読了:Javaによる関数型プログラミング[ヴェンカット・サブラマニアム/プログラミングシステム社]

Javaによる関数型プログラミング

Javaによる関数型プログラミング

  • 作者:ヴェンカット・サブラマニアム/プログラミングシステム社
  • 出版社:オライリー・ジャパン
  • 発売日: 2014年10月

Java 8新機能のラムダ式や、Stream APIの特徴を、コンパクトに解説!考え方、API、設計、そして遅延評価や再帰を詳述。

1章 Hello、ラムダ式!/2章 コレクションの使用/3章 文字列、コンパレータ、フィルタ/4章 ラムダ式で設計する/5章 外部リソースを扱う/6章 「遅延させる」ということ/7章 再帰の最適化/8章 ラムダ式で合成/9章 すべてをまとめて/付録

あんまり仕事関係の本は記録に残していないんだけれども。プログラミング言語としてJavaを使う開発現場から遠ざかってかなりたつ(たまにちょい使い程度はあったけど)。ちょっと自分の中の情報をアップデートしておかなければならないと思って、Javaの勉強を。現場から離れる直前にリリースされたのがJava5だった。そこから今やJava13だって?すっかり置いていかれちまっているぜ。この間でもっとも変わったのはJava8なんだろうな。Java8で導入されたラムダ式を見て、そうかJavaも関数型を使えるようになっていたのかとは思ったものの、「なんとなくこんなもんか」程度ですませていた。ところが、どうやらラムダ式はStreamと一緒に使うとステキなことが多いらしくて、それなのに自分にはこのStreamというものがいったい何者なのかが全く分からない。コードを見ても何をするものなのかが今一つよくわからない。というわけで、そのものずばりが副題に付いている分かりやすそうな本を見つけたので読んでみた。

本自体は薄いんだけれども、実際にどれだけ強力な武器をJavaは手に入れていたのかがよくわかった。ある課題をこれまでの(Java7までの)手続き型で組むとこうなるよねというコードがまず示される(自分もこう実装するはずだ)。で、そこからラムダ式とStreamを使ってリファクタリングをしていく過程をコードとともに示していく。おぉ、なるほど、活用できればシンプルでエレガントに表現できるかも。確かにこれはJavaに対する世界観が変わるな。何年も前から世の中そんなことになっていたとは……(この本が2014年だもんね)。

Javaによる関数型プログラミング[ヴェンカット・サブラマニアム/プログラミングシステム社]

読了:専門知は、もういらないのか[トム・ニコルズ/高里ひろ]

専門知は、もういらないのか

専門知は、もういらないのか

  • 作者:トム・ニコルズ/高里ひろ
  • 出版社:みすず書房
  • 発売日: 2019年07月11日

もはや健全な懐疑心ではない、ゆがんだ反知性主義である。民主主義には正しい情報に基づく熟議が欠かせない。その礎を支えるのは各分野の専門家が蓄積してきた専門知だ。ところが今、専門知が蔑ろにされてフェイクがまかり通り、好みの情報だけを取り入れてその正誤を顧みない、という風潮が高まっている。何が起きているのか、これを放置するとどうなるのか。大反響を呼んだブログ発、専門家からの愛ある反撃。

序論/第1章 専門家と市民/第2章 なぜ会話は、こんなに疲れるようになったのか/第3章 高等教育ーお客さまは神さま/第4章 ちょっとググってみますねー無制限の情報が我々を愚かにする/第5章 「新しい」ニュージャーナリズム、はびこる/第6章 専門家が間違うとき/結論ー専門家と民主主義

アメリカにおいて専門知が重要視されなくなったのはいつからか、それはまたなぜなのか?専門知の役割とは?それらを専門知を担う専門家の立場から解説する。非常にわかりやすく読みやすい。注目すべき興味深い例や調査が取り上げられ、また端的でわかりやすく核心に迫る表現も多く、久々に気になった箇所に引いている下線だらけの読後状態になってしまっていた。ただし専門知を担う側からの論なので、著者の書きっぷりは読み手によっては不遜傲慢に感じる部分もあるかもしれない。

平均的アメリカ人の基本的な知識のレベルはあまりにも低下し、「知識が足りない」の床を突きやぶり、「誤った知識をもつ」を通り越して、さらに下の「積極的に間違っている」まで落ちている。

この手の話となるとお約束なのだが、やはりダニング=クルーガー効果の話から入っていく(wikipediaの「ダニング=クルーガー効果」の項)。ヒトは自分が何でも知っていると簡単に思い込んでしまう。ましてや今日インターネットでググれば知りたい情報はすぐ答え(らしきもの)が得られる。しかしそれは本当に正しく適した情報なのか?実際には、ヒトは情報と思われるもののなかから、自分の考えに合わないものは無視して(意図的であったり無意識であったり)、自分の考えや主張に適合するものだけを情報として取り込んでしまう。そして、その偏った知識でもって「そのことに関して私は知っている」と主張する。

またメディアはうそをついている、メディアは信用ならないという。自分がインターネットで調べて得た情報(もちろん自分の考えに合わないものは情報ではないとされている)が正しい、それ以外を主張しているメディアは信用できないと。つまり実際は「人々は本当にメディアを嫌っているわけではない。自分の気に入らないニュースを報じたり、自分とは異なる意見を発したりするメディアを嫌っているだけだ」。

忘れないでほしい。ニュースを視聴して理解するのは、練習することによって上達するスキルのひとつだということを。ニュースの賢い消費者になるためのいちばんの方法は、定期的にニュースを消費することだ。

それでは専門家と呼ばれる人々は何者なのか?

専門家は政策立案者ではないということを知っておくべきだ。専門家は国家の指導者に助言し、その言葉は一般の人々の言葉より大きな影響力をもつが、専門家が最終決定をすることはない。

専門家に約束できるのは、そうした間違いを減らすルールや手順を設けて、一般の人々がする場合よりも大幅に間違いを減らすということだけだ。

専門家の目的は説明することで、予測することではない。ところが専門家自身が簡単に予測(予想)することに飛びついてしまう。そして専門家の予測が外れるたびに、「専門知は役に立たない」と判断されてしまう一因になってしまっている。著者の専門はUSSR(旧ソ連)だが、ソ連が崩壊するとはだれも予測できなかった。専門家としては痛い失敗ではあるが、だからといって専門知が役に立たないというわけではない。

最後の「結論-専門家と民主主義」が著者の考える専門知の役割を端的にとらえている。
まず専門家が民主主義において果たさなければならない役割と責任について。

専門家がしなければならないのは、自分の助言の責任を認め、同業者どうしでも責任を課し合うことだ。いくつかの理由――学位の過剰供給、世間の関心の欠如、情報化時代の知識の生産についていく能力不足など――から、専門家たちはこれまで、社会がその特権的な立場に求める誠実さでその義務を果たしてこなかった。もっとがんばるべきだ。たとえその努力が、たいていは気づかれずに終わるとしても。

専門家にできるのは選択肢を提示することだ。価値判断を行うことはできない。専門家は問題を説明することはできるが、人々にその問題をどのように解決するべきかを指示することはできない。たとえその問題の性質上、幅広く合意が存在していたとしてもだめだ。

では、それを踏まえての有権者の役割は?

専門家は、どうなるかという可能性を提示することはできるが、その問題に関わり、自分たちが優先させるものを明確にして何をなすべきかを決めるのは、有権者の仕事だ。(引用者補足:地球温暖化によって)ボストンが海に沈むのはわたしの希望する結果ではないが、人々が専門家の助言を無視してその結果を招くのなら、それは専門知の失敗ではない。むしろ市民の関与の失敗だ。

両者(専門家と有権者)の信頼の上に民主主義が築かれる。

トランプの専門家に対する嘲笑は、昔からアメリカ人が抱いている、専門家や知識人は一般の人々の生活に口を出し、しかもそれがひどく下手くそだという確信に上手く働きかけた。(中略)しかし最終的にトランプが当選したことは、もっとも最近の――もっとも高らかに響く――トランペットの音であることは間違いなく、それは迫り来る専門知の死の先触れだ。

専門家と市民の関係は、民主主義国家のほとんどすべての関係と同様に、信頼という土台の上に築かれている。信頼が崩壊すれば、専門家と一般の人々の対立が生じる。そして民主主義自体が死のスパイラルに突入し、たちまち衆愚政治か、エリート支配によるテクノクラシーに陥りかねない。いずれも権威主義的な結末であり、現在のアメリカにはその両方の影が忍びよっている。

一般の人々は忘れがちだが、共和政体は、(中略)本来、知識をもつ選挙民――ここでのキーワードは「知識をもつ」だ――が、自分たちの代表者を選び、その人間が選んだ人々に代わって意思決定をする手段だった。

専門家は常に、おのれは民主主義社会と共和政府の主人ではなく僕であるということを肝に銘じておかなければならない。一方、主人となるべき市民は、みずから学ぶのはもちろんのこと、自分の国の運営に関わりつづける公徳心のようなものを身につける必要がある。一般の人々は専門家なしでやっていくことはできない。この現実をわだかまりなく受け入れるべきだ。同時に専門家たちも、自分たちにとっては自明の理に思えるような助言でも、彼らと同じものに価値を認めない民主主義においては、かならずしも受け入れられるわけではないことを納得しておく必要がある。さもなければ、民主主義とは、根拠のない意見に対して労せずして得る敬意を際限なく要求する制度として理解されるようになり、民主主義および共和政府それ自体の終焉を含めて、何が起きてもおかしくない。

引用ばかりになってしまった。全体を通して内容的には「あぁ確かにそうだよな」ってことばかりでセンセーショナルなことはないのだが、その書きっぷりが刺激的で痛快な本ではあった。

最後に、主要ではないが納得してしまった箇所をおまけで引用しておく。

リベラルアーツをけなす人々は、実際には、大学を職業訓練校にしろと主張していることが多い。

検索ウインドウに言葉を打ち込むことはリサーチではない。

たとえば、一人の科学者が遺伝子組み換え生物(GMO)は安全だと言い、一人の活動家が危険だというトークショーは、一見「バランスがとれている」ように見える。しかし現実には、それは馬鹿馬鹿しいほど偏っている。なぜなら科学者の一〇人に九人はGMOを食べても安全だと考えているからだ。

専門知は、もういらないのか[トム・ニコルズ/高里ひろ]
専門知は、もういらないのかーー無知礼賛と民主主義(専門知は、もういらないのかーー無知礼賛と民主主義)[トム・ニコルズ]【電子書籍】

読了:ギリシア人の物語3 新しき力[塩野 七生]

夢見るように、炎のようにー永遠の青春を駆け抜けたアレクサンダー大王。32年の短くも烈しい生涯に肉薄した、塩野七生最後の歴史長編。

第1部 都市国家ギリシアの終焉(アテネの凋落/脱皮できないスパルタ/テーベの限界)/第2部 新しき力(父・フィリッポス/息子・アレクサンドロス/ヘレニズム世界)/十七歳の夏ー読者に

塩野は歴史長編に関してはこの作品で最後にすると宣言(誤解のないように言っておくとまだ存命です)。最後はどうしてもアレクサンダー大王を書きたかったんだな。塩野は「自分の好みの男性像」というのが結構はっきりしていて(彼女のエッセイにも「男はこうあって欲しい」というのがよくあって、スマートにずるがしこい男が好きらしい)、中でもカエサルとアレクサンダー大王は常に別格扱い(ローマ人の物語全15巻もそのうちの2巻をカエサルにあてるほど)。

ギリシア人の物語1と2の感想は以下参照。

読了:ギリシア人の物語(1)[塩野七生]

読了:ギリシア人の物語2 民主政の成熟と崩壊[塩野 七生]

ギリシア人の物語の最後は、ペロポネソス戦争後から。ペロポネソス戦争に負けたアテネを盟主とするデロス同盟は崩壊し、アテネは見るも無残に凋落。とはいっても、哲学の分野に関してはソクラテスが、そして弟子のプラトン(アテネ郊外にアカデメイアを)、さらにはアレクサンダー大王の家庭教師になるアリストテレス(この人はマケドニア人だが、アテネ郊外にリュケイオンを)と続いている。ペルシアからの経済的支援を受けていたスパルタはペロポネソス戦争で勝ったとはいえ、スパルタは独自の路線を貫き孤立していく。都市国家のテーベなどが一時的に興隆するものの、その後に台頭したのはオリンポス山の北側に位置したために同じギリシア人からも半バルバロイと呼ばれてきたマケドニア王国(都市国家ではないうえに、古代オリンピアにも長らく参加を認められてこなかった)。

マケドニア王フィリッポスによりスパルタを除くギリシアはもう一度まとめられていき、その息子アレクサンダーによりペルシア遠征がはじまる(アレクサンダーはこの遠征を第1巻で述べられたギリシア本土で戦われたペルシア戦役の延長ととらえていたようだ)。ギリシア対岸の小アジアだけでなく、シリア、エジプト、そしてペルシアの中枢メソポタミアを制し、アケメネス朝ペルシアは滅亡、さらにはペルシアの後背地であるインダス川まで進む。このアレクサンダー大王の東征と戦闘(戦争ではない)の描写がべらぼうに読ませる(塩野のアレクサンダー愛はすさまじい)。そして若くしてアレクサンダー大王が亡くなってしまうと、その後彼の部下やその息子たちによる混乱により、ギリシアおよびアレクサンダーにより征服された地域は、セレウコスのシリア、プトレマイオスのエジプト(エジプト最後の王朝はエジプト人ではなくギリシア人の王朝なのだ。「クレオパトラ」という名もギリシア上流階級の女性に多い名前)、そしてアンティゴノス一族のマケドニアを中心として分割されてしまう。しかしこの時代にはヘレニズム文化が花開く。

アレクサンダー大王が画策したペルシア人との民族融和政策は途絶え、これを多民族融和政策として継承し成功を収め大帝国を築いたのは後のローマ人だったのだ。

ギリシア人の物語3 新しき力[塩野 七生]
ギリシア人の物語III 新しき力(ギリシア人の物語)[塩野七生]【電子書籍】

読了:偶然仕掛け人[ヨアブ・ブルーム/高里 ひろ]

指令に基づき、偶然の出来事が自然に引き起こされるよう暗躍する秘密の存在、「偶然仕掛け人」。新米偶然仕掛け人のガイは、同期生のエミリー、エリックと共に日々業務をこなしていた。しかし、ある日何とも困惑する指令が届く…。もしもあの時の出会いが偶然じゃなかったら?もしも誰かが自分の人生を操っていたとしたら?そんな“もしも”を物語にした、イスラエル発のベストセラー作品。

去年の初夏に、邦訳が出て話題になったときに買ったものの積読にしていた本。ようやく読んだよ。すごくおもしろかった。邦訳が出て1年の現在楽天ブックスでは取り扱いがなくなってしまっている。買っておいてよかった。(楽天の他のショップではまだ扱っているところはあった。Amazonでも一時在庫切れ。英語版はKindle版を含め手に入るよ。The Coincidence Makers: A Novel (English Edition))

日常生活で起こる様々な出来事は、偶然仕掛け人という存在によってすべて導かれているとしたら?3人の若い偶然仕掛け人同期生の仕事ぶりと交流を軸に、主人公の一人ガイの忘れられない恋や、ある暗殺者の人生などを絡めて展開される。

世の偶然は実は仕組まれているという発想はありきたりかもしれないけれども、結構面白くまとめてある。「偶然仕掛け人に対しても偶然を仕掛ける別の偶然仕掛け人がいるのか?」という疑問を持って途中で退場してしまうエミリーも含め(=実はこれがカギだった)、最後にはすべての話が収束していきハッピーエンドに。若干最後は輪廻転生スピリチュアル系に走った甘ったるい恋愛ものに陥ってしまったけれども、それでもなかなか楽しい小説だった。

偶然仕掛け人[ヨアブ・ブルーム/高里 ひろ]

読了:家庭用事件(市立高校シリーズ)[似鳥鶏]

こんなはずじゃなかった!?
事件に満ちた葉山君の学校生活を描く、〈市立高校シリーズ〉短編集。
市立高校に入学した頃は、こんなにも不可思議な事件に巻き込まれ、波瀾万丈な学校生活を送ることになるとは、僕は想像だにしていなかったーー。『理由あって冬に出る』の出来事以前に、映研とパソ研との間で起こった柳瀬さん取りあい騒動を描く「不正指令電磁的なんとか」。葉山君の自宅マンションで起こった怪事件「家庭用事件」。葉山君の妹・亜理紗の学校の友人が遭遇した不可解な引ったくり事件から、葉山家の秘密が垣間見られる「優しくないし健気でもない」など、全五編。

不正指令電磁的なんとか/的を外れる矢のごとく/家庭用事件/お届け先には不思議を添えて/優しくないし健気でもない

市立高校シリーズの最初「理由あって冬に出る」の初版が2007年10月31日。で今回読んだ「家庭用事件」の初版は2016年4月28日。なんだかんだと10年ほどで7冊続いたシリーズで(今後も続く予定とあとがきには書いてあった)、一応季節(年月)は進んではいるんだけれども、主人公の高校生葉山君が1年生の冬頃から始まって1年にも満たない期間じゃないかなぁ(話によっては必要に応じて過去だったり1年先だったりするけれども、本筋の進行としてはそのくらいしか進んでいない)。今回は、その間をカバーする期間に起こった小さめ事件の短編集。「家庭用事件」っていう短編タイトルを代表させたように、出てくる事件がどれもちっせぇよ、しょぼいよ(現実ならびっくりなのに強制的に小さくまとめてしまっている感のある事件もあるが)。いわゆる北村薫的・加納朋子的な「日常ミステリー」ではなく、あくまでも日常で起こった出来事を事件として取り上げることにこだわったためかどことなくちぐはぐ感。

wikipediaの「日常の謎」の項

基本的に、このシリーズの主人公の葉山君はワトソン博士的立ち位置で、シャーロックホームズは伊神さんという先輩なのだ(第1作で大学受験直前の3年生で第2作目で高校は卒業して、以後は大学生になっていて事件解決のために母校を訪ねてくる)。そして今作でも葉山君の親友三野君が相変わらず誰かのために黙って余計なおせっかいをすることで犯人になっちゃってることが多い。最後の話では、シリーズ中にもしばしば顔を出していた葉山君の妹が「実は……だった」というのは衝撃的。このシリーズのどっかに伏線あったか?(言わなかっただけで嘘はついていないってやつか……)

あとがきでは、相変わらず好き勝手に妄想ぶっこいてますが、困ったらトイレットペーパーを買い占めてしまう日本人への言及は、2016年の時点で書かれたことを思うと「予言か」と(もっとも、著者は震災を踏まえて書いているのだが)。

家庭用事件 (創元推理文庫) [ 似鳥鶏 ]
家庭用事件(市立高校シリーズ)[似鳥鶏]【電子書籍】

読了:日本人の英語(続)(岩波新書)[マーク・ピーターセン]

アメリカ人は日本人をthe Japaneseというのに、自分たちをthe Americansといわず、Americansというのはなぜだろう。「読めるけれど書けない」とよく言われる日本人の英語だが、どこまで的確に読み取っているのだろう。楽しい文例と徹底比較を通じて英語の新しい世界を広げてくれる、ベストセラー『日本人の英語』の待望の続編。

1 小指に結んだ赤い糸/2 ここはカンザスじゃないみたいよ/3 花椿と赤いねこ車/4 ぼつぼつ寝ませんか/5 心の揺れから生まれる言葉/6 ことばの情景

前作では日本人の書く英語論文を添削する英語ネイティブの経験から感じたことの小論が中心だった。

読了:日本人の英語 (岩波新書) [ マーク・ピーターセン ]

今作は、書く方は前作で述べたから、じゃ今回は読む方。日本人がネイティブの使う英語のニュアンスをどこまでくみ取れているかということを取り上げていく軽めのエッセイ集(なので前作よりはるかに親しみやすく読みやすい)。いわゆる英文法の教科書には書いていないところまで踏み込んだ、冠詞の使い方に始まり、ゲルマン系の短い動詞と前置詞や副詞を組み合わせた多様な表現の使い分けなど、事細かに英語ネイティブの感覚を説明していく。大切なのは文脈でどういう使い分けがされるのかという点なのだ。日本人がさっと読み流してしまう英文であっても、英語ネイティブはそこでどういった印象を受け取っているのかなどおもしろい。日本人の英語理解だけでなく、反対に英語ネイティブが日本語に対してどう感じているのかなども、英語から日本語、また日本語から英語への、映画の字幕訳や文学作品の訳の違いなどから例を挙げて具体的に説明が供される。言語にはそれぞれのネイティブの文化が根差していることがわかる。

川端康成の「山の音」の作品で限られた範囲に登場する各登場人物がそれぞれに使う複数ある「やさしい」という言葉(日本語ネイティブなら同じ単語だけれどもシチュエーションによって意味しているニュアンスがちょっとずつ違うことは感じ取れるし、場合によっては同じ言葉だけれども意味をあえてずらして解釈しておかしみを出す効果などもある)を、ある著名な英語訳ではどのように訳し分けているのか。一方で日本語では「分からないわ」と「知らないわ」では受ける印象が違うが、英語ではどちらも「I don’t know.」が普通だ(そうはいっても文脈からその違いは英語ネイティブだってちゃんと捉えている)。

日本語と同じように冠詞のないスラブ系ネイティブの英語初心者は冠詞を抜かして「I read book yesterday.」とか言いがちだそうだが、それだと英語ネイティブにとっては「どの本だよ」と突っ込むわけだし、一方で冠詞のルールが厳密なフランス語ネイティブだと「I play the tennis.」とか言いがちなんだって。それはもうそれぞれの言語(ひいては文化)の違いがあるのだから、そういうことが起こるのは仕方のないことで初学者のうちは間違えて当然なもんだと。でも、どの言語であれその言語を学ぶのであれば、きちんと意図を感じとって伝えることのできるようにしたいものだ。というわけで結論は前作と同じで、自然な英語に習熟するためには興味のある分野でいいから徹底して多くの実例にあたって学んでいくしかないよと。

それにしても、この著者の日本語の能力はすごい。自身の日本語の能力を謙遜してはいるのだが、一般生活者としての日本人でさえそんな細かい違いまできちんと認識していないぞ(場合によっては日本人なのに日本語に不自由だったりする人だっているぞ)というようなことまで、誤解のないように丁寧でしっかりとした日本語を駆使して日本人相手に日本語の文章で説明するのだから舌を巻く。

日本人の英語(続)(岩波新書)[マーク・ピーターセン]
続 日本人の英語(日本人の英語)[マーク・ピーターセン]【電子書籍】

読了:ネットワーク超入門講座 第4版[三上 信男]

幅広い知識がやさしく学べる入門書のベストセラー!図解と丁寧解説で企業ネットワークの重要事項と全体像を理解しよう。最新事情に対応。写真も多数掲載。

1 ネットワークの全体像/2 LAN超入門/3 WAN超入門/4 スイッチ超入門/5 ルータ超入門/6 セキュリティ超入門/7 VoIP超入門/8 無線LAN超入門

自分は基本的にはソフトウェアエンジニアだと思っていて、ITインフラの知識が決定的に欠けていることは昔から認識していた(ITインフラって何?それっておいしいの?レベル)。いやソフトウェアエンジニアであろうと、IT業界の片隅に籍を置かせてもらっている以上は、ITインフラであるネットワークの基本を知らないのは由々しき問題であるとはうすうす感づいてはいた。そこでようやく重い腰を上げて取り上げたのが本書。「入門」と銘打っているからには本当に基本的なことしか書いていないんだけれども、ふわっとしかわかっていなかったラフのITインフラに関する怪しげな知識を具体的に整理できたので、読んでよかった。そもそも、ネットワークというものがどのように組まれているのか全く知らずにセキュリティとか議論するって、基盤工事がちゃんとされていないうえに家を建てるようなものだしね。

情報処理の試験でネットワーク図によく出てくるL2スイッチとかルータとかファイアウォールとか、まぁ機器をつないでいるハブみたいなもんで、それぞれ何となくこんなことやっているんだろうなぁというくらいの認識でこれまで挑んでいたのだ。つまり、なんでそういう風なネットワーク構成になっているのだとかいうその意図や背景となるものについては詳しくは分かっていなかったのだ。そういうわけで、本書の第2章から第5章は本当にすごく役に立った。あ、そういう機械だったんだなと。マシンルームとは縁遠く本物を見たこともないラフには、具体的にそれぞれの機器の写真も掲載されていて(どの機械も平べったい四角でケーブルを差し込む穴が側面にいっぱいあるだけの似たようなものばかりではあったものの)、現実に存在していたんだという衝撃もあった(まぁそういう物理的な装置の存在を知らなくても使えるというのがネットワークのすごさとも言えるが)。

とりわけ役に立ったのは、それぞれの機器がOSI基本モデル(覚えるのが面倒くさくてラフがずっと苦手意識を持っていてなんとなくしか理解していない代表)のどの層担当の機器なのかが整理されていたこと。これがわかってくると、俄然おもしろくなった。また、時代はIPv6に移ろうとしているとはいえ、まだまだ現役のIPv4のIPアドレスのルールも詳しく説明されていて、自分で計算しながらどうやって決まるのか説明できるようになったよ。今までのラフの知識はIPv4のIPアドレスにはクラスA~Cくらいがあって(意味はよく分かっていないし、実際はEまであるということを知った)、プライベートアドレスの最初は192とか172とかが多いんだなぁ、サブネットマスクって何?とかいうレベルだったのだ。

あと、第7章のVoIPはこれまでまったく手つかずの分野だった。いわゆるIP電話の話。音声データと通常のデータが同じネットワーク上を流れていること(実は流す仕組みは同じだけれども、ネットワーク回線は物理的に分けるものだと思っていた)、そして音声データは通常データよりもシビアに優先されなければならないということが絶対的に重要であるとは!!今までの認識を覆されたよ。たかだか「音声」じゃんとか思っていた自分を強く恥じた。

本当に「超入門」だけれども、新しい知識を得るというよりも、苦手意識を持っていたから今までふわっとあやふやでしかなかったITインフラ知識を具体的に整理して理解することができたという点で、最近読んだ仕事関係の実用書の中では断トツに役に立った一冊だった。

ネットワーク超入門講座 第4版[三上 信男]
ネットワーク超入門講座 第4版[三上 信男]【電子書籍】

読了:昨日まで不思議の校舎(創元推理文庫)[似鳥鶏]

超自然現象研究会が配布した“エリア51”の「市立七不思議」特集が影響を与えたのだろうか?突如休み時間に流れた、七不思議のひとつ「カシマレイコ」を呼び出す放送。そんな生徒はもちろん存在しない。さらに「口裂け女」「一階トイレの花子さん」の悪戯まで見つかった。なぜこの三つなのだろう…。調査を進めた葉山君は、ある真実に気づく。ますます快調な、シリーズ第五弾。

このシリーズもついにオカルトに突っ込んだか。全体の雰囲気も不穏な感じで、コミカル要素もかなり薄め(メレディ並み)。3つの学内事件は後半で卒業生の伊神さんがあっさりと解いちゃうんだけれども、実はそれぞれの事件は独立していたと。でも、登場人物たちが言うように、なぜそれぞれの犯人が同じ読み物の中の7つから同時にネタ被りをすることなく事件を起こしたのかっていうのはやっぱり疑問なのね。単なる偶然?そこがこの作品の最後の謎ねって思って読んでいくと、あらぬ方向へ転がっていく。実はネタと思っていた都市伝説は実際に起こった殺人事件がもとになっていることが判明、やがてそこに第1作に登場した壁男事件も含めて4つの事件は同一犯によるものということで犯人捜しになって、まぁ犯人も判明して終わるんだけれどもさ。え?ちょっと待って、さっきまで話題にしていた3つの独立した事件のネタが被らなかった件は放ったらかしなの?そこが一番気になっているんだけれども。完全放置?それぞれの犯人が述べた「ただなんとなく」ってだけで片付けちゃうの。伊神さんも葉山君もめっちゃ気にしていたのに、解決されずに終わるなんておかしいでしょ。いやぁ、今作はその点こそがまさにオカルトだよ。

昨日まで不思議の校舎(創元推理文庫)[似鳥鶏]
昨日まで不思議の校舎(市立高校シリーズ)[似鳥鶏]【電子書籍】

読了:いわゆる天使の文化祭(創元推理文庫)[似鳥鶏]

夏休みも終わりに近づいた文化祭目前のある日、準備に熱の入る生徒たちが登校すると、目つきの悪いピンクのペンギンとも天使ともつかないイラストが描かれた貼り紙が目に飛び込んできた。別館中に貼られた、部活にちなんだ様々な怡好の“天使”を不思議に思いつつも、手の込んだ悪戯かと気を抜いているとー。波瀾万丈で事件に満ちた、コミカルな学園ミステリ・シリーズ第四弾。

今回は、あっと驚くミスリーディングが3回用意されているんだけれども、いかんせん鮮やかと言い切れないところが残念極まりない。このシリーズの主人公は葉山君という男子高校生だったはずなのに、なぜか奏とかいうぽっと出の今一つ特徴のないおなごがもう一人の主役を務めている。ん~、葉山君には柳瀬さんという頼もしい変態女性先輩がいるんだから、彼女をもっと活用しようよとか思いながら読み進めるわけですよ。そして文化部の人たちと比較的仲良くなるはずの美術部員葉山君なのに、なぜかこの吹奏楽部員の奏さんとはどこか関係が薄いのよ。なんでかなぁ、と思ったら中盤にまず、これまでずっと1つの事件だと思っていた出来事が実は2つの場所で起こっていたことだという衝撃。葉山君と奏さんは違う高校の生徒だったのだ!!さらにもうしばらく進むと、今度はこの2つの場所で起きた事件が1年の時間を隔てていることも判明。そして最後には、ずっと男の子だと思い込んでいたある人物が女だったとか。こうもやすやすと作者に乗せられたのは悔しいけれども、じゃ鮮やかに気持ちよく騙されたかというとそうじゃない。ラストで怒涛の如く畳みかけるようにひっくり返されたら「やられっちまったなぁ」と思ったんだろうけれども、後半に間をおいて少しずつひっくり返していくから間延びすることこの上なし(素人のオセロゲームか)。しかも肝心な事件の素となった人物にまったくフォーカスされてこないし(ラストにほんの一瞬姿を見かけるだけ)。テーマがボケボケで詰めが甘い、甘すぎる。名探偵伊神さんもたいして活躍しないし(もはやいてるだけ。この人の常識のなさが面白かったのに)。コメディの切れも今一つだし、そろそろシリーズの限界か。

いわゆる天使の文化祭(創元推理文庫)[似鳥鶏]
いわゆる天使の文化祭(市立高校シリーズ)[似鳥鶏]【電子書籍】

読了:悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部 由美]

2019年11月16日の日本経済新聞に書評掲載!「人が陥るメカニズムを分析」

「猟奇殺人から小児性愛まで、リベラル化する現代社会でもっともおぞましいものに『科学』を武器に果敢に切り込んだ」(推薦 橘玲氏)

人はなぜ平然と差別、嘲笑、暴力に加担するのか?人間をモンスターに変えるものは何か?ファクトが語る脳と遺伝子のダークサイド。激しい賛否両論を巻き起こす著者の話題書!

第1章 あなたの中のサディストーー悪の神経科学
第2章 殺すように作られたーー殺人願望の心理学
第3章 フリークショーーー不気味さを解剖する
第4章 テクノロジーの光と影ーーテクノロジーは人をどう変えるか
第5章 いかがわしさを探るーー性的逸脱の科学
第6章 捕食者を捕まえるためにーー小児性愛者を理解する
第7章 スーツを着たヘビーー集団思考の心理学
第8章 私は声を上げなかったーー服従の科学

上記宣伝は売るための煽り文句だとは言え、著者はとりたてて「悪」を「おぞましい」とは言っていないし、また「悪」を「遺伝子」と関連付けてもいない(生物学的な相違があるのかという議論はしているが)。アグレッシブなテーマではあるけれども煽り立てるような論展開はしないし、著者は最終的には人間の可能性に希望を持っているとラフは受け取った。

「悪」とはどんなものなのか、絶対的に存在するものなのか(著者は否定しているとラフは読んだ)。また多くの人は物事を単純化して「悪」を考える人は「悪人」という考え方に簡単に飛びつき、そして「私」にはそんなことはできない、と思い込んでいる。でもそうじゃない、人間はちょっとしたきっかけで誰でも簡単にダークサイドに陥るものだということ、また「悪」というものに対して人々が抱いている思い込みや偏見を、多くの事例や研究から解き明かしていく。多くの人は自分は悪だとは思っていないし、なによりも悪いことをしようと思って悪になる人はいないのだ。理性的で落ち着いた論展開であるので安心して読める。

・「殺人ファンタジー」
殺人「悪」を想像した人はみんな「悪人」なのか?人を殺すということを想像したことのない人はいないだろう。しかし多くの人は想像はしても実際に行動に移すということはない。一方でちょっとしたきっかけで殺人を犯してしまう人がいるのも確か。

・「ただしイケメンに限る」
なぜ第一印象が不気味な人を警戒するのか?(ここで、不気味とは何かの定義をして考察するところが重要)。実験により明らかになったのは、人を見た目で判断するというのは実はあてにならないという現実。

・「小児性愛者」
児童ポルノ所有が必ずしも小児性愛加害者ではない。小児性愛加害者が必ずしも児童ポルノ所有者ではない。また小児性愛者が必ずしも小児性愛加害者になるわけではない。小児性愛の傾向を持つ者と加害者は同じではないのだ。被害は防がなければならないことではあるが、本質的な問題がなんであるのか見極めなければならない。

・「自己責任」
「自己責任」という言葉で弱者を切り捨てることについて。発する側にとっては自分自身の今の立場を守ろうとする心理によるものであることが明かされる。なぜそういう現実になっているのかにまで思いをいたせるかどうか。

・「テロ聖戦士」の2面性
過激な思想や信念を持っている者が必ずしもテロの実行犯になるというわけではない。またテロの実行犯がすべて過激な思想や信念を持っているわけではない。過激な思想や信念を持つ者とテロ遂行者は同一ではない。

・どうすればいいのか
人というものはそういう傾向があるということを知っておく、自分で考えることをやめない、おかしいと思ったら立ち止まってみる。それができるのが人間である。そのことにより歯止めがかけられるはずだ。人間は基本的にみんな理知的であるという前提に立ったきれいすぎる理想論のようではあるけれども、ラフはこういう考え方は好きだ。

ちなみに結論の章で著者が述べる10の事実(邦題に合わせて事実とくくっているが、提言も含む。原題は“Making Evil -The Science Behind Humanity’s Dark Side”)。

  1. 人間を悪と見なすのは怠慢
  2. 脳は少しサディスティック
  3. 人殺しは誰にでもできる
  4. 人の不気味さレーダーは質が悪い
  5. テクノロジーは危険を増大させる
  6. 性的逸脱はごく普通
  7. モンスターとは人間のこと
  8. 金は悪事から目を逸らさせる
  9. 文化を残虐行為の言い訳にするな
  10. 話しにくいことも話すべし

今まで自分の中でもやもやしていた様々な事象や思いがすっきりとしたエキサイティングな読書経験だった。

悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部 由美]
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