読了:ゲノムが語る人類全史 [ アダム・ラザフォード ]



ヒトゲノム計画とか一時期流行っていたけれども、じゃ今結局何がどうなったの?ってところをヒト遺伝学を中心に述べたサイエンス啓蒙書。DNAに書かれている情報が全部わかったからと言って、克服された病はまだ一つもないという事実とか、犯罪者遺伝子が判ったとかいう荒唐無稽なことはありえないとか、ゲノム計画で神が意図したもうた計画をお手軽にくみ取れるようになったはずなんて思っていた人には残念な報告かもね。じゃゲノム計画は無駄だったのかというと、全然そんなことはない。分かったことだっていっぱいあって世間に還元されているんだよ。作者がイギリス人ということもあってヨーロッパの話題がダントツに多いのはご愛敬。ポストゲノム時代において適切なサイエンスリテラシーを身に着ける必要があるという警鐘が一番ためになったかも。また脚注が作者の人柄を反映していてすごく面白い。とくにスパイダーマンの下りはニヤッとした。

ゲノムが語る人類全史 [ アダム・ラザフォード ]

読了:フェルマーの最終定理 (新潮文庫) [ サイモン・シン ]



一時期大ブレークした数学ノンフィクションをようやく読んだよ。数論の出来はじめから、フェルマーの予想(彼自身は証明したと言っているが、紙面が足りなくてここには書けないとだけ走り書きを残している)、350年にわたる証明へのチャレンジの歴史、数学者ワイルズによる証明の道のり、そしてフェルマーの最終定理証明後に残されたものは?。モジュラーあたりから証明の詳しいところは分からなくなったけれども、背理法、帰納法といったことさえわかっていれば大筋を見失うこともなく読み進めていける。数学上の証明ってこんなに厳しいものなんだなぁと思うものの、それでもチャレンジせずにはいられないってところが人の人たる所以でもあるんだなぁ。そして多くの日本人数学者の業績もワイルズの証明に寄与してるんだなぁとか思いながら一気に読んだ。

wikipediaの「フェルマーの最終定理」の項

フェルマーの最終定理 (新潮文庫) [ サイモン・シン ]

通勤手段

 職場のN課長が「通勤が面倒くさい。どこでもドアか、空飛ぶ自動車、開発されないかなぁ」とのたまった。実現の可能性という点では後者に断然分があるわけだが、「空飛ぶ自動車」を「地面を走れる飛行機」と考えればもはや実現されているものと言える。実際に通勤で使えるかどうかは別問題であるが。

デオキシリボ核酸

こんな文章をネットで見た。

第一印象というのは考えるよりも前に、DNAが瞬時に判断していますので、変えることはできません。

DNAが判断?たとえだということはわかるが、それにしてもこういう使い方は個人的には今一つ、いや二つか三つか。それとも俺の言語感覚が鈍いのか?

wikipediaの「ソーカル事件」の項

ジジ抜き

トランプでババ抜きというのがあるじゃない。ペアにならないジョーカーを最後まで持っていた人が負けっていうゲーム。一方でジジ抜きっていうゲームもあるじゃない。こちらは、トランプ一セットから1枚だけ抜いて最後にペアにならないカードを持っていた人が負けっていうゲーム。ジョーカーがペアにならないと最初から分かっているババ抜きに対して、ジジ抜きではどれがジジなのかはある程度ゲームが進むまでわからないよね。

さて問題です。
ジジ抜きにおいて(当然ながら一人であるいは二人でやるということは考えない)、自分の手元にあった、ある1枚のカードが隣の人に渡り、それがしばらくたつと再度自分のところに戻ってきた。そうすると、そのカードはどの人の手の内でもペアにならなかったカードなので、そのカードがジジである。この判断は正しいか正しくないか。

ゼロの未発見

紀元前1年の翌年は紀元後1年つまり西暦1年。西暦0年という年は存在しない。
【補足】天文学は除く

スーパーブルーブラッドムーン

今宵の付きは、スーパーブルーブラッドムーン。スーパームーンは月が大きく見える、ブルームーンはひと月に2回満月がやってくること、ブラッドムーンは月食で月が赤く見える。この3つが今回は一度に。

写真は月食始まる前の月。霞んでいるけれども満月。21時過ぎには半分くらいに欠けていた。載せるなら欠けている月の写真だろというツッコミは却下。一応撮ってはみたものの、写真はなんだかわからないものになっていたので。

「甘さ」を知覚する仕組み

ヒトは甘いものを欲する。またアリは甘いものにたかる。だからといって、アリと人間の「甘い」という味覚(あるいは別種の知覚かもしれない)が同じものであるというわけではない。ラフはおそらく分子構造の識別に関して(物理的な話)は近いものがあるだろうが、それを認識する知覚の仕組み(神経学的仕組み)は別であろうと考えている。なぜなら神経系が形態学的にも発生学的にも進化学的にもまったく違うのであるから。ヒトが甘いと感じているものと同じ仕組みでアリが「甘さ」を知覚しているわけではないと言うこと。つまり、アリもなんらかのポジティブな認識(いや、アリが認識なるものを持っているかどうかも分からないが)となるような仕組みは備えているとは思うが、ヒトが「甘さ」を知覚し欲する仕組みとアリのそれとは違うであろう。(ちなみにアリのそれとハチのそれはほぼ同じだと考えられる)

この違いを押さえておくことは重要だと思うのだが、どうだろう?(児童文学なんかでの擬人化に反対しているわけではないよ)

秋分の日

「秋分の日」は科学的に決まる日なのでおそらく今後もハッピーマンデーになることはなかろう。

本日のニュース3題

■鳴き声は「メェ~~」のままで問題なし。

■抽選で当たるのはLINE payのポイントとかではなく、Amazonギフト券なんだ。

■うちの職場は割とホワイトなんだけれども、「プレ金」は黙殺されている。