高校野球の理論上の応援方法

おそらく、今年は一生ではじめてこんなに野球を見ていると思うよ。今までは一回分の表裏の片方程度でさえ見続けたことがないくらいだもん。甲子園ってこんなにドラマチックだったんだと思うわけだよ。とにかく球児ってよく泣くんだなぁ。見ているこっちがかわいそうになるくらい。そりゃ高校生活をほぼ野球に費やして甲子園まできたんだろうから負けたら悔しいよなぁ。ここまで地方大会も含めて1回も負けずにきたことはすごいことだし、でも1試合ごとに必ず負けるチームは出てくるわけだから、こういったドラマは毎試合ごとにあるわけだよな。負けたチームもがんばったことをねぎらってあげたい。そして決勝戦で負けたチームをねぎらったあとに、最後に優勝したチームの勝利を称えると。そうすれば全てのチームに賛辞を送ることが可能だよね。

サイエンスリテラシー

ある人が書いたもっともらしく世を批判する本をチラチラと眺めたのだが「放射性廃棄物などの有害物質ががん細胞になる」なんて表記を見ると、「あぁこの著者の本は読む価値もないな」と思わざるを得ない。なんなんだこの科学に対する低見識で「科学」を装って世を批判する態度は。放射性廃棄物だろうが有害物質だろうがそんなものががん細胞になるわけないだろうが。だれも朱を入れなかったのか?書くのなら「有害物質が細胞のがん化を誘発する」だろう。なんでこんな残念なものが書籍として一般に流布しているのか。

学生時代に「放射線生物学」という必修の講義があって、その初回で教えられたのは、放射能汚染によってゴジラとか、翼の生えたあるいは目が3つあるモンスターのようなヒトなんてものは生まれないということだった。それはなぜなのか?ということもメカニズムから教育される。

たとえば「遺伝子組み換え」でも。「遺伝子組み換え」がいいか悪いかは別問題で、怖いと言う人は「遺伝子組み換え」と「品種改良」の違いをきちんと説明できますか?ってことだよね。(もちろん遺伝子組み換え食品を避けるという選択をするかどうかは個人の自由)

「知らない、だから怖い」という感情的なものは科学的な態度ではない。理性的な態度でもない。正しく怖がることが重要。

読了:人体六〇〇万年史 科学が明かす進化・健康・疾病 [ ダニエル・E・リーバーマン ]

先ごろ読んだ「サピエンス全史」が面白かったので、今度は関連書籍として紹介された「人体600万年史」を通読。前者は歴史学者が哲学方面に進むのに対して、後者は人類進化学者が科学方面に進む。とにかく引用文献やコメントが豊富で(上下巻ともその3割は引用文献や注釈、1割が索引)、文献に裏打ちされた最新の人類進化史として読み応え抜群。

600万年前と言うのはわれわれの祖先が二足歩行をはじめたと推定される頃。もちろんホモ属はまだ誕生していない。そこから人類史を進化の面から詳述する上巻と、農業開始にともないこれまでの進化が引き起こした不具合のメカニズムとその対処法を検討する下巻。人類の歴史の多くの時間は狩猟採集民であり、農業を始めたのはほんの最近のこと。なので、狩猟採集民として進化してきたことが、農業の開始によりいろいろ不具合となって現れてきた(著者はこれを「ミスマッチ病」と呼ぶ)。進化は現在でも止まっていないためこれらのミスマッチ病が人類の進化に対して負の効果となってしまう(著者はこれは「ディスエボリューション」と呼ぶ)。多くの病気は産業革命を通した衛生面の改善や医療の進歩により克服されたが、「偏平足」「肥満」「骨粗しょう症」「親知らず」といった不具合(ミスマッチ病)は現在の文明生活習慣では克服は見込めない。人類はこのままディスエボリューションを受け入れるしかないのか?著者は現状の生活習慣は否定しないが、それでもなぜそういう不具合が起こるのかを子供には教育していくことの重要性を説く。

久々に、理路整然としていながらもわくわくできる概説ものを読んだ気がする。おすすめです。

人体六〇〇万年史 上 科学が明かす進化・健康・疾病 (ハヤカワ文庫NF) [ ダニエル・E・リーバーマン ]
人体六〇〇万年史 下 科学が明かす進化・健康・疾病 (ハヤカワ文庫NF) [ ダニエル・E・リーバーマン ]

土曜の夏の一日

朝一で眼科健診に。その後今日もRとデート。神楽坂でランチして、それから国立科学博物館でやっている特別展示「深海」へ。ものすごい混雑。みんな深海が好きなんだな。人はなぜこうも深海に魅せられるのか。アメ横に寄って戸越銀座に寄って、酒と刺身の宅飲みパーティー。酔うとしゃべるラフをおもしろがられる。記憶を失っていつの間にか寝ていた。

読了:サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]



ゲイツもザッカーバーグも推す、今読んでおきたいビジネス書ランキングにも入ってくる、巷で話題のユバル・ノア・ハラリ著・柴田裕介訳「サピエンス全史」上下巻を一気に読了。うん、確かに面白かった。こんなにもわかりやすい言葉で(翻訳もすばらしい)、発想の転換、既存の価値観を疑うことを読者に体験させるとはものすごい読み物だ。全史とあるけれども歴史を詳述したものではなく、ホモ・サピエンスが認識革命により想像上の概念を扱えるようになり、実体のないもの、コミュニティ、国家、宗教、イデオロギーとともに時代をたどってきた様を述べる。貨幣さえも「信用(クレジット)」に支えられているのだ。最後にはそんじょそこらのSFなんてものを超越した、今後のサピエンスの行く末は、もはやサピエンスという種(生命)を超えた存在に至るかもしれないという驚きの着地。これをこんなにもわかりやすく、しかも具体例を挙げて説明しているんだから見事としか言いようがない。一読を強くお勧めする。

個人的には上巻が際立って面白くて、下巻に入ると、あぁこの話は知っているけれどもなるほどそういう見方をするのね、で結論はそんなところに落ち着いたかという感じ。まぁ、結論は想像の域を出ていないけれどもね。それは分からないといいながら次の段ではそれを事実として話を進めるなど一部牽強付会なところもある。「既婚者が独身者や離婚した人たちよりも幸せであるのは事実だが」って「事実」なんだ(笑)。一番残念だったのは、キーワードでもあるサピエンスの「幸福」の定義があいまいなことかな。何をもって幸せというのか、もちろん著書の中でそれは一概には決められないと言い、「幸福度」を調査したレポートの紹介はあるけれども、あなた(=著者)が言うところの「幸福」とか指標としての「幸福度」ってなんやねんとつっこみたい。

サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]
サピエンス全史(下) 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]

知の欺瞞

音楽において「テンポを倍に」と「音価を倍に」はまったく逆の方向性である。前者が早くなるほうの倍、後者は遅くなるほうの倍。数学的な計算でとりあえずは算出できる数値の話だ。

では「いつもの倍早起きする」というのはどういうこと(この表現はある歌で実際に使われている)?午前6時に起きる人が午前3時に起きる?違うよね。ここでは数学的な意味合いでの「倍」ではないよね。

「加速度的に増加する」、「負の加速度」だってありますよ。
「AとBは比例する」、「比例定数が負」の場合だってありますよ。
「AとBは反比例する」、単に負の相関関係だけだってことはないですか?

「この問題をどう解けばいいか」を「この方程式をいかにして解くか」との言い換え、本当に必要?「方程式」は解かないといけないものなの?方程式であること、そのことにこそ意味がある場合もあるよ。

あいまいな雰囲気だけで使用された数学用語を用いることで、文をいかにも学術的に装飾する傾向って言うのは確かにある。そういう表現を見るたびに、なんとなく言いたいことはわかるけれども「洗練されていないなぁ、陳腐だなぁ」と自分には思える。自分の好きな塩野七生氏もしばしば「問題」=「方程式」を使うんだよね。「あれ?「問題」じゃダメなの?」とか思ってしまう。

こんな話をしているとソーカル事件のことを思い起こすなぁ。

wikipediaの「ソーカル事件」の項

コーヒーの色と尿の色

たとえばコーヒーを飲むじゃない。でも、尿はコーヒーの色そのものにはならないよね。じゃ、尿になるに際してコーヒーの色はどこにいったのか気にならない?俺は気になるなぁ。通常の一般人が手軽に用意できる装置や道具の類では液体の色を除くのって難しいよね?人体のろ過装置の不思議。

時間が一方方向にしか進まないのは

時間が一方向にしか進まない(時間の矢は過去から現在、未来にしか進まない)のは、熱力学の第二法則「閉鎖系においてエントロピーは常に増大する」からだという認識をしている。けれども、じゃこの場合の「閉鎖系」って何?「エントロピー」って何?「増大」がなんで時間の未来方向なのか?と考えると途端にわからなくなる。

キーワードとなる「エントロピー」とは、簡単に言うと「でたらめさ加減の指標」なんてことをまことしやかに習ったはずなのだが、ラフは基本的にちゃんと勉強をしなかった人なので当然のごとく腑に落ちていなくて、それがいったいなんであるか、「でたらめさ加減」ってどう定量化するのさとかもう分からないことだらけだ。さらに似た言葉に「エンタルピー」なんてものもあったな。この2つの違いさえ習った当初でもまともに分かっていなかったのだ。だいたいこの二つの語の響きが似ている上に、同じ教科で、割と近しい時期に習ったことで分からなさ加減MAXだよ。「エンタルピー」ってなんらかのエネルギーのことだったような……(遠い目)

閑話休題(<この言葉も誤解されやすい言葉だが「それた話から本題に戻すと」という意味で使う。「ここから余談が始まりますよ」ではない)。アインシュタインの相対性理論で「3次元空間」に「時間軸」が加わり「時空」と言う概念が生まれたわけだよね。時間は一様ではないと。

人間の知覚として空間は正負両方面を認識できるように進化した。だから立体と言うものが認識できるんだもんね。これは生命として生きていくうえで必要だから、つまり、えさを捕らえるだったり、敵から逃げるだったりというのに必要であるから。つまり生存に有利だから発達したと。でも、時間軸に関しては、生きていくうえでエントロピー増大の方向だけを認識しておけば大丈夫だったということなのかな。過去は決定したものとして、直近の未来は推測として。もしも時間のゆがみの認識が生存に関わるものであれば、おそらくは時間と言うものをもっと柔軟にかつ具体的に知覚できるものとして生命は進化したのかもしれない。

進化論

遺伝子組み換えに反対する人の中には、「遺伝子組み換え」というものが何かよくわからないから恐れていることもあるんじゃなかろうか。ダーウィンの「種の起源」は品種改良、交配から説き起こしているんだけれども、そもそもがこれこそが原始的ではあるものの人工的な遺伝子操作なんだけどね。

あと、進化で誤解されているのは、サルはいくら時間がたとうともヒトには進化しないってこと。サルの先の何かに進化することはあっても、すでに種分岐しているんだから現生人類にはなりえないよね。

よく見かける進化を表現したと思われる代表的な図だけれども、これは進化というものを実は適切に表現したものではなく、古生物学者の故グールドは誤解を招くこの種の図を使うことをことに強く反対していた。もっともらしく流布しているが誤解の元凶、あろうことか自分の著書の表紙に使われかけたこともあるとか。

間違った図ということでは、このヘッケルの図も相当に怪しいらしい。

生物の資料集の発生の項には必ず載っている図で「個体発生は系統進化を繰り返す」っていうやつね。個体の発生過程は、魚類>両生類>爬虫類>鳥類>哺乳類と進化してきた過程をたどるってやつね。でもこれはヘッケルがその仮説に当てはまる事例のみを都合よく選別してまとめただけのものと。