
昨日のカレーが1食分には少し足りない量で余ってしまったので、だしを加えて片栗粉でとろみをつけてカレーそばにしてみる。残念なことにネギがなかったので見た目のアクセントがまったくない画像になってしまった。
昨日のカレーが1食分には少し足りない量で余ってしまったので、だしを加えて片栗粉でとろみをつけてカレーそばにしてみる。残念なことにネギがなかったので見た目のアクセントがまったくない画像になってしまった。
今日はカレーをものしてみる。マイタケは入れてみましたが、ジャガイモ、ニンジンは入れません。じっくり寝かせません。作ってすぐ食べました。
S吹奏楽団リハ。アルメニアンダンスpartIIの最後の曲「ロリの歌」がまったく吹ける気がしないままかれこれ数か月。なんでこれが吹けないのか。ちょっとまともに落ち着いて譜読みするしかないか。結構いい加減になってしまっているから走るんだろうな。吹けてないからごまかしているだけ。2月の合宿までにちゃんと譜読みをするぞ。譜読みをするぞ譜読みをするぞ。
今日はN君が所属しているトロンボーンアンサンブル団体の演奏会を聞きに横浜まで行ってきた。毎年1月に演奏会をやっていてラフの演奏会聞き初めはほぼ毎年この演奏会だ。この団体の演奏会を聞くたびに、あぁトロンボーンアンサンブルの音色ってこんなにステキなんだな、自分もこんな風な音を出してアンサンブルしたいなって思うんだよね。いつも楽しませてもらってるよって伝えると、N君は自分は全然ダメでついていくのが必死だけどっていうんだけれども、いやいやそんなことはない、この団体でやっていけているんだからN君がダメなわけがないのだ。すごいのだ。もう彼らの演奏はホント羨望の対象だよ。なんでそんな素直な音色が出せるのかね、なんでそんなにピッチが合うかね、なんでそんなに縦がそろうかねとか基本的なところから感心してしまう自分の技術的未熟さがいやになるよ、まったく。
演奏会に来ていたK君と久々に会った。彼とはかつて同じ団でトロンボーン吹いていたんだよね。会うのはもうかれこれ5年ぶりくらい?元気そうで何より。最近仕事が落ち着いてきたのでまたどこかで吹いてみたいとのこと。自分の知っているところでいいなら紹介するよ。
午後、アンサンブルでお手伝いすることになったT吹奏楽団のメンバーさんとアンサンブル練習初回。ネリベルむつかしいね。金管3重奏はかつてやったことあるんだけれども、今回は金管12重奏。拍の刻みがわからなくなるんだよね。シンコペーションの合間に他のパートが音を入れることで結果として刻みを作るっていう手法が多くて、みんなのテンポ感が一様でないとあっという間に崩壊する。自分のパートは一応みてきたけれども、合わせるのは大変だ。大丈夫かな。
アンサンブルの練習だけだとあれでしょ?と誘ってくれたSちゃんのいわれるがまま引き続きT吹奏楽団の合奏練習にも参加させてもらった。みっちり合奏。S吹奏楽団の練習がいかに楽かを実感。初見だったけれども面白い曲を体験できて楽しかった。
ついでにずうずうしくも、T吹奏楽団の新年会にまで顔を出させてもらっちゃった。T吹奏楽団ってのは職場吹奏楽団なんだけれども、職場が同じ(グループ会社を含む)っていう人々の集まりって一般団体とは違った点でいろいろおもしろいもんだなぁと思いながら話を聞かせてもらっておりました。それにしてもうらやましいほどの飲み会参加率だなぁ。
ブログってやっぱりタイトルつけるのが面倒くさい。自分は日記代わりに使いたいわけなので、つれづれなるままに単にいろんな話題を思いつくままに書き散らしたいって時に不便なのだ。タイトルなんてつけたら、その話題にしか触れられない感じがするし、そこに書かれている内容を推察できてしまっては最後まで読んでもらえなくなるじゃん。
あと、時刻。日記であって、時記や分記ではないので、時刻なんていらないんだよ。いつ投稿されたかなんて自分的にはどうでもいいことなのだよ。昨日の日記を今日書くこともあれば、1週間前の日記を今日書いていたりとかもする。そのたびに日時と時刻を話題にあわせて設定しなおす。たとえば、一昨日友達と飲み会したということを今日書く場合、「今日は友達と飲み会だった」と書くのに、その話題の日付を変更しなければならないのはまぁ我慢しよう。「今日」と書いてしまうわけだから。でも、時刻を設定することにはまったくもって意味ないよね?意味ないよね?意味ないよね?この気持ち悪さ分かってもらえるかなぁ。
かれこれブログをはじめて数ヶ月。ブログって自分が書いたものに対する責任がいまひとつ自覚できないんだよね。なんでだろ。読み直すってことはほぼしない。ということは推敲もしない。文末の表現がちぐはぐだろうが、漢字の変換ミスがあろうがあまり気にしていない。これってはっきりいって自分が書いているもののクオリティーを明らかに下げている。なので、ここを読んでもらおうという気持ちも気概もあまりない。単なる思いつくままの戯言垂れ流し状態。もちろん積極的に書こうという意思も正直言ってあまりない。なので、人にもブログやってますとは言わないし、ランキングとかロボットとかにも積極的にサーチされるようなことは何一つやっていない。じゃ、止めれば?と問われれば、うん、そうだね。って感じ。かつてラフが公開していた電子日記に比して、今のブログは面白さも読みやすさも興味深さも明らかに劣るね。
文章書く気が失せている理由の一つはIMEがバカなことも一つ。自分はATOK派だったんだけれども、バージョンアップを怠っていたらWindows10ではいつのまにか古いATOK使えなくなっていた。そりゃMicrosoftIMEだって賢くはなってきたとは思うものの、やっぱりATOKの自然な日本語解釈と入力快適さには及ばないよね。最近はメールでさえ長文打つことはなくなってきたな。もっぱら日本語は受け取るばかりになりつつあるよ。
昼間銭湯に行ってみる。いろんな湯があるなか洞窟露天風呂なる不思議なものもある銭湯だった。広い湯船で湯につかるって気持ちいいねぇ。
帰り道、お好み焼き屋さんで昼食。お好み焼き久々だなぁ。ビールとともに堪能。外に出たら雨が降っていた。傘持っておらずぎゃふん。
先日、S吹奏楽団のSさんとMちゃんと雑談していた時に、「クラシックって楽譜に書かれている通りにやるだけだからつまらない?」という話題になった。
楽譜に書かれている通りに再現することがクラシック音楽の奏者の役割なのか?作曲者の解釈のみを再現できれば正解なのか?それ以外に正解はないのか?自分はそんなものは(クラシックだろうがポップスだろうが)断じて音楽ではないし、自分はそんなつまんないことはしたくないと久々に熱く激しく突っ込んだ。
作曲者の意図しているところをくみ取り研究することは大事だけれども、じゃあ自分はそれに加えてどんなことを表現したい?自分しかできないことでどうすればもっといい演奏(作品解釈)になる?って考えたいし、そうしてきた。
こういうと、自分らしい演奏=自分勝手な解釈と勘違いする人が出てくるんだけれども、そういう人はたいてい作曲者の意図しているところと背景をちゃんと研究していない。そう演奏する必然性を自分できちんと説明できるか?単なる独りよがりで恣意的な素人演奏は聞くに堪えんというか、作品を台無しにしてしまう。
なんだかさぁ、こういうことを言うと、「(素人なんだからさぁ、)そこまで考えて演奏しなくてもいいじゃん、もっと楽しくやろうよ」とのたまう輩が出てくるんだけれども、それは志が低くないか?というかそれじゃそもそも音楽をやるレベルにまで至ってないよね?本気で音楽を楽しむ気ないよね?とか俺は思うんだけれども、それはとんがりすぎか?