「姑息」の意味

昔の日記にも書いたんだけれども「姑息」という言葉の意味。「場当たり的」「一時しのぎ」というのが本来の意味なんだけれども、結構な割合で「卑怯な」と言う意味で使われている。辞書を引いても「姑息」に「卑怯な」という類の意味はない。当然「姑息な手段」といえば「一時しのぎの手段」という意味なんだけれども、「卑怯な手段」「ずるい手段」という風に解釈しないと意味が通らない文章をしばしば見かける。物書きを生業としている人のものでもまれに見かける。ちなみにネットで検索をかけたらこの話題は山のように出てくるね。言葉は生き物(使われるうちに変化するの意)だから、おそらくそのうち「姑息」に「卑怯」という意味が認められるんだろうなとは思うが。「情けは人のためならず」みたいに。

ぱっつんぱっつん

社内報に必要で顔写真を撮ってもらったんだけれども、なんというか「あぁ肥えたなぁ」と顔の膨らみ加減にびっくり。針でつついたら風船みたいに割れるんじゃないかと思った。

ちょっとまじめにダイエットしたほうがいいかも。せめて階段1階分で息切れしない程度にはね。

実はとってもものぐさで整理整頓が苦手なラフ。製造現場で監督業をして働いていた亡き祖父に、部屋の散らかりようをよく怒られたものだ。作業場所の整理整頓ができていないと事故を招くとね。

さて、自分の今の部屋に机が2つあるんだけれども、1つはPCなんかも置いて、そこでご飯食べたりもしているメインの机。もう一つは以前メインの机だったもの。こっちは作業用机として使おうと思っていて捨てずにいるんだけれども、いつのまにかワラワラと物置になっている。何か作業をする場所が必要となるたびに、その机を片づけるのが面倒くさくなり、結局作業をしないってことになることが頻繁にある。どうしてもやらなければならない作業はメインの机の空いた隙間でちまちまとやるんだけれども、効率が悪いったらありゃしないよ。楽譜の製本ができないよぉ。

故人の言いつけにいまさらながら納得。

しろくまカフェのパンダくん

最近、アニメ「しろくまカフェ」を一気見した。結構面白いね。わりとこういうノリは好き。
パンダくんのキャラを見ていて「おや?」って思って自分の過去の日記を見返したんだけれども

2005/11/17 (木)
そういえば、先だっての将来の夢のことだけれども、どういう職業に就きたいかと問われて「出入り自由な動物園のパンダ」とか半ば真面目に答えたりしていたこともある。今でもそうできたらしたいものだとか思っていたりもする。

なんてことが書いてある。
これってパンダくんと同じ発想じゃんとか思ったよ。原作のヒガアロハによる漫画の連載開始は2006年4月号だから、ほぼ同時期に似たようなネタを抱えていたってことなんだなぁとなおさら「しろくまカフェ」に親近感。もともと動物ではシロクマが好きだったし。

wikipediaの「しろくまカフェ」の項

LA LA LAND

アカデミー賞が発表されましたね。「ラ・ラ・ランド」が監督賞に主演女優賞。作品賞は「ムーンライト」だけれども、手違いで最初は「ラ・ラ・ランド」と発表されてしまったらしいね。

というわけで、「ラ・ラ・ランド」見てきました。往年の名作へのオマージュがそこかしこに溢れた映画ファンにはたまらない作品。大枠はミュージカル「パリのアメリカ人」「シェルブールの雨傘」を足して2で割った感じ。ミュージカル作品として期待するならば前半だけかな。確かにオープニングからこの映像はとびっきりワクワクするよ。後半はお互い夢はつかんだけれどもそれぞれの道を進み始めちゃったんだよねってほろ苦い恋の思い出に落ち着く。悪くはないけれども、期待したほどではなかったかなってのが正直な感想。

両親のこと

いまだ何事もなく(いや、何事もなくと言うとちょっと嘘)とりあえず両親は元気にしているけれども、いつ何が起こるかはわからない。両親ともに遺言はしたためたということは聞いているが、公証役場の職員があまりにも傲慢と言う理由で正式な手続きを踏んだものではなく、法的効力はない。一応概略だけは聞いているけれども、詳細は不明。

父は献体の手続きを取ったらしい。死後に医大の解剖に使ってくださいってやつね。献体って都道府県ごとの手続きで、実家のある県では献体希望が多すぎて積極的には募集していないらしい。へぇ、献体希望って結構多いんだと妙に感心してみた。

さて、とりあえず両親ともに元気にしているが、いつどちらかが亡くなるかはわからない。そのとき残された親の面倒は誰がみるのか?そろそろ考えておく必要もあるのかもね。

そこは笑うところか?

SNSで性的にはまったく興味がない若い子(20代半ば)とメッセージのやり取りをしているのだが、やたらと「笑」を入れてくるのだ。え?そこ笑うところか?笑いすぎじゃないか?微笑みのつもりでいちいち「笑」なのか?異文化の人間とコミュニケーションをしているようで不思議な感じ。なんかどこかで話が通じていないのではなかろうかといぶかしく思うこともあり。その延長で「この子は頭悪い?」とか思ってしまう自分の歳取りようにも驚くが。

はじめてのプレミアムフライデーとはいうものの

今月からプレミアムフライデーと言う掛け声倒れ感満載の月末金曜日の早上がり促進キャンペーンみたいなのが始まったわけだけれども、本気で取り組むところや人なんてあるのか?働きすぎの緩和、消費活動の活発化とかゴタクを並べてもそれほど効果はないんじゃない?そもそも期待されている効果に対する因果関係が思い付きの薄っぺらいものにしかみえない。ただ少なくともこういう提案はしましたよと言うアリバイ作りなんだろう。景気が悪いのは、提案を受け入れない国民にも責任があるとでも言いたいのだろうかねぇ。

というわけで、プレミアムではないいつもどおりの定時上がりの金曜日なわけだけれども、今日からS吹奏楽団の合宿なんだよ。金曜日の夜から開始なのである。

どうなのかな

今日はRくんと、新宿で飲み。ちょい飲みセットが全然ちょいじゃない店発見。安く上がる。そのあとバーに出かけて1時ころまで。Rくんとの関係は何なんだろうかと迷っている。付き合っているのかと言えば、まだ付き合っているわけではない感じもするし。お互いにまだそういう部分は本音で話すのは難しい。将来のこととか考えてしまうわけで。

政治家の議論って

国会中継とか委員会中継とかあるいはその書き起こしとか見てみても、政治家の議論ってなんて不毛なんだろうって思うことが多い。それぞれの立場というものを守るためっていうのはあるとは思うのだが、あまりにも建設的でない議論であきれる。議論をあえてかみ合わせないようにしている、言葉の言い換えで同じことを執拗に繰り返す答弁、挙句の果てには単なる揚げ足取り合戦とか。政治家の質ってそんなもんなのかと思ってしまうよ。

要するに実際に国を動かしているのは政治家ではなく、個々の政治家の意図をそれぞれに汲んで動いている官僚や役人なんだろうね。政治家というのは単なる「議論をしました」という既成事実を作るため、あるいは「国や国民を代表する(と思われる)者」が必要な時に表に出てくるだけの存在なのかも。とか政治に疎いラフにさえ思わせてしまうようじゃダメなんじゃない?

こんな有様で、将来、首相や政治家になりたいなんて子が最近はいるのかな?