「あれ、自分が使っていたスライドオイルってこれだったっけ?」

つつがなくS吹奏楽団の練習に行ってきた。楽器(トロンボーン)を組み立てているときにちょっとした違和感を感じる。楽器を使用する前にスライドの滑りをよくするためにスライドオイルというものを使うのである。確かA社の製品からB社の製品に昨年度切り替えたつもりだったんだけれども、今日ケースの中の定位置に入っていたのはB社の製品ではなく、かつて使っていたA社の製品だった。A社のものもB社のものもどちらもそれなりに優れた製品ではあるが、たまに変えてみたくなることってあるんですよ。で、B社の製品に変えて数か月たっているはずなのに、今日定位置に入っていたのがA社製品。「あれ、自分が使っていたスライドオイルってこれだったっけ?」。多少の混乱を引き起こしつつも、まぁ機能的には大きな差はないからいいかと思いつつも使ったんだけれども、何か腑に落ちない。原因は分からないが、これまで使っていたスライドオイルが切れたから、家の在庫から出してくるときにまだ残っていたA社製品を入れたのかな?でも最近スライドオイルを交換した記憶がない。

あぁ、楽器やっていない人にはちょっとこの違和感の正体をうまく伝えられないな。たとえて言うなら、いつも一人で事に及ぶときに使っている特定のローションメーカーがあるとするよね。で、使おうと手を伸ばしたら、いつもと違う別メーカーのローションだったくらいの衝撃だったと言えば、どのくらい違和感と衝撃と困惑と気持ち悪さを抱いたかが伝わるだろうか。(かえってわかりづらい?)

そろそろ、ラフも記憶力が怪しくなってきたということなのだろうか。いや、もともとの記憶力も怪しいのだが。

演奏会映えする変態ピアノ連弾曲「2つのロシアの主題によるコンチェルティーノ」

ピアノソロの場合であっても、右手と左手が交差する箇所がある曲というのは見栄えが豪華になる(その曲の持つ芸術性とは別にパフォーマンスとして)。今日はローゼンブラットという作曲家の(ピアノ弾きの中では)有名なピアノ連弾曲「2つのロシアの主題によるコンチェルティーノ」を紹介しよう。

その前に、連弾とは何ぞや。日本語で「連弾」という場合、1台のピアノの鍵盤を前に、二人の奏者が並んで演奏するアンサンブル形式を指す。高音担当(鍵盤に向かって右側)をPrimo(イタリア語で第1奏者)、低音担当(鍵盤に向かって左側)をSecondo(イタリア語で第2奏者)と呼ぶ。ちなみに英語では連弾は「for 4 hands」と表記される(4本の手のための)。概して連弾はPrimoは旋律担当、Secondoが伴奏担当になってしまうことが多くなるのだが、どちらが技術的に難しいかというとほぼSecondo。音楽の土台を作り曲を支配するのはほぼSecondoの役割として与えられることが多いのだ(ちなみにペダルの操作も通常はSecondoが担当)。よって、多くのピアノ教室の発表会では、先生がSecondoを担当し、生徒がPrimoを担当するという形式がしばしばみられる。まぁ中にはラフマニノフの「6つの小品」のようにPrimoの譜面の方が真っ黒という作品もあるが。

さらに、もうちょっと先に進むよ。1台のピアノの前に3人の奏者が並んで演奏する場合これを「6手連弾」と呼ぶ。1台の前に3人が並ぶとかなり狭いしそれぞれにかなり演奏しにくくなる。この形式でもっとも有名なのはラフマニノフの2つの小品であろう(ピアノ協奏曲第2番を思わせるというか酷似箇所あり)。英語表記では「for 6 hands」。

一方で、1台のピアノは独りで担当するのだが、それを2台のピアノでやる演奏形式がある。この場合適当な和訳語がないためか明確に「2台のピアノのための」と表記される(略して「2台ピアノ」)。英語で「for 2 pianos」といえばこの形式。当然、ピアノを3台以上使う形式も考えられるけれども、ピアノを一度にたくさん用意するのは大変だし、演奏スペースもとるしで、3台以上の作品はあまりない(あるにはある)。

また、連弾と2台ピアノの組み合わせとして、通常の1台4手連弾を2台のピアノでやる演奏形式というのもあって、これを「2台8手(for 2 pianos 8 hands)」と呼ぶ(つまりピアノ2台に奏者が4人)。

(連弾と2台ピアノとどちらがどのように面白いのかという話はまた別の機会があれば述べようかと思う。ラフは20代のある時期、ソロよりもピアノだけのアンサンブルばっかりやっていた)

通常、楽器は個人持ちの楽器を演奏会場まで自分で運んで個人の楽器を演奏するものだが、ピアノは通常個人持ちの楽器をホールに持って行って演奏するということはまずない(どんなプロ奏者であっても。強いて言うなら自分専属の調律師を連れて行く)。ピアノの場合通常は会場付帯の楽器を使うのだ。どこのホールでもちゃんとしたホールであれば、最低2台はピアノ庫にピアノがしまわれている(少なくともそのうち1台はスタインウェイが望ましい)。

さて、ローゼンブラット作曲のピアノ連弾曲「2つのロシアの主題によるコンチェルティーノ」。ピアノデュオ作品による第5回作曲コンクール(1999-2000)(このコンクールはピアノデュオでも活躍された児玉夫妻がはじめた、日本で開催される国際コンクールで、作曲部門と演奏部門が隔年で開催され、作曲部門で受賞した曲が翌年の演奏部門での課題曲になる)において、ローゼンブラットが特別賞・毎日新聞社賞を受賞した作品。有名なロシア民謡の「カリンカ」(テトリスの音楽だ!)と「モスクワ郊外の夕べ」を組み合わせた、ジャズ的要素も多分に含む、ヴィルトゥオーゾ作品。日本では「二人羽織」とも呼ばれる見ていても楽しい曲。ピアノ連弾の演奏会向け「映え」レパートリーとして重宝されている。いくつか演奏動画を紹介しておこう(二人羽織の見られるところのタイムも)。


6:36あたりから、primoがsecondoを後ろからまたいで演奏する。


5:57あたりから、secondoがprimoを後ろからまたいで演奏して、やがてsecondoがprimo担当に役割交代する。


6:00あたりから、secondoがprimoを後ろからまたいで演奏して、やがてsecondoがprimo担当に役割交代する。ラフ個人的にはこの演奏が一番エキサイティングで好み。

最後に作曲家ローゼンブラットご本人自らの演奏もご紹介しておきます(動画のsecondo担当がローゼンブラット)

ローゼンブラット / Rosenblatt, Alexander – ピティナ・ピアノ曲事典

また、2台8手のための「日本の主題による幻想曲」というものも作曲している。
A. Rosenblatt. Fantasia on Japanese Themes for 2 pianos 8 hands.

ボタン逆じゃね?

家の卓上にあるBluetoothスピーカーに曲送りと音量調整のボタンが付いている。いや、付いているのは当たり前なんだろうけれども、ちょっと違和感があるのだ。

   ●    ●   

こんな風に2つのボタンが向かって左右に並んでいるのだが、軽く1回押す場合は、左側のボタンが前の曲に戻る、右側のボタンが次の曲に進むなので、まぁ普通だろう。長押しする場合は音量の調整ができるんだけれども、なんと左側のボタン長押しが音量大、右側のボタン長押しが音量小なのだ。この音量の調整の役割逆じゃね?左が音量小、右が音量大っていうのが感覚的にわかりやすいインターフェースなのではなかろうか?これって設計ミスでは?どうも違和感を感じて仕方がない。慣れれば問題ないんだろうけれども。

キエフの大きな門

昨日に続いて今日もラベルの話題で。(ラフはクラシックではフランス近代音楽が結構好き)

組曲「展覧会の絵」という作品があります。原曲はロシアの作曲家ムソルグスキーが作曲したピアノ独奏のための組曲ですが、それをオーケストラに編曲したのがフランス人のラベル。ちなみにオーケストラに編曲した人はラベルのほかにもいますが、ラベルの編曲が一番有名。オーケストラに編曲するに際して組曲中何度か登場する間奏曲的役割の「プロムナード」がいくつか省かれたりしていますが、もともとラベルは自身のピアノ曲をオーケストラ編曲する際も、オーケストラで効果的になるようにとこういうことをやっている例が多々あります。

wikipediaの「展覧会の絵」の項

さて、この組曲「展覧会の絵」の最後を飾るのは「キエフの大きな門」という曲です。素朴で堂々とした曲で締めくくるのです。ちなみにこの曲のピアノ楽譜は結構白いです(細かい動きの音符が少ない)。

一方で、ラベルが編曲した組曲「展覧会の絵」の「キエフの大きな門」はこんな感じ。エンディングはラベルの異名「オーケストラの魔術師」にふさわしいやりすぎ感あふれるまでの豪華絢爛きらびやかなものになっています。ロシアの雰囲気、原曲や作曲者の意図もあるだろうけれども、オーケストラでやるならオーケストラの良さを活かさなきゃっていうラベルの意気込みを感じずにはいられません。まさに換骨奪胎の極みともいえる新たな作品。

ちなみに、ピアノ原曲の作曲者であるムソルグスキーが展覧会で見たといわれる「キエフの大きな門」の絵はこちら。
Hartmann -- Plan for a City Gate
ヴィクトル・ハルトマン / Public domain

ピアノの原曲でさえ多少大げさかなと思われるくらいの、立派ではあるけれども素朴な門という印象をラフは受けた。それに比べると、ラベル編曲による「キエフの大きな門」は、ド派手にライトアップされた威風堂々としたパリの凱旋門を思い浮かべてしまうのであった……(それが悪いと言っているわけではない)。

ボレロの演奏動画各種

「ボレロ」という楽曲といえばラベル作曲のオーケストラ作品が有名でしょう。メロディーは2種類しかなく、それをいろんな楽器で奏しながら、ひたすらクレッシェンドしていく15分ちょっとの曲。最後の最後で一瞬だけ転調するものの基本的には調も変わらず。テンポも変わらず。それでいてアイデア倒れにならず素晴らしい芸術作品に仕上がっている点がすごい。

wikipediaの「ボレロ (ラヴェル)」の項

さてはまず、ネットで一時話題になった「死ぬほどヘタクソなBolero」から。わざと笑いを取りにいっているのかと思えてしまうほどの演奏。トロンボーンソロ、なぜそんな有様になった(笑)。技術は足りないけれども演奏したかったという熱意だけで挑戦したのか?

(ちなみに動画は、デュトワが指揮しているプロのオーケストラのものを合わせてあるので実際の演奏とは違います)

昨今のコロナウイルス禍のもとリモートワークを実践されている方も多いでしょう。リモートワークを彷彿とさせるオーケストラ演奏動画。楽器が増えていくのに伴って画面分割されていく様が曲の展開を視覚的に見ているようで楽しい。

その一方で、リズム伴奏(カラオケ?)を背景に、ソロ楽器部分(木管楽器)を一人でやってしまう方も。(実際の原曲伴奏とは違ってコードが変わっていないところがありかなり奇妙な感じはするが)

最後に「本当はこんな曲なんですよ」ということで本物の原曲動画をどうぞ。いろいろアップされていますが、とりあえずラベルがフランス人なのでフランスのオーケストラの演奏を紹介。

wikipediaの「ボレロ (ダンス・音楽)」の項
ボレロはラテン系の3拍子の踊りで、そのリズムを使った曲に「ボレロ」と名付けているわけです。ワルツという踊りのための曲に「ワルツ」と名付けるのと同じです。ピアノ弾きの中で有名な「ボレロ」といえば、やはりショパンのボレロですかね。

【参考】wikipediaの「ボレロ (衣服)」の項

僕はやっぱり英語ができない – 「リコピン」とはトマトなどに含まれる赤い色素である

人間の脳はうまく聞き取れなかった表現があると、自身の知っている語彙や言い回しで補おうとする傾向があることは多くの人が経験しているのではなかろうか。これは日本語だけでなく不慣れな言語に対しても起こりうるわけで。ラフの場合は英語のリスニングがまったくできない。

さて、ミュージカル「オペラ座の怪人」の主要曲に「Think of me」というナンバーがある。この歌い出しがしばらく前まで「リコピ~ン」と聞こえて仕方がなかったのである。まぁ聞いてみてくれたまえ。

いや、もちろん曲のタイトルにもなっている「Think of me」と言っているわけであるが(歌い出しの言葉をそのままタイトルにする例は多いからね)、つい先ごろまでラフには「リコピ~ン」だったのである。最近ようやく「チンコーミー」くらいには聞こえるようになった。

wikipediaの「リコペン」の項

lycopeneを含む例文として心惹かれたもの

To provide an effective method for utilizing tomato juice produced as a byproduct in obtaining lycopene from the tomato. – 特許庁

Silent night, holy night

マライア・キャリーさん(マラが嫌いなキャリーさんという下ネタもございますが)といえば、この季節やっぱり「恋人たちのクリスマス」なんだと思います。今年、リリースから25年にして初の全米シングル・チャート1位になったとか。そうかぁ、みなさん毎年毎年もう聞き飽きたよって感じながらも、やっぱりこの能天気にハッピーで軽薄な曲(<褒めている)を愛しているのね。

さて、日本でこのシーズン飽きるほど耳にするのは山下達郎の「クリスマス・イブ」ですよね。

歌詞の中にある「必ず今夜なら 言えそうな気がした」ですが、どういうことを言えそうな気がしたのでしょうか。直後に続く「んォォォ、Silent night, ウォ~~イェン、holy night」と言えそうな気がしたのなら結構シュールな人です。

googleで「クリスマス・イブ」の歌詞を表示する

この曲の半分近くを占める「Silent night, holy night」ってのは、民謡における合いの手(「ハイハイ」とか「ホイ」とか「ヨッコラセー」の類)なんで、歌詞の意味をとらえるためだけならとりあえず全部外してOK。そうすると、びっくりするくらいこの曲の歌詞は短いことに気づきます。多くを語らないほのめかし美学ともいえる。

さて、スリムになったところで、何が言えそうだったのか読み返してみると、「叶えられそうもない」「心深く 秘めた」「君への想い」なんでしょうね。それを「必ず今夜なら 言えそうな気がした」のに、「きっと君は来ない」。「必ず」言える(気がした)のに、相手である「君」が来ない確信度は「きっと」なんだ。そういう「ひとりきりのクリスマス・イブ」。

Merry Christmas!皆様に沢山の幸せが訪れますように!

ドレミの歌

今日は埋め込み多いよ。

Amazon Musicに「The Sound Of Music – 45th Anniversary Edition」が追加されているのを発見して、こればっかり聴いている。

このミュージカル映画がデジタルリマスターされた時には、劇場まで見に行ったよ。スクリーンで見るとものすごいスケール感だった(それまで見ていたテレビでの放映がチンケに思えた)。さて、どのナンバーも素晴らしいけれども、とりわけ有名なものを3つ挙げるとするなら「私のお気に入り」「エーデルワイス」、そして忘れてならないのはやっぱり「ドレミの歌」。主人公マリアがトラップ家の子供たちに音楽の手ほどきをする歌。

英語の歌詞は

Doe, a deer, a female deer
Ray, a drop of golden sun
Me, a name I call myself
Far, a long, long way to run
Sew, a needle pulling thread
La, a note to follow Sew
Tea, a drink with jam and bread
That will bring us back to Do

ドレミファソラシのそれぞれに近い発音の単語を当てて音の読みを教えている。「ラ」はふさわしい単語が見つからなかったためか「ソの次の音」っていうのが苦しいけれども、日本語訳歌詞(一番有名な「ドはドーナツのド」はペギー葉山の訳)の「ファはファイトのファ」だって結構苦しめな感じがラフは昔からしていたので、まぁどっこいどっこい。

ちなみにドレミファソラシという読みは基本的にはイタリア語と思っておいていいかと(クラシック音楽においては一応イタリアが一番偉いとする風潮がある)。もともとは中世の讃美歌に「聖ヨハネ賛歌」というのがあって、これがフレーズごとに一音ずつ上がっていくんだけれども、その各フレーズの歌詞(ラテン語)の単語の頭文字を並べたものが「ドレミファソラシ」だったというのが出どころ。そういう意味では、「ドレミの歌」のドレミの説明は「聖ヨハネ賛歌」由来であることに敬意を払っているようにも思える。

wikipediaの「聖ヨハネ賛歌」の項

映画における「ドレミの歌」のシーンって、オーストリア観光プロモーションビデオだよ。

wikipediaの「サウンド・オブ・ミュージック (映画)」の項

「ドレミの歌」のフラッシュモブ映像をいくつか紹介しておきます。
まずは、先駆けでありもっとも完成度が高く有名なのがこちら。

これを真似ていろんな方が「ドレミの歌」のフラッシュモブをやっている。

こちらは、小規模ながらわりと堅実。歌詞の通りのジェスチャーをしていてコミカル。

イオンはなんだか妙にあざとい……

ソナタといひて夜も眠れず

■ソナタ形式(1つの曲における楽曲構成形式)

 ソナタ形式は三部形式の一形態で、形式を重んじる古典派の時代において確立した。基本は「主題提示部」「展開部」「主題再現部」の三部から構成される。さらに細かく見ると「主題提示部」には第1主題と第2主題が含まれ、2つの主題は主題再現部で再度登場する。調性については第1主題は主調(その曲のメインとなる調)で、第2主題は属調(主調の完全5度上の調、主調がハ長調であれば属調はト長調)が原則。「主題再現部」では第1主題は提示部と同じく主調で、第2主題も主調。

・主題提示部(第1主題(主調)、第2主題(属調))
・展開部
・主題再現部(第1主題(主調)、第2主題(主調))

 ただし、これは原則であって、必ずしもこれに従うもののみがソナタ形式というわけではない。主題提示部の第2主題が下属調(完全5度下の調。ハ長調に対してはヘ長調)などの属調以外の近親調(場合によっては遠隔調もあり)が選ばれる場合もある、主題再現部も主調とは異なった調ではじる場合もある。さらに始まる前に序奏がついたり、最後にコーダ(エンディング)が追加されたりもする。

■ソナタ(ソナタ形式の楽章を含む複数楽章からなる器楽曲に与えられる代表的な命名)

 さて、器楽曲の形式の一つに「ソナタ」というものがある(漢字だと「奏鳴曲」。かつて流行った韓流ドラマ「冬のソナタ」は「冬の奏鳴曲」である。やかましそうな印象に早変わり)。これは通常3ないし4楽章形式で(器楽曲としてのソナタは前者が多い)でその中にソナタ形式の楽章を含むもの(たいがいは第1楽章)に名づける。ただしモーツァルトの有名なピアノソナタ第11番 イ長調 K. 331 (300i)、いわゆる「トルコ行進曲付き」は、ソナタ形式の楽章を含まないのにソナタと名付けられている。(形式ではなく規模的にソナタ程度の複数楽章からなる器楽曲という意図であろうか)

wikipediaの「ピアノソナタ第11番 (モーツァルト)」の項

 また、複数楽章というのも時代が下って来ると縛りがゆるくなってきて、ベートヴェンのピアノソナタ第32番(最後のピアノソナタ)ではもはや2楽章しかない。

wikipediaの「ピアノソナタ第32番 (ベートーヴェン)」の項

 スクリャービンはピアノソナタ第4番で間をあけずに連続して演奏される2楽章形式に、第5番以降は単一楽章でソナタを書いている。プロコフィエフなどはピアノソナタ第1番(しかも作品番号も1)からして単一楽章である。

wikipediaの「ピアノソナタ第1番 (プロコフィエフ)」の項

 ちなみに「ソナチネ」は「小さいソナタ」という意味。「ソナチネ」アルバムとか小学生などがよく習わされる古典派の「ソナチネ」を集めた曲集が有名。ただし「小さい」かどうかという基準は、その作品の規模感や技術的難易度、意図したことなど作曲者がその都度の基準で自由に決めてよい。ラヴェルのソナチネなんかは求められる音楽的表現力も技術的難易度も小学生なんかが弾くには相当むつかしい。

wikipediaの「ソナチネ (ラヴェル)」の項

洒落たHの書き方?

異名同音(エンハーモニクス)というものがある。平均律で調律されていることが前提ではあるけれども、例えば「ドのシャープ」と「レのフラット」みたいな関係。楽譜に書いてある音は違うけれども、ピアノでは同じ鍵盤を弾くことになる。

さて、時たま「ドのフラット」というのが楽譜に書かれていることがあるわけですよ。当然、ピアノの鍵盤だと白鍵の「シ」を弾くことになるんだけれども。だったら最初から「シ」って書けばいいじゃない?って思う人もいるだろう。なんで、そんな書き方があるのかというと……。例えば、ハ長調の曲でドミソの和音(いわゆるメジャーコード)があるじゃない。こういう状況で第3音を半音下げて短三和音(いわゆるマイナーコード)にしたいときは、ミに対してフラットをつける。さて調が変わって変イ長調(フラット4つの長調)の世界では、主和音はラのフラット、ド、ミのフラットになるよね。ここで、この和音をマイナーコードにしたければ、第3音にフラットをつける。よってこういう場合に「ドのフラット」というものが出てくることになるのだ。つまり調性音楽における必然の理屈から出てくる書き方なのだ。

それなのに、あぁそれなのに……。自称「俺は音楽には詳しいぜ」というアマチュア作曲家の方が自身で書かれた楽譜に「ドのフラット」が書かれていたことがある。どう考えても、その意図されている展開からは「ド」をフラットにする理由がなく「シ」と書けばいいのではなかろうかという箇所でである。楽譜を難解にして読みにくくする嫌がらせだろうかとも思ったのだが、どうやら「俺は異名同音というものを知っているんだよ、ドのフラットは「シ」だから、「シ」をおしゃれに書いてみたよ」ということなのではないかと思ったり思わなかったり。

ダブルシャープ(ラフはダブルシャープを高校生になるまで知らず、楽譜の印刷汚れだと思っていた)やダブルフラットなんてものもあるけれども、これらはある音を半音上げたり下げたりしたいけれども、その音にはすでに調号としてシャープやフラットがついているって場合に使うことが多い。つまりは調性音楽だからこそ出てくる記号なのである。無調の音楽にはダブルシャープやダブルフラットは原則出てきません。

なんでダブルシャープをつけるの?その意味とは? | はんなりピアノ♪

19世紀初期の「ダブルシャープ」「ダブルフラット」攻略法 ピアノ曲事典 | ピティナ・ピアノホームページ

音楽をやるなら楽典って大事だよ。いきなり楽典の本読むのも大変だから、ある程度音楽経験を積んで、ちょっと余裕ができたらぜひ勉強してみてください。あ、そういうことだったのねってきっと思うから。