今年の恵方と方角にちなんだ分子生物学実験手法名

節分ですよ。えぇ、かつてこっそりと関西人やっていたもんですから、節分と言えば恵方巻でしたよ。学校から帰って来るじゃないですか、そうすると台所のテーブルの上におやつとして恵方巻が置いてある。それが節分だったのですよ。

wikipediaの「恵方巻」の項

さて、今年の恵方は、ほぼ南南東だとか。南南東は英語では「South-southeast」で「SSE」と略すらしい(英会話サークルみたいってそれは「ESS」か)。

話は変わって、分子生物学の実験手法の一つにサザン法(サザンブロッティングあるいはサザンハイブリダイゼーション)というのがあるのですよ。サンプルの中に特定の塩基配列を持つDNAが存在するかどうかを検出する手法。一般的には生物の全DNA(ゲノム)あるいは特定のDNAを酵素で処理し、電気泳動した後、それをメンブレン(膜)に転写する(ブロット)。そのメンブレンに対して、ラベリングした検出したい塩基配列のDNA(実際には相補的な配列)をプローブとして特異的に結合させて(ハイブリダイズ)、メンブレン上のどこにプローブが結合したかを調べる。Edwin Southern さん(まだ存命のはず)によって開発された方法なので 「サザン法」と名付けられてます。

サザン法は、DNAをDNAプローブで検出する方法。同じ原理で、DNAの代わりにmRNAを電気泳動で流したものをメンブレンに転写し、DNAプローブで検出する方法(RNAをDNAプローブで検出する方法)には「ノーザン法」と名付けられたとさ(「サザン法」にちなんだシャレ)。さらに、サンプルに含まれるタンパク質を検出する方法として、タンパク質を電気泳動した後にメンブレンに転写し、特定の抗体(抗体もタンパク質なのでタンパク質同士の結合)で検出する方法には「ウェスタン法」と名が付いております。

じゃ、これの応用。ある特定のDNA配列に結合するタンパク質を検出する方法があります(DNAに結合するということは主にDNAの転写調節タンパク質である可能性が高い)。サンプルのタンパク質を電気泳動した後にメンブレンに転写し、DNAプローブで検出する。この方法はDNAとタンパク質の結合なので「サウスウェスタン法」と名付けられておりますよ。

wikipediaの「サザンブロッティング」の項(DNAをDNAで検出)
wikipediaの「ノーザンブロッティング」の項(RNAをDNAで検出)
wikipediaの「ウェスタンブロッティング」の項(タンパク質をタンパク質で検出)
wikipediaの「サウスウェスタン法」の項(タンパク質をDNAで検出)

サザンやウェスタンは学生実習でも行うくらい基本の実験手法なんだけれども、RNAを扱うのは難しいというか超面倒なので(RNA分解酵素はそこら中にあるため油断するとすぐ分解されてサンプルがおじゃんになる)、個人的にノーザンは難易度が高くて嫌い。でも学位論文発表や学会発表なんかでは「で、ノーザンはやったの?」としばしばつっこまれることがあるので油断ならない。

ついでに、生物学の用語にはこういうシャレでつけられた名前ってほかにもある。例えば、64コドンのうち終止コドンは3つあるんだけれども、それぞれにオーカー、アンバー、オパールとキラキラネームが付いている。最初にアンバーが名付けられたのだが、そのいきさつはこうだ。ある仮説を検証するための超面倒くさい実験を考えた人たちがいるんだけれども、彼らは自分たちがその面倒くさい実験をやりたくないもんだから、とある大学院生に「もし実験がうまくいったら得られた変異体に君の名前にちなんだ名前を付けてあげよう」と丸め込んで実験させたのだ。幸いなことに実験はうまくいって仮説は検証された。その大学院生の名前はBernsteinといった(英語だとAmber(琥珀)の意)ので、その変異体には「Forever Amber」と名が付けられた。のちにその変異体の変異の原因は、ある終止コドンが原因とわかった。そういうわけでその終止コドンには「amber」と名が付いた次第。で、残り2つの終止コドンにもだったらということでキラキラネームが付きましたとさ。

wikipediaの「終止コドン」の項
「源流を遡る」 第1回 – コーヒーブレイク | 東洋紡バイオテクサポート事業部

アウストラロピテクスの有名な化石標本「ルーシー」は、調査作業中にかかっていた曲がビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」だったからとか。

wikipediaの「ルーシー (アウストラロピテクス)」の項

読了:闇の脳科学 「完全な人間」をつくる[ローン・フランク/仲野 徹]

闇の脳科学 「完全な人間」をつくる

闇の脳科学 「完全な人間」をつくる

  • 作者:ローン・フランク/仲野 徹
  • 出版社:文藝春秋
  • 発売日: 2020年10月14日頃

人間の精神は操れる。人類のタブーに挑戦して葬り去られた天才科学者の記録とDARPA(国防高等研究計画局)も参戦する米医学界の最前線。

プロローグ 脳を刺激し、同性愛者を異性愛者へ作り変える/第1章 ゴー・サウスー野心に燃える若き医師/第2章 忘れ去られた“精神医学界の英雄”/第3章 一躍、時代の寵児へー“ヒース王国”の完成/第4章 幸福感に上限を設けるべきか/第5章 「狂っているのは患者じゃない。医者のほうだ」/第6章 その実験は倫理的か/第7章 暴力は治療できる/第8章 DARPAも参戦、脳深部刺激法の最前線/第9章 研究室にペテン師がいる!/第10章 毀誉褒貶の果てに/エピローグ 七十六歳の老ヒース、かく語りき

20世紀以降の精神医学と治療法の歴史と現在の最先端技術について、精神・神経医学の先駆者ロバート・ヒースの生涯を軸にして描いたルポルタージュ。

wikipedia(英語)の「Robert Galbraith Heath」の項

脳に電極を差して電気を流し、同性愛者を異性愛者へ変える人体実験の様子が冒頭に描かれる。でも、このルポルタージュはそんなグロテスクな人体実験だけを描いたものではない。邦題はかなり物騒なものになっているが原題は「The Pleasure Shock: The Rise of Deep Brain Stimulation and Its Forgotten Inventor」で、精神病治療法としての脳深部電気刺激法とそれを研究した忘れられた先駆者ロバート・ヒースの生涯を扱ったものである。20世紀の前半、精神の問題は、それまでの主流であった「精神分析」から「精神医学」「神経医学」へと医学・医療の対象へと変わっていった。その先駆者であったロバート・ヒースの栄光と挫折の生涯を関係者へのインタビューを通して追っていく。また、精神・神経医学・脳科学における最先端の技術を交えて話は進む。

科学者ロバート・ヒースがいかにして精神病を科学的に研究治療する方法を求めていたのか、そして当時考えうる限りのインフォームドコンセントを慎重に取り付けて治療(実験)を行ったかが描かれる。それにもかかわらず当時の社会はそれを人体実験とみなしてデモが起き、多くの医療関係科学者はヒースの進歩的な考えや実験報告に懐疑的であった。ヒースの研究室で何があったのかがまるでドラマのようで手に汗握るほど面白く、それを解明していくために関係者を探し訪ねていく過程が興味深い。また最新の脳科学技術についてはDARPA(国防高等研究計画局)が力を入れている(IT関係者ならピンと来ると思うんだけれども現在のインターネットの原型を生み出した軍事研究所)。その軍事研究所が脳科学研究に力を入れていると聞くと物騒な想像をしてしまうが、目的としているのは戦地から帰還した人々の心的外傷後ストレス障害(PTSD)の治療である。その治療法として現在どんなことが研究されているのだろうか?

なぜ”Robert”が「ボブ」になるの? – ニックネームの不思議 | 会話に使える!英文法

闇の脳科学 「完全な人間」をつくる[ローン・フランク/仲野 徹]
闇の脳科学 「完全な人間」をつくる[ローン・フランク/仲野徹・解説]【電子書籍】

読了:三体2 黒暗森林 上・下[劉 慈欣/大森 望]

三体2 黒暗森林 上

三体2 黒暗森林 上

  • 作者:劉 慈欣/大森 望
  • 出版社:早川書房
  • 発売日: 2020年06月18日頃

現代中国最大の衝撃作『三体』驚天動地の第二部!驚異の技術力をもつ異星文明・三体世界に立ち向かうため、地球が発動した前代未聞の「面壁計画」とは!?

三体2 黒暗森林 下

三体2 黒暗森林 下

  • 作者:劉 慈欣/大森 望
  • 出版社:早川書房
  • 発売日: 2020年06月18日頃

人類の命運は四人の面壁者の手に委ねられた。かれらは自分の専門分野の知識を駆使し、命がけの頭脳戦に身を投じるが…!?現代エンタメ小説の最高峰三部作。

話題の中国発SF小説「三体」の第二部は上下巻2冊組という大作。前作では地球に攻めてくる三体人が太陽系に到達するまであと450年とかいうところで終わっていた。

読了:三体[劉 慈欣/大森 望]

さて、今回はその続き。とにかく絶大な科学力を持つ三体人が太陽系に到達するのは数世紀後だ。その間に地球人はどう防衛準備をするのか?が軸。三体人は先行して地球に陽子ナノコンピュータ「智子」を送って地球の物理科学の発展を妨害していて、人類のやっていることは三体人には筒抜け。しかし三体人というのは考えは必ず表出されるもので、人類のように思考をうちに秘めるということがない。そこで人類は救済作戦を三体人だけでなく、人類にも漏らさず秘密裏に実行する権限を持つ4人の独立した者(面壁者)を選出した。一方で三体人は、面壁者の考え(人類救済作戦)を暴くため、人類の中で三体文明に興味を持つ協力者を破壁者としてそれぞれの面壁者に向かわせる。途中で人工冬眠なんかが入って、足掛け数世紀ほどの話になるんだけれども、三体人の真の意図をめぐって人類は右往左往。最終的には黒暗森林理論による呪文を使ったある面壁計画により三体人は地球に向かうことをあきらめてハッピーエンド。三体人、結局地球に来なかったあるよ(捜査船みたいなのは一機飛来して大惨事を引き起こしてはいるけれど)。

あいかわらず手に汗握る濃厚エンタメSF。一気に上下2冊読み切ってしまったよ。メインの主人公は一応いるものの、群像劇なので登場人物が多い。「この人誰だっけ?」とか最初のうちは混乱。重要だと思った人が途中であっさり退場して、この人はなんで出てきたん?(これは前作でもあり)。また地球の未来世界描写があるんだけれども、たしかに未来世界の科学技術はすごいしよく考えたものだと感心はするけれども、「智子」というものを設定しているので現在の科学技術で説明できる範囲での発展になるように枠をはめたのはうまい仕掛けだ。宇宙艦隊が壊滅させられていくシーンは情景が目に浮かぶようで、悲惨なシーンなのにものすごく美しい。また伏線回収もうまい。

三体人による人類の危機問題は本作で解決しちゃったんだけれども、この後まだ第三部があるんだよね?

三体2 黒暗森林 上[劉 慈欣/大森 望]
三体2 黒暗森林 下[劉 慈欣/大森 望]

「円周率はおよそ3」

ゆとり世代に対して「円周率は3って習ったんでしょ?」といって揶揄することがまま聞かれたが、実際のところゆとり教育時代の教科書には「円周率はおよそ3」と記述してあったはず。まぁ中学生以降は数学においてはこの無理数はわざわざ計算する必要はなく π のままで放っておいていいわけですが。実際にどのくらいの値になるかって時に、まぁ3倍よりちょっと大きいくらい程度でよいかと。

ところで「円周率って何(=どういう意味を持つ値)?」って聞かれたら、ゆとりをバカにしている人でも(むしろそういう人に限って?)ちゃんと答えられる人って少ないんじゃない?

円周率の定義は「円の直径に対する円周の長さの比率」。つまり直径(diamiter)を円周率(π)という定数倍すると円周の長さが求められる。この関係は古代から知られていてこの倍率のことを円周率と呼んでいたわけです。大事なことは、その値がいくつなのかということよりも(いやそれはそれで魅力ある値なんだけれども)、その値の意味を知っているか?ということなんですよ。

面接官「円周率の定義を説明してください」……できる?

いわゆる比例の式というのは
y = kx (k は比例定数)
という関係式なのだけれども、y が円周の長さ、x が直径とすると、k の比例定数が π で置き換えられて
l(円周長:length) = πd(直径:diamiter)
もちろん、直径(diameter)は半径(radius)の2倍なので、d=2r です。そこで上記式を r を使って書き替えると。
l(円周長) = 2πr(半径:radius)
これが円周長を求める公式。

以下は余禄:
この円周長の公式を r で積分すると円の面積の公式。
S(面積:surface area, sum…) = πr2
小中学生は微分積分という道具は習っていないので、円を扇形の断片に切り分けてそれらを長方形に近くなるように互い違いに並び変えて面積に近い値を長方形の面積として求める方法で説明されることが多いかな。この扇形の中心角をどんどん小さくして細い扇形にして数を増やしていけばいくほど並び替えた図形はより長方形に近くなっていき、長方形の面積の公式
S = (縦の長さ: r ) x (横の長さ πr )
になる(言うまでもなくこれは証明ではなくあくまでも説明であり、これを実際に計算でできるのが積分)。

当然、この円の面積の公式を r で微分すれば円周長の公式に戻ります。

ちなみに球の表面積は円の面積の4倍(説明は後掲の動画を参照ください)。
S = 4πr2
これを積分すると球の体積の公式になります。
V(体積:Volume) = 4/3πr3

まぁ、微分とは何か?積分とは何か?それと長さ、面積、体積の関係がなぜ微分積分で求められるのかという議論を今回はすっ飛ばしてますが。

読了:おむすびでやせる本[小澤 幸治]

おむすびでやせる本

おむすびでやせる本

  • 作者:小澤 幸治
  • 出版社:自由国民社
  • 発売日: 2016年11月25日

やっぱりご飯が好き!なあなたにーおむすびは最高のダイエット食です。女子ボクシング世界チャンピオンを育成した減量のプロが、21日間お米を食べてやせる方法をやさしく教えます。

第1章 やせたいなら米を食べよう(あなたを待ちかまえる糖質ダイエットの「落とし穴」/ダイエットの大原則はやっぱりカロリー理論! ほか)/第2章 おむすびはダイエット食(日本人の理想的な栄養バランスをご存じですか?/なぜ「米」がベストなのか? ほか)/第3章 「21日間プログラム」おむすびダイエット(医師もアスリートも実践する21日間生活改善プログラム「おむすびダイエット」/RULE1 女性は1500キロカロリー男性は1800キロカロリー ほか)/第4章 6つの簡単エクササイズ(あわせてやりたい!日常生活でできるエクササイズ/パンチを打たなくてもボクサー体型!5秒で効く内またひねり運動 ほか)

いわゆるダイエット本。世間の例にもれず籠り太りで身体が重いったらありゃしない。なんとかしたい、でも運動はしたくないし、つらい摂食制限とかしんどいのは嫌。というわけでふと目についた本書を手に取ってみた。元プロボクサー、現在はボクシングやジムのトレーナーをしている著者による、日本人に合った健康的でストレスをためないダイエット方法の実践方法。

流行りの低炭水化物、糖質制限ダイエットは確かに痩せるかもしれないけれども、効果は一時的になりがちで、肉体的精神的な面ではほぼ苦行であることから述べはじめる。食べてはいけないとか、おいしくないものを食べ続けるとか、食べる順序に気をつけるといった面倒な約束のあるダイエット方法は、苦行が好きな人にしか勧められない。空腹のつらさは元プロボクサーだけにストレスが強烈なことが実感として伝わってくる。

というわけで、面倒な手順や理論ではなく、原点に立ち返ったカロリー計算のみによるダイエット方法だ。要するに摂取カロリーを消費カロリーより抑えればいい。日本人にとって炊き立ての白米というのは特別な満足感を得ることのできる優れた食材なので、これを食べやすく個数で管理しやすいおむすびという形でうまくいかすのだ。方法は簡単。まずBMI値から1日のだいたいの消費カロリーを求める。それの9割を上限摂取カロリーとする。そしてその摂取カロリーのうち8割をおむすびにして、残りの2割は何を食べてもOK。例えば、身長172cm体重80kgのサラリーマン男性なら、1755キロカロリーが上限摂取カロリー。このうち1404キロカロリー分をおむすびで摂取(だいたいおむすび7個分)。残り351キロカロリーは、好きな食べ物で摂取。ビールを1本飲むときは、おにぎりの個数を1個減らすとかの調整も簡単。また急激な血糖値の上下を防ぐために、一日3食ではなく、一日4回以上に分けておにぎりを食べるのがおすすめと。砂糖入りのコーヒーや紅茶もOKとは。あとは、軽い運動(最後のほうにおまけのようにいくつかエクササイズが紹介されている)や、心配ならサプリで補うなどしてもいい(その場合もどういうサプリがいいかも提案されている)。それをとりあえず21日間続ける。そうすると食習慣や体質なども変わって、リバウンドすることもなく健康的な生活をその後も続けていけるよと。このダイエット法を知ったら「なるほど、今度やってみよう」ではなく、いまこの瞬間に「やろう」と決断してくださいと締めくくられる。

サクサク読めて、これなら自分でもできそうとか思っちゃうね(こんなこと言っている時点で「なるほど、今度やってみよう」組)。

おむすびでやせる本[小澤 幸治]

読了:悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部 由美]

2019年11月16日の日本経済新聞に書評掲載!「人が陥るメカニズムを分析」

「猟奇殺人から小児性愛まで、リベラル化する現代社会でもっともおぞましいものに『科学』を武器に果敢に切り込んだ」(推薦 橘玲氏)

人はなぜ平然と差別、嘲笑、暴力に加担するのか?人間をモンスターに変えるものは何か?ファクトが語る脳と遺伝子のダークサイド。激しい賛否両論を巻き起こす著者の話題書!

第1章 あなたの中のサディストーー悪の神経科学
第2章 殺すように作られたーー殺人願望の心理学
第3章 フリークショーーー不気味さを解剖する
第4章 テクノロジーの光と影ーーテクノロジーは人をどう変えるか
第5章 いかがわしさを探るーー性的逸脱の科学
第6章 捕食者を捕まえるためにーー小児性愛者を理解する
第7章 スーツを着たヘビーー集団思考の心理学
第8章 私は声を上げなかったーー服従の科学

上記宣伝は売るための煽り文句だとは言え、著者はとりたてて「悪」を「おぞましい」とは言っていないし、また「悪」を「遺伝子」と関連付けてもいない(生物学的な相違があるのかという議論はしているが)。アグレッシブなテーマではあるけれども煽り立てるような論展開はしないし、著者は最終的には人間の可能性に希望を持っているとラフは受け取った。

「悪」とはどんなものなのか、絶対的に存在するものなのか(著者は否定しているとラフは読んだ)。また多くの人は物事を単純化して「悪」を考える人は「悪人」という考え方に簡単に飛びつき、そして「私」にはそんなことはできない、と思い込んでいる。でもそうじゃない、人間はちょっとしたきっかけで誰でも簡単にダークサイドに陥るものだということ、また「悪」というものに対して人々が抱いている思い込みや偏見を、多くの事例や研究から解き明かしていく。多くの人は自分は悪だとは思っていないし、なによりも悪いことをしようと思って悪になる人はいないのだ。理性的で落ち着いた論展開であるので安心して読める。

・「殺人ファンタジー」
殺人「悪」を想像した人はみんな「悪人」なのか?人を殺すということを想像したことのない人はいないだろう。しかし多くの人は想像はしても実際に行動に移すということはない。一方でちょっとしたきっかけで殺人を犯してしまう人がいるのも確か。

・「ただしイケメンに限る」
なぜ第一印象が不気味な人を警戒するのか?(ここで、不気味とは何かの定義をして考察するところが重要)。実験により明らかになったのは、人を見た目で判断するというのは実はあてにならないという現実。

・「小児性愛者」
児童ポルノ所有が必ずしも小児性愛加害者ではない。小児性愛加害者が必ずしも児童ポルノ所有者ではない。また小児性愛者が必ずしも小児性愛加害者になるわけではない。小児性愛の傾向を持つ者と加害者は同じではないのだ。被害は防がなければならないことではあるが、本質的な問題がなんであるのか見極めなければならない。

・「自己責任」
「自己責任」という言葉で弱者を切り捨てることについて。発する側にとっては自分自身の今の立場を守ろうとする心理によるものであることが明かされる。なぜそういう現実になっているのかにまで思いをいたせるかどうか。

・「テロ聖戦士」の2面性
過激な思想や信念を持っている者が必ずしもテロの実行犯になるというわけではない。またテロの実行犯がすべて過激な思想や信念を持っているわけではない。過激な思想や信念を持つ者とテロ遂行者は同一ではない。

・どうすればいいのか
人というものはそういう傾向があるということを知っておく、自分で考えることをやめない、おかしいと思ったら立ち止まってみる。それができるのが人間である。そのことにより歯止めがかけられるはずだ。人間は基本的にみんな理知的であるという前提に立ったきれいすぎる理想論のようではあるけれども、ラフはこういう考え方は好きだ。

ちなみに結論の章で著者が述べる10の事実(邦題に合わせて事実とくくっているが、提言も含む。原題は“Making Evil -The Science Behind Humanity’s Dark Side”)。

  1. 人間を悪と見なすのは怠慢
  2. 脳は少しサディスティック
  3. 人殺しは誰にでもできる
  4. 人の不気味さレーダーは質が悪い
  5. テクノロジーは危険を増大させる
  6. 性的逸脱はごく普通
  7. モンスターとは人間のこと
  8. 金は悪事から目を逸らさせる
  9. 文化を残虐行為の言い訳にするな
  10. 話しにくいことも話すべし

今まで自分の中でもやもやしていた様々な事象や思いがすっきりとしたエキサイティングな読書経験だった。

悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部 由美]
悪について誰もが知るべき10の事実[ジュリア・ショウ/服部由美]【電子書籍】

読了:奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語[三崎 律日]

これは良書か、悪書か。時代の流れで変わる、価値観の正解。ロマン、希望、洗脳、欺瞞、愛憎、殺戮ー1冊の書物をめぐる人間ドラマの数々!

取り上げられているのは、いわゆる奇書というよりかは、著者も述べているように、その当時一世を風靡した(現代から見たら)トンデモ本や偽書・ねつ造論文の類。ある程度本に興味を持っている人にとっては、目新しい話題は少ないかも。

wikipediaの「偽書」の項

YouTubeやニコ動に掲載したコンテンツを書籍にまとめたものだけに、本や歴史好きの人を対象としたものというよりも、雑学系ゴシップ的読み物という印象。超やさしいwikipediaって感じ?内容的な奥深さはないが、想定読者をはっきりと定めて著者自身がそこは割り切っているようだ。ただし、かなり調査をしたことは垣間見られ、また誤解がないような言葉の選び方や注釈のつけ方などとても考えられている。浅いからと言って手を抜かない著者の真摯な態度は好感が持てる。各エピソードのまとめで、オチをつけてきれいに着地させたものが多いのも気持ちいい。また畠山モグ氏のイラストがとてもいい味を出している。

奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語[三崎 律日]
奇書の世界史 歴史を動かす“ヤバい書物”の物語[三崎 律日]【電子書籍】

僕はやっぱり英語ができない – 「リコピン」とはトマトなどに含まれる赤い色素である

人間の脳はうまく聞き取れなかった表現があると、自身の知っている語彙や言い回しで補おうとする傾向があることは多くの人が経験しているのではなかろうか。これは日本語だけでなく不慣れな言語に対しても起こりうるわけで。ラフの場合は英語のリスニングがまったくできない。

さて、ミュージカル「オペラ座の怪人」の主要曲に「Think of me」というナンバーがある。この歌い出しがしばらく前まで「リコピ~ン」と聞こえて仕方がなかったのである。まぁ聞いてみてくれたまえ。

いや、もちろん曲のタイトルにもなっている「Think of me」と言っているわけであるが(歌い出しの言葉をそのままタイトルにする例は多いからね)、つい先ごろまでラフには「リコピ~ン」だったのである。最近ようやく「チンコーミー」くらいには聞こえるようになった。

wikipediaの「リコペン」の項

lycopeneを含む例文として心惹かれたもの

To provide an effective method for utilizing tomato juice produced as a byproduct in obtaining lycopene from the tomato. – 特許庁

読了:三体[劉 慈欣/大森 望]

物理学者の父を文化大革命で惨殺され、人類に絶望した中国人エリート科学者・葉文潔(イエ・ウェンジエ)。失意の日々を過ごす彼女は、ある日、巨大パラボラアンテナを備える謎めいた軍事基地にスカウトされる。そこでは、人類の運命を左右するかもしれないプロジェクトが、極秘裏に進行していた。数十年後。ナノテク素材の研究者・汪森(ワン・ミャオ)は、ある会議に招集され、世界的な科学者が次々に自殺している事実を告げられる。その陰に見え隠れする学術団体“科学フロンティア”への潜入を引き受けた彼を、科学的にありえない怪現象“ゴースト・カウントダウン”が襲う。そして汪森が入り込む、三つの太陽を持つ異星を舞台にしたVRゲーム『三体』の驚くべき真実とは?本書に始まる“三体”三部作は、本国版が合計2100万部、英訳版が100万部以上の売上を記録。翻訳書として、またアジア圏の作品として初のヒューゴー賞長篇部門に輝いた、現代中国最大のヒット作。

今巷で話題の中国発SF大作。中国のSFかぁ、どことなく前時代的な硬派のSFなんだろうなぁという先入観を持って読みはじめたのだが、全然違っていてすこぶる現代的なエンターテイメント性にあふれたジェットコースター小説で、やたらめったら面白かった。なるほどヒットするのもうなずける。

※ネタバレしないようにという配慮はしないので、以下を読む方はお気を付けください。

物理学の世界に「三体問題(three-body problem)」というものがある。1つあるいは2つの物体の関係は運動方程式で明らかにすることができるが(ニュートンによる)、3つの物体の運動を数学的に解くことはできない。もし太陽が3つある星に文明があればどうなるか(3つの太陽の動きは計算ではわからない)というのが著者の発想のスタート地点だったそうだ。

三体問題(さんたいもんだい)とは – コトバンク

前半は主人公の一人葉文潔の半生や、著名な理論物理学者の相次ぐ自殺や、正体不明の団体や集団、もう一人の主人公汪森にふりかかった不思議な現象(「ゴースト・カウントダウン」のくだりは「リング」っぽくてむしろオカルトだ)、謎のVRゲーム「三体」の世界観などが描かれる。後半では、これらが何なのか、どう関係しているのかが明らかになってくる。簡単に言うとこの作品は異星人地球侵略型のSFなんだけれども、作中では最後まで地球人は異星人とは直接対峙していない。それどころかこの宇宙からの侵略者が地球にやってくるのは、なんと450年後なのだ(本作は三部作の第1部)。光速は有限で宇宙は広いんだけれども、なんだこのリアル設定は。

技術跳躍が生じる可能性が最も高い分野は以下のとおり。
(一)物理学:【略】
(二)生物学:【略】
(三)コンピュータ科学:【略】
(四)地球外知的生命体の探査(SETI):

これらの科学知見がコアになったSF作品であるが、物理学と地球外知的生命体探索はもちろん重要。生物学に関しては環境生態学に関する話題が出てくる(今のところ遺伝子とか生殖とかは表立って出てきていない)。コンピュータ科学に関してはVRゲーム「三体」の中の一シーン(秦の始皇帝)や、三体人(異星人)の科学技術描写でAIが出てくる。とにかく科学のテクニカルタームがわんさか出てくるけれども、知っていれば「なるほどね」とニヤっとできるが、知らなくてもまぁ問題なく読み進められるだろう(知っていなければ筋が追えないということはない)。主人公の一人葉文潔を天体物理学の基礎科学(理論)研究者とし、もう一人の主人公汪森をナノテク素材の応用科学研究者としているところがおもしろい。

エンターテイメントとしては一級だが、作品としては穴が目立つ。捨てキャラ(ほぼ一度限りの登場で物語の本質に影響を与えるほどの役目は担っていない人物)の扱いが笑っちゃうほど適当。なぜか退場後に死までの後日譚まで丁寧に述べられる人物がいる一方で、大事そうに登場したのにその後一切放ったらかしの人物(汪森の家族とか)がいたりする(だったら汪森は独身でも良くね?)。著名な物理学者の相次ぐ自殺の原因も、「え?そんなことで命を絶ったの?科学者だったらむしろそのことを追求しようとしないか?」となぜの嵐。またラスト近くに出てくる三体人が、どうしようもなく地球人似の発想と感情(見た目ではなく)に支配されているのも変。三体人がなぜ地球人とほぼ同じ道徳的価値観を持つのか(科学技術では三体人の方がはるかに進んでいるが)説得力ある説明が欲しい。というか、回収した三体人からのメッセージの存在整合性は物語的に破綻していないか?(ラフにはどういうことなのかよくわからなかった)

ん~~、結局はケチをつけているみたいな書き方になってしまったなぁ。いや娯楽小説としては抜群におもしろいよ。著者の発想のすごさに舌を巻く。ぜひ読んでみて。

三体[劉 慈欣/大森 望]
三体[劉 慈欣]【電子書籍】

原語(もちろん中国語)でチャレンジしてみたいという方はこちらをどうぞ。三部作すべて刊行済み。

近現代の中国を舞台にした作品には頻繁に登場するものの、ラフにとっては今一つ正体がわかっていない出来事が「文化大革命」だなぁ。だから見るたびに、どう位置付けて評価するものなのか悩む。
wikipediaの「文化大革命」の項
「ラストエンペラー」の最後にも出てきたよね。個人的に深く印象に残っているのは「レッド・ヴァイオリン」の上海のシーン。
wikipediaの「Category:文化大革命を題材とした作品」の項

読了:ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)[三井誠]

子どものころから科学が好きだった著者は、新聞社の科学記者として科学を伝える仕事をしてきた。そして二〇一五年、科学の新たな地平を切り開いてきたアメリカで、特派員として心躍る科学取材を始めた。米航空宇宙局(NASA)の宇宙開発など、科学技術の最先端に触れることはできたものの、そこで実感したのは、意外なほどに広がる「科学への不信」だった。「人は科学的に考えることがもともと苦手なのではないか」-。全米各地に取材に出かけ、人々の声に耳を傾けていくと、地球温暖化への根強い疑問や信仰に基づく進化論への反発の声があちこちで聞かれた。その背景に何があるのか。先進各国に共通する「科学と社会を巡る不協和音」という課題を描く。

トランプ大統領の誕生によって生まれた「もう一つの事実(alternative facts)」という意味不明な言い回しにより、事実や科学的見解が退けられることが顕著になったアメリカ。本作品で中心的に取り上げている話題は2つ。地球温暖化問題と創造論。科学的とはいい難い発想について、かつては「正しい知識がないから、科学的に振る舞えない」といった考え方が主流だったが、現在はそればかりとは限らないとされる。知識の有無に関係なくむしろ所属する(共感する)集団の考え方を受け入れやすいのだ。ヒトは直感的にわかりやすい経験に基づくものの見方に馴染むが、常に合理的な考え方をする(受け入れる)わけではないということなのだ。各種調査報告や、創造論を信じる人々や科学が衰退することに危機感を抱く人々へのインタビューを交えてアメリカの現状を描く。

「創造論を信じるのは個人の自由だが、学校の理科教育は科学を教えるのが目的だ。(略)理科の授業で創造論を教えるべきではない。」

創造論を信じる人たちは別に狂信者というわけではなく、ごくごく普通な感じの人たちだということがわかる。またトランプ大統領を支持する人たちも、熱狂的支持者というわけではなく、それぞれの生活基盤の状況から支持した普通の人たちだということがわかる。無知蒙昧な民でもないし、狂信的熱狂者というわけでもないのだ。これが伝わってくるインタビューにこそこの本の価値があるのかも。

科学に対して現在のアメリカの市井の人が何を考えどう対処しているのかという状況を知る入門用としては分かりやすいが、とはいえ、特に新しい話が出てくるわけではないし浅い。ジャーナリストとして各方面でインタビューを真摯に行っている点は素晴らしいと思うけれども、新書というわかりやすさと量の制限からか一言コメント並みの紹介しかできていないのは残念。

ルポ 人は科学が苦手(光文社新書)[三井誠]
ルポ 人は科学が苦手〜アメリカ「科学不信」の現場から〜(ルポ 人は科学が苦手~アメリカ「科学不信」の現場から~)[三井誠]【電子書籍】