逆にぃ~

「逆に」っていう言葉の使い方については何度かここでも取り上げたんだけれども、この言葉が使われた場合、前後で論が「逆」になっていない場合がままあると指摘してきた。

「あなたが思っているのとは違って、意外なことに」という文脈として使いたいのだろうなという例をよく見かける。ここで受け手は「いや思ってないよ」という応えは許されていない。あくまでも「逆に」と言いたい話者の方が一方的に偉いのである。「あなたが思っているのとは違って」というところに「私は気づいているしわかっているんだけれども、一般大衆であるあなた(たち)は誤解しているに違いない」という若干押しつけがましい上から目線を感じる(ラフの勝手な被害妄想か?)。マウント用語の一種になっているのかも?

あとは話題を変えたいときに、「ここまでの話とは変わるんだけれども」っていう意味で「逆に」を使う人も見かける。「それはさておき」っていう感じか。

しかしそんな指摘をするのは野暮なことなのかもしれない。「ヤバイ」と同じように、もはや「逆に」もそれ自体に意味はなく、昨今の日本語においては何にでも使える接続詞化しているのかもしれない。「しかし」も「ゆえに」も「だから」も「そして」も全部「逆に」でいけるのではないかと(乱暴な推測)。

あなたの知らない世界

日本のクラシック音楽界隈では、「チャイコン」といえば、
チャイコフスキー国際コンクール
チャイコフスキー作曲のピアノ協奏曲(コンチェルト)
チャイコフスキー作曲のヴァイオリン協奏曲(コンチェルト)
と主要なものでこの3つの可能性があり、前後の文脈から今どの「チャイコン」の話をしているのかを読み取らなければならない。当然、「チャイコン」という略語は日本でしか通用しない。
wikipediaの「チャイコフスキー国際コンクール」の項
wikipediaの「ピアノ協奏曲第1番 (チャイコフスキー)」の項
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (チャイコフスキー)」の項

メンデルスゾーン作曲のヴァイオリン協奏曲は「メンコン」と略す<まぢか!!
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (メンデルスゾーン)」の項

ドヴォルザーク作曲のチェロ協奏曲なんて「ドボコン」だぞ。
wikipediaの「チェロ協奏曲 (ドヴォルザーク)」の項

ブラームス作曲のヴァイオリン協奏曲に至っては「ブラコン」だ。
wikipediaの「ヴァイオリン協奏曲 (ブラームス)」の項

チャイコフスキー作曲交響曲第5番は「チャイ5(読みは「チャイゴ」)」、ショスタコーヴィッチ作曲交響曲第5番は「ショスタ5(ゴ)」と通称される場合がある。もちろん日本でしか通じない。言うまでもないが「チャイファイブ」「ショスタファイブ」と言い換えても世界には通じないぞ(フィンガーとかジャクソンみたいだなぁ)。あ、第5番だから序数じゃなきゃダメだね。「チャイフィフス」に「ショスタフィフス」。もはや日本でも通じないぞ。
wikipediaの「交響曲第5番 (チャイコフスキー)」の項
wikipediaの「交響曲第5番 (ショスタコーヴィチ)」の項

チャイコフスキーはその界隈では「チャイコ」と略されるが、一部熱狂的な日本人ファンは「おチャイコ様」と呼びならわしたりする(もちろん「おカイコ様」にあやかっている)。もはやビョーキである。「そんなに好きやったら(チャイコフスキーと)結婚せぇ」と突っ込むのが関西でのお約束です(知らんけど)。
wikipediaの「カイコ」の項

「そんなバカな、どうせネタだろ?」と思われる方もいるかもしれませんが、クラシック音楽に片足突っ込んでいる日本人の多くは本当にこういう言葉を使ってコミュニケーションをとっているのだ!!!

クラシック音楽の曲名の俗称、略称
(ブリテン作曲の「青少年のための管弦楽入門」の略称がひどい……)

「逃げ恥」後遺症!?略称タイトルに各局が四苦八苦 – 梅ちゃんねる – 芸能コラム : 日刊スポーツ

読了:読破できない難解な本がわかる本[富増 章成]

読破できない難解な本がわかる本

読破できない難解な本がわかる本

  • 作者:富増 章成
  • 出版社:ダイヤモンド社
  • 発売日: 2019年03月29日頃

答えは全部、「古典」に書いてある。この本が、世界を変えた。教養としての名著60冊を徹底解説。

第1章 古代・叡智編 古代からの叡智を知ることができる本/第2章 思考・理性編 考えに考えて人生を変える本/第3章 人生・苦悩編 悩める人生について考えることができる本/第4章 政治・社会編 現代の政治思想とその起源がわかる本/第5章 経済・生活編 仕事と生き方がよくわかる本/第6章 心理・言語編 人の「心」と「言葉」について考えてみる本/第7章 思想・現代編 現代社会を別の角度から考えてみる本/第8章 日本・自己編 日本の思想をふりかえって自分を知る本

そういえば、阿刀田高は「実存主義」について知りたい時は、サルトルの『実存主義とは何か』が入門書としてわかりやすいと勧めているが、それでも評して曰く

“人間においては実存が本質に先立つ”と、これがサルトルの考えであり、実存主義の原点である。本質は、定義と言い換えてもよいだろう。
とはいえ、これだけではやっぱりわからない。わかるほうがおかしい。
(中略)
人間はまっ白い紙のようなものであり、そこになにを書くかは人間みずからが決定していくことであり、それゆえに自由であり、それを自覚することがなにより大切である、と、サルトルは主張しているのである。
 旧約聖書を知っていますか(新潮文庫 あー7-19)[阿刀田 高]

(中略)の後が、端的な要約(結論?)。その本に何が書かれているのかは、とりあえずこういうところを押さえておきたいのだ。こういう感じで、古今東西の様々なムツカシイ本を簡単に紹介してくれるのが本書『読破できない難解な本がわかる本』だ(ちなみに本書で取り上げられているサルトルの本は『存在と時間』だった)。

基本的には哲学・宗教・心理学・政治・経済の理論本が対象なので、いわゆる挫折系文学本の類は出てきません(『カラマーゾフの兄弟』とか『失われた時を求めて』とかね)。タイトルと著者名だけは知っているけれども何が書いてあるのかはあまりよくわかっていない本が続々と登場する。本の難易度、書かれた背景、内容の要約、この書から「人生で役に立つこと」コラム、そして著した人のプロフィールという順で、難解な1冊を数ページのダイジェストにして紹介していくのだ。まぁ無茶な企画だこと。でもこういったムツカシイ本を読むことは一生ないであろうラフにはありがたい企画でもある。

哲学関係の本では「自由」という言葉一つとっても、みんなそれぞれに自分の概念を定義していくので、単純比較ができない。この人はこういう定義で使う、あの人はああいう定義で使うっていう感じで、「自由」という言葉だけでは同じ土俵で議論を進めることができないのだ。同じ「イルカ」でも、水生哺乳類の「イルカ」と「なごり雪」の「イルカ」くらい違うんじゃないかってくらいに、人によって全然違うものを「自由」と定義している。もうほんと、ラフ、困っちゃう。

一人の著者が、複数のムツカシイ本を超圧縮ダイジェストで紹介しているのだから、どれも毒気を抜かれた扁平な紹介になってしまうのは仕方ない。でも、どれも古今東西の七面倒くさいことを考えている奴らの本なんだから、おそらく原書はどれも強烈な個性が異彩を放つ一癖ある文体に違いないとは想像できる。気になったものは読んでみるしかないのか(と、思わせる時点でこの著者の術中にはまったわけだな)。

「人生で役に立つこと」コラムは蛇足かも。読んでもいない本のダイジェストを紹介されたうえで、あなたの人生もこう考えたらいいんじゃない?と提案されても困る。その本の中身をどう生かすかは実際に読んでみた人がそれぞれに考えればいいし、それこそが読書の楽しみではないかと思ったり思わなかったり(自分では読まない宣言をしているくせに大口をたたく)。

そうか、「パラダイム転換(シフト)」って言葉はトーマス・クーン『科学革命の構造』で使われたのか。
wikipediaの「科学革命の構造」の項

『アンチ・オイディプス』は難易度★5だって?紹介の冒頭が「なにが書いてあるのかまったくわからない本。」だって。気になって夜も眠れない。
wikipediaの「アンチ・オイディプス」の項

キルケゴールの『死に至る病』が「絶望」を指しているというのは知っていたけれども、人間は「絶望」すると「死ぬ」、だから「絶望」せずに生きていくには?って本だと勝手に思っていた。あっさり否定された。「死に至る病」といいながら「死んでない」とは……

「絶望」とは死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態のことです。肉体の死をも超えた苦悩が「絶望」です。
 つまり、生きながら死んでいるようなゾンビ状態のことを「死に至る病」と呼んでいるのです。
(中略)
結論としては、やっぱり人間は絶望する方がよいということです。というのは、人間は動物以上であり、自己意識をもつからこそ絶望しうるわけです。意識が増す(自己をみつめる)ことでいろんな挫折を感じ、「このままではいけない!」という焦燥感が強まってくるものです。
(中略)
絶望を人生の成長として捉えることが大切なのです。

wikipediaの「死に至る病」の項

『21世紀の資本』のトマ・ピケティってラフとほぼ同年代。この書は一世を風靡したけれども、もう古典と呼べるほどの地位を確立しているのか。
wikipediaの「21世紀の資本」の項

読破できない難解な本がわかる本[富増 章成]
読破できない難解な本がわかる本[富増章成]【電子書籍】

read between lines

学会やセミナーの質疑応答で、英語圏の発表者は第一声に「Good question!」と反応することがある。「いいところに気が付いたね」というのは表面的な意味で、その実は「あ、やっぱり気付いちゃいました?痛いところを突かれたなぁ、ハハハ」なのである(あまりにも頻出する表現だったため、学生たちの間でささやかれていた説)。

PCよりもスマホが主流の今日ではあまり行うこともなくなりましたが、かつてはPCへソフトウェアをインストールために、インストーラというものがあったのですよ。そして作業完了の最後の画面にはたいてい「Congratulations」と表示された。これに対して「『おめでとう』じゃないだろう。『ありがとうございます』と言えよ」と突っ込んでいる人がいた。日本人的には「この度はインストールいただきまことにありがとうございました」なんだろうけれども、英語圏の人々の感覚は「やったね、これで使えるよ(だって使いたいからインストールしたんでしょ?)」なのだ。知らんけど。

今年の恵方と方角にちなんだ分子生物学実験手法名

節分ですよ。えぇ、かつてこっそりと関西人やっていたもんですから、節分と言えば恵方巻でしたよ。学校から帰って来るじゃないですか、そうすると台所のテーブルの上におやつとして恵方巻が置いてある。それが節分だったのですよ。

wikipediaの「恵方巻」の項

さて、今年の恵方は、ほぼ南南東だとか。南南東は英語では「South-southeast」で「SSE」と略すらしい(英会話サークルみたいってそれは「ESS」か)。

話は変わって、分子生物学の実験手法の一つにサザン法(サザンブロッティングあるいはサザンハイブリダイゼーション)というのがあるのですよ。サンプルの中に特定の塩基配列を持つDNAが存在するかどうかを検出する手法。一般的には生物の全DNA(ゲノム)あるいは特定のDNAを酵素で処理し、電気泳動した後、それをメンブレン(膜)に転写する(ブロット)。そのメンブレンに対して、ラベリングした検出したい塩基配列のDNA(実際には相補的な配列)をプローブとして特異的に結合させて(ハイブリダイズ)、メンブレン上のどこにプローブが結合したかを調べる。Edwin Southern さん(まだ存命のはず)によって開発された方法なので 「サザン法」と名付けられてます。

サザン法は、DNAをDNAプローブで検出する方法。同じ原理で、DNAの代わりにmRNAを電気泳動で流したものをメンブレンに転写し、DNAプローブで検出する方法(RNAをDNAプローブで検出する方法)には「ノーザン法」と名付けられたとさ(「サザン法」にちなんだシャレ)。さらに、サンプルに含まれるタンパク質を検出する方法として、タンパク質を電気泳動した後にメンブレンに転写し、特定の抗体(抗体もタンパク質なのでタンパク質同士の結合)で検出する方法には「ウェスタン法」と名が付いております。

じゃ、これの応用。ある特定のDNA配列に結合するタンパク質を検出する方法があります(DNAに結合するということは主にDNAの転写調節タンパク質である可能性が高い)。サンプルのタンパク質を電気泳動した後にメンブレンに転写し、DNAプローブで検出する。この方法はDNAとタンパク質の結合なので「サウスウェスタン法」と名付けられておりますよ。

wikipediaの「サザンブロッティング」の項(DNAをDNAで検出)
wikipediaの「ノーザンブロッティング」の項(RNAをDNAで検出)
wikipediaの「ウェスタンブロッティング」の項(タンパク質をタンパク質で検出)
wikipediaの「サウスウェスタン法」の項(タンパク質をDNAで検出)

サザンやウェスタンは学生実習でも行うくらい基本の実験手法なんだけれども、RNAを扱うのは難しいというか超面倒なので(RNA分解酵素はそこら中にあるため油断するとすぐ分解されてサンプルがおじゃんになる)、個人的にノーザンは難易度が高くて嫌い。でも学位論文発表や学会発表なんかでは「で、ノーザンはやったの?」としばしばつっこまれることがあるので油断ならない。

ついでに、生物学の用語にはこういうシャレでつけられた名前ってほかにもある。例えば、64コドンのうち終止コドンは3つあるんだけれども、それぞれにオーカー、アンバー、オパールとキラキラネームが付いている。最初にアンバーが名付けられたのだが、そのいきさつはこうだ。ある仮説を検証するための超面倒くさい実験を考えた人たちがいるんだけれども、彼らは自分たちがその面倒くさい実験をやりたくないもんだから、とある大学院生に「もし実験がうまくいったら得られた変異体に君の名前にちなんだ名前を付けてあげよう」と丸め込んで実験させたのだ。幸いなことに実験はうまくいって仮説は検証された。その大学院生の名前はBernsteinといった(英語だとAmber(琥珀)の意)ので、その変異体には「Forever Amber」と名が付けられた。のちにその変異体の変異の原因は、ある終止コドンが原因とわかった。そういうわけでその終止コドンには「amber」と名が付いた次第。で、残り2つの終止コドンにもだったらということでキラキラネームが付きましたとさ。

wikipediaの「終止コドン」の項
「源流を遡る」 第1回 – コーヒーブレイク | 東洋紡バイオテクサポート事業部

アウストラロピテクスの有名な化石標本「ルーシー」は、調査作業中にかかっていた曲がビートルズの「Lucy in the Sky with Diamonds」だったからとか。

wikipediaの「ルーシー (アウストラロピテクス)」の項

読了:越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 決定版[越前 敏弥]

越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 決定版

越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 決定版

  • 作者:越前 敏弥
  • 出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2019年08月29日頃

『ダ・ヴィンチ・コード』の名翻訳家が勘所を伝授。英語自慢の鼻をへし折る!シリーズ2点を合本して再編集。

A 基礎編120問(文の構造/時制・態/否定/助動詞・不定詞/動名詞・分詞 ほか)/B 難問編30問 正答率20~70%/C 超難問編10問 正答率20%未満/D 活用編30問

読んでいて苦しくなった。大学受験の頃の英文和訳問題ってこんな感じの文ばっかりだったようなことを思い出してしまった。

扱われているのは当然日常会話ではなく、文学や評論、契約書など。「ん?どういうことだ?」と引っかかる骨のある英文ばっかり。案の定ラフはことごとく誤訳したよ。まったく反対の文意にとっていたり、何を言っているのかまったく意味不明だったり、中には文の構造がこれっぽちも押さえられていないものまで(主語はどれ?動詞はどれ?この節は何?)。

解説では、どこで引っかかるかが丁寧に解説されている。英語は左から読んでいくって習ってはいてもそれがどういうことか全然分かっていなかったんだなぁ。知的エンターテイメント(頭の体操)としてもなかなか面白かった。

越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文 決定版[越前 敏弥]
越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文【決定版】(越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文【決定版】)[越前敏弥]【電子書籍】

読了:だめだし日本語論[橋本 治/橋爪 大三郎]

だめだし日本語論

だめだし日本語論

  • 作者:橋本 治/橋爪 大三郎
  • 出版社:太田出版
  • 発売日: 2017年06月08日頃

日本語は、そもそも文字を持たなかった日本人が、いい加減に漢字を使うところから始まったー成り行き任せ、混沌だらけの日本語の謎に挑みながら、日本人の本質にまで迫る。あっけに取られるほど手ごわくて、面白い日本語論。

日本語のできあがり方ー鎌倉時代まで(文字を持たなかった日本人/日本語のDNA螺旋構造/外国に説明できない日本史/学問に向かない日本語/日本語は「意味の言葉」ではない ほか)/日本語の壊し方ー室町以後(幽霊が主役の能/江戸の印刷文化/武士が歴史をつくらなかったから天皇制につながった/漢字とナショナリズム)

多くの古典を独自の現代語に訳してきた経験を持つ作家の橋本治と、社会学者の橋爪大三郎による「日本語の歴史」を題材にした座談会(この二人は大学の同級生)。日本語の専門家(研究者)でない二人がそれぞれに日本語とはどんなものかを文学史とからめて話していくので雑談的要素も多く楽しく読める。写本の写真も多く掲載されていて、文だけでなく目で見てもその歴史を追うことができる。ひらがなカタカナについての言及はもちろん、多くの古典文学作品だけではなく、大衆芸能にまで幅広く話題が及ぶ。いやぁ読みやすいうえに刺激的で面白かった。後半に述べられる室町時代にいったん崩壊した日本語が江戸時代に再構築されていく下りもなかなか。

正しく美しい日本語の正解なんてものはなくて、現在の日本語だって決して完成されたものではない、日本語の歴史だって決して1本道だったわけでもないという前提で話は進められていくのだが、最後に二人の意見はちょっと分かれる。あいまいでいい加減な日本語をそのまま受容してそれでいいんだよと言いたい橋本治と、「したり顔でいい加減な日本語を使う輩」をなんとかしたいために日本語をある程度体系立てた方がよいと考える橋爪大三郎。個人的には橋本治に賛同。

【バーゲン本】だめだし日本語論(atプラス叢書)[橋本 治 他]
だめだし日本語論[橋本 治/橋爪 大三郎]
だめだし日本語論[橋本治/橋爪大三郎]【電子書籍】

かつての中学英語教科書「New Horizon」にあったアヴァンギャルドな単語

Rと話をしていて「盲腸」(今は「虫垂炎」というのが普通?)の話になったんだけれども、「そういえば盲腸って appendicitis だっけね」とか言ったら、「なんでそんな難しい単語知ってるの?」と驚かれた(Rはめっちゃ英語が得意)。「え?中学の時に習ったよ。「New Horizon」(英語の教科書)に載ってたよ。確か登場人物が盲腸で入院して友達がお見舞いに行くの」と続けたら、「中学生が入院するなら骨折でいいじゃん、なんでわざわざ appendicitis なの?それなんか違う教科書「Neo Horizon」とかじゃないの?」とか言われた。いや、普通の公立中学校の普通の英語の教科書に出てきたんだよ。

なので、中学英語の appendicitis の思い出をキーワードにネットを探ってみたら、いくつか出てきたよ。

●NEW HORIZONで中学英語を習ったゲイ●(#229参照)
タバコケース | せんせいのブログ
【人生初】入院しました。 | KAWANAMI NAMIWO OFFICIAL

ほら、やっぱりあったじゃん。ホントに載っていたんだよ。そうか、入院していたのはバーバラさんだったのか。そこまでは覚えていなかったな。ちなみにその単元で学習すべきフレーズは「Thank you for coming.(お見舞いありがとう)」だった。

「円周率はおよそ3」

ゆとり世代に対して「円周率は3って習ったんでしょ?」といって揶揄することがまま聞かれたが、実際のところゆとり教育時代の教科書には「円周率はおよそ3」と記述してあったはず。まぁ中学生以降は数学においてはこの無理数はわざわざ計算する必要はなく π のままで放っておいていいわけですが。実際にどのくらいの値になるかって時に、まぁ3倍よりちょっと大きいくらい程度でよいかと。

ところで「円周率って何(=どういう意味を持つ値)?」って聞かれたら、ゆとりをバカにしている人でも(むしろそういう人に限って?)ちゃんと答えられる人って少ないんじゃない?

円周率の定義は「円の直径に対する円周の長さの比率」。つまり直径(diamiter)を円周率(π)という定数倍すると円周の長さが求められる。この関係は古代から知られていてこの倍率のことを円周率と呼んでいたわけです。大事なことは、その値がいくつなのかということよりも(いやそれはそれで魅力ある値なんだけれども)、その値の意味を知っているか?ということなんですよ。

面接官「円周率の定義を説明してください」……できる?

いわゆる比例の式というのは
y = kx (k は比例定数)
という関係式なのだけれども、y が円周の長さ、x が直径とすると、k の比例定数が π で置き換えられて
l(円周長:length) = πd(直径:diamiter)
もちろん、直径(diameter)は半径(radius)の2倍なので、d=2r です。そこで上記式を r を使って書き替えると。
l(円周長) = 2πr(半径:radius)
これが円周長を求める公式。

以下は余禄:
この円周長の公式を r で積分すると円の面積の公式。
S(面積:surface area, sum…) = πr2
小中学生は微分積分という道具は習っていないので、円を扇形の断片に切り分けてそれらを長方形に近くなるように互い違いに並び変えて面積に近い値を長方形の面積として求める方法で説明されることが多いかな。この扇形の中心角をどんどん小さくして細い扇形にして数を増やしていけばいくほど並び替えた図形はより長方形に近くなっていき、長方形の面積の公式
S = (縦の長さ: r ) x (横の長さ πr )
になる(言うまでもなくこれは証明ではなくあくまでも説明であり、これを実際に計算でできるのが積分)。

当然、この円の面積の公式を r で微分すれば円周長の公式に戻ります。

ちなみに球の表面積は円の面積の4倍(説明は後掲の動画を参照ください)。
S = 4πr2
これを積分すると球の体積の公式になります。
V(体積:Volume) = 4/3πr3

まぁ、微分とは何か?積分とは何か?それと長さ、面積、体積の関係がなぜ微分積分で求められるのかという議論を今回はすっ飛ばしてますが。

葦は「悪し」に通じるので「ヨシ」と言い換える

パスカルによる「人間は考える葦である」は有名なフレーズだけれども、ところで葦って知ってる?イネ科の植物で淡水の水辺なんかに群生している。英語だとreed。木管楽器のリードはこれ。厳密には実際のものは葦そのものとは違うけれども、木管リード楽器(シングルリードのクラリネットやサックス、ダブルリードのオーボエやファゴット)において息を入れて振動させる部分のことがリード。

wikipediaの「ブレーズ・パスカル」の項「考える葦」

音楽で有名なのはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の「葦笛の踊り」かな。ところが主要な主題を吹いているのはリード楽器ではない木管楽器のフルート3本。

「葦」の読み方は「アシ」なんだけれども、「アシ」は「悪し」(読みは「あし」)につながるということで「ヨシ」(もちろん「良し」)と言い換えられた言葉の方が一般的か。

wikipediaの「ヨシ」の項
ヨシとは? – 公益財団法人淡海環境保全財団

こういう言い換えは、そういえばイタリアの地名にもあったなぁ。「ベネヴェント」を共和制ローマがこの都市を勝ち取った際に、もともとの地名「マルヴェント」は「悪い風」という意味なので「ベネヴェント」(良い風)に変更したとか。

wikipediaの「ベネヴェント」の項

参考:受験古文では良い悪いの程度は必ず覚える。良いほうから並べると、「よし」>「よろし」>「わろし」>「あし」

アレコレつまみぐい国語-古文単語を覚えよう④- | 大学受験予備校apsアカデミー
評価語の研究―「あし」の衰退を中心に―大学院国語科(ちょっと難しいけれどもおもしろい)