今回は、あっと驚くミスリーディングが3回用意されているんだけれども、いかんせん鮮やかと言い切れないところが残念極まりない。このシリーズの主人公は葉山君という男子高校生だったはずなのに、なぜか奏とかいうぽっと出の今一つ特徴のないおなごがもう一人の主役を務めている。ん~、葉山君には柳瀬さんという頼もしい変態女性先輩がいるんだから、彼女をもっと活用しようよとか思いながら読み進めるわけですよ。そして文化部の人たちと比較的仲良くなるはずの美術部員葉山君なのに、なぜかこの吹奏楽部員の奏さんとはどこか関係が薄いのよ。なんでかなぁ、と思ったら中盤にまず、これまでずっと1つの事件だと思っていた出来事が実は2つの場所で起こっていたことだという衝撃。葉山君と奏さんは違う高校の生徒だったのだ!!さらにもうしばらく進むと、今度はこの2つの場所で起きた事件が1年の時間を隔てていることも判明。そして最後には、ずっと男の子だと思い込んでいたある人物が女だったとか。こうもやすやすと作者に乗せられたのは悔しいけれども、じゃ鮮やかに気持ちよく騙されたかというとそうじゃない。ラストで怒涛の如く畳みかけるようにひっくり返されたら「やられっちまったなぁ」と思ったんだろうけれども、後半に間をおいて少しずつひっくり返していくから間延びすることこの上なし(素人のオセロゲームか)。しかも肝心な事件の素となった人物にまったくフォーカスされてこないし(ラストにほんの一瞬姿を見かけるだけ)。テーマがボケボケで詰めが甘い、甘すぎる。名探偵伊神さんもたいして活躍しないし(もはやいてるだけ。この人の常識のなさが面白かったのに)。コメディの切れも今一つだし、そろそろシリーズの限界か。
読了:悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部 由美]
第1章 あなたの中のサディストーー悪の神経科学
第2章 殺すように作られたーー殺人願望の心理学
第3章 フリークショーーー不気味さを解剖する
第4章 テクノロジーの光と影ーーテクノロジーは人をどう変えるか
第5章 いかがわしさを探るーー性的逸脱の科学
第6章 捕食者を捕まえるためにーー小児性愛者を理解する
第7章 スーツを着たヘビーー集団思考の心理学
第8章 私は声を上げなかったーー服従の科学
上記宣伝は売るための煽り文句だとは言え、著者はとりたてて「悪」を「おぞましい」とは言っていないし、また「悪」を「遺伝子」と関連付けてもいない(生物学的な相違があるのかという議論はしているが)。アグレッシブなテーマではあるけれども煽り立てるような論展開はしないし、著者は最終的には人間の可能性に希望を持っているとラフは受け取った。
「悪」とはどんなものなのか、絶対的に存在するものなのか(著者は否定しているとラフは読んだ)。また多くの人は物事を単純化して「悪」を考える人は「悪人」という考え方に簡単に飛びつき、そして「私」にはそんなことはできない、と思い込んでいる。でもそうじゃない、人間はちょっとしたきっかけで誰でも簡単にダークサイドに陥るものだということ、また「悪」というものに対して人々が抱いている思い込みや偏見を、多くの事例や研究から解き明かしていく。多くの人は自分は悪だとは思っていないし、なによりも悪いことをしようと思って悪になる人はいないのだ。理性的で落ち着いた論展開であるので安心して読める。
・「殺人ファンタジー」
殺人「悪」を想像した人はみんな「悪人」なのか?人を殺すということを想像したことのない人はいないだろう。しかし多くの人は想像はしても実際に行動に移すということはない。一方でちょっとしたきっかけで殺人を犯してしまう人がいるのも確か。
・「ただしイケメンに限る」
なぜ第一印象が不気味な人を警戒するのか?(ここで、不気味とは何かの定義をして考察するところが重要)。実験により明らかになったのは、人を見た目で判断するというのは実はあてにならないという現実。
・「小児性愛者」
児童ポルノ所有が必ずしも小児性愛加害者ではない。小児性愛加害者が必ずしも児童ポルノ所有者ではない。また小児性愛者が必ずしも小児性愛加害者になるわけではない。小児性愛の傾向を持つ者と加害者は同じではないのだ。被害は防がなければならないことではあるが、本質的な問題がなんであるのか見極めなければならない。
・「自己責任」
「自己責任」という言葉で弱者を切り捨てることについて。発する側にとっては自分自身の今の立場を守ろうとする心理によるものであることが明かされる。なぜそういう現実になっているのかにまで思いをいたせるかどうか。
・「テロ聖戦士」の2面性
過激な思想や信念を持っている者が必ずしもテロの実行犯になるというわけではない。またテロの実行犯がすべて過激な思想や信念を持っているわけではない。過激な思想や信念を持つ者とテロ遂行者は同一ではない。
・どうすればいいのか
人というものはそういう傾向があるということを知っておく、自分で考えることをやめない、おかしいと思ったら立ち止まってみる。それができるのが人間である。そのことにより歯止めがかけられるはずだ。人間は基本的にみんな理知的であるという前提に立ったきれいすぎる理想論のようではあるけれども、ラフはこういう考え方は好きだ。
ちなみに結論の章で著者が述べる10の事実(邦題に合わせて事実とくくっているが、提言も含む。原題は“Making Evil -The Science Behind Humanity’s Dark Side”)。
- 人間を悪と見なすのは怠慢
- 脳は少しサディスティック
- 人殺しは誰にでもできる
- 人の不気味さレーダーは質が悪い
- テクノロジーは危険を増大させる
- 性的逸脱はごく普通
- モンスターとは人間のこと
- 金は悪事から目を逸らさせる
- 文化を残虐行為の言い訳にするな
- 話しにくいことも話すべし
今まで自分の中でもやもやしていた様々な事象や思いがすっきりとしたエキサイティングな読書経験だった。
■ 悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部 由美]
■ 悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部由美]【電子書籍】
Kさんの店
晩に、かれこれ20年くらい懇意にさせていただいているKさんの店に顔を出してきた。
こんにゃくのサブジうまい。オクラのカレーもうまい。ごちそうさまでした。
読了:資格試験に超速で合格る勉強法[尾本一明]
1 超速で受かる人は「考え方」が違う!/2 超速で受かる人は「勉強法」が違う!/3 超速で受かる人は「過去問と模擬試験」を使い倒す!/4 超速で受かる人は「時間の使い方」が違う!/5 超速で受かる人は「勉強する環境」をつくる!/6 超速で受かる人は「試験本番」にこう臨む!
著者の経歴をみると(おぉラフと同世代じゃん)もう本当に頑張った方なんだなぁと。学歴コンプレックスがあったこと、困っている人を助けたいと思ったことから一念奮起して資格に挑戦、現在取得した資格をもとに活躍されていらっしゃる。忙しい社会人が短期間で資格試験合格を目指すにはということで自身の経験を踏まえて勉強のコツを伝授してくれる。各種Tipsに対して、1:試験に受からない人、2:試験に受かる人、3:試験に超速で受かる人(3を目指したい)の3種類に分けてそれぞれどういうアプローチをしているのか、どうすれば効率的に第3のカテゴリーに入れるのかを穴埋め形式で整理していく。
とっても熱い本(著者の熱意)なんだけれども、「いやぁ、それはわかるんだけれどもね、それだけのモチベーションがないし、やらなきゃならないと思うとしんどくなってあきらめちゃうんだよね」と思ってしまった自分は、やっぱり資格に対する熱意や切実さというかが全然足りないんだな、また将来に対する自身のビジョンというものもまったくないんだな、ということを自覚するばかり……。だめじゃん、俺。(なのにこの手の資格勉強系の本が好きだったりする矛盾)
読了:まもなく電車が出現します(創元推理文庫)[似鳥鶏]
まもなく電車が出現します/シチュー皿の底は並行宇宙に繋がるか?/頭上の惨劇にご注意ください/嫁と竜のどちらをとるか?/今日から彼氏
前作までがすごくおもしろかったので、期待して読み始めたんだけれども、今回は今一つ。まず事件の質がどれもしょぼくなってしまった(ちっせぇよ……しかもどうでもいいよ)。このシリーズの一番の特徴であったコメディ要素も抑え気味でスピード感がなく、今までのノリだと「まぁいいか」ですませられてきたところが、中途半端にシリアスな印象でうまく乗り切れない(粗が目立つ)。「今日から彼氏」に至っては気持ち悪いことこの上なし。葉山君(主人公)、君はそんな人ではなかったはずだよ……(しくしく)。
■ まもなく電車が出現します(創元推理文庫)[似鳥鶏]
■ まもなく電車が出現します(市立高校シリーズ)[似鳥鶏]【電子書籍】
読了:ユダヤ人の歴史(河出文庫)[レイモンド・P.シェインドリン/入江規夫]
第1章 古代イスラエル人の起源とその王国ー紀元前一二二〇年以前から紀元前五八七年まで
第2章 ユダヤの地とディアスポラの起源ー紀元前五八七年から紀元七〇年まで
第3章 ローマ帝国下のパレスチナとササン朝ペルシアのバビロニアー紀元七〇年から六三二年まで
第4章 イスラム社会におけるユダヤ人/イスラムの勃興と中世の終わりまでー六三二年から一五〇〇年まで
第5章 中世キリスト教ヨーロッパ社会におけるユダヤ人ー九世紀から一五〇〇年まで
第6章 オスマン帝国と中東におけるユダヤ人ー一四五三年から一九四八年まで
第7章 西ヨーロッパのユダヤ人ー一五〇〇年から一九〇〇年まで
第8章 東ヨーロッパとアメリカ合衆国のユダヤ人ー一七七〇年から一九四〇年まで
第9章 ホロコースト
第10章 シオニズムとイスラエル建国
第11章 一九四八年以降のユダヤ人
イスラエル、エルサレム関係の歴史入門書を先ごろ読んだ。
当然、イスラエルの歴史となると、古代イスラエル(主に聖書の記述に基づく)からユダヤ戦役までが描かれた後、(狭義の)ディアスポラの時代を経て、次に再登場してくるのは19世紀のシオニズム運動あたりからとなる。中世がごっそり抜け落ちるのだ。
今回読んだ書はユダヤ人の歴史なので、(狭義の)ディアスポラ時代についても、ユダヤ人がどのように生きてきたのかが分かり非常におもしろい(その時代に該当する第3章から第8章あたりが個人的にはとても新鮮だった)。世界史の中でユダヤ人が置かれた立場(決して彼らが望んだわけではない)を知ると、ユダヤ人の陰謀といったものがいかにバカげた説かが分かる(もっともこの本ではそんなつまらないことを述べてはいないけれども、そんなことはありえないということはわかる)。またユダヤ人は他の民族とは決して交わらないという思い込みがあったんだけれども、他の民族と同化していったユダヤ人もかなり多いことを知った。ヨーロッパにおいては、スペイン起源のセファルディム系ユダヤ人と西ヨーロッパを起源としてやがて東ヨーロッパに中心を移したアシュケナジム系ユダヤ人というように、実は多様化していたことも知った。というわけで「オスマン帝国内のスペイン系ユダヤ人」といった表現も当たり前に出てくる。
ユダヤ世界と非ユダヤ世界の違いを歴史的な経緯から説明し、また「世界史の中で暗躍するユダヤ人」といった間違ったイメージを払拭してくれる入門的良書。
■ ユダヤ人の歴史(河出文庫)[レイモンド・P.シェインドリン/入江規夫]
■ ユダヤ人の歴史(ユダヤ人の歴史)[レイモンド・P・シェインドリン]【電子書籍】
物騒なドキュメント
プログラムの実行結果、すなわち出力情報のことを「返値」(あるいは「戻り値」、英語ではreturn value)というが、これは「かえりち」と読む。「かえりち」はIMEの変換ではまず最初に「返り血」が出てくることが多く、そのまま提出された物騒なドキュメントをまれに見かける。
読了:さよならの次にくる(卒業式編)(新学期編)(創元推理文庫)[似鳥鶏]
前作デビュー作「理由あって冬に出る」が1月のある事件を描いた長編だったんだけれども、今度の「さよならの次にくる」はそれに続く卒業式と新学期に渡る期間を扱った(一部数年前を扱ったものが含まれるが今回の登場人物を導くため)、前編・後編2冊にわたる連作短編。それぞれの話は独立しつつも関連していて、ラストに至ったときにすべての伏線が回収されているという構成には拍手喝采。話の随所で小出しに回収されていく一部の伏線がダラダラ感をもたらすところや、短編の間に挟まれる断章があからさまに「これは伏線ですよ」と主張しすぎているところが玉に瑕(こういう形式のミステリは加納朋子が今のところ一番かなとラフは思っている)。
愛すべき変人文化部高校生たちの当意即妙なやり取りはやっぱりおもしろい。「えぇ、それは強引だろう」とか「ありえないよぉ」とか思う部分はあるんだけれども、コメディで展開することにより「まぁいいか、さもありなんということにしておこう」と自然と受け入れられる。大人になり切れていないどうしようもない青臭さの一方で、妙にしっかりとしていて大人の世界に片足突っ込んでいるような部分の同居が「青春・思春期」というもので包まれてうまくまとまっている。
新学期には「曲がり角でゴツン」で「恋なんか芽生えちゃったりして」という定番ネタもきちんと織り込んでいる。またところどころに出てくる脚注も枠外からの笑いを誘う。シリーズはまだ続くので楽しみ。
■ さよならの次にくる(卒業式編)(創元推理文庫)[似鳥鶏]
■ さよならの次にくる〈卒業式編〉(市立高校シリーズ)[似鳥鶏]【電子書籍】
■ さよならの次にくる(新学期編)(創元推理文庫)[似鳥鶏]
■ さよならの次にくる〈新学期編〉(市立高校シリーズ)[似鳥鶏]【電子書籍】
読了:理由あって冬に出る(創元推理文庫)[似鳥鶏]
とある高校の芸術棟(主に文化部と同好会の活動部屋がある古い建物)に幽霊が出るという噂が。真相を調査する文化部所属の高校生たち。設定に甘さは感じるものの、伏線はちゃんと張っておいたものをきちんと回収していくし、登場人物の未熟で青臭いところには青春を感じさせるし、なによりもコメディ仕立てにしてあるので楽しく読めるのが魅力。自分が高校生だった頃を思わず懐かしんでしまったよ(ちなみにラフは高校のときは吹奏楽部)。シリーズ化しているので、続きも読んでいきたい。
読了:叡智の図書館と十の謎(中公文庫)[多崎礼]
一言でいうと「なんじゃこりゃ!!こんなものが商業ベースの書籍として流通していいのか?」なんだけれども、各種レビューを見る限りそんなに悪くないんだよね。俺は著者やタイトルが同一の、まったく違う本を読んでしまったのか?
AI石板を携えた旅人が、究極の図書館にたどり着いたのだが、扉は頑丈な鎖で固く閉ざされ、その図書館を守る女性像が謎かけをしてくる。答えを間違えれば殺すという。像が問いかける謎にたいして、すかさずAI石板が情報を検索し該当するエピソード(小話)を再生する。旅人はそのAI石板が再生した話から答えを導く(といっても話のダイジェストを英単語で答えているだけなんだけれども)。
形式としては典型的な枠物語。近代小説においてこの形式は、各小話がそれ自体で完成していて魅力的でないと成り立たない。そして最後にこれらの話を外枠があるテーマでまとめていることが明らかにされて「おぉそうだったのか」となれば「見事!!」となるわけだけれども、まぁそこまでは求められればいいかなくらいにしておこうか。ところが、この小説では各小話はあまり魅力的でない。どこかで読んだような、陳腐で噴飯物のびっくりするくらい道徳的な内容。わざとそうしてあって最後に「実は……」とか期待してみたけれども、そうではなかった。各小話が完成度1として10話あって、最後にまとめられたときに、12(1 x 10 + 2)くらいの効果を生んでくれると枠物語としては成功だと思うんだけれども、この小説は各小話が0.8くらいの完成度で結局最後まで読んで8.1(0.8 x 10 + 0.1)くらいにしかなっていない。
やたらと小難しい表現(文章としての表現ではなく難しい漢字を使う単語レベル)を持ち出してくるものの、話自体はたいしておもしろくない。しかも、設定の矛盾とか足りないものとか多すぎ。
敬虔で素朴な宗教信者設定されている人物が、横暴な主人のことを「神のようにふるまう」とか言うか?(必殺ちゃぶ台返し!!)
「護衛対象者には深入りしない。それが彼の流儀だった。しかし一度考え始めると、気になって仕方がなくなった。」なぜ今回の護衛対象に関しては気になってしまったのかを納得させる言及が前後にない。結果としてそれは「恋愛感情」によるものだったんだろうと最後まで読めば推測はできるが、なぜ読者がわざわざ著者の力不足を補わなければならないのか?「彼の流儀」が台無しじゃん。
第九問の問は「ならば、私とは何だ? 私を私たらしめているものは、いったい何なのだ?」だったんだけれども、その答えが「お前をお前たらしめているもの。『Identity(自己同一性)』だ」にはずっこけた。言葉の定義をしただけじゃん……。お前は辞書か。もう、勘弁してくれぇ。
外枠の話も、単にAI石板が問いに対してお手軽に話を再生しちゃっているから、当初主人公と思われた旅人はほとんど何もやらない。うんちく垂れるばっかり(結局この話の本当の主人公は守人の女性像だったわけなんだけれども)。で、徐々に明らかにされたのは、登場人物が全員図書館関係者だったという自己完結の小っちゃい世界観。脱力の極み。しかも問の答えがなんでこんな抽象的な英単語なんだろうと思ったら、その種明かしがこれまた雑。だったら小話の内容なんてどうでもよかったじゃん。
人間は、貧富の差も争いもない平和な理想郷世界を目指す面と(うわ、気持ち悪い。ラフはウェルズの「タイム・マシン(小説)」のイーロイを思い起こした)、嫉妬や抜け駆けや足の引っ張り合いで戦争ばかりしている面があるとのこと。万智の図書館に情報を運んできた旅人は、そんな不完全な人間を見捨て、智の殿堂にともに帰ることを守人に提案するが、彼女は不完全でも前者に向かって進歩していくだろう人間とともに歩むことを決意する。そして旅人もそれに同調して再びあらたな旅に出る。何度も人間の「多様性(多面性)」に言及しているのに、最後は「善悪の二項対立」で片づけてしまっている気持ち悪さ。それって人間の可能性をきちんと評価できていないことにならないか?それが「万智」を名乗ってしまう滑稽さ。
第六問の話はとてもよかったのに(ありふれてはいるけれども)、最後を幽霊オチにしたのはがっかり。あくまでも想像の産物としたほうが人間の可能性や未来を感じさせたのでは?道徳的な上から目線で人間に寄り添っているふりをしているが、実は人間の可能性には思い至っていないような著者の書きっぷりは、少なくともラフの好みではない。
ひどいものを読んでしまったというのが正直な感想。なのに途中で投げ出さずに(何度も挫折しかけたが)最後まで読み切ったんだから俺ってばこの作品の優秀な読者じゃんと思ったり思わなかったり。