今日セミの声を聞いたような気がする。でもどこか現実離れしていて、空耳だったのかもしれない。
カテゴリー: 生活
袖に血が
先日腕のかさぶたをいじっていたら、かさぶたが取れて血がシャツに付いてしまったと報告した。今日は気がついたらシャツの袖に血が付いていた。出血原因は不明。何があった>俺。
スリーピーサンデー
終日眠いサンデー。起きたら昼前で、それにもかかわらず昼寝もした。夕方Rと買い物デート。こういう一緒に過ごす時間が結構気に入っている。
江戸東京博物館
Rと江戸東京博物館デート。江戸は徳川幕府がおかれるまでは寒村だったわけで、歴史という点では結構新しい都市。館内に外国人は確かに多くて日本に興味を持ってくれることをうれしく思うんだけれども、それは江戸時代のコーナーに限るもので、明治維新後の東京時代のコーナーになると外国人がまったくいなくなる。一般の外国人が興味を持ついわゆる日本らしさというのはやっぱりエキゾチックジャパンなんだなぁ。
トイレの修繕
家のトイレのタンク内でいつも水がチョロチョロと漏れていたのを直してもらった。いつもなにがしかの水が流れている音がしていたんだけれども、それが一切しなくなって家の中が静寂に包まれてちょっと感動。
朝、まな板のトントンというリズミカルな音で目が覚める
Rは料理が好きだ。「息をするように」ねぎを刻む。ねぎを刻むことくらいなんだと思うかもしれないが、ラフはそんなフットワーク軽くねぎを刻むという行動がとれない。そもそもねぎを常備していない。なのでこういうRはすごいやつだと思っている。
さて、朝包丁で刻むまな板のトントンという音で目が覚めたという類の定番(=お約束)表現がある。うん、朝目が覚めることの表現なんだと分かるが、実体験としてそういうことが自分にあったかというと、日常にはこれがないのだ。
思い返してみれば、実家にいたときは朝ごはんはパン食、トーストなのである。自分にとって朝食事の用意で起こる音は、トースターの音であり、バター(うちはマーガリンだったが)をトーストに塗る音であり、スプーンでかき回すカップの音だ。
最近Rが台所で何か刻む音をよく聞く。そうか、まな板包丁の音が生活の一部ってこういう感じなんだなぁとしみじみと思う今日この頃。
ジョン・トラボルタ
終業時刻直前になってシステムのトラブル発生の連絡。原因の切り分けまでして、すぐには対応できないことが判明したので、とりあえず応急対応法を提示して対処してもらう。システム修正方針だけは決めて本日の作業は終了。そういうわけで残業していて、本日のS吹奏楽団の練習は休む。なんだか疲れてしまったよ。
切れる老人を約束された者
ここ最近、イライラする事が増えている。イライラするほどのことか?ってことに対して。イライラすると自分の気持ちも時間も損しているってことは分かっているんだけれどもね。
特に他人に対してイライラする事が多い。しかも普段接している人よりも、赤の他人の第三者に対してなんだよね。第三者に対して慮る余裕がなくなっているのかな。袖振り合うも多生の縁だよな。
切れる老人が増えてきていると言う話を聞くにつけても、自分もそうなる可能性は否定できないと言うか、切れる老人になるに違いないという気がしている。
タバコ
喫煙者であるOさんの一言「俺だって他人が吸っているタバコの煙は煙いもん」
座標感の喪失
外泊とかでいつもと違う環境で寝ていて、ふと目が覚めたときに「あれ?ここはどこだっけ?」って記憶をたどるものの、なかなか思い出せないときの奇妙さ。夢と現実の混同があるときはなおさら。
それどころか、いつも寝ている布団なりベッドでさえ、目をつぶっていると、自分が今部屋のどっち向きに転がっているのかが急に分からなくなって、部屋がぐるぐる回っている気がするときってない?
駅で止まっている電車に乗るとするじゃない。行き先はもちろん間違えていない。でもその電車が発車してみると自分がなぜか思い込んでいた方向とは反対の方向へと進んだとき、座標軸を失ったかのような奇妙な感覚にならない?自分の立っている場所のよりどころを見失ったかのような。