日本に西洋音楽が入ってきたのは明治以後と考えてまず問題はないと思うんだけれども、今年(2018年)は明治維新から150年。ちなみに古典派の代表的作曲家であるベートーヴェンの没年は1827年なのでおよそ200年前の人。ベートーヴェンと明治維新って50年ほどしか違わないんだねぇ。ってことをボーっと考えてたラフ的明治維新感。歴史(音楽史においても)における近現代って範囲はどんどん長くなるばかりなのではないか?と思ったり思わなかったり。
カテゴリー: 音楽
AI幻想
Amazonのドラマ「モーツァルト・イン・ザ・ジャングル」で、日本のIT企業が主催するクラシックコンサートでAIロボットが登場する。このAIロボットはモーツァルトの全ての曲をインプットされており、モーツァルトのごとく発想できるという設定。コンサートでは、2つの演目が用意されており、1つ目はこのロボットが「フィガロの結婚」序曲の指揮を振り(オーケストラメンバーは人間)、2つ目はモーツァルトが途中で死んでしまったために未完となった「レクイエム」の続きをこのAIロボットが作曲したのでそれを初演する(指揮は主人公であるプロの指揮者)。で、モーツァルトを敬愛する主人公の指揮者はこのAIロボットに反発するわけだが……。
主人公は「そんなにAI化したいのなら聴衆もAIにすればいい」なんてことも言っており、これにはとても共感した。芸術においては提供(サービス)する側=作者(奏者)という関係を想定するから、AIは作家の代わりということを真っ先に思い浮かべがちだけれども、受け手がAIだっていいわけだよ。AIが人間のように考えるのであれば、人間のように感じることもAIの目指す目標ととらえることも可能であり、そうであるなら聴衆のAI化を考えたっていいわけだよ。AI聴衆?アマチュア作曲家、アマチュア指揮者、アマチュア演奏家の中には、人間のように感じてくれて評価してくれるならそういう存在を欲する人もいるんじゃないかとか思ったり思わなかったり。案外需要があったりしてね(ラフはそういうのいやだけれども)。
3度の勘違い2題
メロディーに対して、メロディーと同じ動きのハーモニーをつけようとした場合、3度下を演奏させることがある。ここで重要なのは、これは必ず適切というわけではないというところだ。ところが3度下をいっておけば必ずハモると思い込んでいる人が、音楽をやっている人(音大出身を語る人)たちの中にもいるから困る。
あるアンサンブル集団でのこと。2本の楽器がユニゾン(まったく同じ旋律)でメロディーを演奏するようにアレンジされている箇所があったんだけれども、そのうちの一人がユニゾンはつまらないからといって、ハモらせようとメロディーの3度下を機械的に演奏したのだ。もちろん演奏は珍妙な汚いものになったのは言うまでもない。どのような和声が付いているのかも考慮せず、しかも機械的な3度下。何考えてんだ?とあきれた。しかもこの人が音大出身で音楽のことは他の人より分かっているつもりになっている点が、痛くて痛くて仕方がなかった。
是枝監督の映画「そして父になる」。ある程度裕福でそれなりの教育を息子に施している家庭が出てくるのだが、この息子がピアノの発表会で演奏するのが「メリーさんの羊」なのだ。これが見事に機械的3度演奏(「ミーレドレミ、ミ、ミ」という右手に対して「ドーシラシド、ド、ド」の左手)アレンジ。もっともこの家庭は教育にお金はかけているが、その教育の本質的よしあしには関心がない。そして息子も積極的にピアノに興味がなくあまり上手くもないという設定なので、これはこれで機械的3度演奏が結果としてそれなりの効果を生んでいる点は認めよう。ただ、映画の出来とは別なんだけれども許せないのは、こういう気持ちの悪いアレンジを平気で教材として幼少期のレッスン生に与えてしまうピアノ教師というものが現実にも存在することなのだ。そしてそれが和声的に気持ちの悪い不具合を生んでいることに気付いてないことの罪深さ。音楽教育に携わる者としてこんなものを違和感なく平気で聞けるということは音楽家として致命的だ。ラフだったら頭使わないでも2声でハモらせるなら左手は「ドーソミソ、ド、ド、ド」ぐらいだろうと思うし、あるいはもっと簡単にオクターブユニゾン(左手も右手と同じくメロディーを弾く)でも音楽としては十分かっこいいと思う。技術的に難しいというなら「ドードドドド、ド、ド」でもよかろう。よっぽど特殊なことを教えようというのでもない限り、伝統的和声学にとって間違ったものを幼少期のレッスン生に与えるのは害悪でしかない。
ダイアモンドの鑑定士を育てるには、本物とガラス玉を見せて「こっちは本物、こっちは偽もの」といったことはしないそうだ。とにかく本物を見せ続けて鑑定眼を育てるという。音楽だって同じようなもので、おかしなものを与えてはいけない。特に、センスを育てるべき世代におかしなものを与えて、おかしなものをおかしいと感じなくなってしまっては元も子もない。
音楽と言葉と
秋の地域の音楽イベントに出演およびお手伝いをしてきました。およそ20近い団体が出演したのだけれども、ほとんどは小学校の団体。去年もこのイベントの感想を書いた。小学生の多くが技術的に上手くないのは仕方ないけれども、それでもいいと思ってしまう、気にならなくなってしまうという状態になるんだとしたら、それは音楽ではないと思うのだ。みんなで何かをなしとげる喜びと音楽の楽しさってのは別ものだ。科目としての「音楽」(いわゆる指導要領に基づく学校の音楽教育)でよしとされる演奏と、音楽で求められる演奏は違う。教育イベントで良しとされるレベルにとどまるか、教育レベルで良しとされるかもしれないがもっとよいものを届けたいという心意気まで持てるか。小学生にそこまで求めるのは酷か?でも単なる情操教育レベルでとどまってしまっては音楽の楽しさすばらしさに気付けないんじゃないかなぁ。もったいないって思ってしまう。
ある合唱の団体が「Believe」を歌っていたけれども、Sくんはこの曲がすごく好きらしい。その思いを熱烈に語ってくれた。この曲、好きな人にしばしば出会うのだが、ラフはこの曲が好きではない。なんだか気持ちの落ち着きどころがないふわふわした気持ち悪さを感じるのだ。メロディー(歌詞を除いた部分)もそんなに魅力を感じない(ありふれた陳腐な駄曲にしか思えない)し、歌詞だって素人が書いたような上っ面を撫でただけの軽さ。よく考えたら何を言っているのかわからない抽象的、雰囲気重視な言葉を並べただけな、詩にたいする責任をまったく感じられないもの。それに対して「Believe」とかタイトルを付けちゃうセンスってすごいなぁ。「Believe」って単語をラフは「(無条件に、有無を言わさず)信じる」というか「信じさせられる」とかいう非常にきつい言葉と感じているのだ。「宗教」とか「神」とかに対する。そこには盲目的に信じてしまうような覚悟、一神教に立脚する「疑うことは許されない」ような印象を受ける言葉なんだよね。「I believe you.」だったら「(何があっても、君が間違っていようとも)僕は君の味方だよ」ってくらいの覚悟の表明だと思うんだよ。こんな雰囲気だけ並べ立てた言葉の羅列を、弛緩したのほほんとしたメロディーにのせた曲のタイトルにこんな言葉を付けてしまう。この曲にはこそばゆいすわりの悪さ、あまりにもものを考えていないこっぱずかしさを感じてしまうのだ。これはラフだけなのか?ラフの感じ方がおかしいのか?好きな人には申し訳ないけれども、気持ち悪い曲だ。
かつて所属していた団の演奏会
Q団の演奏会を聴きに行ってきた。演出たっぷりの楽しい演奏会だった。しつこいくらいにハロウィンにこだわっていたのがちょっとやりすぎ?とは思ったけれども。
ラフがこの団をやめてもう2年位かな。辞めた理由は団が目指している方向と自分がやりたいものが違うからなんだけれども。かっこよく言うなら「音楽性の方向の違い」ってやつ。もっとも音楽性の方向だけではなかったんだけれどもね。Q団はゲイフレンドリーな団体だから、団員としゃべったり、練習後の飲み会とか本当に楽しくて、そういう時間をすごすためにQ団にいるのは自分にとって精神面でのメリットはすごくあったんだけれどもね。
かつての仲間が、楽しい演奏会を開催している様を見て、あぁよかった、これからもがんばってね、って思いながら帰路に着いた。
ヴィブラスラップは登録商標
通称「与作」と呼ばれる楽器がある。北島三郎の「与作」で印象的に使われた楽器で「カーーーッ」と鳴る楽器だ。楽器の正式名称は「キハーダ」という。動物のあごの骨を使ったラテンパーカッションの1つだ。さてこれには代替楽器があって「ヴィブラスラップ」という。ハンバーグ師匠が携帯しているあの鳴り物である。実際の演奏場面で「キハーダ」と指定されていても、たいていの場合は「ヴィブラスラップ」を使う。作曲者による楽器指定も「ヴィブラスラップ」と書かれていることが多い。ただしこの「ヴィブラスラップ」という楽器名、実はPL社の登録商標で一般名称ではないのである。ヤマハの「エレクトーン」と同じようなものだ。
プレイリスト問題
先日、平均律をプレリュードとフーガはセットでシャッフル再生できないものかと書いたが、結局ファイルをいじらずに済む簡単な方法は見つからずじまい。
さて、本日はまた別のプレイリスト課題。既存のAというプレイリストには50曲入っている、既存のBというプレイリストには100曲入っている。このAとBをあわせてシャッフル再生したいのだが、再生される割合は、Aから80%、Bから20%としたい。こういうプレイリストはどう組めばいい?
パッキャマラード
以前にも触れたけれども「クラリネットを壊しちゃった」という子供用の歌があるではないか。あの歌でクラリネットの音を「パッキャマラード」と表現しているのだが(擬音語?)、これってかなりシュールな表現だなぁと思うわけだ。少なくとも自分はクラリネットの音が「パッキャマラード」と聞こえたためしはない。
それはさておき、最近この歌が脳内再生されるさいに、「パッキャマラード」が「パッキャマ豚脂」に変換されて困る。スーパーなどでご自由にお取りください状態の小分けされた白い塊が映像として浮かんでいるのだ。
追記(2018-05-11)
タダ酒を雪見で一杯
春分の日だというのに、雪(みぞれ?)の寒い一日。お手伝いに行っているBJさんのアンサンブル大会本番。今年は金管8重奏と金管10重奏に参加。なんと金管10重奏が優勝しました!!バンザイ。優勝すると打ち上げ代がタダということで、浴びるように飲んでまいりました。その分来年の参加がデフォルトとされてしまいましたが。演目にあわせてネコ耳をつけてみたんだけれども、演奏コメントで褒めてもらったのでとても満足(<そこかい)。
3匹のネコともう1匹のネコと去来抄
先日のS吹奏楽団のリハに、ホワイトデーのお返しとしてSちゃんへ最中を納めたのである。今Sちゃんと一緒にやっているアンサンブルの曲名にちなんでネコの最中4個詰め。Sちゃんには何も言わずに渡したのであるが、「箱を空けた瞬間に分かって笑った」とメールをもらった。
スルーされたら寂しくて死んじゃうとこだったよ。
「なんぢは、S、ともに風雅を語るべき者なり。」
と、ことさらに喜び給ひけり。