塩野のデビュー作をようやく。ルネサンスイタリアの4人の貴族女性の人生。ルネサンス芸術の庇護者でもあったイザベッラ・デステ、父と兄の陰に隠れがちなルクレツィア・ボルジア、女傑カテリーナ・スフォルツァ、そして生国ヴェネツィアにいいように利用されたキプロス女王カテリーナ・コルネール。塩野自身は全く共感できない女性もいると言いながらも、どの女性の人生も魅力的に描かれている。
カテゴリー: 歴史
読了:憲法で読むアメリカ史(ちくま学芸文庫)[阿川尚之]
アメリカ合衆国憲法の誕生/憲法批准と『ザ・フェデラリスト』/憲法を解釈するのはだれか/マーシャル判事と連邦の優越/チェロキー族事件と涙の道/黒人奴隷とアメリカ憲法/奴隷問題の変質と南北対立/合衆国の拡大と奴隷制度/ドレッド・スコット事件/南北戦争への序曲〔ほか〕
アメリカ史を時代ごとの憲法解釈の面(つまりは司法)からたどる。アメリカ史の主要トピックであるアメリカ独立、南北戦争、二度の世界大戦、またネイティブアメリカン問題、人種人権問題をアメリカがどうやって乗り越えてきたのか。司法(連邦最高裁とその判例における憲法解釈)を通してみてみるとアメリカ史にはこういう面白さもあるのかと思うところ多し。そもそも、アメリカの州(日本の都道府県とは違ったもっと独立性の高い存在)と連邦政府の関わりを憲法はどのように定めて連邦政府の権限を縛っているのか、連邦政府はどこまで州に関われるのかという遷移を知ることができる。憲法解釈のためのキーワードが素人には若干難しいものの、全体的には読みやすくおもしろかった。
読了:病の皇帝「がん」に挑む(下)[シッダールタ・ムカジー/田中文]
- 作者:シッダールタ・ムカジー/田中文
- 出版社:早川書房
- 発売日: 2013年08月23日頃
第4部 予防こそ最善の治療(「まっくろな棺」/皇帝のナイロンストッキング/「夜盗」 ほか)/第5部 「われわれ自身のゆがんだバージョン」(「単一の原因」/ウイルスの明かりの下で/「サーク狩り」 ほか)/第6部 長い努力の成果(「何一つ、無駄な努力はなかった」/古いがんの新しい薬/紐の都市 ほか)
上巻の感想はこちら
下巻は「がん」の「予防」から。肺がんとたばこの関係は法廷ドラマのように描かれる。続いて「がん」の発生メカニズムへの挑戦が描かれる。ゲノムプロジェクトの進行とともに各地の研究者が「がん」遺伝子とその治療法を探求する競争。今となっては古典ともいえるストラテジーも当時は試行錯誤の末にたどり着いたものであったのだ。個人的にはこの章が一番おもしろかった。刊行された当時のゲノムプロジェクトあたりで話が終わってしまっているのが、仕方ないとはいえ残念。
これに続く「遺伝子ー親密なる人類史ー」にしろ、シッダールタ・ムカジーの物語を紡ぎだす才はすばらしい。この人、文筆家やジャーナリストではなく、臨床腫瘍科医なんだよ。
■ 病の皇帝「がん」に挑む(下)[シッダールタ・ムカジー/田中文]
■ 病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘(下)[シッダールタ ムカジー]【電子書籍】
読了:病の皇帝「がん」に挑む(上)[シッダールタ・ムカジー/田中文]
- 作者:シッダールタ・ムカジー/田中文
- 出版社:早川書房
- 発売日: 2013年08月23日頃
第1部 「沸き立たない黒胆汁」(「血液化膿症」/「ギロチンよりも飽くことを知らない怪物」/ファーバーの挑戦状 ほか)/第2部 せっかちな闘い(「社会を形成する」/「化学療法の新しい友人」/「肉屋」 ほか)/第3部 「よくならなかったら、先生はわたしを見捨てるのですか?」(「われわれは神を信じる。だがそれ以外はすべて、データが必要だ」/「微笑む腫瘍医」/敵を知る ほか)
シッダールタ・ムカジーの「遺伝子」がすごくおもしろかったので、その前に書いている本書もぜひ読んでみたいと思っていた次第。「遺伝子」の感想は以下。
本書の日本語版出版が2013年にだから最新の情報まではフォローしきれていないにしても、がんとは何か、人類はどう対処してきたのかを知りたければ今でも十分に読む価値あり。
腫瘍医として臨床の場での体験と、自身が立ち向かっている「がん」の歴史、そして人類の紆余曲折の苦闘を物語として語っていく。読みやすく分かりやすい構成になっているところが良い。科学啓蒙書でありながら、歴史ドラマにもなっているのだ。上巻ではがんの歴史、そして主に欧米における(とりわけアメリカにおける)外科的切除術、放射線治療、薬物化学的療法の3つの主要な治療法の歴史、ならびに初期のがん対策ロビー活動について表わされている。
■ 病の皇帝「がん」に挑む(上)[シッダールタ・ムカジー/田中文]
■ 病の皇帝「がん」に挑む 人類4000年の苦闘(上)[シッダールタ ムカジー]【電子書籍】
読了:東京藝大で教わる西洋美術の見かた[佐藤 直樹]
序章 古典古代と中世の西洋美術/ルネサンスーアルプスの南と北で(ジョット ルネサンスの最初の光/初期ネーデルラント絵画1 ロベルト・カンピンの再発見/初期ネーデルラント絵画2 ファン・エイク兄弟とその後継者たち)/ルネサンスからバロックへー天才たちの時代(ラファエッロ 苦労知らずの美貌の画家/デューラー ドイツ・ルネサンスの巨匠/レオナルド イタリアとドイツで同時に起きていた「美術革命」/カラヴァッジョ バロックを切り開いた天才画家の「リアル」/ビーテル・ブリューゲル(父) 中世的な世界観と「新しい風景画」)/古典主義とロマン主義ー国際交流する画家たち(ゲインズバラとレノルズ 英国で花開いた「ファンシー・ピクチャー」/十九世紀のローマ1 「ナザレ派」が巻き起こした新しい風/十九世紀のローマ2 アングルとその仲間たち)/モダニズム前夜のモダンー過去を再生する画家たち(ミレイとラファエル前派 「カワイイ」英国文化のルーツ/シャルフベックとハマスホイ 北欧美術の「不安な絵画」/ヴァン・デ・ヴェルデ バウハウス前夜のモダニズム)
美術史を知ると、美術館で絵画や彫刻を見るときに、どこに注目すればずっとおもしろくなるのかが分かってくる。企画展なんかで入口に展示のテーマに関する概説が最初に掲げてあるけれども、そこに書かれていることを一般の素人は読んでも普通は理解できない。あの概説には、今回の企画展ではここを押さえて鑑賞して欲しいという学芸員の思いが詰まっているのだが、やはり最低限の美術史の知識がないとあれを理解するのはつらい。しこうして一般人はとりあえず話題の美術展に出向くものの、好きか嫌いかのレベルでの感想しか持てないまま、出口直前に置かれたスーブニールショップで一番印象に残った絵画の絵葉書を買って帰るだけになるのだ。
さて日本最高峰の藝術大学である東京藝大でどのような西洋美術史を扱っているのかを垣間見てみたい。前書きにあるように、藝大に入って来る学生は一通りの美術史は知っていることが前提であり、そんな彼らにどのようなことを教えているのか?それでいて一般人に難解にならないような内容にまとめた入門書が本書。こういうアプローチで西洋美術を見ていきますよというエッセンスであり、コンパクトな西洋美術史ダイジェストなのでサクサク読み進めていける。なのでとても面白いが、残念ながら中身はとにかく浅い。すこぶる物足りないのだ(タイトルに「東京藝大」を標榜するのだが構えることはないぞ)。まずは西洋美術史に興味を持ってもらうことが本書の目的だからだろう。山紫水明を愛でる日本人はフランス印象派が大好きだけれども、本書ではあえて印象派には触れていない(藝大の学生にとっては今更の極みであろう)。誰もが知っている定番ではなく、一般人が目にしたことはあるけれども実はあんまり詳しくないという絵画や作家を取り上げてあるのだ。
一般にルネサンスと呼ばれる現象(古代復興)は西洋美術史において実は何度も起こっているのだが、その最大のものがよく知られたイタリアルネサンス。なぜ最大のルネサンスはイタリアで起こったのか?からスタートする。その後の西洋美術史の流れの中で大きなくくりはあるものの(ルネサンス、ロマネスク、バロックなど)それぞれの地域、時間、そして芸術家が相互に影響しあっていく様を、作品を通してその軌跡をたどっていく。そりゃ人間復興も行き過ぎると中世回帰の運動も起こるよなとか。豊富な図版とともに、その作品のそこを見ればいいのねという勘所が具体的に述べられていて興味深い。
読了:中世の星の下で(ちくま学芸文庫)[阿部謹也]
1 中世のくらし(私の旅 中世の旅/石をめぐる中世の人々/中世の星の下で ほか)/2 人と人を結ぶ絆(現代に生きる中世市民意識/ブルーマンデーの起源について/中世賎民身分の成立について ほか)/3 歴史学を支えるもの(ひとつの言葉/文化の底流にあるもの/知的探究の喜びとわが国の学問 ほか)
主に中世・近世のドイツの市井の人々の歴史エピソードや考察論考エッセイ集。農村住民などにも言及されてはいるけれども、軸足はあくまでも都市住民(職人・商人・ツンフトとかギルドとかいった集団)を対象としている。前半はいろんな事物を対象とした中世都市住民の関わりや思想が具体的に紹介されていて「ふ~~んそうだったのか」の連続で興味深い。乱暴に言ってしまうと「都市伝説」みたいなことに対してもその歴史的背景を紹介したうえで考察を加えており、当時描かれた戯画挿絵も多くてわかりやすい。月曜日が来るたびに「ブルーマンデー」を連呼していたラフだが、もともとの由来はこんなところにあったのかぁ。鐘にまつわる逸話紹介も面白かった。後半は、雑誌や新聞に掲載された、あるいは講演記録での比較文化論が多く、ヨーロッパ(ドイツ)中世と日本の中世との対比にも言及されている。
読了:読破できない難解な本がわかる本[富増 章成]
第1章 古代・叡智編 古代からの叡智を知ることができる本/第2章 思考・理性編 考えに考えて人生を変える本/第3章 人生・苦悩編 悩める人生について考えることができる本/第4章 政治・社会編 現代の政治思想とその起源がわかる本/第5章 経済・生活編 仕事と生き方がよくわかる本/第6章 心理・言語編 人の「心」と「言葉」について考えてみる本/第7章 思想・現代編 現代社会を別の角度から考えてみる本/第8章 日本・自己編 日本の思想をふりかえって自分を知る本
そういえば、阿刀田高は「実存主義」について知りたい時は、サルトルの『実存主義とは何か』が入門書としてわかりやすいと勧めているが、それでも評して曰く
“人間においては実存が本質に先立つ”と、これがサルトルの考えであり、実存主義の原点である。本質は、定義と言い換えてもよいだろう。
とはいえ、これだけではやっぱりわからない。わかるほうがおかしい。
(中略)
人間はまっ白い紙のようなものであり、そこになにを書くかは人間みずからが決定していくことであり、それゆえに自由であり、それを自覚することがなにより大切である、と、サルトルは主張しているのである。
旧約聖書を知っていますか(新潮文庫 あー7-19)[阿刀田 高]
(中略)の後が、端的な要約(結論?)。その本に何が書かれているのかは、とりあえずこういうところを押さえておきたいのだ。こういう感じで、古今東西の様々なムツカシイ本を簡単に紹介してくれるのが本書『読破できない難解な本がわかる本』だ(ちなみに本書で取り上げられているサルトルの本は『存在と時間』だった)。
基本的には哲学・宗教・心理学・政治・経済の理論本が対象なので、いわゆる挫折系文学本の類は出てきません(『カラマーゾフの兄弟』とか『失われた時を求めて』とかね)。タイトルと著者名だけは知っているけれども何が書いてあるのかはあまりよくわかっていない本が続々と登場する。本の難易度、書かれた背景、内容の要約、この書から「人生で役に立つこと」コラム、そして著した人のプロフィールという順で、難解な1冊を数ページのダイジェストにして紹介していくのだ。まぁ無茶な企画だこと。でもこういったムツカシイ本を読むことは一生ないであろうラフにはありがたい企画でもある。
哲学関係の本では「自由」という言葉一つとっても、みんなそれぞれに自分の概念を定義していくので、単純比較ができない。この人はこういう定義で使う、あの人はああいう定義で使うっていう感じで、「自由」という言葉だけでは同じ土俵で議論を進めることができないのだ。同じ「イルカ」でも、水生哺乳類の「イルカ」と「なごり雪」の「イルカ」くらい違うんじゃないかってくらいに、人によって全然違うものを「自由」と定義している。もうほんと、ラフ、困っちゃう。
一人の著者が、複数のムツカシイ本を超圧縮ダイジェストで紹介しているのだから、どれも毒気を抜かれた扁平な紹介になってしまうのは仕方ない。でも、どれも古今東西の七面倒くさいことを考えている奴らの本なんだから、おそらく原書はどれも強烈な個性が異彩を放つ一癖ある文体に違いないとは想像できる。気になったものは読んでみるしかないのか(と、思わせる時点でこの著者の術中にはまったわけだな)。
「人生で役に立つこと」コラムは蛇足かも。読んでもいない本のダイジェストを紹介されたうえで、あなたの人生もこう考えたらいいんじゃない?と提案されても困る。その本の中身をどう生かすかは実際に読んでみた人がそれぞれに考えればいいし、それこそが読書の楽しみではないかと思ったり思わなかったり(自分では読まない宣言をしているくせに大口をたたく)。
そうか、「パラダイム転換(シフト)」って言葉はトーマス・クーン『科学革命の構造』で使われたのか。
■ wikipediaの「科学革命の構造」の項
『アンチ・オイディプス』は難易度★5だって?紹介の冒頭が「なにが書いてあるのかまったくわからない本。」だって。気になって夜も眠れない。
■ wikipediaの「アンチ・オイディプス」の項
キルケゴールの『死に至る病』が「絶望」を指しているというのは知っていたけれども、人間は「絶望」すると「死ぬ」、だから「絶望」せずに生きていくには?って本だと勝手に思っていた。あっさり否定された。「死に至る病」といいながら「死んでない」とは……
「絶望」とは死にたいけれども死ぬこともできずに生きていく状態のことです。肉体の死をも超えた苦悩が「絶望」です。
つまり、生きながら死んでいるようなゾンビ状態のことを「死に至る病」と呼んでいるのです。
(中略)
結論としては、やっぱり人間は絶望する方がよいということです。というのは、人間は動物以上であり、自己意識をもつからこそ絶望しうるわけです。意識が増す(自己をみつめる)ことでいろんな挫折を感じ、「このままではいけない!」という焦燥感が強まってくるものです。
(中略)
絶望を人生の成長として捉えることが大切なのです。
『21世紀の資本』のトマ・ピケティってラフとほぼ同年代。この書は一世を風靡したけれども、もう古典と呼べるほどの地位を確立しているのか。
■ wikipediaの「21世紀の資本」の項
葦は「悪し」に通じるので「ヨシ」と言い換える
パスカルによる「人間は考える葦である」は有名なフレーズだけれども、ところで葦って知ってる?イネ科の植物で淡水の水辺なんかに群生している。英語だとreed。木管楽器のリードはこれ。厳密には実際のものは葦そのものとは違うけれども、木管リード楽器(シングルリードのクラリネットやサックス、ダブルリードのオーボエやファゴット)において息を入れて振動させる部分のことがリード。
■ wikipediaの「ブレーズ・パスカル」の項「考える葦」
音楽で有名なのはチャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」の「葦笛の踊り」かな。ところが主要な主題を吹いているのはリード楽器ではない木管楽器のフルート3本。
「葦」の読み方は「アシ」なんだけれども、「アシ」は「悪し」(読みは「あし」)につながるということで「ヨシ」(もちろん「良し」)と言い換えられた言葉の方が一般的か。
■ wikipediaの「ヨシ」の項
■ ヨシとは? – 公益財団法人淡海環境保全財団
こういう言い換えは、そういえばイタリアの地名にもあったなぁ。「ベネヴェント」を共和制ローマがこの都市を勝ち取った際に、もともとの地名「マルヴェント」は「悪い風」という意味なので「ベネヴェント」(良い風)に変更したとか。
参考:受験古文では良い悪いの程度は必ず覚える。良いほうから並べると、「よし」>「よろし」>「わろし」>「あし」
■ アレコレつまみぐい国語-古文単語を覚えよう④- | 大学受験予備校apsアカデミー
■ 評価語の研究―「あし」の衰退を中心に―大学院国語科(ちょっと難しいけれどもおもしろい)
読了:ギリシア人の物語3 新しき力[塩野 七生]
第1部 都市国家ギリシアの終焉(アテネの凋落/脱皮できないスパルタ/テーベの限界)/第2部 新しき力(父・フィリッポス/息子・アレクサンドロス/ヘレニズム世界)/十七歳の夏ー読者に
塩野は歴史長編に関してはこの作品で最後にすると宣言(誤解のないように言っておくとまだ存命です)。最後はどうしてもアレクサンダー大王を書きたかったんだな。塩野は「自分の好みの男性像」というのが結構はっきりしていて(彼女のエッセイにも「男はこうあって欲しい」というのがよくあって、スマートにずるがしこい男が好きらしい)、中でもカエサルとアレクサンダー大王は常に別格扱い(ローマ人の物語全15巻もそのうちの2巻をカエサルにあてるほど)。
ギリシア人の物語1と2の感想は以下参照。
ギリシア人の物語の最後は、ペロポネソス戦争後から。ペロポネソス戦争に負けたアテネを盟主とするデロス同盟は崩壊し、アテネは見るも無残に凋落。とはいっても、哲学の分野に関してはソクラテスが、そして弟子のプラトン(アテネ郊外にアカデメイアを)、さらにはアレクサンダー大王の家庭教師になるアリストテレス(この人はマケドニア人だが、アテネ郊外にリュケイオンを)と続いている。ペルシアからの経済的支援を受けていたスパルタはペロポネソス戦争で勝ったとはいえ、スパルタは独自の路線を貫き孤立していく。都市国家のテーベなどが一時的に興隆するものの、その後に台頭したのはオリンポス山の北側に位置したために同じギリシア人からも半バルバロイと呼ばれてきたマケドニア王国(都市国家ではないうえに、古代オリンピアにも長らく参加を認められてこなかった)。
マケドニア王フィリッポスによりスパルタを除くギリシアはもう一度まとめられていき、その息子アレクサンダーによりペルシア遠征がはじまる(アレクサンダーはこの遠征を第1巻で述べられたギリシア本土で戦われたペルシア戦役の延長ととらえていたようだ)。ギリシア対岸の小アジアだけでなく、シリア、エジプト、そしてペルシアの中枢メソポタミアを制し、アケメネス朝ペルシアは滅亡、さらにはペルシアの後背地であるインダス川まで進む。このアレクサンダー大王の東征と戦闘(戦争ではない)の描写がべらぼうに読ませる(塩野のアレクサンダー愛はすさまじい)。そして若くしてアレクサンダー大王が亡くなってしまうと、その後彼の部下やその息子たちによる混乱により、ギリシアおよびアレクサンダーにより征服された地域は、セレウコスのシリア、プトレマイオスのエジプト(エジプト最後の王朝はエジプト人ではなくギリシア人の王朝なのだ。「クレオパトラ」という名もギリシア上流階級の女性に多い名前)、そしてアンティゴノス一族のマケドニアを中心として分割されてしまう。しかしこの時代にはヘレニズム文化が花開く。
アレクサンダー大王が画策したペルシア人との民族融和政策は途絶え、これを多民族融和政策として継承し成功を収め大帝国を築いたのは後のローマ人だったのだ。
■ ギリシア人の物語3 新しき力[塩野 七生]
■ ギリシア人の物語III 新しき力(ギリシア人の物語)[塩野七生]【電子書籍】
読了:ユダヤ人の歴史(河出文庫)[レイモンド・P.シェインドリン/入江規夫]
第1章 古代イスラエル人の起源とその王国ー紀元前一二二〇年以前から紀元前五八七年まで
第2章 ユダヤの地とディアスポラの起源ー紀元前五八七年から紀元七〇年まで
第3章 ローマ帝国下のパレスチナとササン朝ペルシアのバビロニアー紀元七〇年から六三二年まで
第4章 イスラム社会におけるユダヤ人/イスラムの勃興と中世の終わりまでー六三二年から一五〇〇年まで
第5章 中世キリスト教ヨーロッパ社会におけるユダヤ人ー九世紀から一五〇〇年まで
第6章 オスマン帝国と中東におけるユダヤ人ー一四五三年から一九四八年まで
第7章 西ヨーロッパのユダヤ人ー一五〇〇年から一九〇〇年まで
第8章 東ヨーロッパとアメリカ合衆国のユダヤ人ー一七七〇年から一九四〇年まで
第9章 ホロコースト
第10章 シオニズムとイスラエル建国
第11章 一九四八年以降のユダヤ人
イスラエル、エルサレム関係の歴史入門書を先ごろ読んだ。
当然、イスラエルの歴史となると、古代イスラエル(主に聖書の記述に基づく)からユダヤ戦役までが描かれた後、(狭義の)ディアスポラの時代を経て、次に再登場してくるのは19世紀のシオニズム運動あたりからとなる。中世がごっそり抜け落ちるのだ。
今回読んだ書はユダヤ人の歴史なので、(狭義の)ディアスポラ時代についても、ユダヤ人がどのように生きてきたのかが分かり非常におもしろい(その時代に該当する第3章から第8章あたりが個人的にはとても新鮮だった)。世界史の中でユダヤ人が置かれた立場(決して彼らが望んだわけではない)を知ると、ユダヤ人の陰謀といったものがいかにバカげた説かが分かる(もっともこの本ではそんなつまらないことを述べてはいないけれども、そんなことはありえないということはわかる)。またユダヤ人は他の民族とは決して交わらないという思い込みがあったんだけれども、他の民族と同化していったユダヤ人もかなり多いことを知った。ヨーロッパにおいては、スペイン起源のセファルディム系ユダヤ人と西ヨーロッパを起源としてやがて東ヨーロッパに中心を移したアシュケナジム系ユダヤ人というように、実は多様化していたことも知った。というわけで「オスマン帝国内のスペイン系ユダヤ人」といった表現も当たり前に出てくる。
ユダヤ世界と非ユダヤ世界の違いを歴史的な経緯から説明し、また「世界史の中で暗躍するユダヤ人」といった間違ったイメージを払拭してくれる入門的良書。
■ ユダヤ人の歴史(河出文庫)[レイモンド・P.シェインドリン/入江規夫]
■ ユダヤ人の歴史(ユダヤ人の歴史)[レイモンド・P・シェインドリン]【電子書籍】