マツケンサンバII待望論

オリンピックは閉幕しましたが、いろいろゴタゴタが起こる中、開会式・閉会式の演出でネット民の間で強い待望論が持たれたのが「マツケンサンバII」。

吹奏楽の界隈ではなんといってもとびきり楽しい曲想で客も含めて尋常じゃなく盛り上がるので、アンコールでよく取り上げられるある種定番の曲となっております。

こちらは、吹奏楽界隈でよく演奏されるサンバの曲をメドレーにしたものですが(ブラジル~風になりたい~トリステーザ(著作権の関係で演奏はカットされています)~マツケンサンバII)、最後はやっぱり「マツケンサンバII」で締めくくるのです。

でも、この曲の最大の魅力は演奏会での演奏やオリジナルのオーディオだけ聞いているだけではこれっぽちもその本質的面白さが伝わらないのですよ。早速公式のMVを見てみてください。

何の脈絡もなくキンキラキンの着物をまとった腰元と思しき女性たちや町人と思しき男性たちがサンバの音楽に合わせて陽気に踊り狂う中で、同じくキンキラキンの着物姿の上様(松平健)が登場し、これまた日本的要素が一切ない歌詞をノリノリで歌いまくる。「なんで?」の嵐なのにそれをものともせず徹底した陽気なバカバカしさを演出していることがこのエンターテイメント最大の魅力なのです。なぜ日本人が、江戸時代のコスチューム(しかもド派手なキンキラキン)でサンバを踊り歌うのか。その突き抜けたナンセンスさこそがおもしろいのですよ。ショーレビュー的な演出なのだからこれは舞台(あるいは映像)で見るのが一番。音楽だけではこの曲の良さは半減です。おそらくそういうところがあるから、オリンピックの開会式・閉会式への待望が強かったんではないですかね。

ちなみに、踊り狂うといいましたが、「サンバ」はカーニバルで練り歩くための音楽なので、基本は行進曲です。つまりラテンの行進曲。主に激しく腰を振る振付をしながらも行進するための音楽です。だから単に浮足立った陽気なだけの音楽ではなく、実は地にしっかり足をつけて歩くことが前提の結構力強い音楽です。

演奏会のお手伝い出演依頼を立て続けに断ってしまった

実は、先週末に演奏会のエキストラ依頼の打診が2件来ていたんです。1つはオーケストラ、もう1つは吹奏楽。両方ともアマチュア団体の演奏会なんだけれども、トロンボーン奏者って不足してるのかい?しかもそれほどうまくもないラフにまで声がかかってしまうとは。

この秋、ラフは引越しだの資格試験受験(恒例の年中行事)だの忙しくて、いただいた練習予定表を見るとあまり参加できなさそう。特に吹奏楽団の依頼の方は演奏会本番が資格試験日と丸被りだった。というわけで、両方とも断ってしまったんですよね。オーケストラの方はラフは初体験になるし興味もすごくあった。声をかけていただいた知り合いの方から「ぜひに」と言われていたのだけれども、今回は余裕がないのでお断りさせてもらいました。

コロナ禍のご時世、演奏会開催というのも実際どうなるかわからないほぼ綱渡り状態の昨今。結構レギュラーでお手伝いに行っていた他の楽団の演奏会も昨年以来軒並み中止になっていて、そんな中演奏会出演機会をいただけるというのは貴重な話なのですが。今回は心苦しくも辞退させていただきましたが、機会がありましたら次回はぜひよろしくお願いいたします。

白眼剥きながら演奏した我の姿を見て

ここには載せてなかったんだけれども、さる4月の日曜日に(さり過ぎ?)S吹奏楽団の定期演奏会があったのさ。昨年は演奏会当日が最初の緊急事態宣言にかかってしまって急遽中止になったんだけれども、今回はちょうど緊急事態宣言の合間でなんとか開催された次第。それでもコロナ禍ということで練習に参加することもままならない団員もたくさんいたし、通常の演奏会とは違った非常時の対応が必要だということで準備はてんやわんや。それでもお客さんやスタッフの協力のもと大きな事故なく開催できたことは喜ばしいことでした。

さて、その定期演奏会のDVDがあがってきたので、観てみたよ。本編はまぁいいとして(いいのか?)、今回ラフはウェルカムコンサート(通常のプログラムが始まる前のお客様入場時にちょっとした余興的アンサンブルを行う)に出演させてもらったのです。とりあげた曲はトロンボーン4重奏曲なんだけれどもレギュラーで練習に参加できるトロンボーンメンバーの都合で1本はユーフォニアムという編成で挑戦しました。曲はフィリップ・スパーク作曲「Tokyo Triptych」(東京の3つの街、「新宿」「泉岳寺」「渋谷」からなる3楽章形式の曲)。これがもうべらぼうに難しくて、演奏会本編なんか比べ物にならないぞ。メンバー内でももっぱら「ウェルカムコンサートで私たちの本番は終わりだな、あとは全部(本編のこと)長いアンコール」。第3楽章「Shibuya」がいつもの練習よりも早いテンポで始まってしまったものだから激しく動揺したものの、走り出したものはどうにもならず、ラフは終わりの方で意識朦朧として白眼剥きながら演奏していたのですよ(何をどう演奏したかも覚えていない)。曲が途中で止まらなかったことは奇跡かも。いろいろ反省点はあったものの、意外と一部の人たちに好評だったようで、お客様の中に「私たちもやってみたい」とおっしゃってくださった方もいました。あぁ、しんどかったけれどもやってよかったなぁと今更ながらに思いましたとさ。

あなたの知らない世界

日本のクラシック音楽界隈では、「チャイコン」といえば、
チャイコフスキー国際コンクール
チャイコフスキー作曲のピアノ協奏曲(コンチェルト)
チャイコフスキー作曲のヴァイオリン協奏曲(コンチェルト)
と主要なものでこの3つの可能性があり、前後の文脈から今どの「チャイコン」の話をしているのかを読み取らなければならない。当然、「チャイコン」という略語は日本でしか通用しない。
wikipediaの「チャイコフスキー国際コンクール」の項
wikipediaの「ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)」の項
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (チャイコフスキー)」の項

メンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲は「メンコン」と略す<まぢか!!
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)」の項

ドヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲なんて「ドボコン」だぞ。
wikipediaの「チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)」の項

ブラームス作曲のヴァイオリン協奏曲に至っては「ブラコン」だ。
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)」の項

チャイコフスキー作曲交響曲第5番は「チャイ5(読みは「チャイゴ」)」、ショスタコーヴィッチ作曲交響曲第5番は「ショスタ5(ゴ)」と通称される場合がある。もちろん日本でしか通じない。言うまでもないが「チャイファイブ」「ショスタファイブ」と言い換えても世界には通じないぞ(フィンガーとかジャクソンみたいだなぁ)。あ、第5番だから序数じゃなきゃダメだね。「チャイフィフス」に「ショスタフィフス」。もはや日本でも通じないぞ。
wikipediaの「交響曲第5番 (チャイコフスキー)」の項
wikipediaの「交響曲第5番 (ショスタコーヴィチ)」の項

チャイコフスキーはその界隈では「チャイコ」と略されるが、一部熱狂的な日本人ファンは「おチャイコ様」と呼びならわしたりする(もちろん「おカイコ様」にあやかっている)。もはやビョーキである。「そんなに好きやったら(チャイコフスキーと)結婚せぇ」と突っ込むのが関西でのお約束です(知らんけど)。
wikipediaの「カイコ」の項

「そんなバカな、どうせネタだろ?」と思われる方もいるかもしれませんが、クラシック音楽に片足突っ込んでいる日本人の多くは本当にこういう言葉を使ってコミュニケーションをとっているのだ!!!

クラシック音楽の曲名の俗称、略称
(ブリテン作曲の「青少年のための管弦楽入門」の略称がひどい……)

「逃げ恥」後遺症!?略称タイトルに各局が四苦八苦 – 梅ちゃんねる – 芸能コラム : 日刊スポーツ

ショパン作品冒頭の1発

ショパンのピアノ曲を4つ並べてみる。どれも有名曲だけれども、今回は敢えて冒頭の低音オクターブだけを楽しんでみよう(超イントロクイズ風に)。(作品番号順に並べました)

■バラード第1番Op.23

■ソナタ第2番第1楽章Op.35

■舟歌Op.60

■幻想即興曲Op.66

葦は「悪し」に通じるので「ヨシ」と言い換える

パスカルによる「人間は考える葦である」は有名なフレーズだけれども、ところで葦って知ってる?イネ科の植物で淡水の水辺なんかに群生している。英語だとreed。木管楽器のリードはこれ。厳密には実際のものは葦そのものとは違うけれども、木管リード楽器(シングルリードのクラリネットやサックス、ダブルリードのオーボエやファゴット)において息を入れて振動させる部分のことがリード。

wikipediaの「ブレーズ・パスカル」の項「考える葦」

音楽で有名なのはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の「葦笛の踊り」かな。ところが主要な主題を吹いているのはリード楽器ではない木管楽器のフルート3本。

「葦」の読み方は「アシ」なんだけれども、「アシ」は「悪し」(読みは「あし」)につながるということで「ヨシ」(もちろん「良し」)と言い換えられた言葉の方が一般的か。

wikipediaの「ヨシ」の項
ヨシとは? – 公益財団法人淡海環境保全財団

こういう言い換えは、そういえばイタリアの地名にもあったなぁ。「ベネヴェント」を共和制ローマがこの都市を勝ち取った際に、もともとの地名「マルヴェント」は「悪い風」という意味なので「ベネヴェント」(良い風)に変更したとか。

wikipediaの「ベネヴェント」の項

参考:受験古文では良い悪いの程度は必ず覚える。良いほうから並べると、「よし」>「よろし」>「わろし」>「あし」

アレコレつまみぐい国語-古文単語を覚えよう④- | 大学受験予備校apsアカデミー
評価語の研究―「あし」の衰退を中心に―大学院国語科(ちょっと難しいけれどもおもしろい)

物理的に過剰なピアノとピアニストによる変態御機嫌動画集

数か月前にピアノ連弾(通常4手、まれに6手)と2台ピアノ、2台8手ピアノの演奏形態についてちょっと触れた。

演奏会映えする変態ピアノ連弾曲「2つのロシアの主題によるコンチェルティーノ」

整理すると、「ピアノ連弾」といえば通常は1台のピアノの前に2名の奏者が並んで演奏する(6手連弾の場合は1台のピアノの前に3名の奏者)。一方で「~台」とつく場合はピアノの台数のことです(ピアノは1台、2台と数えていく)。通常「2台ピアノ」とだけ言う場合は、ピアノが2台あって、それぞれに奏者が1名ずつの演奏形態(なのでピアノは2台で奏者も2名)。「2台8手」というのは2台のピアノがあって、それぞれのピアノの前に奏者が2名、つまり4手連弾を2台のピアノを使ってやる(奏者は計4名)。この手の複数人によるピアノ演奏形式の場合、奏者の人数ではなく、ピアノの台数と演奏に必要とされる手の数で表現するのが基本。と、ここらあたりまでが、前回の復習。

今日はさらにピアノと人数を増やしていくよ(ここからはもはや際物の世界ともいえる。まず演奏される機会が格段に減る)。

時代をさかのぼってバロック時代のバッハ作曲「4台のピアノのための協奏曲」。

実はこのピアノ奏者がオーケストラに向かい合う並べ方というのは、歴史的な経緯があります。まず「協奏曲」というのはもともとソロ楽器とオーケストラが変わりばんこに掛け合いをする楽曲形式でした。そして、ソロ楽器の奏者はたいてい指揮者を兼ねていて、弾いていない時は指揮をしていました。なので、ソロ楽器はオーケストラ(というか室内合奏団)に向かい合います(現代でも指揮者に転向したピアニストなんかはベートーベンのピアノ協奏曲あたりまではこれで演奏する場合があります)。そういうわけなので、このようにピアノが横に並んでいくのはさもありなんです。もっともバロック時代はまだピアノという楽器そのものがなくて、チェンバロとかハープシコードとかいう小型の鍵盤楽器なので、動画ほどの場所は取らないですけれども。

同じ曲で、別の並べ方をしている例を2つ続けます。1つ目は、現代のグランドピアノを4台置くとしたら一番場所を取らないであろう配置(ちなみにこの動画のソロ奏者は4人とも大御所!!)。2台のピアノを向かい合わせにして、その組を前後に並べる。

2つ目は、ちょっと変わったスター型配置。場所はかなり取るけれども、4人のソロ奏者が互いに表情を読みあえるため、ソロ奏者は演奏がやりやすくなります。

現代見かけるピアノの形がほぼ確定するのは、ロマン派の時代なのでもっと後になります。さすがにピアノも大型化してくると、これ以降は複数台ピアノの協奏曲はまぁせいぜい2台までというのがほとんどです(伴奏を受け持つオーケストラも多人数化してくる上に、複数台のピアノを用意するのは、ステージ上の場所の確保だけでなく、演奏会場にグランドピアノをよそから運んでくることにもなるので経済的にもあまり実用的でない)。

では、ここからは、協奏曲ではなくピアノだけの曲で。

まずは、4台のピアノそれぞれを二人ずつ担当する(計8名)4台16手の例。ロッシーニ作曲の「ウィリアムテル序曲」の編曲ものです(知らないという人も8:03あたりからの部分は耳にしたことがあるのでは?)。奏者の手元(鍵盤)を見せる配置のため、指揮者が奥にいて客席に向かって指揮を振っています。

次は、8台のピアノ。ただし1台をそれぞれ一人ずつ演奏しているので奏者数は計8名で先ほどと変わりません。ベートーベン作曲「トルコ行進曲」の編曲もの。フルコンサートグランドピアノ(演奏会用の本格的グランドピアノ)8台をスター型に配置しているのですが、かなり重量感のあるステージの見た目になっています。

少しピアノの台数を減らしてみましょうか。まずは、6手連弾から(1台のピアノに3人の奏者)。

定番のラフマニノフ作曲「(6手連弾のための)ワルツとロマンス」をどうぞ。「ロマンス」の冒頭(1:43あたり)は彼の超有名なピアノ協奏曲第2番の第2楽章に極似していることで有名(この連弾曲のほうが作曲は先)。

「ロッシーニの『セビリアの理髪師』による幻想曲」(クラシック音楽の世界ではメドレーは通常「幻想曲」に分類して「~による幻想曲」と名付けることが多いです)。

子ども3人が、簡易にアレンジされた「ラ・カンパネラ」を演奏します。子どもだと3人でも窮屈な感じはしないですし、むしろ仲良しさがほほえましいです。

息抜きにABBAのマンマミーアをお楽しみください。

次は1台のピアノを4人で演奏する8手連弾。連弾というのは1台のピアノの鍵盤の前に奏者が横一列に並ぶのでそもそもがかなり窮屈な上に、演奏するときの奏者の動作もかなり制限されてしまうため、それぞれの奏者の邪魔にならないようにかなりアクロバティックに手をどかす動作などが入ってきます。さすがに4人の大人が並ぶのはきつそう。でも見ている方(聴衆)はかなり楽しいので、アンコールで取り上げると大受けします(演出込みで)。

同じ曲で、2台16手版(ピアノ2台と、それぞれのピアノに奏者が4人の計8名)をどうぞ。暑苦しいことになっていますが楽しんでください。

もう一つ同じ曲。演出はもはや必須。完全にアンコール向け余興企画の小芝居付きです(男女8人でピクニックに出かけている想定か)。奏者はもちろん、見ている方もとびきり楽しいです。

さらに同じ曲による余興中の余興。1台のピアノを12人の奏者で演奏する狂気の沙汰をご紹介。もはや奏者用の椅子は置いていないし、12人同時に弾いているときは中国雑技団的様相を呈しています。人の塊の中、それぞれがすき間探して片腕を鍵盤に伸ばしているだけにも見える。このパフォーマンスはもはやオペラのワンシーンを見ている気にさえなる。2:55あたりからの下降音階を次々に流れ作業のように弾いていくところが最大の見せ場(これさりげなくやってますが、実際演奏するとなると結構難しいです)。

最後はピアノ奏法の可能性を追求した楽しさ満載の御機嫌ナンバーで締めます。1台のピアノを5人の奏者が演奏しますが、ピアノの弦を直接弾いて演奏したり、弦を押さえて鍵盤を叩くことで音色を変えたりしています。時に楽器の筐体部分で音を出したりも。(こういうパフォーマンスをするグループです)

鍵盤だけでなく、こういうピアノの中に手を突っ込んで奏するやり方を内部奏法といいます。クラシック音楽の世界では、現代音楽で特殊な効果を求めてこういう奏法を要求される場合があります。しかし汗と脂にまみれた手でピアノの弦を直接触ったり弾いたりすることになるので、ピアノが傷みやすくなる恐れがあります。それゆえに内部奏法を要求する曲の演奏を禁止している会場(ピアノはたいてい演奏者の個人所有ではなく、演奏会場の付帯楽器です)や、ピアノのコンクールにおいても自由曲の選曲基準の但し書きに「ただし内部奏法を含む曲は除く」と書かれていることもあります。

「あれ、自分が使っていたスライドオイルってこれだったっけ?」

つつがなくS吹奏楽団の練習に行ってきた。楽器(トロンボーン)を組み立てているときにちょっとした違和感を感じる。楽器を使用する前にスライドの滑りをよくするためにスライドオイルというものを使うのである。確かA社の製品からB社の製品に昨年度切り替えたつもりだったんだけれども、今日ケースの中の定位置に入っていたのはB社の製品ではなく、かつて使っていたA社の製品だった。A社のものもB社のものもどちらもそれなりに優れた製品ではあるが、たまに変えてみたくなることってあるんですよ。で、B社の製品に変えて数か月たっているはずなのに、今日定位置に入っていたのがA社製品。「あれ、自分が使っていたスライドオイルってこれだったっけ?」。多少の混乱を引き起こしつつも、まぁ機能的には大きな差はないからいいかと思いつつも使ったんだけれども、何か腑に落ちない。原因は分からないが、これまで使っていたスライドオイルが切れたから、家の在庫から出してくるときにまだ残っていたA社製品を入れたのかな?でも最近スライドオイルを交換した記憶がない。

あぁ、楽器やっていない人にはちょっとこの違和感の正体をうまく伝えられないな。たとえて言うなら、いつも一人で事に及ぶときに使っている特定のローションメーカーがあるとするよね。で、使おうと手を伸ばしたら、いつもと違う別メーカーのローションだったくらいの衝撃だったと言えば、どのくらい違和感と衝撃と困惑と気持ち悪さを抱いたかが伝わるだろうか。(かえってわかりづらい?)

そろそろ、ラフも記憶力が怪しくなってきたということなのだろうか。いや、もともとの記憶力も怪しいのだが。