確定申告

確定申告を済ませた。もちろんe-taxです。とはいえ一般サラリーマンなので年末調整はしているので、医療費控除の申請のみ。一人で10万越えってなかなかないよなぁと数年前まで思っていたのだけれども、今や病気のデパートへと向かいつつあるラフ、軽く10万は一人で超えてしまうようになってしまった。

カリオストロ

MX4Dのカリオストロの城を見てきたよ。MX4Dは初体験でまぁ面白いとは思ったけれども、作品に集中できなくてちょっとなんだかなぁって感じだった。いい作品だからなおさら。

ツェルニー練習曲集

ベートーヴェンの弟子にツェルにーという人がいました。ピアノ弾きにはおなじみですよね?しかもどちらかというと嫌な方面で。膨大な数の単調な練習曲を量産した作曲家で、ピアノ弾きは「30の練習曲」「40の練習曲」「50の練習曲」「60の練習曲」と進めていく練習曲。彼の練習曲は前述のみだけでなく、とにかく大量の練習曲が残っています。練習曲以外の作品も少ないながらあるんですが、いかんせんあまり楽しいものではない。ツェルニーの練習曲って楽譜を見ただけでもううんざりするような曲が多く、だいたいつまらないということになってます。ところが後期の練習曲になってくるとロマン派に入ってくるので妙に情緒的な和声進行だったり華麗だったりする練習曲も出てきて、弾けるとめちゃくちゃ楽しいものがある(内容はあいかわらずたいしたことないですが)。興味のある方は「60の練習曲」あたりを聞いてみる、あるいは弾いてみてください。演奏会に出しても十分通じるような魅力的な曲があることにびっくりするかもしれません。あたかもリストのような、というか、そもそもリストはツェルニーの弟子だったな。

ツェルニー練習曲をやっていて絶対これは無理だと思うのがメトロノームのテンポ指定。とにかくめちゃくちゃ速い。指定どおりに弾くのはもはや練習曲の域も超えてしまっている至難の技。もし弾けたとしても曲芸レベルである。ツェルニーのテンポ指定が今のメトロノームとは違うもので記述されたのかと思うくらいだ。しかし、今日使われているメトロノーム(いわゆる1分間あたりの刻み数を基準とするメルツェルのメトロノーム)はベートーヴェンの時代に登場し、彼によって音楽のテンポ指定として使われるようになったものである。弟子であるツェルニーも当然メルツェルのメトロノームのはずだ。自分のピアノの師匠はそういうわけで、レッスンにおいてツェルニー練習曲に関しては指定されたテンポの2/3で弾ければテンポに関してはとりあえずOKという具合だった。

とりあえず、今日覚えてみてもいい知識は、古典派からロマン派にかけて

ベートーェン – ツェルニー – リスト

という系譜があるということかな。

ロマン派の音楽はいつから始まったのか?
古典派とロマン派の境界はどこかということだけれども、そもそもが音楽を歴史的作風で分類するのにはっきりとした境目があるわけではなく恣意的なものですよね。もし、古典派とロマン派の境にかかわる話をする場合は、どう定義したかを話者同士が了解しなければなりません。というわけで、上記記事にリンクをはっておきますが、ラフは特に断らない限り、この記事中の(B)を基準とする、つまりベートーヴェン後期からロマン派へ移行が大きな流れとなったと考えています。

わたくし、体重に関して若干ウソをついておりました

先日、半年で10キロ体重が増えたと申しておりましたが、実はちょっと違う。ここ最近の体重の記録をお見せしよう。

去年の11月ごろからの3か月で10キロ増えてます。すみません、半年で10キロなんですが、実際に増え始めたのはここ3か月です。この急激なというか病的な太り方はまずいなぁ。しかも、もう100キロが見えてきているのもシャレになってない。ちょっと動くだけで息が上がってしまうこの頃、さすがにつらい。

ここ最近のものだけを見せたからこんなもんかなぁということですが、1年単位で見てみると、体重の増加は15キロ近いこともこっそりとお伝えはしておこう。誰だよ、体重の記録をつけることでダイエットができるなんていったのは。

ついでに、下着はコットントランクス派なんですか、最近かがむたびに、びりっと破くこと数多。サイズがすでにして小さいと言うことだな。ワンサイズ大きいのを買わなきゃ。

ささみがカニカマ

鳥のささみ肉ってさ、火を通しすぎるとぱっさぱさのかっちかちになっちゃうじゃない?というわけで、今回は柔らかジューシーを目指して処理してみました。
・冷凍のささみを重曹液に浸しながら冷蔵庫で解凍2日。
・それを取り出してフリージングバッグに空気を抜くようにパッケージ
・沸騰した鍋の湯に投入。
・3分沸かしたら火を止めてそのまま一晩かけて冷ます。
・フリージングバッグの外側から手でもんでほぐす。
そうやってできた柔らかささみのほぐし肉を使って、ブロッコリーサラダを作ってみたらこれがうまかったのだ。成功だね。

と、まぁ最初はそう思っていたんだけれども、なんかこのサラダのささみ肉、どこかでこの食感を確かに今までに知ってる。そう、これはカニカマだよ。やわらかくしようと処理したものの、カニカマになってしまったとは。だったら、最初からカニカマとブロッコリーでサラダ作るよ……。重曹液2日が長すぎたのか。

ささみ肉を使ってもカニカマを使ってもいいんだけれども、まぁ味付けはマヨネーズだよね。これにすりごまを加えると味わいが濃厚で奥深くなります。また水気もすりごまに吸収されるのでお弁当用サラダとしても使えるよ。

ワンポットパスタ~ミートソース

去年ちょい流行っていたワンポットパスタを作ってみた。初めてだしオーソドックスにミートソースに挑戦。作っている途中は「ほんまにできるんかい?」っていうくらい汁びちょびちょ状態だったんだけれども、出来上がるときにはパスタがほどよく汁を吸っていてなかなかいい出来に仕上がった。水分の適切な量が出来を左右するんだな。レシピどおりに作るのが吉とみた。ただいかんせん、見たレシピが2人用なので、一人で食べるには大量にできてしまった。写真にのっていない分は、タッパーにつめてお弁当にしたとさ。もっともロングパスタを弁当にすると伸びきったパンツのゴムみたいなものになっちゃうんだけどさ。

stringendo を無視するな

S吹奏楽団の初見大会とかでも思うのだが、多くの人がなぜか無視する音楽用語の一つが、 stringendo だと思う。 stringendo と書いてあったらテンポが上がっていくもんだろうがと俺は常々思っているのであるが、テンポが上がる楽語だと知らない人が多いようだ。というか、はっきりと書いてあっても知らないからか気にもしていないようなのだ。 ritardando とか allargando がテンポゆっくりになっていくのと反対に、 accelerand がテンポ早めていく語であるが、 stringendo もテンポ上がっていくんだよと強く主張しておきたい。無視してはダメだよ。

吹奏楽の世界では、もはや定番であり多くの人に支持されている酒井格の人気デビュー曲「The seventh night of July」(通称「たなばた」)、この曲の最後にもはっきりと stringendo が指示されている。にも関わらずテンポが変わらずに終わってしまう演奏をあまた聴いてきた。自分はこの曲の最後に指示された stringendo に、いきいそぐ青春の生き様、青春のほとばしり、駆け抜ける青春の思い出を感じたいのであるが(そうあればこそ酒井格が高校生のときに書いた作品ゆえのみずみずしさだと思う)、それを最後までインテンポ(変わらないテンポ)で演奏された日にゃ、「お前ら(演奏団体様)の青春は、そんなにのほほんとした緩みきったパンツのゴムのような世界で終わってよかったのかよ」と突っ込まずにいられない。テンポを上げて終わる、こういうところにこそ、たなばたの魅力があると俺は信じているのだ。そういうことに思いをはせてこその音楽じゃないのか?と。

ゲーム音楽中心の吹奏楽演奏会

元上司が所属している吹奏楽団の演奏会チケットをいただいていたので聴きに行ってきましたよ。「冒険」がテーマらしく、さる有名なゲーム音楽を中心にがっつり聞いてきました。

電子系ゲームというものをほぼ一切やらない自分はあまりゲーム音楽と言うものに興味がない。商業的だから優れていないとか、陳腐だとかそういうことを言っているわけではない。あくまでも個人的に耳にする機会が少なかったから興味があまりないというだけだ。ラフが思うにゲーム音楽に面白さを見出すのならば、デジタルな音楽をアコースティックな楽器で演奏する面白さなのかな?

今日の演目はゲームに興味がない人にもわかりやすいようにスートーリーの語り付きでした。いや、聞いていても知らない単語ばっかりで全然ストーリーついていけなかったけど。古の呪いがどうのこうの、光の玉がなんとかとか。

我思う、ゆえに我あり

別に哲学に興味があるわけではないし、デカルトに傾倒しているわけでもない。けれども「我思う、ゆえに我あり」は自分にとってなにかと命題にはなっている。私と言うものは何か?究極に問い詰めてみて、でも今こう考えている自分と言うものだけは確かだとかいうことだよね。ラフは好きな対象事象についてもこれをあてはめたい。とりわけ「音楽」。本当に自分は音楽が好きなのか?と自問してみたときに「好きだ」と即答する自信は今はない。何も省みることなくイノセントに「好き」と言えるようなものがはたして本当に好きなのかは疑問だと思う。一度は疑え、自分にとってそのものが本当に大事なことなのか問え、分からなければ問い続けろ。自信を持って好きと言えるために。

ちなみに、ラーメンが好き、カレーが好き、とかいう程度の「好き」は際限なくあるけどね。「音楽」に関してはそういう「好き」とはまた違うんだよね。もっと屈折した「好き」なんだよ。なんでかね。

俺ってめっちゃ面倒くさいか?

wikipediaの「我思う、ゆえに我あり」の項