読了:オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家(光文社古典新訳文庫)[エミール・ゾラ/国分俊宏]

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家

  • 作者:エミール・ゾラ/国分俊宏
  • 出版社:光文社
  • 発売日: 2015年06月11日頃

完全に意識はあるが肉体が動かず、周囲に死んだと思われた男の視点から綴られる「オリヴィエ・ベカイユの死」。新進気鋭の画家とその不器量な妻との奇妙な共犯関係を描いた「スルディス夫人」など、稀代のストーリーテラーとしてのゾラの才能が凝縮された5篇を収録。

オリヴィエ・ベカイユの死/ナンタス/呪われた家ーアンジュリーヌ/シャーブル氏の貝/スルディス夫人

 19世紀後半のフランス自然主義文学の代表作家であるゾラの短編集。ゾラの名前は知っているものの(世界史で「ドレフュス事件」においてドレフュスを擁護したためにイギリスへ亡命した作家として)、1つも作品を読んだことがなかった。フランス自然主義の長編作品はしんどいイメージがあるので(スタンダールの「赤と黒」の影響か?)、短編集なら読めそうだと手に取った次第。

wikipediaの「エミール・ゾラ」の項
wikipediaの「ドレフュス事件」の項

 ゾラは出版社に勤めていたからか批評の仕事も多く、また「食べるために書かなければならない」という若いころの境遇から、自然主義作家に向かったのは当然ともいえる。とりわけ庶民の描き方のリアリティに鬼気迫るものがある。自伝的要素も絡めて描かれた猥雑でありながらも生き生きとした庶民の欲望と生活臭が伝わってくる5作品。どの作品もちゃらちゃらしたハッピーエンドでも陰惨なバッドエンドでもないけれども、確かに人間が生きるってことはこういうことだよと痛感させられるものばかり(あり得ない設定はあっても、さもありなんと思わせる)。

 一番面白かった作品は、エロティックでコミカルな内容でありながら文学作品としての品位を落とさない表現にあふれた「シャーブル氏の貝」。よくある下ネタ笑い話が題材で、オチまでわかっているのに、これをこんな小洒落た作品にまとめあげてしまう力量に感嘆。

 でも本書でラフ的に一番面白かったのは訳者による「解説」だった。ゴメン。

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家(光文社古典新訳文庫)[エミール・ゾラ/国分俊宏]
オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家~ゾラ傑作短篇集~(オリヴィエ・ベカイユの死~呪われた家~ゾラ傑作短篇集~)[ゾラ]【電子書籍】

読了:THEデブ脳[工藤孝文]

THEデブ脳

THEデブ脳

  • 作者:工藤孝文
  • 出版社:エイ出版社
  • 発売日: 2019年09月

第1章 痩せられない原因は脳にあった!デブ脳/第2章 食事内容で培ったデブ脳を治す(脂っこいものをよく食べる/濃い味を好む ほか)/第3章 食べ方で培ったデブ脳を治す(間食が多い/嫌なことがあるとヤケ食いしてしまう ほか)/第4章 生活習慣で培ったデブ脳を治す(運動しない/年をとって代謝が落ちた ほか)

ふふふ、もともと運動しないのに加えて在宅勤務の影響もあって、食っちゃ寝生活で、人生で今最重量のラフですよ。

痩せられない原因を脳の仕組みから解説しながらステップアップ方式でダイエットを試みる本。「痩せられないのは、意志が弱いから」を真っ向否定し、きつい食事制限や運動は要求されない。まずはこれをやってみよう、しばらく続けて効果があれば次のステップへ、効果がなければこういうことも試してみて、という感じで進んでいく。ちなみにやってみようと提案されるのは「1日1杯、出汁を飲む」と「朝食にバナナヨーグルトを食べる」とか。内容が薄く身近で具体的な内容なのでサクサク読める。まさに「これならできそう」と読者に思わせる著者の狙い通りか。

脳内ホルモンの具体名とか機能の話とか出てくるけれども、別にそれほど大事じゃなくて知らなくてもわからなくてもまったく問題なし。大事なのは提案されたちょっとした行動を実際にやってみようということで、それの根拠として脳科学からアプローチしてますよというだけなので(だから文献とかも一切示されない)。

THEデブ脳[工藤孝文]
THE デブ脳(エイムックシリーズ)[工藤孝文]【電子書籍】

読了:21 Lessons[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

21 Lessons

21 Lessons

  • 作者:ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之
  • 出版社:河出書房新社
  • 発売日: 2019年11月20日頃

『サピエンス全史』で人類の「過去」を、『ホモ・デウス』で人類の「未来」を描き、世界中の読者に衝撃をあたえたユヴァル・ノア・ハラリ。本書『21 Lessons』では、ついに人類の「現在」に焦点をあてるー。テクノロジーや政治をめぐる難題から、この世界における真実、そして人生の意味まで、われわれが直面している21の重要テーマを取り上げ、正解の見えない今の時代に、どのように思考し行動すべきかを問う。いまや全世界からその発言が注目されている、新たなる知の巨人は、ひとりのサピエンスとして何を考え、何を訴えるのか。すべての現代人必読の21章。

1 テクノロジー面の難題/・幻滅ー先送りにされた「歴史の終わり」/・雇用ーあなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない/・自由ービッグデータがあなたを見守っている/・平等ーデータを制する者が未来を制する/2 政治面の難題/・コミュニティー人間には身体がある/・文明ー世界にはたった一つの文明しかない/・宗教ー今や神は国家に仕える/・移民ー文化にも良し悪しがあるかもしれない/3 絶望と希望/・テローパニックを起こすな/・戦争ー人間の愚かさをけっして過小評価してはならない/・謙虚さーあなたは世界の中心ではない/・神ー神の名をみだりに唱えてはならない/・世俗主義ー自らの陰の面を認めよ/4 真実/・無知ーあなたは自分で思っているほど多くを知らない/・正義ー私たちの正義感は時代後れかもしれない/・ポスト・トゥルースーいつまでも消えないフェイクニュースもある/・SFー未来は映画で目にするものとは違う/5 レジリエンス/・教育ー変化だけが唯一不変/・意味ー人生は物語ではない/・瞑想ーひたすら観察せよ

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」に続く3作目は、現在の世界に焦点を当てて人類というものを考える。ユヴァル・ノア・ハラリは基本的には歴史哲学者であって生物学者ではないってところは常に押さえておかなければならない点。

「サピエンス全史」の中心テーマは、今日の人類の成功は、実体のない概念(会社とか経済とか政府とか)を共有する能力によって成しえたということで、そこに至った歴史を進化生物学的視点を交えながら語ることであった。(読後感想は以下)

読了:サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]

2作目の「ホモ・デウス」では、人類にとってのこれまでの大問題であった「飢饉」「疫病」「戦争」は対処出来うる問題となった21世紀において、今後人類ホモ・サピエンスは何を追求してどういう方向に進んでいくのか?ということを考察する。生命工学(脳科学と進化生物学)と情報工学という2本の柱、あるいはその融合(AI)がけん引していき、「ホモ・デウス」という新たな存在(もはや生命の定義にはあてはまらない電脳空間上の信号)になるのかもしれない。でもそれでいいの?と問いかけてきた。(読後感想は以下)

読了:ホモ・デウス 上・下[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

さて、今作は前2作よりずっとわかりやすい。なぜなら今私たちが生きている「現在」の問題を扱っているからだ。21の側面から現在の世界を眺めるというよりかは、「現在のホモ・サピエンス」を中心においてその周りを21の切り口から順に問題点を解き明かしていく感じ。1つのテーマは次のテーマへとつながっていき、ぐるっと回って元に戻ってきたところで、これまで語られることなかった著者がこの考えに至った方法論的なものにまで言及する。

人類の成功を支えてきたものは実態のない概念を共有する能力ではあるが、この実体のない概念を指して著者は「物語」という言葉を与えている。「経済」や「政府」、「宗教」だけでなく「資本主義」や「自由主義」でさえ創造の産物であり「物語」なのである。そして現在の世界の問題はこの「物語」から脱することができないことから引き起こされている。著者自身がユダヤ人であるが、ユダヤ教の「物語」に対しても容赦がない。なぜ「物語」が問題になるのか?どこが問題なのか?「物語」を脱する意味はどこにあるのか?そこを具体的な例を提示して解説していくのでわかりやすい。サピエンスがもっとも苦手なのは苦痛であり、サピエンスはそれを避ける・そこから逃れるために「物語」を必要としてきたのだ。しかしそれは本質的な解決になっていない。また「物語」=「世界観」を共有していない者同士はうまくいかない。実際の問題は単純ではないのでジレンマに陥るのは当然で、「物語」に逃げずに考えなければならない。そのためにもサピエンスは「物語」から離脱し自身の身体が何を感じているのかを判断の根拠にすることが重要なのだそうだ(ちょっと読みが浅くてすまん)。

「世俗主義」と「意味」の章がとりわけ面白かった。ラフ的には超マイルドなリチャード・ドーキンス(「利己的な遺伝子」を提唱した進化生物学者で過激な反宗教主張で有名)かと思ったよ。

wikipediaの「リチャード・ドーキンス」の項

ほとんどのSF映画が本当に語っているのは、とても古い物語で、それは物質に対する心の勝利だ。

あなたは、女性が恋人にダイヤモンドの指輪を持ってくるように頼むのはなぜだと思っているだろうか? その恋人は、いったんそれほど大きな金銭的犠牲を払ったら、それが価値ある目的のためだったと自分に確信させざるをえないからだ。

最近、ファシズムの正確な意味について、かなりの混乱が生じている。人は、気にくわない相手ならほとんど誰でも「ファシスト」呼ばわりする。

国家崇拝はきわめて魅力的で、それは、多くの難しいジレンマを単純化してくれるからだけではなく、人々に、自分はこの世で最も重要で最も美しいもの、すなわち祖国に所属していると考えさせるからでもある。

人は、どこかに永遠の本質があり、それを見つけてそれとつながれさえすれば、完全に満足できると信じている。この永遠の本質は、神と呼ばれることもあれば、国家と呼ばれることもあり、魂、正真正銘の自己、真の愛と呼ばれることもある。そして、人はそれに執着すればするほど、失望し、惨めになる。それを見つけられないからだ。

21 Lessons[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

読了:ラッシュライフ(新潮文庫 新潮文庫)[伊坂 幸太郎]

ラッシュライフ

ラッシュライフ

  • 作者:伊坂 幸太郎
  • 出版社:新潮社
  • 発売日: 2005年05月

泥棒を生業とする男は新たなカモを物色する。父に自殺された青年は神に憧れる。女性カウンセラーは不倫相手との再婚を企む。職を失い家族に見捨てられた男は野良犬を拾う。幕間には歩くバラバラ死体登場ー。並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。不思議な人物、機知に富む会話、先の読めない展開。巧緻な騙し絵のごとき現代の寓話の幕が、今あがる。

 エンターテイメント小説としては今は池井戸潤のほうが人気あるのかな。でも、ラフはビジネスエンターテイメント小説にはどうも食指が動かない。読めばきっと面白いんだろうけれども。また百田尚樹のビジネス英雄譚みたいな伝記っぽいものもあまり好まない。そうなのだ、ビジネスというものに根本的に興味がないのだ。

 なので、若干ファンタジー色が強いものの一般の市井人が主役で日常を苦悩しながらも生きていく、そしてちょっとした事件に巻き込まれて奇想天外な展開をしていくが、人生を生きることに絶望しない伊坂幸太郎の小説は好きなのだ。伊坂幸太郎が仙台在住なので仙台を舞台にした作品も多く、本作も主に仙台市街で話が展開される(仙台駅や市街の通り名やアーケードのある商店街の位置関係などを知っていると面白く読めるかも。ドラマなんかでこのシーンは東京のあそこだ!とかわかるとうれしいみたいな感じ?)。

 並走する4つの物語と書いてあるけれども、ちょっと弱めのもう1つのグループがあって全体で5つの話が並行して進んでいく。駅前に新たにオープンしたカフェや、展望台のある駅前ビルで開催されているエッシャー展、駅近くで道行く人に好きな日本語の調査をしている外国人などどの話にも出てくるガジェットがあって、それぞれの話が並行して進行していることを示唆する。正直言うと常識的にはあり得ない設定もちらほら出てくるけれども、そこは伊坂幸太郎の絶妙なファンタジー描写で「まぁそういうことでいいか」と流せる。とりわけ、軽妙洒脱でさりげない教養溢れる会話は伊坂幸太郎ならではで楽しめる。そして各話で出てくるエピソードや小道具がそれぞれほかのエピソードにも登場してきたりすることで、だんだんと話が整理集約されていく。それぞれのエピソードは独立しているけれども完全に別個ではない。しかも読者がちりばめられた仕掛けをパズルのように組み立てていく過程でわかってくるのは、各エピソードが実は同じ時刻に同時進行しているのではなかったということ。各グループの出来事は日が一日ずつずれていたのだ。

「人生がリレーだったらいいと思わないかい?」
「リレー?」
「私の好きだった絵にそういうものがあってね。『つなぐ』という題名だった。それを観て思ったんだ。一生のうち一日だけが自分の担当で、その日は自分が主役になる。そうして翌日には、別の人間が主役を務める。そうだったら愉快だな、と」
「そうだとしたら、お前の出番はいつだよ」
 佐々岡はあまり考えなかった。「昨日だよ。君と久しぶりに会えて楽しかった。昨日は私が、私たちが主役だった」
「子供じみた考えだな」
「昨日は私たちが主役で、今日は私の妻が主役。その次は別の人間が主役。そんなふうに繋がっていけば面白いと思わないか。リレーのように繋がっていけば面白いと思わないか。リレーのように続いていけばいいと思わないか? 人生は一瞬だが、永遠に続く」
「人の一日なんてどれも似たり寄ったりだよ。俺たちの昨日も、おまえのカミさんの今日も、別の人間の明日だって、重ねて一度に眺めてみればどれも一緒に見えるさ」
「そんなことはない」と佐々岡は笑った。

 そうか、この物語の仕掛けはこれだったんだね(ネタばれゴメン)というわけ。これは市井の人への人生賛歌だな(登場人物はことごとくとんでもないことに巻き込まれたりやっていたりするけれども)。こういうところが伊坂幸太郎のエンターテイメントの気持ちいいところなんだよね。

「私には賭けるものなんてない」
「もし金庫があったら、俺のアドバイスを聞けよ」
「アドバイス?」
「泥棒なんていう孤独な仕事を続けているとな、誰も自分の言うことを聞いてくれない事実に愕然とするんだ。人は誰かに忠告されたい。同時に誰かにアドバイスしたいと思っている。そういうものだ」
「そういうものかい?」
「誰だって人生のアマチュアだからな。他人に無責任なアドバイスをしてだ、ちょっとは先輩面したいんだ」

ラッシュライフ(新潮文庫 新潮文庫)[伊坂 幸太郎]
ラッシュライフ[伊坂幸太郎]【電子書籍】

読了:ロング・ロング・アゴー(新潮文庫)[重松清]

ロング・ロング・アゴー

ロング・ロング・アゴー

  • 作者:重松清
  • 出版社:新潮社
  • 発売日: 2012年07月

最後まで誇り高かったクラスの女王さま。親戚中の嫌われ者のおじさん。不運つづきでも笑顔だった幼なじみ。おとなになって思いだす初恋の相手。そして、子どもの頃のイタい自分。あの頃から時は流れ、私たちはこんなにも遠く離れてしまった。でも、信じている。いつかまた、もう一度会えるよねー。「こんなはずじゃなかった人生」に訪れた、小さな奇跡を描く六つの物語。

いいものあげる/ホラ吹きおじさん/永遠/チャーリー/人生はブラの上を/再会

子どもの頃の回想を中心として、大人になった今それを思い起こしてみるとというテーマの短編集。1話目と6話目はペアで過去と現在。子どもだって無邪気なだけでは生きているわけではなくって、思い出してみるとそこはなんだかほろ苦い。そして大人になって状況や考え方が変わっていい思い出として解決したかというとそういうわけではなく、子ども時代の連続の先に今の大人の自分はやっぱり成り立っているのだ。でもそれが人生だし生きていくうえでの深みになっているのかもしれない。

若干感傷的でなんだか湿っぽい話が多いが、基本的にはいい話系でまとめようとしてある。読後にはちょっとアッパラパーな痛快エンターテイメントを欲してしまう(個人の感想です)。

ロング・ロング・アゴー(新潮文庫)[重松清]
ロング・ロング・アゴー(新潮文庫)[重松清]【電子書籍】

読了:なんで僕に聞くんだろう。[幡野広志]

なんで僕に聞くんだろう。

なんで僕に聞くんだろう。

  • 作者:幡野広志
  • 出版社:幻冬舎
  • 発売日: 2020年02月

ガンになった写真家になぜかみんな、人生相談をした。恋の悩み、病気の悩み、人生の悩み。どんな悩みを抱える人でも、きっと背中を押してもらえる。webメディア・cakes史上最も読まれた連載の書籍化!!37コラムを選び、加筆修正。

「先の長くない友人のためにも、子供を産みたい」のウソ/批判と批難はまったく違う。批難の底にあるもの/コミュニケーション能力とはなにか/ファイティングポーズをとらないで勝ち得る恋愛など、ない/夢や目標を叶えられなかった人ほど「おまえには無理だ」という/ジャイアンが嫌い、ジャイアンのお母さんはもっと嫌い/「周囲の理解が必要」でも、すべて耐えなきゃいけないわけじゃない/ガン患者になんと声をかければいいか?/それは娘さんが非行にはしったのではなく、あなたの非行です/人が生きる理由〔ほか〕

著者は1983年生まれだから今37歳かな。34歳の時に多発性骨髄腫で余命3年の宣告を受けた写真家・狩猟家。ガンであることを公表するとSNSで悩み相談をしてくる人が現れ、読者相談人気コラム連載を持つようになり、それを書籍化したものが本書。いわゆる人生相談本。この著者のすごいところは、書きっぷりに悲壮感が全くないということ。そして嫌味のないユーモアにもあふれていること。そして言いたいことを言うんだけれども、説教臭さや道徳的な考えや世間体からの指摘は一切しない(むしろ「そんなの自分はする気はないし、相手も僕に相談するくらいだから望んでいないだろう」という感じ)。

著者の返答の基準はわりとしっかりとして揺らぎがない。人生における優先順位がはっきりとしている。まず自分、そして自分の息子(2歳。何よりも今後の世界を自分または妻よりも長く生きていくのだ)と愛する妻。自分や妻の親族に対しても、こういうことをしてくる彼らは自分の人生には不要で余計なおせっかいなので嫌いとはっきり書いている。

ぼくが守るべきものは彼の人生ではなく、ぼくの人生です。

だから相談者の相談内容もきっちりと読み込んだうえで、そこに偽善のにおいをかぎ取ればちゃんと指摘する。あなた(相談者)が優先すべきことは他人の思いではないと。そしてまた、自分の都合の良い解釈をしてしまっていることに気づいていないのであればそのこともきっちりと指摘する。そもそもが、相談者の悩みのほとんどは人間関係。人間関係であれば、身近な人に相談して自分で対処するしかないように思うが、人というのはそういうしがらみを知らないだろう人に相談しがちなのだ(知らないからこそ慰めてもらえると思っているような相談だってあるくらいだが、そういうところも著者は相談文面から読み取ってその甘さをきちんと指摘する)。そういうわけで「なんで僕に聞くんだろう。」なのだ。

「なんで僕に聞くんだろう。」というタイトルどおり、ぼくはいつもこの疑問の壁にぶつかっている。相談がくることに不満があるわけじゃない、人間関係がすでに構築された身近な人が親身になって相談にのってあげたほうが、ぼくよりも適任だと考えているからだ。

著者は自分が特別にできた人間だとはまったく思っていないが、相談されたからには(他人からであろうが)、息子から将来同じようなことを問われたとしたら、どう答えるだろうかという基準で返信している。どんな辛辣なことを書いても、そこにはやはり愛がある。これがこの人生相談が大人気になっている理由なのであろう。

幡野広志|note

なんで僕に聞くんだろう。[幡野広志]
なんで僕に聞くんだろう。[幡野広志]【電子書籍】

読了:大人のおむすび学習帳[たにりり/ツキシロクミ]

大人のおむすび学習帳

大人のおむすび学習帳

  • 作者:たにりり/ツキシロクミ
  • 出版社:キクロス出版
  • 発売日: 2019年09月

“自分にあうお米をさがせ!”“おむすびは手加減、ゆる加減”“適当に選んで最高になる具材”“ほめられる盛り付けの極意”-毎日が幸せになる30のコツ。

第1章 自分にあうお米をさがせ!(お米は「野菜」です / おいしいお米ってなに? ほか)/第2章 おむすびは手加減、ゆる加減(ご飯を正しく炊いてる? / これで完璧!ご飯のおいしい炊き方 ほか)/第3章 適当に選んで最高になる具材(おむすびは口中調味フード / 基本は引き算 ほか)/第4章 ほめられる盛り付けの極意(盛り付けは脳が決める / おむすび弁当の“新ルール” ほか)/第5章 「おいしい」という魔法の言葉(炭水化物は本当に敵なのか? / おむすびは太るってホント? ほか)

「生まれながらにして料理の上手下手の別なし。ただおむすびを学ぶか学ばないか、だ」

かわいいイラスト猫が語り部のおむすび雑学本(「食」とは何かを「おむすび」を通して見直そうという食育啓発本とも言える)。一応ストーリーらしきものがある。米屋のゆきちじいさんが、亡くなるシーンからはじまるのだが、ゆきちじいさんは「おむすびのすすめ」という自著(というかメモノート?)を飼い猫のシロに託す。シロはこの本を猫仲間の集会に持っていき、みんなで読んでいくという設定。おむすびにはどんなお米がいいのか、米の炊き方、どんな具がいいのか、盛り付けは?おむすびはダイエットに向いているのか?といった雑学的話題が猫イラストとともに紹介されていく。レシピ本ではないので、写真は盛り付けのところとかごく少数で、おむすび自体も大方イラスト。「おむすび」を通して学んだことをほかの料理にも応用してみようという漫画も挿入されている(「フレンチトースト」「まぐろの漬け丼」「ステーキ」「カレーライス」)。結論は「楽しいはおいしい、おいしいは幸せ」。そうか、おむすび作ってみるかな。

この本を読んで、おむすびを作ろうという気分になってくれたら、とても嬉しいです。でもあなたがお料理をしてもしなくても、ほんとうはたいして重要じゃない。大切なのは、毎日の食を楽しむこと。この本とおむすびがいくらかでも役に立つといいなと思っています。あなたの明日が今日よりすこし楽しくなりますように。

大人のおむすび学習帳[たにりり/ツキシロクミ]

読了:おむすびでやせる本[小澤 幸治]

おむすびでやせる本

おむすびでやせる本

  • 作者:小澤 幸治
  • 出版社:自由国民社
  • 発売日: 2016年11月25日

やっぱりご飯が好き!なあなたにーおむすびは最高のダイエット食です。女子ボクシング世界チャンピオンを育成した減量のプロが、21日間お米を食べてやせる方法をやさしく教えます。

第1章 やせたいなら米を食べよう(あなたを待ちかまえる糖質ダイエットの「落とし穴」/ダイエットの大原則はやっぱりカロリー理論! ほか)/第2章 おむすびはダイエット食(日本人の理想的な栄養バランスをご存じですか?/なぜ「米」がベストなのか? ほか)/第3章 「21日間プログラム」おむすびダイエット(医師もアスリートも実践する21日間生活改善プログラム「おむすびダイエット」/RULE1 女性は1500キロカロリー男性は1800キロカロリー ほか)/第4章 6つの簡単エクササイズ(あわせてやりたい!日常生活でできるエクササイズ/パンチを打たなくてもボクサー体型!5秒で効く内またひねり運動 ほか)

いわゆるダイエット本。世間の例にもれず籠り太りで身体が重いったらありゃしない。なんとかしたい、でも運動はしたくないし、つらい摂食制限とかしんどいのは嫌。というわけでふと目についた本書を手に取ってみた。元プロボクサー、現在はボクシングやジムのトレーナーをしている著者による、日本人に合った健康的でストレスをためないダイエット方法の実践方法。

流行りの低炭水化物、糖質制限ダイエットは確かに痩せるかもしれないけれども、効果は一時的になりがちで、肉体的精神的な面ではほぼ苦行であることから述べはじめる。食べてはいけないとか、おいしくないものを食べ続けるとか、食べる順序に気をつけるといった面倒な約束のあるダイエット方法は、苦行が好きな人にしか勧められない。空腹のつらさは元プロボクサーだけにストレスが強烈なことが実感として伝わってくる。

というわけで、面倒な手順や理論ではなく、原点に立ち返ったカロリー計算のみによるダイエット方法だ。要するに摂取カロリーを消費カロリーより抑えればいい。日本人にとって炊き立ての白米というのは特別な満足感を得ることのできる優れた食材なので、これを食べやすく個数で管理しやすいおむすびという形でうまくいかすのだ。方法は簡単。まずBMI値から1日のだいたいの消費カロリーを求める。それの9割を上限摂取カロリーとする。そしてその摂取カロリーのうち8割をおむすびにして、残りの2割は何を食べてもOK。例えば、身長172cm体重80kgのサラリーマン男性なら、1755キロカロリーが上限摂取カロリー。このうち1404キロカロリー分をおむすびで摂取(だいたいおむすび7個分)。残り351キロカロリーは、好きな食べ物で摂取。ビールを1本飲むときは、おにぎりの個数を1個減らすとかの調整も簡単。また急激な血糖値の上下を防ぐために、一日3食ではなく、一日4回以上に分けておにぎりを食べるのがおすすめと。砂糖入りのコーヒーや紅茶もOKとは。あとは、軽い運動(最後のほうにおまけのようにいくつかエクササイズが紹介されている)や、心配ならサプリで補うなどしてもいい(その場合もどういうサプリがいいかも提案されている)。それをとりあえず21日間続ける。そうすると食習慣や体質なども変わって、リバウンドすることもなく健康的な生活をその後も続けていけるよと。このダイエット法を知ったら「なるほど、今度やってみよう」ではなく、いまこの瞬間に「やろう」と決断してくださいと締めくくられる。

サクサク読めて、これなら自分でもできそうとか思っちゃうね(こんなこと言っている時点で「なるほど、今度やってみよう」組)。

おむすびでやせる本[小澤 幸治]

読了:Javaによる関数型プログラミング[ヴェンカット・サブラマニアム/プログラミングシステム社]

Javaによる関数型プログラミング

Javaによる関数型プログラミング

  • 作者:ヴェンカット・サブラマニアム/プログラミングシステム社
  • 出版社:オライリー・ジャパン
  • 発売日: 2014年10月

Java 8新機能のラムダ式や、Stream APIの特徴を、コンパクトに解説!考え方、API、設計、そして遅延評価や再帰を詳述。

1章 Hello、ラムダ式!/2章 コレクションの使用/3章 文字列、コンパレータ、フィルタ/4章 ラムダ式で設計する/5章 外部リソースを扱う/6章 「遅延させる」ということ/7章 再帰の最適化/8章 ラムダ式で合成/9章 すべてをまとめて/付録

あんまり仕事関係の本は記録に残していないんだけれども。プログラミング言語としてJavaを使う開発現場から遠ざかってかなりたつ(たまにちょい使い程度はあったけど)。ちょっと自分の中の情報をアップデートしておかなければならないと思って、Javaの勉強を。現場から離れる直前にリリースされたのがJava5だった。そこから今やJava13だって?すっかり置いていかれちまっているぜ。この間でもっとも変わったのはJava8なんだろうな。Java8で導入されたラムダ式を見て、そうかJavaも関数型を使えるようになっていたのかとは思ったものの、「なんとなくこんなもんか」程度ですませていた。ところが、どうやらラムダ式はStreamと一緒に使うとステキなことが多いらしくて、それなのに自分にはこのStreamというものがいったい何者なのかが全く分からない。コードを見ても何をするものなのかが今一つよくわからない。というわけで、そのものずばりが副題に付いている分かりやすそうな本を見つけたので読んでみた。

本自体は薄いんだけれども、実際にどれだけ強力な武器をJavaは手に入れていたのかがよくわかった。ある課題をこれまでの(Java7までの)手続き型で組むとこうなるよねというコードがまず示される(自分もこう実装するはずだ)。で、そこからラムダ式とStreamを使ってリファクタリングをしていく過程をコードとともに示していく。おぉ、なるほど、活用できればシンプルでエレガントに表現できるかも。確かにこれはJavaに対する世界観が変わるな。何年も前から世の中そんなことになっていたとは……(この本が2014年だもんね)。

Javaによる関数型プログラミング[ヴェンカット・サブラマニアム/プログラミングシステム社]

読了:専門知は、もういらないのか[トム・ニコルズ/高里ひろ]

専門知は、もういらないのか

専門知は、もういらないのか

  • 作者:トム・ニコルズ/高里ひろ
  • 出版社:みすず書房
  • 発売日: 2019年07月11日

もはや健全な懐疑心ではない、ゆがんだ反知性主義である。民主主義には正しい情報に基づく熟議が欠かせない。その礎を支えるのは各分野の専門家が蓄積してきた専門知だ。ところが今、専門知が蔑ろにされてフェイクがまかり通り、好みの情報だけを取り入れてその正誤を顧みない、という風潮が高まっている。何が起きているのか、これを放置するとどうなるのか。大反響を呼んだブログ発、専門家からの愛ある反撃。

序論/第1章 専門家と市民/第2章 なぜ会話は、こんなに疲れるようになったのか/第3章 高等教育ーお客さまは神さま/第4章 ちょっとググってみますねー無制限の情報が我々を愚かにする/第5章 「新しい」ニュージャーナリズム、はびこる/第6章 専門家が間違うとき/結論ー専門家と民主主義

アメリカにおいて専門知が重要視されなくなったのはいつからか、それはまたなぜなのか?専門知の役割とは?それらを専門知を担う専門家の立場から解説する。非常にわかりやすく読みやすい。注目すべき興味深い例や調査が取り上げられ、また端的でわかりやすく核心に迫る表現も多く、久々に気になった箇所に引いている下線だらけの読後状態になってしまっていた。ただし専門知を担う側からの論なので、著者の書きっぷりは読み手によっては不遜傲慢に感じる部分もあるかもしれない。

平均的アメリカ人の基本的な知識のレベルはあまりにも低下し、「知識が足りない」の床を突きやぶり、「誤った知識をもつ」を通り越して、さらに下の「積極的に間違っている」まで落ちている。

この手の話となるとお約束なのだが、やはりダニング=クルーガー効果の話から入っていく(wikipediaの「ダニング=クルーガー効果」の項)。ヒトは自分が何でも知っていると簡単に思い込んでしまう。ましてや今日インターネットでググれば知りたい情報はすぐ答え(らしきもの)が得られる。しかしそれは本当に正しく適した情報なのか?実際には、ヒトは情報と思われるもののなかから、自分の考えに合わないものは無視して(意図的であったり無意識であったり)、自分の考えや主張に適合するものだけを情報として取り込んでしまう。そして、その偏った知識でもって「そのことに関して私は知っている」と主張する。

またメディアはうそをついている、メディアは信用ならないという。自分がインターネットで調べて得た情報(もちろん自分の考えに合わないものは情報ではないとされている)が正しい、それ以外を主張しているメディアは信用できないと。つまり実際は「人々は本当にメディアを嫌っているわけではない。自分の気に入らないニュースを報じたり、自分とは異なる意見を発したりするメディアを嫌っているだけだ」。

忘れないでほしい。ニュースを視聴して理解するのは、練習することによって上達するスキルのひとつだということを。ニュースの賢い消費者になるためのいちばんの方法は、定期的にニュースを消費することだ。

それでは専門家と呼ばれる人々は何者なのか?

専門家は政策立案者ではないということを知っておくべきだ。専門家は国家の指導者に助言し、その言葉は一般の人々の言葉より大きな影響力をもつが、専門家が最終決定をすることはない。

専門家に約束できるのは、そうした間違いを減らすルールや手順を設けて、一般の人々がする場合よりも大幅に間違いを減らすということだけだ。

専門家の目的は説明することで、予測することではない。ところが専門家自身が簡単に予測(予想)することに飛びついてしまう。そして専門家の予測が外れるたびに、「専門知は役に立たない」と判断されてしまう一因になってしまっている。著者の専門はUSSR(旧ソ連)だが、ソ連が崩壊するとはだれも予測できなかった。専門家としては痛い失敗ではあるが、だからといって専門知が役に立たないというわけではない。

最後の「結論-専門家と民主主義」が著者の考える専門知の役割を端的にとらえている。
まず専門家が民主主義において果たさなければならない役割と責任について。

専門家がしなければならないのは、自分の助言の責任を認め、同業者どうしでも責任を課し合うことだ。いくつかの理由――学位の過剰供給、世間の関心の欠如、情報化時代の知識の生産についていく能力不足など――から、専門家たちはこれまで、社会がその特権的な立場に求める誠実さでその義務を果たしてこなかった。もっとがんばるべきだ。たとえその努力が、たいていは気づかれずに終わるとしても。

専門家にできるのは選択肢を提示することだ。価値判断を行うことはできない。専門家は問題を説明することはできるが、人々にその問題をどのように解決するべきかを指示することはできない。たとえその問題の性質上、幅広く合意が存在していたとしてもだめだ。

では、それを踏まえての有権者の役割は?

専門家は、どうなるかという可能性を提示することはできるが、その問題に関わり、自分たちが優先させるものを明確にして何をなすべきかを決めるのは、有権者の仕事だ。(引用者補足:地球温暖化によって)ボストンが海に沈むのはわたしの希望する結果ではないが、人々が専門家の助言を無視してその結果を招くのなら、それは専門知の失敗ではない。むしろ市民の関与の失敗だ。

両者(専門家と有権者)の信頼の上に民主主義が築かれる。

トランプの専門家に対する嘲笑は、昔からアメリカ人が抱いている、専門家や知識人は一般の人々の生活に口を出し、しかもそれがひどく下手くそだという確信に上手く働きかけた。(中略)しかし最終的にトランプが当選したことは、もっとも最近の――もっとも高らかに響く――トランペットの音であることは間違いなく、それは迫り来る専門知の死の先触れだ。

専門家と市民の関係は、民主主義国家のほとんどすべての関係と同様に、信頼という土台の上に築かれている。信頼が崩壊すれば、専門家と一般の人々の対立が生じる。そして民主主義自体が死のスパイラルに突入し、たちまち衆愚政治か、エリート支配によるテクノクラシーに陥りかねない。いずれも権威主義的な結末であり、現在のアメリカにはその両方の影が忍びよっている。

一般の人々は忘れがちだが、共和政体は、(中略)本来、知識をもつ選挙民――ここでのキーワードは「知識をもつ」だ――が、自分たちの代表者を選び、その人間が選んだ人々に代わって意思決定をする手段だった。

専門家は常に、おのれは民主主義社会と共和政府の主人ではなく僕であるということを肝に銘じておかなければならない。一方、主人となるべき市民は、みずから学ぶのはもちろんのこと、自分の国の運営に関わりつづける公徳心のようなものを身につける必要がある。一般の人々は専門家なしでやっていくことはできない。この現実をわだかまりなく受け入れるべきだ。同時に専門家たちも、自分たちにとっては自明の理に思えるような助言でも、彼らと同じものに価値を認めない民主主義においては、かならずしも受け入れられるわけではないことを納得しておく必要がある。さもなければ、民主主義とは、根拠のない意見に対して労せずして得る敬意を際限なく要求する制度として理解されるようになり、民主主義および共和政府それ自体の終焉を含めて、何が起きてもおかしくない。

引用ばかりになってしまった。全体を通して内容的には「あぁ確かにそうだよな」ってことばかりでセンセーショナルなことはないのだが、その書きっぷりが刺激的で痛快な本ではあった。

最後に、主要ではないが納得してしまった箇所をおまけで引用しておく。

リベラルアーツをけなす人々は、実際には、大学を職業訓練校にしろと主張していることが多い。

検索ウインドウに言葉を打ち込むことはリサーチではない。

たとえば、一人の科学者が遺伝子組み換え生物(GMO)は安全だと言い、一人の活動家が危険だというトークショーは、一見「バランスがとれている」ように見える。しかし現実には、それは馬鹿馬鹿しいほど偏っている。なぜなら科学者の一〇人に九人はGMOを食べても安全だと考えているからだ。

専門知は、もういらないのか[トム・ニコルズ/高里ひろ]
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