読了:ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢【電子書籍】[ 松谷健二 ]



 ゲルマン民族ヴァンダル族王国史。もともとヴァンダル族はスカンジナヴィア半島の出だとされている。かれらはいわゆる「ゲルマン人の大移動」とされる時代に、ドイツ>ガリア(フランス)>スペイン>ジブラルタル海峡をアフリカに渡り最終的にはカルタゴまで移動した。海賊業で地中海を鳴らしたものの王国は跡形もなく滅びてしまう。

この時代の主要なゲルマン民族としては、ガリアのフランク族、イタリアの東ゴート族、スペインの西ゴート族、アフリカのヴァンダル族、それから分裂したての東西ローマ帝国(西ローマは476年に早くも滅亡)との関わり、キリスト教カトリックとアリウス派の対立(ローマはカトリック、ゲルマン民族は基本的にはアリウス派)を軸に話が展開される。

後半に向かってとにかく人名がたくさん出てくるんだけれども、聴きなじみのない響きの名前ばかりで、だれがどの国の人?えと誰の子供だっけ?誰と誰が対立してるんだっけ?とか大混乱。ある程度この時代に関する知識がないと厳しいかも。ただ、松谷氏の文体は一文が短く講談風に読めるので、分からなくても筋だけ追うならさくさくとは読める。アフリカにまで渡ったゲルマン民族ヴァンダル族に興味があればぜひ。

ヴァンダル興亡史 地中海制覇の夢【電子書籍】[ 松谷健二 ]

読了:文庫 銃・病原菌・鉄 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎 (草思社文庫) [ ジャレド・ダイアモンド ]



以前からいつか読まなければと思っていたジャレド・ダイアモンド著の「銃・病原菌・鉄」。ピュリツァー賞受賞の現生人類の進化と文明史。「銃」「病原菌」「鉄」そのものをテーマにした作品ではなく、人類が他地域への侵攻をする際に重要となったものを象徴的に挙げてタイトルにしているに過ぎない。

人類の他地域への侵攻が成功したかしなかったかは、成功したほうの人類が優れているからだという思い込みを否定している。主な要因は地理的あるいは時間的なものであるとする。説明するさいに疑問として提案するものが、天然痘は旧世界から新世界へ広がったが逆じゃないのはなぜ?ユーラシア大陸では馬を家畜化したのにアフリカ大陸ではシマウマを家畜化しなかったのはなぜ?という感じで、「なるほどなぁ、そういう見方で考えれば確かにおもしろい」と思うものばかり。

ただし解説がとにかく懇切丁寧すぎて、今読んでいる話題が全体の流れの中のどの部分なのかを見失うことしばしば(その章の中でさえも)。これは自分の読解力が拙いだけなのかもしれないが、とにかく読みきるのに数ヶ月もかかってしまったよ。さくさくと読み進められなかったのはちょっとつらかった。そうはいっても、じゃ余計な論点やつまらない記述であふれているのかというとそういうわけではなく、どの部分もそのものの話題は面白くてそれゆえに、今どんな文脈でその話しているんだっけ?ということがわからなくなる感じ。

日本語訳にちょっと引っかかる部分がいくつか(個人的思い込みによる部分はあるかも)。例を挙げると
・「アンナ・カレーニナの原則」:自然システムの例としてたとえるのであるから「法則」の方が適切では?
・「自然淘汰」:学術書でもあるわけだから学術用語としての「自然選択」を使うほうがよいのでは?そのほうがより文脈にも則するし。
・「ユーラシア大陸にくらべて、アフリカ大陸、南北アメリカ大陸、そしてオーストラリア大陸では動物の家畜化が進まなかった。その理由は、~」という文を読めば、当然以下に動物の家畜化が進まなかった理由が書いてあると思いながら読むよね?でも実はそうじゃないんだよ、この文は。そのあと4,5行後にようやく文末がくるんだけれども、そこには「~からなのだろうか。」とあるんだよ。疑問文だよ、疑問文。衝撃の文末だよ。激しく脱力だよ。ヘナヘナってなったよ。おそらく英語の構文的には文頭で判断できるのだろうが、これは日本語訳に失敗しているよな。再度この4、5行を読み直す気力はなく、トホホな気分でトボトボと先に進んだよ。こういう点でも読みにくさを感じた。

文庫 銃・病原菌・鉄 上 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎 (草思社文庫) [ ジャレド・ダイアモンド ]
文庫 銃・病原菌・鉄 下 一万三〇〇〇年にわたる人類史の謎 (草思社文庫) [ ジャレド・ダイアモンド ]

電子書籍リーダー

ラフも電子書籍リーダーで本を読むことがあるが、やっぱり紙の本派だな。たとえば、本棚から適当に一冊引き抜いて、パラパラとおもむろに開いたところから読み始めるなんてことが、電子書籍にはできないのだ。いわゆる「ちょい読」には電子書籍リーダーは向いていないと思うんだけれどもどうだい?もっとも最初から最後まで一方方向で読んで終わりにできる本は電子書籍リーダーに向いていると思うし、たくさんの本を持ち歩けるから便利だとは認めるよ。

読了:グノーシス (講談社選書メチエ) [ 筒井 賢治 ]

前からずっと気になっている言葉だったんだよ「グノーシス」。キリスト教史に触れるたびに、たびたび顔を出す異端信仰ということだけしかわかってなかったんだよね。どんな考え方なのかまったく知らなかった。でさ、wikipediaにはこう書いてあるのさ。

wikipediaの「グノーシス主義」の項

分かる?ここに書いてあること読んでも俺は全然わかんなかったね。何をおっしゃっているのかしら?ってくらい読むのが苦痛。そうはいうものの、ここらでちゃんと勉強しておこうと思った次第で、最近こんな本を読んでいたのだ。

「グノーシス」はギリシア哲学や二元論的な世界観から生まれた、正統多数派キリスト教とは異なる福音信仰。そもそもが創世神話からして異なっているわけだから、そりゃ異端とされるわな。こんな具合。1:が正統多数派キリスト教、2:が一般的なグノーシスのキリスト論、3:がグノーシスの一派マルキオンのキリスト論。

1:至高神=創造神は、自らが造った人類を罪から救うべく、自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。

2:至高神は、低劣な創造神が造った人類から、その中に取り残されている自分と同質の要素を救い出すべく、自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。

3:至高神は、自らとは縁もゆかりもない低劣な創造神が造った、自らとは縁もゆかりもない人類を、純粋な愛のゆえに、低劣な創造神の支配下から救い出して自分のもとに受け入れようとした。そのために至高神は自らの子イエス・キリストを遣わして人類に福音を伝えた。

この説明ほど衝撃的なものはないよね。グノーシスってのはこういう考えなんだもん、びっくりするよ。ここまで違うんだと。正統多数派キリスト教からは異端とされる「グノーシス」を作者は時代背景から次のようにまとめる。

体制批判のごとく血なまぐさい熱狂もなく、殉教指令のごとく凍りつくような冷徹さもなく、単にギリシア哲学や二元論的な世界観を積極的に取り入れてキリスト教の福音を知的に極めようとした無害で生ぬるい運動。表現がネガティブにすぎるかもしれないが、つまるところ、紀元二世紀のキリスト教グノーシスとはこのようなものであったと言っても間違いではない。

紀元二世紀のローマ世界は、タキトゥスが「まれなる幸福な時代」と書き、同時代のローマ人でさえ「黄金の世紀」と呼んだ、そして後世が「五賢帝時代」と呼ぶ世界なのだ。その中で広がった「宗教」(=信じること)に「知」(=認識すること)を求めた考え方だったのだ。こんなワクワクする考え方を生んだ時代ってすごいとも思ったよ。

個人的大ヒット、すごく面白かった。「グノーシス」が気になって仕方がない人に「グノーシス」入門としてお勧め。
グノーシス (講談社選書メチエ) [ 筒井 賢治 ]

読了:人体六〇〇万年史 科学が明かす進化・健康・疾病 [ ダニエル・E・リーバーマン ]

先ごろ読んだ「サピエンス全史」が面白かったので、今度は関連書籍として紹介された「人体600万年史」を通読。前者は歴史学者が哲学方面に進むのに対して、後者は人類進化学者が科学方面に進む。とにかく引用文献やコメントが豊富で(上下巻ともその3割は引用文献や注釈、1割が索引)、文献に裏打ちされた最新の人類進化史として読み応え抜群。

600万年前と言うのはわれわれの祖先が二足歩行をはじめたと推定される頃。もちろんホモ属はまだ誕生していない。そこから人類史を進化の面から詳述する上巻と、農業開始にともないこれまでの進化が引き起こした不具合のメカニズムとその対処法を検討する下巻。人類の歴史の多くの時間は狩猟採集民であり、農業を始めたのはほんの最近のこと。なので、狩猟採集民として進化してきたことが、農業の開始によりいろいろ不具合となって現れてきた(著者はこれを「ミスマッチ病」と呼ぶ)。進化は現在でも止まっていないためこれらのミスマッチ病が人類の進化に対して負の効果となってしまう(著者はこれは「ディスエボリューション」と呼ぶ)。多くの病気は産業革命を通した衛生面の改善や医療の進歩により克服されたが、「偏平足」「肥満」「骨粗しょう症」「親知らず」といった不具合(ミスマッチ病)は現在の文明生活習慣では克服は見込めない。人類はこのままディスエボリューションを受け入れるしかないのか?著者は現状の生活習慣は否定しないが、それでもなぜそういう不具合が起こるのかを子供には教育していくことの重要性を説く。

久々に、理路整然としていながらもわくわくできる概説ものを読んだ気がする。おすすめです。

人体六〇〇万年史 上 科学が明かす進化・健康・疾病 (ハヤカワ文庫NF) [ ダニエル・E・リーバーマン ]
人体六〇〇万年史 下 科学が明かす進化・健康・疾病 (ハヤカワ文庫NF) [ ダニエル・E・リーバーマン ]

読了:サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]



ゲイツもザッカーバーグも推す、今読んでおきたいビジネス書ランキングにも入ってくる、巷で話題のユバル・ノア・ハラリ著・柴田裕介訳「サピエンス全史」上下巻を一気に読了。うん、確かに面白かった。こんなにもわかりやすい言葉で(翻訳もすばらしい)、発想の転換、既存の価値観を疑うことを読者に体験させるとはものすごい読み物だ。全史とあるけれども歴史を詳述したものではなく、ホモ・サピエンスが認識革命により想像上の概念を扱えるようになり、実体のないもの、コミュニティ、国家、宗教、イデオロギーとともに時代をたどってきた様を述べる。貨幣さえも「信用(クレジット)」に支えられているのだ。最後にはそんじょそこらのSFなんてものを超越した、今後のサピエンスの行く末は、もはやサピエンスという種(生命)を超えた存在に至るかもしれないという驚きの着地。これをこんなにもわかりやすく、しかも具体例を挙げて説明しているんだから見事としか言いようがない。一読を強くお勧めする。

個人的には上巻が際立って面白くて、下巻に入ると、あぁこの話は知っているけれどもなるほどそういう見方をするのね、で結論はそんなところに落ち着いたかという感じ。まぁ、結論は想像の域を出ていないけれどもね。それは分からないといいながら次の段ではそれを事実として話を進めるなど一部牽強付会なところもある。「既婚者が独身者や離婚した人たちよりも幸せであるのは事実だが」って「事実」なんだ(笑)。一番残念だったのは、キーワードでもあるサピエンスの「幸福」の定義があいまいなことかな。何をもって幸せというのか、もちろん著書の中でそれは一概には決められないと言い、「幸福度」を調査したレポートの紹介はあるけれども、あなた(=著者)が言うところの「幸福」とか指標としての「幸福度」ってなんやねんとつっこみたい。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]
サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]

米原万理さらに

心臓に毛が生えている理由
短編エッセイ集。考えさせられるものが多い。母親をおくる言葉がいい。

「読書感想文」なるもの

「読書感想文」ってあれはなんなんだろうね。読書をしたという証拠として集めているだけのもののような気がする。かえって読書嫌いを増やす原因になってんじゃないのかなぁ。本を読むことは楽しいし面白いってことを経験させるだけでいいのに、わざわざ何を書けばいいのか分からない「感想文」なるものを要求しているんだよ?「感想文」ってなんだよ。そんな曖昧模糊とした書き物を求めるなんて愚の骨頂だよ。本を読んでおもしろい経験をしたのなら、その本を他の人に勧める文章を書いてごらんって感じならわからなくもないけれども。そもそも、押し付けられただけで面白いと思わなかった本の感想を書けといわれたって「つまらない」しかないじゃん。

米原万里再読その3

■他諺の空似~ことわざ人類学
世界各国に似た意味をあらわすことわざがあるという羅列的な本書だけれども、そこから人間の生きざまを見出す試み。でもとりわけ面白いのは、そのことわざを紹介するための前座の小話や、政治批判。前者は米原が得意とする上質の下ネタ話、後者は2000年代前半の小泉政権によるアメリカ追従で国民のことをまったく考えていないでたらめぶりを痛快に突くもの。政治の話なのに時事問題につきものの古臭さというものがないということは、今現在もちっとも変ってないということか。なにせ、当時の幹事長が安倍氏なのだからさもありなん。

米原万里を再読中その2

■「パンツの面目ふんどしの沽券」
パンツやふんどしをはじめとする下着にまつわるエッセイ集。たかが下着にいかに人はこだわってきたかを楽しめる読み物としてまとめてある。学術書ではないので深みはまったくないけれども、雑多な文献の引用とそれにまつわる米原氏の軽妙なコメントで文化人類学入門としてはおもしろく読める。
次の二点が重要
・性器は恥ずかしいから隠すのではなく、隠すようになったから恥ずかしいと言う感情が生まれた
・騎馬民族は馬に乗りやすい衣装としてズボンを発明したのではなく、ズボンというものをはくようになったから、騎馬という行動が生まれた
さきにパンツありき。