2001年宇宙の旅

古い映画を見たいと思って、通してじっくりと見たことのない「2001年 宇宙の旅」を見ることにした。ほぼ説明・セリフなしのこの作品をこの時間(2時間半)、家のモニターで見るのはつらいかも。これはスクリーンで見ないと面白くない作品だね。

HAL9000のHALとはIBMをアルファベット順で1文字ずつずらしたものだ(シーザー暗号)という話を昔聞いたなぁ。出所は覚えてないけど。

HALが誕生した日付は作中でも述べられているが、じゃタイトルの2001年とは作中ではどのシーンなのか?月のシーンから木星探査に向かうシーンの間には18か月が経過しているというし。スターチャイルドの誕生した時?(いや、2001年というのが特定の年を指すものではなく、近未来というもの(21世紀)を表現したものだということは分かってはいるよ)

wikipediaの「2001年宇宙の旅」の項

年末年始のゲイもの鑑賞

年末年始休みに、ゲイものをいくつか消化したので、その紹介。


あさな君はノンケじゃない! [ あさなさくま ]


 昨年末に出た、普通のゲイの日常エッセイマンガ。エロ要素はなし。絵柄が柔らかくて好き。話題もわかるわかるってところは多い。著者が言うように、主人公はゲイの一例でしかないというのは当然なんだけれども、それでも共感できる部分は多い。そりゃ、美大出でアパレル勤務で女装趣味があってゴージャスな交友関係があってっていう部分だけ取り出せば、特殊なゲイだという面はあるかもしれないけれども、普段感じること考えることは同じだなぁと思う。パートナーとの出会い、生活の章は特にほのぼのとする。でもまぁ、アラサーってことは、20代後半?そんな彼が、年下のゲイ友に新たな世代の到来を感じるとか、自身の肌の問題が気になるとか出てくると、ラフのようなアラフィフおっさんはもう一体どうしたらいいのかと思ってしまうよ。ノンケが読んでもおもしろいように(興味本位に堕することなく)描かれている部分も好感が持てる。

あさな君はノンケじゃない! [ あさなさくま ]


青のフラッグ 1 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 2 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 3 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 4 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]


 某ゲイブログで絶賛されていた青春マンガ。とりあえず現在出版されているところまで読んだ。恋と友情に揺れる高校3年生の4人組を中心に描かれる。この4人組、男子2名(幼馴染のA君、B君)に女子2名(親友同士のCさん、Dさん)なのだが、心優しいけれどもどんくさいCさんは、スポーツ万能のイケメンB君が好きで、それを知った地味目のA君はCさんの恋を手伝うことになる(やがてA君はCさんに惹かれていく)。でも、B君が好きなのはどうやらA君で(作中では決定的には明らかにはされていないが強くほのめかされている)、A君もCさんもそのことを知らない。そしてCさんの親友Dさんは実はCさんが好きなのだ。B君とDさんはお互いにこのことを知っている。やがてCさんはB君への思いは単なる憧れであることに気づき、A君を好きなっている自分に気づき……。文章にすると分かりにくい関係だなぁ。

 異性間の友情は成り立つか?というのはどうやらノンケ世界では永遠の話題であるようだ。ゲイのラフとしては当然成り立つのであるが。じゃノンケに惚れたゲイが恋をあきらめようとして友情を続けることはできるのか?仲良くしたい、あるいは思いを寄せる相手との関係に、好意を持っているがゆえに思い煩う青春の甘酸っぱさ。今後の展開が楽しみだ。
青のフラッグ 1 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 2 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 3 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 4 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]
青のフラッグ 5 (ジャンプコミックス) [ KAITO ]


Love, サイモン 17歳の告白【Blu-ray】 [ ニック・ロビンソン ]


アメリカでは高評価だったにも関わらず、日本では公開されなかった映画。すごく好感の持てるさわやか青春映画なのに、なんで日本では公開されなかったんだろう。

ゲイであることを隠して生きる普通の高校生が、同じ高校にいるらしい隠れゲイとメールで親しくなっていくものの……。友達や家族との関係、カミングアウトとアウティング、いろんな問題を抱えつつも自分自身が生きていくための力を自分でつかんでいく様に希望が持てる。とりわけ、アイデンティティを模索する中「ゲイのファッション」をネットで検索していろいろ試してみるんだけれども、結局はいつもの自分通りの服装を選ぶシーンがよかった。まぁラストで、やっぱりイケメンはイケメンと出会うのねっていうところがおとぎ話的ハッピーエンドではあるけれども、前向きになれる青春映画。

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「やがて君になる」
先だってのクールでとても評判が良かったアニメ(原作も評価が高いらしい)。自分自身が何者か、人を好きになるとはどういうことかという青春ものとして至極真っ当なものではあるんだけれども、なのになんだか、同性を好きになるってことをバカにされているような描き方な気がするのはなんで?このザラザラした違和感は何だろう。若干の気持ち悪さと腹立たしさを感じる。ゲイに惚れられるおそらくノンケが主人公ということでは、去年大流行したドラマ「おっさんずラブ」が素直に受け入れられたのに、こっちは受け入れられないのはなぜだろうか?ちょっと考えてみたい。


上に何度も「普通」と書きながら、「普通」ってなんだよと、自分自身に突っ込み続けたラフは、今年もゲイです(当たり前だ)。今年もよろしく。

3度の勘違い2題

 メロディーに対して、メロディーと同じ動きのハーモニーをつけようとした場合、3度下を演奏させることがある。ここで重要なのは、これは必ず適切というわけではないというところだ。ところが3度下をいっておけば必ずハモると思い込んでいる人が、音楽をやっている人(音大出身を語る人)たちの中にもいるから困る。

あるアンサンブル集団でのこと。2本の楽器がユニゾン(まったく同じ旋律)でメロディーを演奏するようにアレンジされている箇所があったんだけれども、そのうちの一人がユニゾンはつまらないからといって、ハモらせようとメロディーの3度下を機械的に演奏したのだ。もちろん演奏は珍妙な汚いものになったのは言うまでもない。どのような和声が付いているのかも考慮せず、しかも機械的な3度下。何考えてんだ?とあきれた。しかもこの人が音大出身で音楽のことは他の人より分かっているつもりになっている点が、痛くて痛くて仕方がなかった。

是枝監督の映画「そして父になる」。ある程度裕福でそれなりの教育を息子に施している家庭が出てくるのだが、この息子がピアノの発表会で演奏するのが「メリーさんの羊」なのだ。これが見事に機械的3度演奏(「ミーレドレミ、ミ、ミ」という右手に対して「ドーシラシド、ド、ド」の左手)アレンジ。もっともこの家庭は教育にお金はかけているが、その教育の本質的よしあしには関心がない。そして息子も積極的にピアノに興味がなくあまり上手くもないという設定なので、これはこれで機械的3度演奏が結果としてそれなりの効果を生んでいる点は認めよう。ただ、映画の出来とは別なんだけれども許せないのは、こういう気持ちの悪いアレンジを平気で教材として幼少期のレッスン生に与えてしまうピアノ教師というものが現実にも存在することなのだ。そしてそれが和声的に気持ちの悪い不具合を生んでいることに気付いてないことの罪深さ。音楽教育に携わる者としてこんなものを違和感なく平気で聞けるということは音楽家として致命的だ。ラフだったら頭使わないでも2声でハモらせるなら左手は「ドーソミソ、ド、ド、ド」ぐらいだろうと思うし、あるいはもっと簡単にオクターブユニゾン(左手も右手と同じくメロディーを弾く)でも音楽としては十分かっこいいと思う。技術的に難しいというなら「ドードドドド、ド、ド」でもよかろう。よっぽど特殊なことを教えようというのでもない限り、伝統的和声学にとって間違ったものを幼少期のレッスン生に与えるのは害悪でしかない。

ダイアモンドの鑑定士を育てるには、本物とガラス玉を見せて「こっちは本物、こっちは偽もの」といったことはしないそうだ。とにかく本物を見せ続けて鑑定眼を育てるという。音楽だって同じようなもので、おかしなものを与えてはいけない。特に、センスを育てるべき世代におかしなものを与えて、おかしなものをおかしいと感じなくなってしまっては元も子もない。

鑑賞「万引き家族」

 カンヌでパルム・ドールをとった是枝裕和監督作品。血がつながっていても家族として幸せとは限らない、そこからドロップアウトし社会の底辺近くで身を寄せ合い、生活は苦しいもののメンバーを思いやってそれなりの幸せな日々を生きていく擬似家族の物語。お涙頂戴の大きな感動とかはないものの、今の日本の社会における最小コミュニティとしての家族のありようの一面を切り取った鋭い視点がおもしろい。

と、当たり障りのない感想文を残しておく。

「万引き家族」公式サイト

障子に目あり

職場の近くにある映画館のポイント切れが今月末だったので、映画を見に行ってきた。自分が知る限り全然これっぽっちも話題を聞かない「メアリと魔女の花」。はっきり言ってこれはあかんやろ。ジブリ風味の画なのはまぁ仕方がないとしても、このストーリーというか脚本はひどすぎる。穴あきまくり、矛盾しまくり、つぎはぎだらけの行き当たりばったり。深みもなし。申し訳ないけれども見ても見なくてもどうでもいい作品だった。話題にならないのもなるほどなって思った。エンドロールの最後に出てくる「感謝」は痛すぎる。2流のジブリを自己申告してしまっている。

「メアリと魔女の花」公式サイト

アンノウン

今日は「アンノウン」という作品を鑑賞。鑑賞者の評価は高かったんだけれども、自分としては、ん~~、微妙というか、見ても見なくてもそんな価値はないなと。一応スパイサスペンスものなんだけれども、これもっとどんでん返しを入れたアクション映画にしたほうがおもしろかったんじゃない?設定がなんだかもう場当たり的。なによりも仕掛けは意外性がないうえにやたら説明的で映画なら映像でもっとドンピシャで見せてほしかった。爆破のターゲットもダミーと本物との本質的な違いはそれほどない(そのことによる価値観のひっくり返しがないのだ)。しょーもない映画で時間をつぶしてしまったっていうのが感想。

ビューティフルマインド

2001年のアカデミー賞作品なんだね。当時話題になっていたけれども、ラッセル・クロウがあんまり好きじゃなくて見逃してた。ゲーム理論には興味があるのでとりあえず見てみたけれども、そこはあまり重要じゃないのね。面白いかと言えば、今一つだったかな。こういうきれいにまとめる伝記にはうそくささを感じてしまう。同じ数学者の話なら先日見た「イミテーション・ゲーム」の方が個人的には好み。

最後の後日譚字幕(日本語訳)に「今も教団に立っている」ってあったけど「教壇」の間違いだよね。カルトでも立ち上げたのか?