進化論

遺伝子組み換えに反対する人の中には、「遺伝子組み換え」というものが何かよくわからないから恐れていることもあるんじゃなかろうか。ダーウィンの「種の起源」は品種改良、交配から説き起こしているんだけれども、そもそもがこれこそが原始的ではあるものの人工的な遺伝子操作なんだけどね。

あと、進化で誤解されているのは、サルはいくら時間がたとうともヒトには進化しないってこと。サルの先の何かに進化することはあっても、すでに種分岐しているんだから現生人類にはなりえないよね。

よく見かける進化を表現したと思われる代表的な図だけれども、これは進化というものを実は適切に表現したものではなく、古生物学者の故グールドは誤解を招くこの種の図を使うことをことに強く反対していた。もっともらしく流布しているが誤解の元凶、あろうことか自分の著書の表紙に使われかけたこともあるとか。

間違った図ということでは、このヘッケルの図も相当に怪しいらしい。

生物の資料集の発生の項には必ず載っている図で「個体発生は系統進化を繰り返す」っていうやつね。個体の発生過程は、魚類>両生類>爬虫類>鳥類>哺乳類と進化してきた過程をたどるってやつね。でもこれはヘッケルがその仮説に当てはまる事例のみを都合よく選別してまとめただけのものと。

音楽の楽しみ

四分音符と言う言葉を知らなくても楽譜上に四分音符が書かれていればそれがどういう役目を果たしているのか、どういう演奏を指示しているのかさえ知っていれば演奏には大きな問題にならない。楽譜上の決まりってそういうことだよね?楽語ももちろんそこに含むものとして。そこは基本として、じゃぁ楽譜に書かれていないことをどう読み取るかっていうのは解釈の問題だよね。文章で言うところの行間を読む力ってやつ。こうなってくるとその曲が作られた時代性や作曲者の個性や認識を知らないとならない。音楽の本質的な楽しみっていうのはそういうものを読み取ったうえで、だから自分はこう表現するってところにあるとラフは思っているのだ。そういう表現の手札をいろいろ準備して演奏に備えるってのが練習ってもんじゃないのかな。

ちなみに僕は練習って嫌いだけれどもね。

僕はやっぱり英語ができない

街で出会った見ず知らずの英語ネイティブな人に道案内を求められ、図を見ながら伝えようと懸命になるんだけれども、文法とかいざとなったらぜんぜん思い出せないし、主語って何?動詞は何?とか焦っちゃって結局なんとか知っている単語を並べてみるだけの体たらく。もちろん伝わらなくて、sorryと言うだけ。

と、そんな夢を見た。夢でよかったと言えばそうかもしれないけれども、非常に切実な状況でもあるってことだよな。夢で見るくらい自分に必要でありながら準備をしていないスキルが英会話なんだなと痛感。普段から使わないって言うのはこういうことになるんだなぁと思うことしきり。おそらく英語のコミュニケーション能力としては中学生レベルくらいなのかも。

屋根裏に何かいる

春一番の報告。春はそこまで来てるね。今日は厚いコートで失敗した。ラフつゆだく汗だくだよ。

夜になると天井からガサゴソドタバタと何かが走り回る音がする。天井だけでなく壁の中から聞こえる時もあるんだよな。一時期、ミューミュー鳴く声が聞こえていたのでネズミかな?ちょいと前まではそれが複数の個体であったが最近は静かめ。気になるほどうるさいというわけでもなく、真夜中は静かなのでとりあえずは問題としてはいないんだけど。2階が大家さんなんだけれども2階ではそんなに音がしないのかな?

木曜日の憂鬱

まだ木曜日なのか。なんだか今週はすでにもう疲れきっているよ。今日が金曜日だと思い込んでいたのも理由の一つか。

1日あたりの歩数

ラフの永遠の健康課題は「減量」ではなく(いや、減量は必要ではあるのだが)、「質の良い睡眠をとること」なのである。睡眠障害があるので、ちゃんと眠る、気持ちよく起きるということに結構投資していたりなんかする。家に来た人は目覚まし時計がたくさんあることに驚く。さて、最近、睡眠の状況をモニターするために活動量計を入手した。

と、ここまでは前振り。活動量計なので、歩数計、いわゆる万歩計みたいな機能も付いているのだ。一日1万歩が世間的な理想らしいが、自分の場合運動と呼べるのは朝晩の通勤のみである。だいたい、片道の通勤で2000歩強程度。職場にいる間はトイレに行くか休憩に行くかくらいでたいした歩数にはなっていない。そういうわけでおよそ4500歩がラフの一日の運動量(ただし徒歩)である。

歩数計と持つと、「目標歩数にもう少しだったら家まで遠回りして帰ってみるようになった」とかの体験談を耳にする(目にする)のだが、そういうポジティブな意見も何らかの役に立つかと思っていたので自分も「一日8000歩」を目標としてみた。目標を持てばそれに向かってがんばれるかと思って。ところが、一日4500歩ぐらいだと、「8000歩にはあともう少し」という気持ちがわかないので、結局目標達成は日々忘却されている(見なかった、気付かなかったことに)。

ただし、週に一度は目標を上回る日がある。S吹奏楽団の練習日である。家から練習会場に行く往復(電車を利用している)が加わって8000歩を超えるのだ。まぁ、それでも1万歩にはあと少し至らないんだけれどもね。そういうわけでS吹奏楽団のリハは健康にも寄与していると自分的には勝手に納得してよしとしている。

実は練習会場は家からそんなに遠いわけでもないので、そのうち昔のように自転車で通うようにしてみようと画策してはいる。ただ楽器(トロンボーン)を背負っていると自転車(ラフの自転車はロードバイク)って結構乗りにくいのが難点なんだよなぁ。

学生時代にもっと勉強しておけばよかったと後悔する

勉強はきらいじゃない。でも、大学ではほとんど勉強をしなかった。ゆえにはっきりと成績も悪かった。勉強どころではない問題にずっと悩まされていたから。自分のアイデンティティの崩壊。もうホント苦しかった。とにかく居場所が見つけられなかった。それでも大学院までなんとか行ったけれども、勉強も研究も打ち込んだとはとてもじゃないけれども言えない。今でもあの大学学部・大学院時代はホントやるべきことにまったく集中できていなかった失われた20代だよ。

40代になって、いまさらながら、もっと勉強しておけばよかったなと思う。特に教養の理系科目。解析学、代数学、熱力学、電磁気学、量子力学その他その他。それから語学。英語はもちろん、ドイツ語、フランス語、それからラテン語はきちんと勉強したかった。どれも基本からして理解していない科目なのに、今猛烈に勉強したいと思っている。学んでこれからの人生が変わるとは思わないし、世間的ないわゆる成功を収めるにはもう遅いけれども、そんなことはどうでもよくって、むしろ知的好奇心を満たすためにこそもう一度ちゃんと勉強やり直したい。

「断章」

曲の種類をタイトルにしている(「交響曲」とか「前奏曲」とか)のだと思われるが「断章」と名乗る曲がある。吹奏楽で有名なところではネリベルの「交響的断章」。「断章」なんてかっこいい日本語訳が付いているが英語では「fragment」であり、つまるところは「断片」なのである。「断片」と言うからには曲としては未完成ということなのか?曲の一部分だけの未完成のものがそれとして完成とされている。そういうものが曲として立派に成立して演奏されているのだ。

文学や美術においてそういうものがあるか?「未完の遺作」や「作りかけ」で放り出されたもの、「習作」といったものはあろう。だが最初から未完成にして完成と名乗るものがあろうか。「ミロのヴィーナス像」みたいなものもあるけれども、あれはあれで一度完成されたものの何らかの事故や事情で一部が欠けたものだよね?最初から腕がなかったわけではないよね?あ、新約聖書の「黙示録」なんか幻想文学の一種だと思うけれどもあれが「断章」みたいなものか?

「交響的断章」なんて言われると厳めしいけれども、なんのことはない「symphonic fragment」だよ。