ナショナル・ミュージアムへ散歩

ぶらぶらと散歩に出かけ、しばらく歩いたのちに、ふと行先も考えずに都バスに乗って(今「天気の子」とコラボレーションしてるんだね)「さて、どこまで行こう」と考える。不忍通りを通るバスだから、根津(言問通りと交差する所)で降りて上野の国立博物館まで歩いてみようと(徒歩15分くらい)。

国立博物館は日本に4館ある(東京(上野)、京都、奈良、九州(大宰府))。上野の国立博物館は東京国立博物館(愛称:トーハク)。上野公園にある一群の博物館、美術館、動物園の中では一番好き。アニメ映画「時をかける少女」にも主要な場所として登場した施設。

東京国立博物館 – トーハク https://www.tnm.jp/

URLがシンプル(シンプルすぎて知らないと本当に公式サイトなのかさえわからない)。tnm は Tokyo National Museum ね。参考までに各国立博物館のトップページへのリンクを載せておきます。

京都国立博物館 https://www.kyohaku.go.jp/jp/
奈良国立博物館 https://www.narahaku.go.jp/
九州国立博物館 https://www.kyuhaku.jp/

kyohaku, narahaku, kyuhaku なのに、東京だけ tnm 。京都と奈良は「go」(government 政府の略、日本政府の機関や省庁の所管する研究所、国立研究開発法人などに対して割り当てられる)を外さないところに、正統性へのこだわりを垣間見るような思いがする。

一番新しい平成館で、特別展「三国志展」をやっていたので、のぞいてみる。本館に外国人が多かった(半分くらいは外人だったのでは?)のに比べると、こちらはほぼ日本人だけでごった返していた。そりゃ日本に来る外国人観光客がわざわざ中国をテーマにした展示を好き好んで見に来ることはないよなぁとおもいながらも、「日本人って本当に三国志好きなんだなぁ」と改めて実感。

中国の正史って、皇帝が歴史家に命じて、前王朝の歴史を書かせるというおもしろい仕組みなんだけれども、これは中国では王朝の交代のことを「革命」と呼び(易姓革命)、王朝の正統性を主張するために前王朝がなぜ滅んだのかを記すということになっているのだ。

wikipediaの「正史:中国の正史」の項

「三国志」は正史二十四史の一つなんだけれども、日本で一番有名な「三国志」はおそらく横山光輝のマンガ「三国志」であろう。ちなみに横山マンガは「三国志演義」(明代に成立したエンターテイメント歴史小説)をベースにしている。ところどころに横山マンガの原稿が展示してあるのがほほえましい。ちなみに展示自体は「三国志」をもとにした、最近の考古学的知見の展示。

『三国志演義』とは?正史『三国志』と何が違う?中国で呂布は美男子だと!? – BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)

「三国志」は正史だけれども、「史」ではなく「志」である。学生のみんなは筆記テストで間違えないようにしよう。「日本書紀」が「記」じゃないのと同様ね(「古事記」は「記」)。

三国志の「志」はなぜ「史」ではないのでしょうか。 – 二十四史の中で志にな… – Yahoo!知恵袋

ほかにも今回の展示は結構凝っていて、有名な「赤壁の戦い」に一室を当てており、天井から奥の壁に向かって大量の矢が放たれている状況を再現した意匠は圧巻。

赤壁の戦い
赤壁の戦い展示室

(今回の展示は写真撮影OKなのです)

ふらっと寄っただけだったのに、意図せず素敵な展示を見ることができました。

それと、ミュージアムショップって楽しいよね。仏像写真のクリアフォルダ、仕事で使うとなるとかなりシュール。埴輪の縮小レプリカとか買う人いるのかね?とか思いながらも、心惹かれる(買おうとまでは思わないけれども)。

読了:ホモ・デウス 上・下[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

我々は不死と幸福、神性を目指し、ホモ・デウス(神のヒト)へと自らをアップグレードする。そのとき、格差は想像を絶するものとなる。『サピエンス全史』の著者が描く衝撃の未来。生物はただのアルゴリズムであり、コンピュータがあなたのすべてを把握する。生体工学と情報工学の発達によって、資本主義や民主主義、自由主義は崩壊していく。人類はどこへ向かうのか?

 歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリによるベストセラーになった前著「サピエンス全史」に続く、人類の行く末の考察。人類の行く末の考察といっても、本著の基本となっているのは歴史的なイデオロギー(宗教)の変遷と、未来の人類の行く末を決定づけるであろう現代科学(バイオテクノロジーとAI)。歴史書というよりも、学術風人類史エッセイ。前著「サピエンス全史」の最後は、人類は有機生命体を脱して電脳空間へと意識のみを移す進化を遂げる可能性があるというびっくりのSF着地だった。さて、今度はどうなるか。ちなみに「サピエンス全史」を読んだ時の感想文はこちら。

読了:サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]

 ユヴァル・ノア・ハラリって功成り名遂げた学者かと勝手に思っていたけれども、1976年生まれだというから、ラフより年下だったのね。歴史学者だけれども、進化生物学者的な科学的視点も多くあるところがおもしろい。

 現生人類(ホモ・サピエンス)はホモ・デウス(「デウス」は神の意)に進化するのか、2001年宇宙の旅のスターチャイルドみたいななにかに?(表紙の絵から連想)なんて読み始める前は勝手に思っていたけれども、違いました。

 現時点(21世紀初頭)で人類が克服したものとして「飢饉」「疫病」「戦争」が挙げられる。すっかり解決できたわけではないものの、対処可能な課題に変わったのだ。そして、これからの人類は「不死と至福と神性を目指して進む」のだろうという仮定のもとにストーリーは進む。

 さて、人類も動物であるのだが、なにが人類と他の動物を異なるものとしているのかという点から始まる。動物にも意思(事態の予測さえ可能)と思しきものを持つ種もいるのだ。ただ人類は、実在しないものである概念(神(宗教)、国家、貨幣価値、企業)、そしてそれを他者と共有し協力することが可能で(ん?なんかそういう本を最近読んだぞ?)、これが人類を特別な存在にしたのである。また時間空間を超えて伝える手段である書字さえ身に着けたのだ。

 原始的なアニミズムからやがて体系だった宗教というものを生み出した。人は「神」(あるいは神の意志を伝える権威をもった教皇や皇帝、王など)が命ずるからそれを自身の生きる指針とした時代が科学革命の時代まで続く。そして啓蒙主義の時代に入り、誰もが個別に持っている個人の意思というものが重視される人類至上主義の時代に変わる。「神は死ん」で、「私がそう思う(感じる、考える)からだ」ということを明言する時代になったのだ。そして20世紀に自由主義というものが主流になるのであるが、ここにおいて人類至上主義の極端な進化形である「ファシズム」と「共産主義」も生み出された(ただし既知のようにこれらは失敗している。なぜ失敗したかの考察もされているが、失敗したのに「進化」という点に注目)。

 現在、科学界を席巻している技術は生物学(本著では主に進化学と脳科学をさしているようだ)と人工知能(いわゆるAI)である。これらの研究により、私たちが「意識」と呼んでいるものの存在が科学的に研究されるようになってきた。人類至上主義、自由主義の根拠となっていた「自己」の「自由意志」というものの正体はなんなのか?最近の研究によると生物はアルゴリズムにより動いているに過ぎないのだと。そのアルゴリズムから生まれるのが「自己」という意識であって、つまりは「自己もまた想像上の物語」ということもいわれるようになった。生命現象(事実)としてそうなのであって倫理的にどうかということは問題ではないのである。

 こうして時代は人類至上主義から情報(データ)至上主義の時代へと移行を始めている。ネットワーク(インターネット)上に自分の情報をどんどんアップロードすることにより(もちろんプライバシーを提供することに同意することが前提だが)、自分よりも自分のことを知っていて、より適切に自分の人生の指針(結婚相手や仕事など)を判断して示してくれるアルゴリズム(システム)が登場するだろう(現にSNSの時代とはこういうものじゃないか?)。それで十分幸せな人生が送れるのであれば「プログラムが意識や主観的経験を持たないからといって気にする必要があるだろうか?」。システムにとっては、人類は情報の提供をするだけの存在であり、翻ってそういう人類に人生の指針を与えるというシステムの存在の意味はなんなのか?人類はそういうものを作り出すことを目指しているのか?

 こういう未来展望にひっかかる読者がいれば、これでいいのかどうか、ぜひ考えてほしい。それが本書の意義であるという締めくくりであった。

 ホモ・デウスとは結局何なのか。ラフがどうとらえたかというと、人類を人類たらしめた要素は未来においてシステム(本書でいうところのアルゴリズム)に代替されうる、このシステムこそがホモ・デウスではないのか(ホモ・サピエンス自らのアップデートではなさそうだよ。つまり人類の進化的後継ではない)。

 脳科学の研究を踏まえた「生物はアルゴリズムであり自己なんてものは幻想」という考察はちょっと強引な気がする。確かに脳の活動原理が電気信号と化学物質による情報伝達でありそれが複雑なネットワークを形成しているということはわかっている。でも、どういう情報(刺激)によって、何がどのように作用して出力(行動や意識)が生み出されるのかの仕組みはまったくわかっていないのだ(こういう刺激により脳のこの部分が活動しているからおそらくこの部分が関わっているだろうという程度のことは推測されている)。このわかっていない部分こそが著者の言うアルゴリズムじゃないの?それは全然明らかになっていないし、それを人類が理解できる言語化つまりロジックにするのは現段階では不可能。ここの展開を読んでいて思ったのは「シュレーディンガーの猫」っぽいなぁってこと。ミクロレベルの量子力学の話を、マクロの物理学に持ってくると、おかしな事態になるっていうたとえ話が「シュレーディンガーの猫」なんだけれども、これの脳科学版を読んでいる気もするのだ。レベルの違うことをアルゴリズムという語で強引に引き寄せて結んでしまい論展開が飛躍している。かつて一世を風靡した「生命機械論」を彷彿とさせる面もあるなぁ。

 まぁ、本著でもAIのシンギュラリティーはやってくるって前提で話が進んでいるんだけれども、ラフが思うに現状の科学の延長上にはシンギュラリティーはやってきそうにないよ。当分どころかずっとね。シンギュラリティーがやってくるとしたら、まったく異なるとんでもない発想の転換とイノベーションが必要だろうねぇ。

ホモ・デウス 上[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]
ホモ・デウス 下[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

以下のような記事もありましたので(以前retweet済み)、紹介しておきます。

エレベータの開閉ボタンのピクトグラムってわかりにくくない?

 世の中への個人的な不満を垂れ流すブログに成り下がっております。いや、決して対象物を貶めようとかそういう悪意を持ってやっているわけではなくて、こうなっているとより良くなるんじゃないかなぁという希望的な将来を見据えて、現状の問題点を指摘しているつもりです。具体的にこうしろとかあんまり提案してないけど……。

 今日のお題は「エレベータの開閉ボタン」です。よく三角形を組み合わせたピクトグラムで表現されているの見かけない?あれわかりやすい?ラフは初めてのエレベータだと一瞬どっちがどっちだっけ?って迷うことがあるよ。本来一瞥してすぐ何を意味するのかがわかるのがピクトグラムの役割じゃないの?なのに、なぜエレベータの開閉ボタンにこのわかりにくいピクトグラムを採用することが多いのだろうか?エレベータって法令上も安全確保に厳しい設備なわけじゃない、それがこんなことでいいのか?

エレベーター 開閉ボタン 三角形 – Google 画像検索

エレベーターの「開閉ボタン」を押し間違える人のイラストに共感の声!ピクトグラムは間違いやすいとの研究も – IRORIO(イロリオ)

 ■ケース1
 うちの職場は最近テナントが増えて、朝の出勤時に1階ロビーにエレベータ行列が出来ております。どうしたって、エレベータに乗り込んだ後も人々がいくぶん殺気立ってしまうのは避けられない。しかも各階で停止されるとなると、さらに上階へ向かう人たちのイライラ度もますます上がってしまう感じ(自分の職場は結構この建物の上階の方)。降りるときは「すみません」と人をかき分けそそくさと逃げ出すようにする人が多く、また操作盤の近くに陣取ってしまった人は降りる人がいなくなったとみればすぐさま「閉」ボタンを押すのが礼儀みたいになっている。「閉」ボタンと書いたけれども、例によって三角印を2つ組み合わせたピクトグラムによるもので、「開」と「閉」を表現したボタンが、同じ大きさ、同じ色で横に並んでおります。「閉」と思って押し続けたボタンが「開」だった時は、俺はこのまま人々の冷たい視線でにらみ殺されるのではないかと思うくらいです。

 ■ケース2
 自宅の最寄り駅に最近バリアフリー化の一環としてエレベータが新たに設置された。後付けのエレベータなので、その出入口には改札からすぐエレベータがあるのみ、階段などはない。1台のエレベータしか使えないホーム直付けの改札口なのだ。先ほど、そのエスカレータを利用したのだが、一緒に乗った方が、一生懸命「開」を意味するピクトグラムボタンを連打して、扉がいつまでたっても閉まらないことに狼狽されていた。

【定期】個人番号カード

 今回は技術の話ですが、リンク先が数年前の情報とか古めのものもあるのでお気を付けください。

 ラフが所有している運転免許証はゴールドなのだ。なんといっても、車を運転することがないのだから当然といえば当然か。もはや車の運転の仕方忘れてるから、ゴールドだからって優遇されるいわれもないような気がする。というか、危ないから運転させるなって思う。それでも免許の更新時期が来れば律義に出かけて行って、手数料を払って、最短コースの講習を受けて、新しい免許を受け取るという儀式をこなしている。というのも、わりと手軽に使える公式の身分証明書だからだ。

 実をいうと、個人番号カードも持っている(通知カードではない)。もちろん電子証明書も格納済み。e-Taxで確定申告もできます(というかこのためだけに取得した)。本当ならこっちを身分証明書として使えばいいんだけれども(運転免許証の更新やめて)、これをあまり人前で使いたくないのは、絶対に人に知られてはいけないとされる個人番号(マイナンバー)がカードの裏面にものの見事に記載されているからだ。もちろん身分証明として個人番号カードを使う場合は、一般的な民間企業に対しては表面だけでいいことは知っている。見せられるほうも、裏面を見てはならないとかコピーを取ってはならないとか細かい規則はあるんだけれども、だからといって身分証明書ですといって、受付や窓口の人に預ける(手を触れさせること)なんてことはやっぱり怖くてできない。だって、単純にひっくり返すだけで裏面なんてすぐ表ざたになるわけなんだよ。「ひっくり返しましたけれども裏面は見ていませんよ」なんて言われても、それは何かの古典ギャグですか?って感じじゃん(ひっくり返したので、今はこちらが表面です。明日という日は永遠に来ない風)。

 個人番号カードって交付されるときに、フィルムケース(昔新品のテレホンカードとかで使われていたようなやつ)を一緒にもらえるんだけれども、これがカード裏面の個人番号部分をマスキングするようになっている。ただし割とピンポイントに個人番号部分なので、ケースからカードをちょっとずらすだけで番号なんて見放題。ちなみに表面も、極小で書かれている性別と臓器提供意思表明部分がマスキングされる。でも大事な部分をまだマスキングし忘れていますよ。裏面の左下にあるQRコードです。これスマホとかで読み取ればすぐわかるんだけれども、個人番号そのものが何の修飾もされず生のまま(つまり12桁の数字)で、ぶっこまれているのだ。おいおい、ここマスキングしなくていいのかよ。パッとみただけではわからないから大丈夫?ってことなのかな。セキュリティの知識が乏しいと、数字の部分がマスキングされているから大丈夫だと、Twitterとかに個人番号カード裏面写真を投稿しちゃう輩が出てくるぞ!

知らないと危険!マイナンバーカードと一緒にもらえる「専用ケース」の落とし穴 | BUZZmag

総務省の発表した見解をぜひご賞味ください(上記の記事中にリンクされているものは注意喚起のために4日ほど先に個人情報保護委員会によって発表されたもの。内容的には次のほうがより具体的)。なかなかに味わい深い「考え方」が堪能できます(言い訳ではなく本気で言ってるのか?)。

インターネット等にマイナンバーカード裏面のQRコードを掲載することに対する注意喚起(PDF)(平成28年6月24日)

 わりと、素でびっくりセキュリティ。しかも個人番号カードって持っているからといって何ができるわけでもないのだよ。年に1回でもとることがあればいいほうの住民票とか印鑑証明がコンビニでも取得可能とか言われてもね。確かに、時間的制約や交付窓口の類が近くにないとかいう場合は便利なのかもしれないけれども、それでもそんなにしょっちゅう使うわけではない。窓口に行ったって交付手数料は100円くらい高いだけ。個人番号カードって圧倒的に持っていると便利というものではないのだ。なくてもちょっとだけ不便なことがあるかもよという程度。むしろ、セキュリティ上の不安を考えたら所持するのは割に合わない気のほうが大きい。

東京新聞:マイナンバーカード普及率12.8%止まり 来年から更新時期:政治(TOKYO Web)

 ラフは個人番号カードをIT系ガジェットとしてとらえていて、e-Taxも仕事上知っておいたほうがいい(どういうものか経験しておいたほうがいい)かなぁとか言うそういう理由で所有しているのであるが、持っているから人生が格段にスマートになったとかいうことは全くないのだ。

確定申告でe-Taxが使いにくい3つの理由。おすすめは郵送|ポチのすけ

 結局、現状の個人番号カードでは身分証明書として利用できればほぼ役目は果たしたって感じじゃないかな。総務省ががんばったって、当分は普及しないよな。さて、じゃ、身分証明としては運転免許証と個人番号カードのどちらが優れていてどちらを使うべきか(どっちが個人情報の漏洩がより少なくて被害が少なく済むか、という言い換えだと悪意があるか?)。やっぱり自分はこれからも運転免許証を使うと思うな。公安と総務省のどちらを信用するか問題という見方もできるかな。まぁ、セキュリティは厳しくしても「情報」というものは現状どっかで絶対漏れるくらいの覚悟は必要だと思うけれどもね(だからといって漏らしてもいいとか漏らしても仕方がないというわけではないよ)。便利さとのトレードオフ。

 セキュリティに詳しい方にはこのようにおっしゃる方もいますよ。

運転免許証よりマイナンバーカードおもて面を提示するほうが本人確認方法として安全 | まるおかディジタル株式会社

大人の人数は、男性X名、女性Y名で申請をお願いします。

 近頃のブログの内容がクレーマーっぽくなっている。しかも割とどうにかなる、人によってはどうでもいいことに対して文句を言っているような気がする。あぁ、こうしてラフは切れる老人っていうのになっていくのかもしれないなぁと思うこの頃だよ。(クレームをつけたいのではなく、こうなっていると便利かもしれないよっていう関係者への提案程度にとらえていただけると幸いです)

 さて、8月に帰省するために新幹線の切符の手配を、あるJR系の旅行会社のサイトでポチって来ました。そこで、ちょっと違和感を持ったのが、人数を指定するための以下の画面。(スクリーンキャプチャ掲載してしまうと、どこのサイトかわかる人にはすぐわかってしまいますよね。でも、悪意があって掲載したわけじゃないですよ、純粋に「なんでこうなっているんだろう?」って疑問に思っただけですから。このサイトそのものはスムーズに予約のできるとっても便利なサイトですよ。)

ツアー参加人数申込画面
ツアー参加人数申込画面

 赤枠で囲ったように、大人の人数を男性・女性別に入力するようになっているんですよ。性別ごとの申告って必要なのか?ましてや今回自分の場合は手配を依頼したのは新幹線の切符。新幹線に乗るのに今まで性別を問題にされたことないし、そもそも申告した覚えもない。旅券とか航空券とかなら、性別の申告と明記は、完全ではないもののセキュリティ上本人確認が可能な限り迅速にできるような工夫の一つなんだと認識しているからまぁいいよ。だって本来的には交通手段として人を輸送するっていうだけのことであれば性別は問題ないように思うもん。

 以下、システム上なんで大人の性別ごとの人数申告するようになっているのかの推測です。おそらく、このサイトは旅行会社のものであるため、自分のように新幹線の切符手配だけでなく、宿泊を伴う旅行の申し込みをする人もいるはずだから、そういう場合にも備えた汎用フォームにしてあるのだと思う。性別情報が必要になるかもしれない場合って、宿泊施設の関係や女性専用深夜バスの手配とかかな。もっとも、これらだって需要予測や本人確認くらいの意味しかない気はするんだけれどもさ。だって自己申告だし嘘もつこうと思えばつけるし。それはさておき、近頃、宿泊施設にしても手配時において厳格に性別が重要なところってあるのかな?温泉宿とか宿坊とかかな?例えばホテルや旅館に予約するときって宿泊者の性別の申告って必要だったっけ?久しく申し込みしたことないから覚えてないや。申告したところで何に使うのだろうか?男女別に部屋を用意してほしいとかいうリクエストをするのであればわかるが、家族(家族の厳密な定義はあえて触れない)とかだったらあまり関係なくない?

 本来的には旅行の手配に性別が関係ないことのほうが多いわけだから(推測です)、ましてや性別の問題がいろいろ取りざたされて面倒くさいことになっている時代でもあるわけだし、システム上性別の申告は必要なければ原則不要にしておくべきじゃないかな。それでどうしても必要な場合(海外航空券の手配とか)にのみ特別に対応しておくのが今どきのシステム設計なんじゃないかなぁとか思ったり思わなったり。ま、システム構築するのも改修するのも時間とお金は当然かかるからそんなすぐに対応できるものとも思ってないけれどもね。必要となるであろう情報はあらかじめ入力しておいてもらうというできるだけ汎用的なものを設計しておきたいという思想も(共感はできないけれども)わかるしね。

 あ、もっとも以上はラフが勝手に推測しているだけで、性別の申告が必要なずっと深遠な理由があるのかもしれません。ラフが知らないだけで実は鉄道の予約システムにおいて、不要なトラブルをあらかじめ避けるためできるだけ隣同士には異性が来ないようにすでにシステムが設計されているとかだったら、それはそれですごい気がする。おしえて!えらいひと。

計量カップを求める

 晩御飯も食べた後で、やった!!週末だ!と浮かれ気分。でも、なぜか勢い余って台所の掃除を始めてしまう。やるときはやるというわけで、水回りやコンロ近くを重曹とクエン酸できれいさっぱり掃除。ついでにキッチン用品も漬けおき洗い。気に入って使っていた貝印の計量カップも。底にスポンジが届きにくくて洗いにくい部分があって、そこを(底だけに)なんとかしようと思っていたのだ。そろそろいいかなと思って、取り出して水ですすぎ、ハンドル部分(グリップ)を持って振って水を切ろうとしたら、ハンドルを残して、カップ本体部分が吹っ飛んでいった。いや分解式のアタッチメントとかでは全然ないよ。グリップと接続していたプラスチック部分があっさり割れたのだ(手に残った感覚からすると外れたくらいの感じだったが)。しばし茫然。え、そんな風に壊れることあるの?刃物ではないけれども一応貝印だよ。気に入っていたのに。想定外の壊れ方(そこが壊れることあるの?)で急逝なされたので、Amazonでのカスタマー評価(同商品のカスタマー評価の投稿数が多かったため)をのぞいてみたら、自分と同じ壊れ方をしたという評価がちらほらと見受けられた。

Amazon.co.jp : 貝印 Cookfile 見やすい計量カップ 600ml DH-2343 : ホーム&キッチン

 この商品そのものはもう販売していなくて、今は新しいモデルが出ています。ちなみに、新モデルに関してはカスタマー評価が見当たらなかったので(なのでこの問題が改善されたのかどうかはラフには不明)、とりあえず楽天市場の新モデルへのリンクを以下に示しておきます。

【楽天市場】貝印 貝印 見やすい 計量カップ 600ml Kai House Select DH7325 | 価格比較 – 商品価格ナビ

 じゃぁ、この貝印の新モデルを買ったのかというと、買わなかった。買ったのはこっち。ちょっと高かったけれども(貝印さんのほぼ倍のお値段)、評価は高いみたいだし。

 ちなみに、上記商品リンクは楽天市場における最安値の店舗へのものではなく、この商品に対するレビュー数が一番多かったものへのリンクなので、購入を検討される方はご留意ください。

宅配便の受け取りとともに未来がうちの玄関にやってきた

 今日、宅配便の受け取りをしたんだけれども、配送会社が佐川急便さんだったんですね。受け取りの時にいそいそと印鑑持って玄関を開けたら、なんと配達のお兄さんが電子パッド(スマートフォン?)をこちらに示して、ここにサインしてくださいと。指でなぞると文字が書ける電子パッドで、そこに名前を書きましたよ。えぇ!!時代はこんなに進化しているんだ!!おもしろい!!いずれは迎えるだろうと考えていた未来が、今まさにうちの玄関に来ていたのだ。世の中のIT事情は知らぬ間にかくも日常に及んでいたんだなぁと、IT業界の片隅で仕事をしているはずのラフが驚いてしまったよ。

【佐川急便】宅配便業界初!スマートフォン…|ニュースリリース|佐川急便株式会社<SGホールディングスグループ>

 でもね、その一方で思ったこともあるのだ。印鑑であれば、ポンと1回押すだけ、時間もそうはかからない。それに対して、今回の電子パッドは特定の筆記具は要求されなかったし、指さえあればいいんだけれども(指でなくてもいいのかな?)、サインをするって行為が結構面倒くさいし、時間を取られる。しかも今日は初めてそういう対応を迫られたから、ドギマギしながら慣れない手つきでヨタヨタとヨレヨレの下手文字サインをしてしまった。

佐川急便のタッチパネルに指でサインは書きづらい~! – ミントグリーンの風に吹かれて
電子サイン – あなたはどう思う? – とくっち.com
ハッシュタグ #電子サイン

 日本の印鑑文化がIT社会推進の妨げになっているとかいう議論もあるけれども、宅配便の受け取りの時なんか、印鑑結構便利だよ。特にインクが染みこんでいるタイプの押すだけ印鑑、宅配便の受け取り時、超楽だよ。電子パッドに指サインだったら、シヤチハタ押印のほうがずっと楽じゃない?

トップページ|シヤチハタ
wikipediaの「シヤチハタ」の項

 もういっそのこと電子パッドに指をあてて指紋を電子的に記録するというのでサイン代わりにするってのどう?これなら楽だし時間的にも早くすまない?まぁ生体データを収集されることに抵抗のある人もいるかもしれないけれどもさ。

ちょっと残業したばっかりに

ちょっと残業があって、えい!!っと片付けて帰ろうとしたら、ちょうど先ごろ人身事故があったとかで地下鉄が止まっていた。帰るのが一気に面倒くさくなって、晩のS吹奏楽団の練習もさくっと欠席にした。

三井住友銀行アプリの振替機能ユーザインタフェースに不満

自分のメインバンクは「三井住友銀行」である。口座を開いた頃はまだ「さくら銀行」だったので、今使っているキャッシュカードも「さくら銀行」のもの。さて、時代はもっぱらスマホでネットバンキングですよね。ちなみにWEBのインターネットバンキングは「SMBCダイレクト」、スマホは「三井住友銀行アプリ」という名前らしい。

さて、三井住友銀行アプリ、ちょっと操作感に不満があるのだ。それは「振替」機能。え?振り込みは使うことあるけれども、振替って何?って人のほうが多いのかな。同じ銀行にある自分名義の複数の口座間の資金移動に使う機能ね。自分が使っているスマホ(iPhoneSE)の画面が小さめだから仕方がないのかもしれないんだけれども、UI(ユーザインタフェース)が微妙に使いづらいのだ。

振替で操作する手順の画面は基本的に2つ。まず最初の画面でどの口座からどの口座に資金を移動するのかを指定するんだけれども、この操作自体は出し入れの順番に口座をタップするだけなので問題はなし。ただ次の画面に行くために「振替金額入力画面へ」のボタンが、画面をスクロールして下に行かないと出てこないのだ。このボタンまでの間は何も表示されない真っ白の領域なんだよ。UIの設計において、できるだけスクロールせずに操作できるようにするって基本ではないのかい?

次の画面は移動する金額を指定する画面。この画面では、金額を入力するために入力欄をタップすると、スマホの画面の下側から数字を入力するテンキーボードがうにょって出てくるんだけれども、これが金額入力欄にかぶってしまって自分が入力している金額が見えないのだ。一応テンキーボードの「完了」ボタンを押すとキーボードが隠れて入力した数字が見えて確認できるんだけれども、入力しているところが見られないというのはなんとも心もとないというか不安なもんだよ。お金のことだけになおさらね。1万円と指定するつもりが100万円とか入力していたらどうしようとか(ないだろうけど)。ま、金額を入力し終えたあとに「振替内容確認」へのボタンもキーボードで隠れているから、結局はキーボードを閉じざるを得ないので、その時に金額の確認は絶対できるんだけれどもね。

ちなみにWEB版のSMBCダイレクトの振替画面は、口座の指定と金額の入力、そして振替実行ボタンはスクロールなしの1画面で済む。広めの画面のPC版でしか使ったことがないのでUIに不満は持ったことは今のところない(スマホのWEBで見た場合はどうなのだろうか?)。

まとめておこう。スマホの三井住友銀行アプリの振替機能のUIに関して不満があるのは次の2点だ。

  • 資金移動口座を指定した後の次の画面へのボタンが画面をスクロールしないと出てこない。
  • 移動金額を入力するとき、キーボードで金額入力欄が隠れてしまっている。

実際にどんな感じなのかスクリーンショットも貼っておこうとしたんだけれども、そうするとすこぶるクレーマーっぽくなったので止めました。このことに不満を持っている人はいないのかなぁとネットを軽く検索してみたんだけれども、めぼしい記事は出てこなかった。ラフが画面の小さめのスマホを今でも使っているからなのと、そもそも振替機能を使う人が少ないから、あまり表立って問題になっていないのかな。

ブログでは無意味ですが、とりあえずtwitterへのハッシュタグ付けときます。三井住友銀行の関係者様、ちょっと改善を検討してもらえると助かります。機能的にはなんとか使えていて単にUIの使い勝手だけの問題なので喫緊ではないんですけれども。よしなに取り計らっていただければ幸いでございます。

#三井住友銀行アプリ #使いづらい

ドレミの歌

今日は埋め込み多いよ。

Amazon Musicに「The Sound Of Music – 45th Anniversary Edition」が追加されているのを発見して、こればっかり聴いている。

このミュージカル映画がデジタルリマスターされた時には、劇場まで見に行ったよ。スクリーンで見るとものすごいスケール感だった(それまで見ていたテレビでの放映がチンケに思えた)。さて、どのナンバーも素晴らしいけれども、とりわけ有名なものを3つ挙げるとするなら「私のお気に入り」「エーデルワイス」、そして忘れてならないのはやっぱり「ドレミの歌」。主人公マリアがトラップ家の子供たちに音楽の手ほどきをする歌。

英語の歌詞は

Doe, a deer, a female deer
Ray, a drop of golden sun
Me, a name I call myself
Far, a long, long way to run
Sew, a needle pulling thread
La, a note to follow Sew
Tea, a drink with jam and bread
That will bring us back to Do

ドレミファソラシのそれぞれに近い発音の単語を当てて音の読みを教えている。「ラ」はふさわしい単語が見つからなかったためか「ソの次の音」っていうのが苦しいけれども、日本語訳歌詞(一番有名な「ドはドーナツのド」はペギー葉山の訳)の「ファはファイトのファ」だって結構苦しめな感じがラフは昔からしていたので、まぁどっこいどっこい。

ちなみにドレミファソラシという読みは基本的にはイタリア語と思っておいていいかと(クラシック音楽においては一応イタリアが一番偉いとする風潮がある)。もともとは中世の讃美歌に「聖ヨハネ賛歌」というのがあって、これがフレーズごとに一音ずつ上がっていくんだけれども、その各フレーズの歌詞(ラテン語)の単語の頭文字を並べたものが「ドレミファソラシ」だったというのが出どころ。そういう意味では、「ドレミの歌」のドレミの説明は「聖ヨハネ賛歌」由来であることに敬意を払っているようにも思える。

wikipediaの「聖ヨハネ賛歌」の項

映画における「ドレミの歌」のシーンって、オーストリア観光プロモーションビデオだよ。

wikipediaの「サウンド・オブ・ミュージック (映画)」の項

「ドレミの歌」のフラッシュモブ映像をいくつか紹介しておきます。
まずは、先駆けでありもっとも完成度が高く有名なのがこちら。

これを真似ていろんな方が「ドレミの歌」のフラッシュモブをやっている。

こちらは、小規模ながらわりと堅実。歌詞の通りのジェスチャーをしていてコミカル。

イオンはなんだか妙にあざとい……