つつがなく土曜日

時の記念日か。朝起きて「あぁ今日は仕事に行かなくていいんだ」って思い出した時の安堵感といったらないね。かつて仕事のためだけに毎日を生きていた頃の恐怖感にまださいなまされているのかも。昼前から部屋の片づけをして、洗濯をして、来週分の弁当用の炊き込みご飯を作った。その後R邸に行ってテレビを見る土曜日。

健康診断総括2017

今日は内科。先日の健康診断の結果を総括。問題は体重と中性脂肪。さすがに急激な体重10kg増加だったものだから強く「運動しましょう」と。体重が減れば中性脂肪も下がると。

そもそも体を動かすことが楽しいとか思っていないし、特に好きなスポーツがあるわけでもないので、体を動かして気分がいいということもまぁないんだよなぁ。気軽に始められてなおかつ苦しくない運動というものはないかな。通勤に階段を積極的に使うか。あ、久しく忘れていたけれども自転車に乗るようにすればいいのか。S吹奏楽団の練習に行くときくらいは自転車に乗るようにするか。そだね、数か月放ったらかしにしていた自転車のメンテナンスをしなきゃ。

拍子

三三七拍子という応援があるが、舞曲の拍子である3拍子が2つに変拍子の7拍子が続くというものではない。タンタンタンウン、タンタンタンウン、タンタンタンタン、タンタンタンウンであって、単に4拍子4小節分なのである。休符を抜いて実質音となるのが三個三個七個と言っているだけだ。

ベートーヴェンの交響曲第5番といえば「運命」だけれども、その冒頭は「ジャジャジャジャーーン」ではない。八部休符が頭についたもっと緊迫した「ジャジャジャジャーーン」である。そんな能天気なモチーフではないのだ。

知の欺瞞

音楽において「テンポを倍に」と「音価を倍に」はまったく逆の方向性である。前者が早くなるほうの倍、後者は遅くなるほうの倍。数学的な計算でとりあえずは算出できる数値の話だ。

では「いつもの倍早起きする」というのはどういうこと(この表現はある歌で実際に使われている)?午前6時に起きる人が午前3時に起きる?違うよね。ここでは数学的な意味合いでの「倍」ではないよね。

「加速度的に増加する」、「負の加速度」だってありますよ。
「AとBは比例する」、「比例定数が負」の場合だってありますよ。
「AとBは反比例する」、単に負の相関関係だけだってことはないですか?

「この問題をどう解けばいいか」を「この方程式をいかにして解くか」との言い換え、本当に必要?「方程式」は解かないといけないものなの?方程式であること、そのことにこそ意味がある場合もあるよ。

あいまいな雰囲気だけで使用された数学用語を用いることで、文をいかにも学術的に装飾する傾向って言うのは確かにある。そういう表現を見るたびに、なんとなく言いたいことはわかるけれども「洗練されていないなぁ、陳腐だなぁ」と自分には思える。自分の好きな塩野七生氏もしばしば「問題」=「方程式」を使うんだよね。「あれ?「問題」じゃダメなの?」とか思ってしまう。

こんな話をしているとソーカル事件のことを思い起こすなぁ。

wikipediaの「ソーカル事件」の項

乗り過ごしたり一人トロンボーンだったり

帰りに病院に寄る予定で、いつも降りる駅の1つ手前の駅で降りるつもりをしていたのに、ふと気が付けばいつもと同じ駅で降りていた。習慣とはそういうものか。残念ながら反対方向の電車に乗り換えて1つ手前の駅まで引き返す。

晩S吹奏楽団リハ。今月は初見大会。本日はシンフォニックの曲目。で、トロンボーンが自分一人だった。まもなくトロンボーン6人体制という事態になろうというのに、一人。ハモるべきところでハモらない物足りなさこの上もない。初見をしても一人。先生より音の出し方の指摘を受ける。自分が鳴っていると思っている音と実際に鳴っている音って乖離しているんだなぁ、と客観的に自分の音が聞けていない自分の未熟さを思い知る。あ、別にピッチ(音程)の話じゃないよ。音色、音の形、音の処理の仕方といったそういうことね。

東京に出てきてから四半世紀、昭和は遠くなりにけり

ラフは19のときに上京してきたから、かれこれ東京に出てきて四半世紀になる。もう人生東京にいるほうが長いんだよね。内面が成長したと言う実感もないまま、いつのまにかだらだらと年齢だけを重ねてしまったよ。

この前まで「平成生まれ」が「若い」の言い換えだったのに、平成も29年。平成元年生まれの方はもう30になるんだね。子供がいてもおかしくないお母さん、お父さん。

元号が来年は変わるかもしれないらしいけれども、自分が生まれた「昭和」も遠くなりにけりだよ。といっても昭和は最後の17年くらいしか生きてないから、もっぱら平成を生きているほうが長くなってるんだけれども。昭和が続いていたとしたら今年は昭和92年なんだって。年もとるわな。

エル神って手料理

今日はRと初めての音楽デート、ラフの友人K君の出演するD団の定期演奏会へ。相変わらず木管のうまさは際立っているね。演奏も圧巻でした。K君おつかれさまでした。

晩はRの手料理、空豆とブロッコリーのクリームリゾット。めちゃうまい。Rさすがである。すごく楽しく充実した週末を過ごせたなぁ。

野球と焼き肉は似ているかもしれない肉の週末その2

昨晩Kさんから「誰も行けへんかったらただの紙くずになってまうから」と、東京ドームの巨人戦チケットをもらったので、元高校球児のRとドームで野球観戦。記念品やビュッフェやウェルカムドリンクまでついたお高い席。ちなみに、ラフはプロ野球観戦は初めて。そもそも野球というものにまったく興味がなかったんだけれども、Rがていねいに説明解説してくれたのもあって、思っていたよりもずっと楽しめた。満塁ホームランなんてものも初めて見た。これは盛り上がるわ。なんか満塁ホームラン出たらもうそっちのチームの勝ちでいいやんとか思ったほど。試合だけでなく、応援の仕方やラッキーセブンとかこういう見どころもあるんだね。ライブのおもしろさってこういうことかと納得。チケットをくれたKさん、どうもありがとうございました。ちなみに巨人は負けまして9連敗とか。

晩はRと焼き肉食べ放題。著名人もたくさん訪れているらしい店。牛タンもレバーもカルビも謎の肉(?)もおいしくいただかせていただきました。手配してくれたRに感謝。

肉の週末その1

晩、S吹奏楽団の仲間と肉を食うイベント。Kさんが前から気になっていたというコースしかない焼き肉店にて。信じられないほど柔らかくて甘い肉で大変おいしゅうございました。Kさんご馳走様でした。そのあと呑みに行ってしゃべり倒してから帰ったら午前3時だった。久々の外出夜更かし。

使用されないトイレットペーパーの惨状

男性トイレのことしかわかりませんが、職場のトイレとか公衆トイレとかのパブリックなトイレの個室の方に、しばしばトイレットペーパーが床に大量に散らかっているのを見かけるんだけれども、あれってなんなんでしょう?もちろんロールのままではなくカラカラとロールから引っ張り出した結果のもの。特に汚物で汚れているわけでもなく、水で濡れていることもなく(屋外公衆トイレは除く)、ただ単に大量に引っ張り出しただけのような惨状。トイレットペーパーを大量に使う人がいるということはたまに聞くけれども、使うのではなく散らかしているだけで床に広げる。「そういう人もいるんだなぁ」と片付けるにしては、あまりにも頻繁にそういう状況に遭遇するので(職場のトイレでも)、そういう風にトイレットペーパーを使うという文化が、自分の知らない世界にあるのではないかといぶかしむ。これって何?なにかしらの暗号?それとも縄張り主張?