非パリピのゲイ認定

 S吹奏楽団ではゲイであることをカミングアウト済みなんだけれども、同じくゲイのKさんから「ラフは非パリピゲイだよね」と認定された。自分がパリピなのかパリピじゃないのかなんて考えたこともなかったけれども、なるほど確かにどちらかに分類せよと言われたら、非パリピなのであろうな。そういえば、数年前「シャイニーゲイ」という言葉がゲイコミュニティーで大流行していたけれども、その時も自分は非シャイニーにカテゴライズされていたな。えぇ、私は地味なゲイですよ。それが何か?

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右手

 ローマ字入力で「項目の実行順序」と入力したい場合、右手ばっかり使う。

Rは「右手の法則」あるいは「右ねじの法則」と言われているものを「右手こいこいの法則」という。「右手こいこいの法則」と唱えながら、右手で親指を立てたネコの手を作って、クイックイッと手招きする感じの動きをするのだがとてもかわいい。

意地っ張り

Rと付き合っていて、改めて自分の意固地で素直でないところを自覚する。特に酔っ払っているときに、自我を通そうとして、思ってもいないこと、あんまり考えていないことを、譲れない事のように発言してしまうことがある。結果としていわゆる暴言失言となっている。とりわけ、自分よりも相手の方が上手だってことを認めたくないんだよね(そうなのである、Rは自分よりも上手である)。後から思い返すと、芯のない不安な自分を見せたくないから意地をはっているだけなんだよな。でもまぁ、そうやって何かを発することで普段は意識していない自分の考えていることや行動様式を垣間見られてそれはそれでいいことな気もする。こういう状況って、今までの人生であまりなかった。Rもそういうこと理解してくれているから助かる。ありがとうって言わなきゃな。

カミングアウト考

ラフは基本的に自分がゲイであることをカミングアウトしている。とはいっても、積極的にカミングアウトしているわけではなく、聞かれれば否定はしないっていう消極的カミングアウトだ。カミングアウトはそれはそれは大変な決心が必要だし、実際に行動することはさらにものすごく障壁が高いものだとは思う。けれども、カミングアウトしたからって何らかの問題がなくなったり解決したりするわけではないし、ましてやカミングアウトしているっていうことがゲイである自分を受け入れていると言うことでは全然ない。何度か書いたけれどもラフが過去をばっさり切り捨てているのは、カミングアウトしていない頃の自分と向き合う勇気がまだないってだけのことなんだし。だからカミングアウトするしないはそれぞれの置かれている状況において判断すればいいだけのことだと思う。しないのも自由だ。することがすばらしいなんて、そんな単純明快バカな考えにはまったく賛同できない。ただ、カミングアウトをしても問題にならないような社会にはなっていって欲しいとは願っている。

逃げ惑うバーべどもをキューキュー言わせるイベント

本日は晴天なり。Rに誘われて東京の端っこの方にある公園でのBBQイベントに参加。参加人数が多くて(50人くらい?)、もはやこれは大会だよ。食べて飲み始めたらものの1時間ほどでおなか一杯、もう食べられません、飲めません状態。それにしてもこういうイベントを企画して実行に移せる人ってすごいなぁと思う。また参加しているみんながそれぞれに極端な羽目を外したりしない大人。こういうイベントはいいね。日差しが強くて、強烈に日焼けしてしまった。

帰りにはBBQに参加していた人に誘われて沖縄料理の店で飲んできた。ホント楽しめるときに楽しむことのできる人たちってすごいなぁと思った。人付き合いのうまい人のつめの垢をせんじて飲みたいくらいだよ。

今日一日で強く思ったのは、人をもてなすことができる人って本当に素敵だなということ。こういうイベントに誘ってくれたRに感謝。ありがとう。

そこは笑うところか?

SNSで性的にはまったく興味がない若い子(20代半ば)とメッセージのやり取りをしているのだが、やたらと「笑」を入れてくるのだ。え?そこ笑うところか?笑いすぎじゃないか?微笑みのつもりでいちいち「笑」なのか?異文化の人間とコミュニケーションをしているようで不思議な感じ。なんかどこかで話が通じていないのではなかろうかといぶかしく思うこともあり。その延長で「この子は頭悪い?」とか思ってしまう自分の歳取りようにも驚くが。

どうなのかな

今日はRくんと、新宿で飲み。ちょい飲みセットが全然ちょいじゃない店発見。安く上がる。そのあとバーに出かけて1時ころまで。Rくんとの関係は何なんだろうかと迷っている。付き合っているのかと言えば、まだ付き合っているわけではない感じもするし。お互いにまだそういう部分は本音で話すのは難しい。将来のこととか考えてしまうわけで。

単刀直入過ぎるが相手をするにはなんだかなメッセージ

SNSで新規メッセージの通知。最近あまり開いていないので誰からだろうとワクワクしながら開封。ただ

「SEXさせて下さい!!!!!!!!!!!!!!!」

とだけのメッセージだった。見ず知らずの若い子らしいけれどもプロフィールを見てもほぼ内容なしでどんな人物か不明。一体どうしろと?

幸せな家族幻想

 自分はリア充をうらやむようなことはしたくないなぁ、しないようにしようと思っていたんだけれども、リア充にイライラするって言うのはこういう感じなのかなと思ったり思わなかったりしたことがあったので記述してみる。よござんすか?

いわゆる職場関係の世間話での話題としてよく「家族」というものが取り上げられる。それも大抵、話題が肯定形にしろ否定形にしろ愚痴にしろ、そして話者の意図に関わらず、結局は自分の家族自慢(「うちはなんだかんだいって幸せだ」)なのである。職場が関わってくると話題が断然「嫁自慢」「子供自慢」「家族自慢」なのだ(もっとも現実には介護やら看護やらでそれどころじゃない苦労をされている方もいるにはいるが、そういう人はあまり家族のことを話題にしない)。いや、自慢してくれていいのだ。幸せ光線を発してくれていいのだ。幸せならそのポジティブな気持ちを共有しようじゃないか。そう思っていた。そう思っているつもりだった。

でも、そういう家族の幸せ話を聞きつつ、自分の中にザラっとしたものが残ることがあるのだ。自分が家族を持つことがない惨めさとかつらさを実は感じているのではないか?幸せな家庭に対する羨望と僻みみたいな。潜在意識下のレベルだったとしても。SNSでよくある他人のリア充がうっとうしいと言うのはこういうことなのか?でも、自分は家族を持たないということを受け入れているつもりではあるんだよ。なんなんだろうこれは。ほんのちょっとしたささくれ程度の違和感なんで、別に気にしなければなんともないことなんだけれども、どこか居心地が悪いことにたまに気付いてしまうのだ。

さて、おもしろいことにそういう「家族」話題になるのは社会人つながりでも断然「職場」関係で多いのだ。自分が知る限りS吹奏楽団(一般社会人吹奏楽団、つまり職場関係ではない所属集団)ではあまり家族の話題というのは耳にした事がない。別に幸せな家族が少ないわけではない(と思う)。もっともS吹奏楽団だって家族ぐるみで団に関わっている(団員としてもそうでなくても)団員もいるにはいるが、家族の話題はあっても、しごく自然で、つまるところの家族自慢はそんなに聞いたことがない。ひょっとしたらこれは家族をもたないハゲデブ40代中年おっさんゲイ独身なラフ(S吹奏楽団ではカミングアウト済み)に対して配慮してくれていて、そういう話題が耳に入らないように気づかってくれているからなのだろうか。う~~む、そうだったのか。道理でラフにとってS吹奏楽団の居心地がいいはずだ。

ん?ここまで書いてみて、つまりはこういうことかと思い至ったぞ。おそらくS吹奏楽団の仲間とはかなり親しいが、職場の人とはあまり親しくないというただそれだけの差なのかも。そうなると、ラフがゲイである事をカミングアウトしているかしていないかの違いなのか?カミングアウトしないのはなにかと社会生活を営むには生きづらいというようなありふれた結論になるのか?クローゼットなゲイはリア充にはなれないというただそれだけのことなのか?う~~む、ここから問題提起をしてもう一話書けそうだがそれはまた今度にしよう。鳥頭なのできれいさっぱり忘れるかもしれないけど。

カミングアウト済みとは言っても

はじめに
ラフはゲイです。カミングアウトすることがえらいとか立派だとか言うつもりはさらさらありません。人にはそれぞれの事情というものがあるわけだから、それぞれの事情に合わせて対応すればいいことだと思います。カミングアウトしないという選択も大事だと思っています。

ラフは基本的にはカミングアウト済みなのであるが、実は職場と親族関係と過去の人間関係にはカミングアウトしていない。職場は生活がかかっているので面倒なことを避けたいという自分の意思による決定。親族関係は両親にはカミングアウト済みではあるが、家族が親族関係でゴタゴタに巻き込まれるのは大変だということで余計なことは言わないようにということになっている。あと、30代以前の過去の付き合いではほぼカミングアウトしていない。というのも、まだ自分が何者であるのか分からず苦しんだ20代までは最悪の時期で、忘れ去りたい(まだ向き合う心積もりができていない)過去のオンパレードであるため、過去の縁を切ってしまっている場合が多いからだ。

今の自分は基本的にはカミングアウト済みではあるが、カミングアウト済みだから楽かというとそういうわけでは決してない。自分自身が強く生きていかなければならない覚悟をしなければいけないのはもちろんだけれども、周囲(ノンケに対してもゲイに対しても)への気遣いもかなり求められるものなのだ。ただ単に自分の生きたいように生きていけばいいわけではないのだ。ノンケに対する気遣いは、まぁ相手が不愉快にならない程度に話題や言動をある程度控えてるってことはもちろん、ゲイと言うものにネガティブな感情を抱かないように配慮している。ゲイに対しても原則は同じだけれども、とりわけクローゼットのゲイ友達に対する気遣いは重要。大切に思うから気遣うわけで。たとえばカミングアウト済みのノンケ友達にゲイの友達を会わせる場合、ゲイの友達がクローゼットだったら紹介しづらい。ラフがカミングアウト済みの人たちにとっては彼らにとって素性の分からないラフの友達は「まぁゲイだろう」とデフォルト思うわけだからだ。意図せぬアウティングとならないようにしなければならないことを考えるといろいろ面倒くさいのだ。これが結局ゲイの交友関係とノンケの交友関係をラフが積極的に交えることのできない一つの理由でもある。

たとえば、S吹奏楽団の忘年演奏会という年末最後の練習は、団員以外にも知り合いを呼んでいい練習なんだけれども、ラフは吹奏楽をやっている友達(それがノンケであれゲイであれ)がいても、うかつには呼べないのだ。自分が友達を呼んだとしたら、その彼彼女はS吹奏楽団の団員からは「ラフの知り合いだからゲイだろう」と思われるだろうから。ノンケだったら勝手にそう思われるのは迷惑だろうし、クローゼットのゲイだと消極的なアウティング行為になってしまう。こういうのって結構気を遣う。気を遣っているつもりではあるんだけれども、それでも結果としてラフが予期せぬアウティングをしてしまったゲイ友達もいる。本当に申し訳ないことをしたと思っている。

カミングアウトするのも一つの選択。カミングアウトしないというのも一つの選択。自分の覚悟ができているとしても、カミングアウトすればもろもろの問題が解消されると思うのは大きな勘違いだ。カミングアウトしても、またあらたな面倒くさいことが出てくるものなのだ。

さて、ラフはFacebookはやっていない。Facebookって実名主義でしょ。実名主義は別にかまわないんだけれども、カミングアウト済みの人間関係とカミングアウトしていない人間関係の人脈を使い分けたい自分にはあまり向いていないんだよね。過去の自分と今の自分に一貫性が取れている人はいいんだろうけれども(そして多くの人はそうなのであろう)、ラフは先に述べたように過去の自分と今の自分のアイデンティティーがまったく別である。そして、自分とつながっている人が予期せずラフのカミングアウト済み世界と未カミングアウト済み世界で不用意につながってしまうのを避けるためにもFacebookをやるつもりはないのだ。実名主義で自分自身の、そしてつながっている人の、あるいは対しての、予期せぬアウティングに巻き込んでしまうことになるのは避けたいのである。

追記
「自分自身が強く生きていかなければならない覚悟をしなければいけないのはもちろんだけれども」なんて書いたけれども、そんな強い覚悟ができているかといえばそんなことはないな。確かにカミングアウトは自分の意思でしたわけだから、それによって引き起こされることは責を負おうとは思う。でも、やっぱり自分はそんなに強いわけではないよ。打たれればへこむし、寂しければ泣くよ。でも、それでもいいじゃん。