読了:憲法で読むアメリカ史(ちくま学芸文庫)[阿川尚之]

憲法で読むアメリカ史

憲法で読むアメリカ史

  • 作者:阿川尚之
  • 出版社:筑摩書房
  • 発売日: 2013年11月

建国から二百数十年、自由と民主主義の理念を体現し、唯一の超大国として世界に関与しつづけるアメリカ合衆国。その歴史をひもとくと、各時代の危機を常に「憲法問題」として乗り越えてきた、この国の特異性が見て取れる。憲法という視点を抜きに、アメリカの真の姿を理解するのは難しい。建国当初の連邦と州の権限争い、南北戦争と奴隷解放、二度の世界大戦、大恐慌とニューディール、冷戦と言論の自由、公民権運動ー。アメリカは、最高裁の判決を通じて、こうした困難にどう対峙してきたのか。その歩みを、憲法を糸口にしてあざやかに物語る。第6回読売・吉野作造賞受賞作の完全版!

アメリカ合衆国憲法の誕生/憲法批准と『ザ・フェデラリスト』/憲法を解釈するのはだれか/マーシャル判事と連邦の優越/チェロキー族事件と涙の道/黒人奴隷とアメリカ憲法/奴隷問題の変質と南北対立/合衆国の拡大と奴隷制度/ドレッド・スコット事件/南北戦争への序曲〔ほか〕

アメリカ史を時代ごとの憲法解釈の面(つまりは司法)からたどる。アメリカ史の主要トピックであるアメリカ独立、南北戦争、二度の世界大戦、またネイティブアメリカン問題、人種人権問題をアメリカがどうやって乗り越えてきたのか。司法(連邦最高裁とその判例における憲法解釈)を通してみてみるとアメリカ史にはこういう面白さもあるのかと思うところ多し。そもそも、アメリカの州(日本の都道府県とは違ったもっと独立性の高い存在)と連邦政府の関わりを憲法はどのように定めて連邦政府の権限を縛っているのか、連邦政府はどこまで州に関われるのかという遷移を知ることができる。憲法解釈のためのキーワードが素人には若干難しいものの、全体的には読みやすくおもしろかった。

憲法で読むアメリカ史(ちくま学芸文庫)[阿川尚之]
憲法で読むアメリカ史(全)[阿川尚之]【電子書籍】

読了:熊本くんの本棚 ゲイ彼と私とカレーライス(富士見L文庫)[キタハラ/慧子]

顔よし、体よし、性格よし。そのうえ読書家。なんだか現実味のないイケメン、熊本くん。仲の良い大学生・みのりは、同級生から彼の噂を聞く。どうやら熊本くんが、ゲイ向けアダルトビデオに出ているというのだ。熊本くんの部屋で二人、彼が作った甘口のカレーを食べながら、みのりは同級生の言葉を思い出す。帰りの駅のベンチで、少し後ろめたさを感じながらも「熊本祥介」と、スマホで検索を続けるがー。ゲイの熊本くんの、汚くて繊細な青春物語。第4回カクヨムコン大賞受賞の問題作が待望の文庫化。

デビュー作であるとはいえ、素人臭が濃厚に漂っていた。タイトル(とりわけ副題いる?)や書籍紹介文から想定していたものとは全然違う、不思議な小説だった。

ミステリーでもありオカルトでもありファンタジーでもありライトポルノでもあり、描かれるのも宗教でもあり家族でもあり青春でもあり……。なんでもありのてんこ盛り小説。作中設定がパズルのピースをきちんとはめるためか、出てくるものを都合よく関連付けておきましたって感じ。内容も論点はちょっと重いんだけれども、深みは全く足りていない。登場人物の属性が強烈な設定であるにもかかわらず、ちょこっとずつしかスポットライトを当てられていないので、人物像の奥行が今一つ(自殺者を含め何人か死んでいるのに……)

構成のアイデアとして真ん中を「熊本くん」が書いた小説にするという考えは悪くはないんだけれども、小説ではないはずの前後の章との差が際立っていないため、結果としてあまり効果的になっていない。「熊本くん」がなぜこの小説を書いたのか、書かずにいられなかったのか、そこのところの訴求も不足。

とまぁ散々けなしておきながら、それでもこの読み物はエンターテイメントとしては面白い。実際に飽くことなく一気読みしてしまったわけだから。

熊本くんの本棚 ゲイ彼と私とカレーライス(富士見L文庫)[キタハラ/慧子]
熊本くんの本棚 ゲイ彼と私とカレーライス(熊本くんの本棚)[キタハラ/慧子]【電子書籍】

読了:病の皇帝「がん」に挑む(下)[シッダールタ・ムカジー/田中文]

病の皇帝「がん」に挑む(下)

病の皇帝「がん」に挑む(下)

  • 作者:シッダールタ・ムカジー/田中文
  • 出版社:早川書房
  • 発売日: 2013年08月23日頃

20世紀に入り、怪物「がん」と闘うには「治療」という攻撃だけでなく、「予防」という防御が必要であることがわかる。かくて、がんを引き起こす最大の犯人として、たばこが指名手配されたが…人類と「がん」との40世紀にわたる闘いの歴史を壮絶に描き出す!ピュリッツァー賞、ガーディアン賞、受賞作。

第4部 予防こそ最善の治療(「まっくろな棺」/皇帝のナイロンストッキング/「夜盗」 ほか)/第5部 「われわれ自身のゆがんだバージョン」(「単一の原因」/ウイルスの明かりの下で/「サーク狩り」 ほか)/第6部 長い努力の成果(「何一つ、無駄な努力はなかった」/古いがんの新しい薬/紐の都市 ほか)

上巻の感想はこちら

読了:病の皇帝「がん」に挑む(上)[シッダールタ・ムカジー/田中文]

下巻は「がん」の「予防」から。肺がんとたばこの関係は法廷ドラマのように描かれる。続いて「がん」の発生メカニズムへの挑戦が描かれる。ゲノムプロジェクトの進行とともに各地の研究者が「がん」遺伝子とその治療法を探求する競争。今となっては古典ともいえるストラテジーも当時は試行錯誤の末にたどり着いたものであったのだ。個人的にはこの章が一番おもしろかった。刊行された当時のゲノムプロジェクトあたりで話が終わってしまっているのが、仕方ないとはいえ残念。

これに続く「遺伝子ー親密なる人類史ー」にしろ、シッダールタ・ムカジーの物語を紡ぎだす才はすばらしい。この人、文筆家やジャーナリストではなく、臨床腫瘍科医なんだよ。

病の皇帝「がん」に挑む(下)[シッダールタ・ムカジー/田中文]
病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘(下)[シッダールタ ムカジー]【電子書籍】

読了:病の皇帝「がん」に挑む(上)[シッダールタ・ムカジー/田中文]

病の皇帝「がん」に挑む(上)

病の皇帝「がん」に挑む(上)

  • 作者:シッダールタ・ムカジー/田中文
  • 出版社:早川書房
  • 発売日: 2013年08月23日頃

地球全体で、年間700万以上の人命を奪うがん。紀元前の昔から現代まで、人間を苦しめてきた「病の皇帝」の真の姿を、患者、医師の苦闘の歴史をとおして迫真の筆致で明らかにし、ピュリッツァー賞、ガーディアン賞を受賞した傑作ノンフィクション。

第1部 「沸き立たない黒胆汁」(「血液化膿症」/「ギロチンよりも飽くことを知らない怪物」/ファーバーの挑戦状 ほか)/第2部 せっかちな闘い(「社会を形成する」/「化学療法の新しい友人」/「肉屋」 ほか)/第3部 「よくならなかったら、先生はわたしを見捨てるのですか?」(「われわれは神を信じる。だがそれ以外はすべて、データが必要だ」/「微笑む腫瘍医」/敵を知る ほか)

シッダールタ・ムカジーの「遺伝子」がすごくおもしろかったので、その前に書いている本書もぜひ読んでみたいと思っていた次第。「遺伝子」の感想は以下。

読了:遺伝子ー親密なる人類史ー 【電子書籍】[ シッダールタ ムカジー ]

本書の日本語版出版が2013年にだから最新の情報まではフォローしきれていないにしても、がんとは何か、人類はどう対処してきたのかを知りたければ今でも十分に読む価値あり。

腫瘍医として臨床の場での体験と、自身が立ち向かっている「がん」の歴史、そして人類の紆余曲折の苦闘を物語として語っていく。読みやすく分かりやすい構成になっているところが良い。科学啓蒙書でありながら、歴史ドラマにもなっているのだ。上巻ではがんの歴史、そして主に欧米における(とりわけアメリカにおける)外科的切除術、放射線治療、薬物化学的療法の3つの主要な治療法の歴史、ならびに初期のがん対策ロビー活動について表わされている。

病の皇帝「がん」に挑む(上)[シッダールタ・ムカジー/田中文]
病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘(上)[シッダールタ ムカジー]【電子書籍】

読了:言語学バーリ・トゥード Round 1 AIは「絶対に押すなよ」を理解できるか[川添 愛]

ラッシャー木村の「こんばんは」に,なぜファンはズッコケたのか.ユーミンの名曲を,なぜ「恋人はサンタクロース」と勘違いしてしまうのか.日常にある言語学の話題を,ユーモアあふれる巧みな文章で綴る.著者の新たな境地,抱腹絶倒必至!

ここ最近なりをひそめているけれども、ラフは読みようによっては言葉ケーサツみたいなことを垂れ流していたりすることがあるのだよ。でも、これを読んで「あぁ俺のやっていることってばなんて恥ずかしい……」と思うことしきり。

東京大学出版会の広報誌「UP」(University Pressの略でユーピーと読むらしい)に連載している川添愛氏の「言語学バーリ・トゥード」をまとめたもの(+書き下ろし)。「言語学」とあるが、日常シーンに登場する言葉のおもしろさや、なぜそう感じるのかを学術テイストで考察していくエッセイ。堅苦しくないユーモアあふれる読み物で手を付けたら止まらない。おもしろいけれども、こういう文章を書くっていうのは相当な知的バックボーンを持っていないとムリだよなぁ、と思ったり思わなかったり。また随所に著者のプロレス愛があふれていてほほえましい。「バーリ・トゥード」の意味もおもしろいいきさつで説明されているので、気になった方はぜひ読んでみて。

言語学バーリ・トゥード[川添 愛]
言語学バーリ・トゥード(言語学バーリ・トゥード)[川添愛]【電子書籍】

読了:ダリア・ミッチェル博士の発見と異変 世界から数十億人が消えた日(竹書房文庫 と4-1)[キース・トーマス/佐田 千織]

ダリア・ミッチェル博士によって発見された謎のパルスコードは、高度な知性を持つ銀河系外の生命体が送信したものだった。それは地球人のDNAをハッキングするコードであり、その結果、世界から数十億人が消失した。パルスコードとは、いったいなんだったのか。そして消えたひとびとはどこへ行ったのか。パルスコードの発見から5年。ジャーナリストのキース・トーマスが世界を変えた出来事の意味を明らかにする。ミッチェル博士の私的な記録とアメリカ前大統領へのインタビューをはじめ、世界を変える現象に立ち向かった対策チームの機密記録、関係者へのインタビューをまとめた一冊が遂に刊行。

ノンフィクションルポルタージュ『「上昇」秘録-ひとりの女性の発見が、いかにして人類史上最大の出来事につながったか-』の体裁をとったSF小説。中身のノンフィクション部分はある意味偽書ともいえる。

2023年に起きた一連の出来事(外宇宙からのパルスの到着、「上昇」とよばれる現象、そして迎えた「終局」)。人類の数十億人を失ったその後の世界で、あの出来事は何だったのかを振り返る。パルスの発見者ダリア・ミッチェルの日記、関係者へのインタビュー、当時の事情聴取記録や会議記録などをまとめた2028年に出版されたノンフィクションの体。これがもっともらしくなるように工夫されている。なかでも膨大で巧みに練られた脚注は見事。巻頭辞は当時(2023年)の事態収拾にあたった元アメリカ大統領によるものだし、最後には架空の人物(しかも多い)にあてた謝辞や、架空の書物が並ぶ参考文献まで念入りにきちんと作成されている。

すでに起こった事件の振り返りというルポなので、このルポを読む人たちにはすでに分かっていること(起こったこと)を改めて何だったのかを考えるという前提で書かれているのだけれども、さらに外側にいる我々SF小説の読者という立場から見ると、何かが起こったのはわかるんだけれども何がどういう風に起こったのかを徐々に知っていくことになり、それがミステリーっぽい仕上がりになっていてエンターテイメントとしてとてもよくできている。また舞台は2023年(来年だよ)なので、まさに今の世相を多分に反映していて違和感がない。今こういうことがあっても、きっとこういう風な展開をするんだろうなぁということが実感として納得できる。外宇宙の異文明からのパルスによって人類がパニックに陥っていくというSFの要素がわざとらしくならないように敢えて抑えられている演出もうまい。

ダリア・ミッチェル博士の発見と異変 世界から数十億人が消えた日(竹書房文庫 と4-1)[キース・トーマス/佐田 千織]
ダリア・ミッチェル博士の発見と異変 世界から数十億人が消えた日(ダリア・ミッチェル博士の発見と異変 世界から数十億人が消えた日)[キース・トーマス]【電子書籍】

読了:善と悪の経済学[トーマス・セドラチェク/村井章子]

善と悪の経済学

善と悪の経済学

  • 作者:トーマス・セドラチェク/村井章子
  • 出版社:東洋経済新報社
  • 発売日: 2015年05月29日頃

人類の幸福を示せるか?欧州騒然!チェコのベストセラー、ついに日本上陸。歴史、哲学、心理学、古代の神話。知の境界を越える5000年の旅。経済学の進むべき道はここにある。

経済学の物語ー詩から学問へ/第1部 古代から近代へ(ギルガメシュ叙事詩/旧約聖書/古代ギリシャ/キリスト教/デカルトと機械論 ほか)/第2部 無礼な思想(強欲の必要性ー欲望の歴史/進歩、ニューアダム、安息日の経済学/善悪軸と経済学のバイブル/市場の見えざる手とホモ・エコノミクスの歴史/アニマルスピリットの歴史 ほか)

近代経済学の祖とされるアダム・スミスによる「見えざる手」を核として、現在の主流派経済学は数学を振り回し倫理という面が抜け落ちているのではないかと問いかける。アダム・スミスの「見えざる手」は、個々の投資家の利己的な投資や財産形成戦略が結果として社会全体の利益となり経済成長を実現するとされている。しかしアダム・スミスは本当にそういう「見えざる手」について言及したのか?どうも誤解されているらしい。そもそもがアダム・スミスは倫理哲学者であり、利己的論には与していないのだ。

本書で述べられる「善悪」は主に利己的なふるまいに関することが多い。第1部は縦軸としての近代経済学が立ち上がる前の歴史的な側面から経済と「善悪」の関係をたどる。第2部では、横軸として個々の論点で現在の経済学から倫理面が抜け落ちた問題点に言及する。デカルト以降経済学は数式で記述されるようになり、「すべての条件が同じであれば」という現実にはあり得ない前提条件(時に結論自体がそこに含まれている)を濫用し、個々特定のモデルをトートロジーで語る学問に陥っている(要するに「何も言っていない」と同じ)。

善と悪の経済学[トーマス・セドラチェク/村井章子]
善と悪の経済学[トーマス・セドラチェク]【電子書籍】

読了:やる気に頼らず「すぐやる人」になる37のコツ[大平 信孝]

誰でもすぐできる!脳をうまく使えば意志が弱くても行動できる!

第1章 先延ばしがなくなる!行動に「初速」をつける方法/第2章 集中力が驚くほど続く!「行動ブレーキ」の外し方/第3章 感情に左右されない!行動マインドのつくり方/第4章 「忙しくて動けない」がなくなる!時間の使い方/第5章 夢や目標に向かって一歩踏み出せる!行動思考の身につけ方/巻末付録 目標を着実に実現するための「振り返りノート」の書き方

さる人が薦めていたので手に取ってみた。なんか似たようなテーマの本を前に読んだなぁ。

読了:先延ばしグセが治る!すぐに行動できる人の習慣術[後藤 英俊]【電子書籍】

本書の方が、上記のものよりハウツー本特有の宗教がかり具合が薄い。著者がずっと冷静。内容もステップアップ式で、導入は本当に簡単なところから入っていき、それができるようになったら次のステップへ。そしてあなたの本当の目標はなんですか?と問われて、それを実現するにはと進んでいく。うまくいけば、意識高い人(意識高い系にあらず)となって人生を謳歌できるはず。これを1冊でひょいひょいと読めるように仕立ててある。しかし、よく考えてみたら、書かれている内容は薄いけれども、目標としていることはえらく面倒で大変な人生改革じゃん。誠実な著者の態度は好感が持てるけれども、この一見の浅さがこの本損している部分かも。

脳科学的なアプローチはちょこちょこ書かれているけれども、そんなに強調はされていない。それよりも実際にやってみることの方が大事でそちらに主眼が置かれている。その理由付けの半ばネタ的な扱いになっているが、個人的にはそっちの方の話(側坐核の話とか心理学の実験の話とか)が知りたい(それはこのハウツー本に期待するものではないことは重々承知だとも)。

最初のステップに関しては、以前に読んだ以下の本の方が個人的には好み。ラフはそこだけをとりあえず何とかしたいんだもの。今回の本はそのはるか先まで行ってしまうので、個人的には今はそこまで行けなくてもいいやって感じで……。

読了:小さな習慣[スティーヴン・ガイズ/田口 未和]

やる気に頼らず「すぐやる人」になる37のコツ[大平 信孝]
やる気に頼らず「すぐやる人」になる37のコツ(やる気に頼らず「すぐやる人」になる37のコツ)[大平信孝]【電子書籍】

読了:生命の歴史は繰り返すのか?[Jonathan B. Losos/的場 知之]

生命の歴史は繰り返すのか?

生命の歴史は繰り返すのか?

  • 作者:Jonathan B. Losos/的場 知之
  • 出版社:化学同人
  • 発売日: 2019年06月03日頃

ヒトを含め、いま存在する動植物は、必然的に生まれたのか、それともたまたま運良く進化しただけなのか?地球の生命史における最大のミステリーを実験で解決しようと奮闘する研究者たちによって、グッピーやショウジョウバエ、細菌、シカネズミ、そして著者自身のアノールトカゲの実験を通して、生命テープのリプレイがおこなわれた。はたして、進化生物学における最新のブレイクスルーで、科学界屈指の大論争は解決できるのか。

グッド・ダイナソー/第1部 自然界のドッペルゲンガー(進化のデジャヴ/繰り返される適応放散/進化の特異点)/第2部 野生下での実験(進化は意外と速く起こる/色とりどりのトリニダード/島に取り残されたトカゲ/堆肥から先端科学へ/プールと砂場で進化を追う)/第3部 顕微鏡下の進化(生命テープをリプレイする/フラスコの中のブレイクスルー/ちょっとした変更と酔っぱらったショウジョウバエ/ヒトという環境、ヒトがつくる環境)/運命と偶然:ヒトの誕生は不可避だったのか?

あぁ、そういえば一昔前に生物進化の「適応」の仕組みについて、遺伝学者のリチャード・ドーキンスと、進化古生物学者のスティーヴン・ジェイ・グールド(2002年没)が大西洋を挟んでやりあっていたなぁと思いだした。本著は、グールドの代表作「ワンダフル・ライフ」(このタイトルが、クラシック映画「素晴らしき哉、人生!」(1946)と同じなのは偶然ではない)の中にある、進化のテープを巻き戻してもう一度再生しても今の進化は再現されないだろうという考えに対する考察から始まる。(「ワンダフル・ライフ」はグールドが先輩科学者コンウェイ=モリスの研究成果を称えてカンブリア紀の生物多様性大爆発を論じた本なんだけれども、それに対して温厚で知られるコンウェイ=モリスが「俺はそんなことは言っていない」と反論し物議を醸した本でもある)

「進化は繰り返すのか?」つまり、条件さえ同じであれば生物の進化は同じ(少なくとも似る)になるのか?っていうことを本書では論じている。確かに適応放散(オーストラリアの有袋類の進化が有名)の例などが知られてはいる。「進化」について論じる上で確認しておかなければならないのは、ダーウィン以来「進化」という現象は、世代を経ることによる変異(DNA情報の変異)の蓄積による表現型の変化のことである。ある集団において環境に依存しているような特定の形態や性質が見られるようになっていたとしても、それが遺伝的な(つまりDNAを原因とする)変異によるものでない場合は「進化」とは別現象なのだ。

かつては「進化」は実験では確認できない(再現性が担保されない)分野とされていたが、今やDNAの塩基配列決定が手軽に行えるようになったことも一助となって、様々な工夫により実験可能な分野になってきていることを具体的な研究例を通して紹介している。本書のもっともおもしろいのがこの部分。この部分だけでも、この本の存在意義は十分にある。

最終的に、私たちヒトは進化の過程のしかるべき産物として存在しているのか?生命の進化テープをもう一度リプレイしてもやはりヒトは誕生するのか?(「生命の歴史は繰り返すのか?」)。あるいは恐竜がもし絶滅していなかった場合は、彼らもヒトのような形態に進化していたのか?いわゆるディノサウロイド(wikipediaの「ディノサウロイド」の項)。ドーキンスとグールドの論争と同様に、結局は進化をマクロにとらえるか、ミクロにとらえるかで見えるものが違うってところなんだと思うけれども、科学者としては至極真っ当な「まぁそうだろうな」という結論に着地。著者の知的好奇心を大事にしながらも科学者としては極めて真摯でおだやかな態度に個人的にはとても好感が持てた。

生命の歴史は繰り返すのか?[Jonathan B. Losos/的場 知之]
生命の歴史は繰り返すのか?ー進化の偶然と必然のナゾに実験で挑む(生命の歴史は繰り返すのか?ー進化の偶然と必然のナゾに実験で挑む)[Jonathan B. Losos]【電子書籍】

読了:僕が死んだあの森[ピエール・ルメートル/橘 明美]

僕が死んだあの森

僕が死んだあの森

  • 作者:ピエール・ルメートル/橘 明美
  • 出版社:文藝春秋
  • 発売日: 2021年05月26日頃

母とともに小さな村に暮らす十二歳の少年アントワーヌは、隣家の六歳の男の子を殺した。森の中にアントワーヌが作ったツリーハウスの下で。殺すつもりなんてなかった。いつも一緒に遊んでいた犬が死んでしまった悲しみと、心の中に積み重なってきた孤独と失望とが、一瞬の激情になってしまっただけだった。でも幼い子供は死んでしまった。死体を隠して家に戻ったアントワーヌ。だが子供の失踪に村は揺れる。警察もメディアもやってくる。やがてあの森の捜索がはじまるだろう。そしてアントワーヌは気づいた。いつも身につけていた腕時計がなくなっていることに。もしあれが死体とともに見つかってしまったら…。じわりじわりとアントワーヌに恐怖が迫る。十二歳の利発な少年による完全犯罪は成るのか?殺人の朝から、村に嵐がやってくるまでの三日間ーその代償がアントワーヌの人生を狂わせる。『その女アレックス』『監禁面接』などのミステリーで世界的人気を誇り、フランス最大の文学賞ゴンクール賞を受賞した鬼才が、罪と罰と恐怖で一人の少年を追いつめる。先読み不可能、鋭すぎる筆致で描く犯罪文学の傑作。

自分を慕ってくれていた隣家の6歳の男の子を、感情の爆発から意図せず殺害してしまった12歳のアントワーヌ。思わず死体を森の中に隠してしまったが、家に帰ると腕時計をなくしていることに気付く。男の子の行方不明事件として村は大騒ぎになる。自白していっそ楽になったほうがいいのか、それともこのまま隠ぺいしたままでいいのか、苦しむアントワーヌ。そこに村を記録的な大嵐が襲う。

村を覆う不景気観、村の狭くて濃密な人間関係、そして大嵐がアントワーヌの境遇をさもありなんと思わせる。子供殺しという現実、自身と子どもなりにも考えた世間体のはざまで葛藤するアントワーヌの追い詰められた感を絶妙に描く作者の力量はすばらしい。この子供時代の出来事が全体の半分を占める。アントワーヌの一人称語りなので、事件がどのように起こったのか、死体をどこにどう隠したのかもすべてわかっており、またアントワーヌはそれを一生隠し通そうと強い意志をもって行動しているわけでもない。今後少年の死体は見つかることがあるのだろうか?アントワーヌの殺人は明るみに出るのか?というだけだ。

さて、12年後、医学生となったアントワーヌは忌まわしい思い出のある村を避けて恋人とともに海外へ出発しようとしていたが、帰省した折に殺害した男の子の家とは反対側の隣家の幼馴染(別の男と婚約済み)とチョメチョメしてしまい、その娘が妊娠してしまう。その両親から責任を取るようにアントワーヌは脅される。一方かつて男の子の死体を隠した森が開発され、男の子の白骨死体が発見され、犯人につながる生体試料が見つかるものの、犯罪者データベースには該当者なしで殺害犯はわからずじまい。自身のDNAを提供しなければならなくなる事態を避けるために、彼は恋人と別れ、妊娠させてしまった幼馴染と結婚することを選ぶ。さらに数年後、彼は村の医者となっていた。結局村から逃れることはできなかったのだ……。

あの森で犯した殺人は遂に明るみに出ることはなかったが、そのことで振り回された僕の人生、あの森で死んだのは「僕」だったのかもしれない。でもこの話にはちゃんと救いが用意されているのだ。確かにあの森の事件で「僕」の人生は狂わされたかもしれない。でも村で「僕」はささやかながらも新しい人生を見つけている。そして最後に明かされるのは、あの殺人は決して自分一人が抱えていたわけではなかったのだ。そうか腕時計はそこにあったのか。

犯罪文学というより人間ドラマとしてよくできていて抜群におもしろかった。

僕が死んだあの森[ピエール・ルメートル/橘 明美]
僕が死んだあの森[ピエール・ルメートル]【電子書籍】