タイトルで引っ掛けた感満載だけれども……

Rの家に半ばご飯を食べに行く。昼食はナス入りのポモドーロパスタ。夕食はスパイシーカレー。いつもながら最高にうまい。合間にドラマの「のだめ~ヨーロッパ編」を見る。ギャグドラマとして見る分にはマンガが原作だけにとても面白かった。一時期かじっていたフランス語をまた勉強してみたくなったよ(<言うだけ大王)。

M子の夫はスペイン系

M子の夫はスペイン系なんだけれども、スペイン語だと名前の最後が「こ」で終わるのは男の名前らしくて、「M子はおもしろいよなぁ」と言われているそうだ。M子が面白いのではなく、そういう文化の違いが面白いんだと思うけれども。

「美女と野獣」のタイトル

ディズニーの実写版「美女と野獣」(「Beauty and the Beast」)が話題な昨今。「美女と野獣」という日本語タイトルもまぁ、「j」という音で韻を踏んでいて悪くはないんだけれども、「美女」という日本語の単語から受ける印象は自分が抱いているこの物語のヒロインにはちょっとふさわしくないような気もする。もともとのフランス語だと「La Belle et la Bête」。冠詞も含めていい感じ。「獣」はフランス語ではなんと女性名詞なので「la」。ヒロインの名前が「ベル」なのはこのタイトルからですね。日本語で言うなら「美子」「佳子」という感じか。参考までにドイツ語だと「Die Schöne und das Biest」。いまひとつ。