読了:きみと暮らせば(徳間文庫)[八木沢里志]

きみと暮らせば

きみと暮らせば

  • 作者:八木沢里志
  • 出版社:徳間書店
  • 発売日: 2015年12月03日頃

十年前、陽一の母とユカリの父が結婚し、二人は兄妹になったが、五年前に両親は他界。中三のユカリは義母のレシピ帳を参考に料理し、陽一は仕事で生活費を稼ぎ、支えあいながらの二人暮らし。ある日、庭先に猫が現れる。二人は猫を飼い主らしき人へ届けに行くのだがー。のんびり屋の兄と、しっかり者の妹が織りなす、陽の光差すような、猫もまどろむほのぼのあったかストーリー。

親同士の再婚で兄妹になった陽一とユカリ。5年前にその両親を事故で亡くしてからは兄妹の二人暮らし。26歳の兄と中3で受験生の妹、そして新しく家族となったネコの種田さん。何気ない一年間の暮しぶりをのほほんと描く。のんびり屋の兄は兄なりに妹を引き取ったことの責任に悩み、妹は実の母親と会ったりもするが、最終的には今の何気ない日常を2人で続けていく幸せを選ぶ。いつかは別々の生活をしていくことにはなるだろうその日まで……

悪くはないが、とりとめのない平和な日常の連続で、個人的にはちょっと退屈。もうちょっと刺激が欲しかった。とりたてて大事件が起こるわけではない、のほほんとした読み物を求めている時にはちょうどいいかも。

きみと暮らば(徳間文庫)[八木沢里志]
きみと暮らせば(きみと暮らせば)[八木沢里志]【電子書籍】

読了:ボーイミーツガールの極端なもの[山崎ナオコーラ/小田康平]

ボーイミーツガールの極端なもの

ボーイミーツガールの極端なもの

  • 作者:山崎ナオコーラ/小田康平
  • 出版社:イースト・プレス
  • 発売日: 2015年04月

“恋愛は苦手だけど、恋愛小説は好き”なあなたに贈る、心に柔らかい刺を残す連作短編小説集。人気多肉植物店「叢」のサボテン×山崎ナオコーラのラブストーリー。

処女のおばあさん/野球選手の妻になりたい/誰にでもかんむりがある/恋人は松田聖子/「さようなら」を言ったことがない/山と薔薇の日々/付き添いがいないとテレビに出られないアイドル/ガールミーツガール/絶対的な恋なんてない

様々な恋の形を描いた連作短編集。すべての作品にサボテンが1種ずつ登場する。ストーリーの前にそのサボテンの写真と生態の紹介がある。入鹿君の話は悲劇だけれども、概してつかみどころのない「恋」をつかみどころなく、結末を描き切らないところがおもしろい(他の話で後日譚が明かされるものもあり)。でもそれがとてもいいのだ。どうなったのかを慮る幸せを感じられる。

ボーイミーツガールの極端なもの[山崎ナオコーラ/小田康平]
ボーイミーツガールの極端なもの(ボーイミーツガールの極端なもの)[山崎ナオコーラ]【電子書籍】

読了:昨日の海は[近藤史恵]

昨日の海は

昨日の海は

  • 作者:近藤史恵
  • 出版社:PHP研究所
  • 発売日: 2015年07月17日頃

いつも通りの夏のはずだった。その事件のことを知るまでは…25年前の祖父母の心中事件に隠された秘密とは。残された写真、歪んだ記憶、小さな嘘…。海辺の町を舞台とした切なくてさわやかな青春ミステリー。

光介は四国の太平洋側に面した田舎に暮らす高校1年生。夏休みに今まで存在さえ聞かされたことのない母の姉が8歳の娘を連れて東京から帰ってきた。母姉妹の父母(光介の母方の祖父母)は、光介が生まれる前に借金を苦にして心中したという。母はそのことに触れたがらないが、母の姉はこの地に暮らすのであるからとその事件の真相を解明しようとする。ただの心中ではなくどうやら無理心中であったようなのだ。心中であれば母姉妹は親(祖父母)に捨てられたことになるが、無理心中であればどちらかは姉妹を捨てたわけではないことになる。母の姉から話を聞き、光介自身も祖父母の今まで知られていなかった過去を調べていくと……。

太平洋に面した四国っていったら高知県だよね?高校生の主人公が東京にまで自分の祖父母の情報を訪ねていくとか、進路に悩む話とか若干設定に「海がきこえる」臭がした。前途はまだわからないけれども前向きで素直な主人公による、さわやか健全なストーリーなので安心して読める。

wikipediaの「海がきこえる」の項

昨日の海は[近藤史恵]
昨日の海は[近藤史恵]【電子書籍】

読了:彼女は頭が悪いから[姫野 カオルコ]

彼女は頭が悪いから

彼女は頭が悪いから

  • 作者:姫野 カオルコ
  • 出版社:文藝春秋
  • 発売日: 2018年07月20日頃

横浜市郊外のごくふつうの家庭で育ち女子大に進学した神立美咲。渋谷区広尾の申し分のない環境で育ち、東京大学理科1類に進学した竹内つばさ。ふたりが出会い、ひと目で恋に落ちたはずだった。渦巻く人々の妬み、劣等感、格差意識。そして事件は起こった…。これは彼女と彼らの、そして私たちの物語である。

4,5月の新学期シーズンになると渋谷に東大の学生証をちらつかせてナンパをする輩が現れる──という都市伝説的笑い話が、かつてあった。

本作品は男子東大生による女子大生に対する集団わいせつ事件に着想を得たフィクション。直木賞作家でもある著者としては問題提起も込めて発表したと思うのだが、一部で激しい議論を呼んだ。東大ではこの作品について著者を招いてのシンポジウムまで開かれるという問題作になった。当時のシンポジウムの様子を記事で読むと、多くの東大関係者には作品中の東大生の描き方にリアリティがないと感じられたようだ(かなり否定的な意見が多かったようだ)。一方で著者はあくまでもフィクションであり「東大」や「東大生」そのものを貶める意図はないことをおっしゃっていた。むしろこういう風に問題になったことに著者自身が当惑している感じでまとめられていたように思う。

以下いくつか書評を紹介しておく。

東大OGが『彼女は頭が悪いから』を読んで思うこと。私たちも「クソ東大生」と同じ穴の狢かもしれない | DRESS [ドレス]
僕は頭がいいけれど…東大生が抱く「彼女は頭が悪いから」への違和感|好書好日
「彼女は頭が悪いから」読了感想と考察。|Randy|note
女子大生の服を脱がせて叩き……「東大わいせつ事件」に着想を得たエグい本 | 文春オンライン
書評:「彼女は頭が悪いから」 姫野カオルコ・著 : タイム・コンサルタントの日誌から
『彼女は頭が悪いから』姫野カオルコ(書評): trivialities & realities

確かに、実名で登場する他の大学の学生の描き方に比べると、5人の東大生は具体的に描くことで「東大生とはこういうものだ」という十把一絡げ的な扱いだなぁという印象は読んでいても感じた(この著者は何か東大に対してルサンチマンを抱えているのか?と勘繰りたくなるほど)。この作品が議論を呼んだのはそこなんじゃないかな。明らかに東大を指してはいるけれども架空の大学名を使った方が、フィクションとして登場人物のリアリティが増して説得力を持ったんじゃないか?ルポルタージュではないのだから、人間性を描く小説においてこれは失敗だと思う。しかし著者としては「東大」というブランドというか記号(実際に作品中でもあえて「『todai』の音」と書いていたりする)が持つ威力を利用することで作品の説得力が増すと考えた次第だとは思うが。そうはいってもフィクションの力をもっと信用してよかったのでは?それが作家の力量でもあると思う。

読後が非常に不快になる強烈な作品ではあるが、被害者の神立美咲の大学学部長が彼女に寄り添ってくれた点には救いがある。

彼女は頭が悪いから[姫野 カオルコ]
彼女は頭が悪いから[姫野カオルコ]【電子書籍】

読了:だめだし日本語論[橋本 治/橋爪 大三郎]

だめだし日本語論

だめだし日本語論

  • 作者:橋本 治/橋爪 大三郎
  • 出版社:太田出版
  • 発売日: 2017年06月08日頃

日本語は、そもそも文字を持たなかった日本人が、いい加減に漢字を使うところから始まったー成り行き任せ、混沌だらけの日本語の謎に挑みながら、日本人の本質にまで迫る。あっけに取られるほど手ごわくて、面白い日本語論。

日本語のできあがり方ー鎌倉時代まで(文字を持たなかった日本人/日本語のDNA螺旋構造/外国に説明できない日本史/学問に向かない日本語/日本語は「意味の言葉」ではない ほか)/日本語の壊し方ー室町以後(幽霊が主役の能/江戸の印刷文化/武士が歴史をつくらなかったから天皇制につながった/漢字とナショナリズム)

多くの古典を独自の現代語に訳してきた経験を持つ作家の橋本治と、社会学者の橋爪大三郎による「日本語の歴史」を題材にした座談会(この二人は大学の同級生)。日本語の専門家(研究者)でない二人がそれぞれに日本語とはどんなものかを文学史とからめて話していくので雑談的要素も多く楽しく読める。写本の写真も多く掲載されていて、文だけでなく目で見てもその歴史を追うことができる。ひらがなカタカナについての言及はもちろん、多くの古典文学作品だけではなく、大衆芸能にまで幅広く話題が及ぶ。いやぁ読みやすいうえに刺激的で面白かった。後半に述べられる室町時代にいったん崩壊した日本語が江戸時代に再構築されていく下りもなかなか。

正しく美しい日本語の正解なんてものはなくて、現在の日本語だって決して完成されたものではない、日本語の歴史だって決して1本道だったわけでもないという前提で話は進められていくのだが、最後に二人の意見はちょっと分かれる。あいまいでいい加減な日本語をそのまま受容してそれでいいんだよと言いたい橋本治と、「したり顔でいい加減な日本語を使う輩」をなんとかしたいために日本語をある程度体系立てた方がよいと考える橋爪大三郎。個人的には橋本治に賛同。

【バーゲン本】だめだし日本語論(atプラス叢書)[橋本 治 他]
だめだし日本語論[橋本 治/橋爪 大三郎]
だめだし日本語論[橋本治/橋爪大三郎]【電子書籍】

読了:デッドエンドの思い出(文春文庫)[よしもと ばなな]

デッドエンドの思い出

デッドエンドの思い出

  • 作者:よしもと ばなな
  • 出版社:文藝春秋
  • 発売日: 2006年07月07日頃

つらくて、どれほど切なくても、幸せはふいに訪れる。かけがえのない祝福の瞬間を鮮やかに描き、心の中の宝物を蘇らせてくれる珠玉の短篇集。

幽霊の家/「おかあさーん!」/あったかくなんかない/ともちゃんの幸せ/デッドエンドの思い出

久々によしもとばななを手に取ってみた。あぁそうだった、この人は、なんとなくさみしいとか、なんとなくもやもやするとか、なんか心に引っかかるんだよってものを、きっちり書き込むことができる人だった。だからこそそのもやもやを抱えた読者は誰もが「そうそう!!」と共感をよぶんだよね。よしもとばななの見事さはその心の不安定さを言語化できるところなのだと思う。今回の短編集はどれもドラマティックな出来事は起こらないんだけれども、それを日常のとらえどころのない気持ちと絡めてさらっとまとめる。うそ、本当はとんでもないことも起こっているんだけれども、それをさも日常の一場面として(主に回想が多いけど)取り込んでしまうのだ。生きていく上での ambiguity な心持ちをそれでもいいんだよと肯定的に受け止めてくれる、そんなやさしさにあふれた短編集。

それでは、何カ所か特に鼻についた「ばなな臭」をお楽しみください。

これはもう、セックスしてもいいの? いいよ、というやりとりと何も違わないことを、私たちはわかっていたと思う。ちょっとした悲しみの中で。
(「幽霊の家」より)

秋の空は透明な色をしていて、景色と溶け合うところまですうっと澄んでいて、どこまでもあいまいで、はっきりした感じが何もなくて、宙ぶらりんな私を優しくなぐさめた。
(「デッドエンドの思い出」より)

きゅうと追い詰められたような気持ちは抜けていなかった。それでも「今しかない、今から目をそらしたら悲しくなってしまうから」とせっぱつまっているこの日々は、どうしてだか、まさにそれゆえに奇妙に幸せだった。
(「デッドエンドの思い出」より)

デッドエンドの思い出(文春文庫)[よしもと ばなな]
デッドエンドの思い出[よしもとばなな]【電子書籍】

読了:オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家(光文社古典新訳文庫)[エミール・ゾラ/国分俊宏]

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家

  • 作者:エミール・ゾラ/国分俊宏
  • 出版社:光文社
  • 発売日: 2015年06月11日頃

完全に意識はあるが肉体が動かず、周囲に死んだと思われた男の視点から綴られる「オリヴィエ・ベカイユの死」。新進気鋭の画家とその不器量な妻との奇妙な共犯関係を描いた「スルディス夫人」など、稀代のストーリーテラーとしてのゾラの才能が凝縮された5篇を収録。

オリヴィエ・ベカイユの死/ナンタス/呪われた家ーアンジュリーヌ/シャーブル氏の貝/スルディス夫人

 19世紀後半のフランス自然主義文学の代表作家であるゾラの短編集。ゾラの名前は知っているものの(世界史で「ドレフュス事件」においてドレフュスを擁護したためにイギリスへ亡命した作家として)、1つも作品を読んだことがなかった。フランス自然主義の長編作品はしんどいイメージがあるので(スタンダールの「赤と黒」の影響か?)、短編集なら読めそうだと手に取った次第。

wikipediaの「エミール・ゾラ」の項
wikipediaの「ドレフュス事件」の項

 ゾラは出版社に勤めていたからか批評の仕事も多く、また「食べるために書かなければならない」という若いころの境遇から、自然主義作家に向かったのは当然ともいえる。とりわけ庶民の描き方のリアリティに鬼気迫るものがある。自伝的要素も絡めて描かれた猥雑でありながらも生き生きとした庶民の欲望と生活臭が伝わってくる5作品。どの作品もちゃらちゃらしたハッピーエンドでも陰惨なバッドエンドでもないけれども、確かに人間が生きるってことはこういうことだよと痛感させられるものばかり(あり得ない設定はあっても、さもありなんと思わせる)。

 一番面白かった作品は、エロティックでコミカルな内容でありながら文学作品としての品位を落とさない表現にあふれた「シャーブル氏の貝」。よくある下ネタ笑い話が題材で、オチまでわかっているのに、これをこんな小洒落た作品にまとめあげてしまう力量に感嘆。

 でも本書でラフ的に一番面白かったのは訳者による「解説」だった。ゴメン。

オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家(光文社古典新訳文庫)[エミール・ゾラ/国分俊宏]
オリヴィエ・ベカイユの死/呪われた家~ゾラ傑作短篇集~(オリヴィエ・ベカイユの死~呪われた家~ゾラ傑作短篇集~)[ゾラ]【電子書籍】

読了:THEデブ脳[工藤孝文]

THEデブ脳

THEデブ脳

  • 作者:工藤孝文
  • 出版社:エイ出版社
  • 発売日: 2019年09月

第1章 痩せられない原因は脳にあった!デブ脳/第2章 食事内容で培ったデブ脳を治す(脂っこいものをよく食べる/濃い味を好む ほか)/第3章 食べ方で培ったデブ脳を治す(間食が多い/嫌なことがあるとヤケ食いしてしまう ほか)/第4章 生活習慣で培ったデブ脳を治す(運動しない/年をとって代謝が落ちた ほか)

ふふふ、もともと運動しないのに加えて在宅勤務の影響もあって、食っちゃ寝生活で、人生で今最重量のラフですよ。

痩せられない原因を脳の仕組みから解説しながらステップアップ方式でダイエットを試みる本。「痩せられないのは、意志が弱いから」を真っ向否定し、きつい食事制限や運動は要求されない。まずはこれをやってみよう、しばらく続けて効果があれば次のステップへ、効果がなければこういうことも試してみて、という感じで進んでいく。ちなみにやってみようと提案されるのは「1日1杯、出汁を飲む」と「朝食にバナナヨーグルトを食べる」とか。内容が薄く身近で具体的な内容なのでサクサク読める。まさに「これならできそう」と読者に思わせる著者の狙い通りか。

脳内ホルモンの具体名とか機能の話とか出てくるけれども、別にそれほど大事じゃなくて知らなくてもわからなくてもまったく問題なし。大事なのは提案されたちょっとした行動を実際にやってみようということで、それの根拠として脳科学からアプローチしてますよというだけなので(だから文献とかも一切示されない)。

THEデブ脳[工藤孝文]
THE デブ脳(エイムックシリーズ)[工藤孝文]【電子書籍】

読了:21 Lessons[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

21 Lessons

21 Lessons

  • 作者:ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之
  • 出版社:河出書房新社
  • 発売日: 2019年11月20日頃

『サピエンス全史』で人類の「過去」を、『ホモ・デウス』で人類の「未来」を描き、世界中の読者に衝撃をあたえたユヴァル・ノア・ハラリ。本書『21 Lessons』では、ついに人類の「現在」に焦点をあてるー。テクノロジーや政治をめぐる難題から、この世界における真実、そして人生の意味まで、われわれが直面している21の重要テーマを取り上げ、正解の見えない今の時代に、どのように思考し行動すべきかを問う。いまや全世界からその発言が注目されている、新たなる知の巨人は、ひとりのサピエンスとして何を考え、何を訴えるのか。すべての現代人必読の21章。

1 テクノロジー面の難題/・幻滅ー先送りにされた「歴史の終わり」/・雇用ーあなたが大人になったときには、仕事がないかもしれない/・自由ービッグデータがあなたを見守っている/・平等ーデータを制する者が未来を制する/2 政治面の難題/・コミュニティー人間には身体がある/・文明ー世界にはたった一つの文明しかない/・宗教ー今や神は国家に仕える/・移民ー文化にも良し悪しがあるかもしれない/3 絶望と希望/・テローパニックを起こすな/・戦争ー人間の愚かさをけっして過小評価してはならない/・謙虚さーあなたは世界の中心ではない/・神ー神の名をみだりに唱えてはならない/・世俗主義ー自らの陰の面を認めよ/4 真実/・無知ーあなたは自分で思っているほど多くを知らない/・正義ー私たちの正義感は時代後れかもしれない/・ポスト・トゥルースーいつまでも消えないフェイクニュースもある/・SFー未来は映画で目にするものとは違う/5 レジリエンス/・教育ー変化だけが唯一不変/・意味ー人生は物語ではない/・瞑想ーひたすら観察せよ

「サピエンス全史」「ホモ・デウス」に続く3作目は、現在の世界に焦点を当てて人類というものを考える。ユヴァル・ノア・ハラリは基本的には歴史哲学者であって生物学者ではないってところは常に押さえておかなければならない点。

「サピエンス全史」の中心テーマは、今日の人類の成功は、実体のない概念(会社とか経済とか政府とか)を共有する能力によって成しえたということで、そこに至った歴史を進化生物学的視点を交えながら語ることであった。(読後感想は以下)

読了:サピエンス全史 文明の構造と人類の幸福 [ ユヴァル・ノア・ハラリ ]

2作目の「ホモ・デウス」では、人類にとってのこれまでの大問題であった「飢饉」「疫病」「戦争」は対処出来うる問題となった21世紀において、今後人類ホモ・サピエンスは何を追求してどういう方向に進んでいくのか?ということを考察する。生命工学(脳科学と進化生物学)と情報工学という2本の柱、あるいはその融合(AI)がけん引していき、「ホモ・デウス」という新たな存在(もはや生命の定義にはあてはまらない電脳空間上の信号)になるのかもしれない。でもそれでいいの?と問いかけてきた。(読後感想は以下)

読了:ホモ・デウス 上・下[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

さて、今作は前2作よりずっとわかりやすい。なぜなら今私たちが生きている「現在」の問題を扱っているからだ。21の側面から現在の世界を眺めるというよりかは、「現在のホモ・サピエンス」を中心においてその周りを21の切り口から順に問題点を解き明かしていく感じ。1つのテーマは次のテーマへとつながっていき、ぐるっと回って元に戻ってきたところで、これまで語られることなかった著者がこの考えに至った方法論的なものにまで言及する。

人類の成功を支えてきたものは実態のない概念を共有する能力ではあるが、この実体のない概念を指して著者は「物語」という言葉を与えている。「経済」や「政府」、「宗教」だけでなく「資本主義」や「自由主義」でさえ創造の産物であり「物語」なのである。そして現在の世界の問題はこの「物語」から脱することができないことから引き起こされている。著者自身がユダヤ人であるが、ユダヤ教の「物語」に対しても容赦がない。なぜ「物語」が問題になるのか?どこが問題なのか?「物語」を脱する意味はどこにあるのか?そこを具体的な例を提示して解説していくのでわかりやすい。サピエンスがもっとも苦手なのは苦痛であり、サピエンスはそれを避ける・そこから逃れるために「物語」を必要としてきたのだ。しかしそれは本質的な解決になっていない。また「物語」=「世界観」を共有していない者同士はうまくいかない。実際の問題は単純ではないのでジレンマに陥るのは当然で、「物語」に逃げずに考えなければならない。そのためにもサピエンスは「物語」から離脱し自身の身体が何を感じているのかを判断の根拠にすることが重要なのだそうだ(ちょっと読みが浅くてすまん)。

「世俗主義」と「意味」の章がとりわけ面白かった。ラフ的には超マイルドなリチャード・ドーキンス(「利己的な遺伝子」を提唱した進化生物学者で過激な反宗教主張で有名)かと思ったよ。

wikipediaの「リチャード・ドーキンス」の項

ほとんどのSF映画が本当に語っているのは、とても古い物語で、それは物質に対する心の勝利だ。

あなたは、女性が恋人にダイヤモンドの指輪を持ってくるように頼むのはなぜだと思っているだろうか? その恋人は、いったんそれほど大きな金銭的犠牲を払ったら、それが価値ある目的のためだったと自分に確信させざるをえないからだ。

最近、ファシズムの正確な意味について、かなりの混乱が生じている。人は、気にくわない相手ならほとんど誰でも「ファシスト」呼ばわりする。

国家崇拝はきわめて魅力的で、それは、多くの難しいジレンマを単純化してくれるからだけではなく、人々に、自分はこの世で最も重要で最も美しいもの、すなわち祖国に所属していると考えさせるからでもある。

人は、どこかに永遠の本質があり、それを見つけてそれとつながれさえすれば、完全に満足できると信じている。この永遠の本質は、神と呼ばれることもあれば、国家と呼ばれることもあり、魂、正真正銘の自己、真の愛と呼ばれることもある。そして、人はそれに執着すればするほど、失望し、惨めになる。それを見つけられないからだ。

21 Lessons[ユヴァル・ノア・ハラリ/柴田 裕之]

読了:ラッシュライフ(新潮文庫 新潮文庫)[伊坂 幸太郎]

ラッシュライフ

ラッシュライフ

  • 作者:伊坂 幸太郎
  • 出版社:新潮社
  • 発売日: 2005年05月

泥棒を生業とする男は新たなカモを物色する。父に自殺された青年は神に憧れる。女性カウンセラーは不倫相手との再婚を企む。職を失い家族に見捨てられた男は野良犬を拾う。幕間には歩くバラバラ死体登場ー。並走する四つの物語、交錯する十以上の人生、その果てに待つ意外な未来。不思議な人物、機知に富む会話、先の読めない展開。巧緻な騙し絵のごとき現代の寓話の幕が、今あがる。

 エンターテイメント小説としては今は池井戸潤のほうが人気あるのかな。でも、ラフはビジネスエンターテイメント小説にはどうも食指が動かない。読めばきっと面白いんだろうけれども。また百田尚樹のビジネス英雄譚みたいな伝記っぽいものもあまり好まない。そうなのだ、ビジネスというものに根本的に興味がないのだ。

 なので、若干ファンタジー色が強いものの一般の市井人が主役で日常を苦悩しながらも生きていく、そしてちょっとした事件に巻き込まれて奇想天外な展開をしていくが、人生を生きることに絶望しない伊坂幸太郎の小説は好きなのだ。伊坂幸太郎が仙台在住なので仙台を舞台にした作品も多く、本作も主に仙台市街で話が展開される(仙台駅や市街の通り名やアーケードのある商店街の位置関係などを知っていると面白く読めるかも。ドラマなんかでこのシーンは東京のあそこだ!とかわかるとうれしいみたいな感じ?)。

 並走する4つの物語と書いてあるけれども、ちょっと弱めのもう1つのグループがあって全体で5つの話が並行して進んでいく。駅前に新たにオープンしたカフェや、展望台のある駅前ビルで開催されているエッシャー展、駅近くで道行く人に好きな日本語の調査をしている外国人などどの話にも出てくるガジェットがあって、それぞれの話が並行して進行していることを示唆する。正直言うと常識的にはあり得ない設定もちらほら出てくるけれども、そこは伊坂幸太郎の絶妙なファンタジー描写で「まぁそういうことでいいか」と流せる。とりわけ、軽妙洒脱でさりげない教養溢れる会話は伊坂幸太郎ならではで楽しめる。そして各話で出てくるエピソードや小道具がそれぞれほかのエピソードにも登場してきたりすることで、だんだんと話が整理集約されていく。それぞれのエピソードは独立しているけれども完全に別個ではない。しかも読者がちりばめられた仕掛けをパズルのように組み立てていく過程でわかってくるのは、各エピソードが実は同じ時刻に同時進行しているのではなかったということ。各グループの出来事は日が一日ずつずれていたのだ。

「人生がリレーだったらいいと思わないかい?」
「リレー?」
「私の好きだった絵にそういうものがあってね。『つなぐ』という題名だった。それを観て思ったんだ。一生のうち一日だけが自分の担当で、その日は自分が主役になる。そうして翌日には、別の人間が主役を務める。そうだったら愉快だな、と」
「そうだとしたら、お前の出番はいつだよ」
 佐々岡はあまり考えなかった。「昨日だよ。君と久しぶりに会えて楽しかった。昨日は私が、私たちが主役だった」
「子供じみた考えだな」
「昨日は私たちが主役で、今日は私の妻が主役。その次は別の人間が主役。そんなふうに繋がっていけば面白いと思わないか。リレーのように繋がっていけば面白いと思わないか。リレーのように続いていけばいいと思わないか? 人生は一瞬だが、永遠に続く」
「人の一日なんてどれも似たり寄ったりだよ。俺たちの昨日も、おまえのカミさんの今日も、別の人間の明日だって、重ねて一度に眺めてみればどれも一緒に見えるさ」
「そんなことはない」と佐々岡は笑った。

 そうか、この物語の仕掛けはこれだったんだね(ネタばれゴメン)というわけ。これは市井の人への人生賛歌だな(登場人物はことごとくとんでもないことに巻き込まれたりやっていたりするけれども)。こういうところが伊坂幸太郎のエンターテイメントの気持ちいいところなんだよね。

「私には賭けるものなんてない」
「もし金庫があったら、俺のアドバイスを聞けよ」
「アドバイス?」
「泥棒なんていう孤独な仕事を続けているとな、誰も自分の言うことを聞いてくれない事実に愕然とするんだ。人は誰かに忠告されたい。同時に誰かにアドバイスしたいと思っている。そういうものだ」
「そういうものかい?」
「誰だって人生のアマチュアだからな。他人に無責任なアドバイスをしてだ、ちょっとは先輩面したいんだ」

ラッシュライフ(新潮文庫 新潮文庫)[伊坂 幸太郎]
ラッシュライフ[伊坂幸太郎]【電子書籍】